田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

春の気配を感じた。 麻屋与志夫

2019-02-18 21:10:30 | ブログ
2月18日 月曜日 晴れ
●早朝。
裏のデッキに立つ。
まだ冬の寒気がはりつめている。
あまりにも澄んだ大気。
そしてあまりにも青い空。
かなたに岩山がある。
鹿沼のシンボルのような山だ。
街のどこにいても、みることができる。
「古賀志山」だ。
ごつごつした山なみがみえる。

●まだ寒いから眺める古賀志山や日光の山々が澄みきった大気のなかで、キレイにみえるのだ。

●ところが昼ごろから温度が上がり、十六度になった。
春の霞みがかかったようになった。
三月下旬の陽気とのことだ。街が陽気でフワット膨らんだ。
スエタを一枚脱ぐ。
春がそこまで来ている。

●本棚を整理していたら昔書いた、原稿用紙で五枚ほどだが「鹿沼の四季」という文章がでてきた。

●明日から再録してみますね。




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不適切動画についてGGがかんがえたこと。  麻屋与志夫

2019-02-17 09:12:56 | ブログ
2月17日 月曜日 薄曇り
不適切動画についてGGがかんがえたこと。

●スーパーや飲食店での不適切動画がテレビで毎日のように映されている。
ここで個々の事例をあげることは省いて置く。
わたしは今朝も教育の敗北を認めざるをえなかった。

●企業側は店員の再教育について言及している。
はたして効果があるだろうか。
あると願いたい。

●わたしは大人になってからの再教育にはあまり期待できない。
罰則でももうけないと、効果はないとおもうのですが――。
やっていいこと。
と、悪いことを識別できるのは子どものころの教育の結果が大切な気がする。

●初等教育の成果が問われるようだ。

●といっても総括的な発言だ。

具体的な言えば、活字メディアに閑古鳥が鳴くような時代になってしまった。

小学校で本を読むことを推奨して、その読書感想文を書かせる。

その教育の現場に修身的な教育を織り込んでいく。

要するに、国語教育に力を入れる。

これだ。

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雪の夜青春の日々を回顧し難解な英単語を思いだす。 麻屋与志夫

2019-02-10 07:08:57 | ブログ
2月10日 日曜日 雪の朝

●未明。世界から音が途絶えてしまったように静まり返っている。このtranquilityは雪がつもっているな、とうれしくなって、裏のデッキに面した廊下のカーテンを開けたところ、予期したとおり白銀の世界が目前にある。塀の外は広い駐車場になっている。その先は宝蔵時の塀。広々とした空間はすべて真白だ。

●この静謐な無音の世界と白銀色の世界が、すきだ。むかし、たまたま二階の静謐な書斎から夜の雪景色を眺めていたときに、覚えた単語がtranquilityだった。このできすぎた偶然にわくわくして、小説を書く筆がすすんだ。ハカイツタ――栃木弁。はかどる、仕事がうまく進む。

●書斎でだけ生きているようなわたしはむかしから、つまらぬことに感動する癖があった。

●静謐などというムズカシイ言葉をつかわず、静かな、とすれはいいのだろうが、むかしの記憶をよびさましてしまったので、申し訳ない。

●Man is mortal.人は死すべきもの。mortalという単語もこのころ覚えた単語だ。新鹿沼駅から上京するときに、覚えた。これから上京してうまく勉学の道に進めるのだろうか。いまが運命の岐路。いずれ人は死すべき運命にあるなら精いっぱい都会で作家への道を歩みたいという希望にみちた船出だった。

●バカですよね。このところ、ごたぶんにもれず、夜、トイレに起きてすぐに眠れない。ボケがはじまったらたいへんだ。ムズカシイ単語を寝床で口ずさむことにしている。

●雪の夜。しばらくブツブツと英単語を唱えていたが、眠れそうにない。

●ノウマクサンマンダボタナンアバラテイ。と、気合いをかけて室温二度の部屋で起床。パソコンに向かってかくのごとく。なんとかブログを書き上げた。

●これから、二度寝しょうかな……。眠りは貧しいもののたのしみ、というがホリゴタツの温もりのを感じながらのうたた寝はたのしいものですよ。今日は雪の日曜日。――。





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教育の敗北。 麻屋与志夫

2019-02-09 18:24:50 | ブログ
2月18日 土曜日 曇り、夕刻より雪。

●家庭内暴力の話題はいまどきさしてめずらしいことではなくなっている。でもそのD
Vが子どもに向けられ、わが子を死に至らしめたとなると、話しは別だ。父親が子どもに暴力をふるうようすを母親が動画にとっていた、とも報じている。千葉県の野田市の事件だ。

●北海道では過去における中学教師のセクハラを中年の女性が訴えている。

●子どもを守る母親の本能はどこにいってしまったのだろうか。母性本能そのものを疑ってみたくなる。はたして本能といえるのだろうか。

●教師は、親たちの次に、子どもたちの味方であるはずだ。その他、もっとも信頼されるべき職業のひとたちの犯罪も目立つようになってきている。

●短絡的には考えたくないのだが、これらすべてのことは教育の敗北からきていると認識したい。

●ゆとりある教育で、勉強時間を減らしたのはいいが、そのぶん部活動は強制。文化部はほとんどないときている。

●学校も塾もマークシート方式の教育に熱心で、道徳教育とまでいかなくてもいいが、せめて人としてやっていいことと、悪いことくらいは、はっきりと小学生のときから教え込むべきだ。

●それから、本を読まない子が急増している。本を読まないから長期記憶を鍛えてないから、教えたことをすぐ忘れてしまう。

●この本を読むといいよ、と机の上においても手にとってページをめくる興味もしめさない。

●「おねがいだから、本を読んで」と生徒たちに塾の時間におねがいしている。本来、読書を推奨するのは学校でなされるべきことではないのか。と思うのだが、どうなのでしょうね。

●読書経験がないから、こういうことをしたら、こういう結果が伴うのだというイメージも浮かばないのだろう。

●刹那的な人間がおおくなった。



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側溝の長いトンネルをネコはどこまでいったの。 麻屋与志夫

2019-02-08 17:43:11 | ブログ
2月8日 金曜日 薄曇り。寒かった。

●こんなことはめったに起きることではない。足元に視線をおとしたときに、パツト、瞬時だったがネコと目があった。ネコは幅五0センチほどの側溝の中にいた。そこだけ鉄格子の蓋になっていて、人の歩いてくる気配にネコが頭をあげて上をみあげた。そこでわたしと目があった。

●白猫だった。あわてて、前に逃げ去った。先はどこまでも暗渠、コンクリートで覆われていて外には、歩道にはでられない。数10メートル後ろにコンクリートのとぎれているところがあった。そこから潜り込んでしまったのだろう。ネコが進んでいった先には蓋が途切れて外にはい出る切れ目があるのだろうか。

●「だいじょうぶよ。ふりかえって入ってきたところまで、まちがいなくもどるわよ」
こういうとき、カミサンはかぎりなく楽天的になる。いつもの心配性がウソみたいだ。

●そうは云われても……わたしは側溝に沿って足早に前に進んだ。全然蓋の開いているところがない。

●「心配ないわ。ベニマルでなにを買おうかしら」

●あんなにネコ好きなのに、気がかりではないらしい。

●あの白ネコはどこまで前に進んでいっただろう。真っ暗な細い側溝のトンネルをどこまでも歩いているネコのイメージが脳裏から消えない。心細いだろに……。

●それとも、すぐに引きかえしただろうか。

●わたしは鉄格子の蓋をもちあげてやればよかった。と……まだ、ジクジクと思っている。バカですよね。




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