田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

雨の日の朝

2007-07-22 08:36:17 | Weblog
7月22日 日曜日 曇り
●田舎住まいのたのしさはいろいろある。まず、自然に親しめることではないかな。庭に小雨が降っている。大地(などというと広そうだが)が降り続く雨でぼってりとしめって黒い。この重い土の質感がいい。色合いがいい。     
●わたしのブログは比較的若い人が読んでいるらしい。
都会暮らしのかたがおおいのだろう。50年後のじぶんを想像してください。どんな生活に心の平穏を感じているのでしょうか。   
●先日、上京したおりに地下鉄の車内でブログを読んでいるヤングを見た。どんなブログを読んでいたのだろうか。にこにこ笑いながら読んでいた。読者を和ませているブログの送り手がうらやましかった。
●さて、庭の話だった。石で囲ったところがある。石はかれこれ60年まえに河原歩きを父としたおりに拾い集めたものだ。気に入った形のものがあると土手のあたりまでころがしておく。付近の農家の人に運搬をたのむ。今ではたとえ河原にごろごろしている石でも好きかってに持ち出すことはできないのだろう。すべてがのんびりとしていた。おおらかだった。人間がいた。 
●その石にみごとな苔が生えている。こうなるまでに半世紀以上もたっている。
●「子孫に美田を残さず」
●石ならいつまでも残るからな、と父は嘯いていたがまさにそうなった。
●その石に雨が降っている。

●庭に散水用の水道がある。蛇口をひねるともちろん水が出る。水受けに桶が置いてある。だいぶ古びて縁は腐っている。その自然にできた縁のギザギザがいい。苔も生えている。水をぼってりと含んだ質感がいいのだ。
●そのすこし離れたところに、鎖といがある。玄関の屋根に降った雨がこの鎖のようになっている樋いをつたって流れ落ちる。あるかなしかの音にみみを傾ける。金がかかるわけではない。自然のかなでる音楽だ。そのうち、水琴窟でも作ろうかなどと思う。
●こうした生活がある。これがわたしなりの田舎住まいのたのしみかただ。


怠惰な一日

2007-07-22 00:22:48 | Weblog
7月21日 土曜日 曇り
●上京の疲れで午前中はゲンナリとして過ごす。足ががくがくしている。温湿布を膝の裏側に張る。年だなといやになる。でも地下鉄の駅で階段を何か所もあがりおりしたからな、とじぶんを慰める。横になって読書をしているうちに、ついうとうとしてしまう。
●ブラッキーは、昨日留守になるので余分にあげた餌を食べない。湿ってしまっているからだろう。
●猫はネコなりに、よほど寂しかったのだろう。わたしの周りを離れない。ふたりでまたうとうとした。
●夜、こうして二日分のブログを書く。怠惰な一日だった。

ブレッソンを観た後で

2007-07-21 23:36:35 | Weblog
7月20日 金曜日 晴れ
●東京にでだ。竹橋で降りて『東京国立近代美術館』。ブレッソンの『知られざる全貌』を見た。帰り、書道の用具屋さんによった。書道は10年ほどまえに中断している。障子紙を買うためである。書道は好きでいますぐにでもまた筆を取りたい。でも体力がないから、小説だけを死に物狂いで書いている。それでも、思うような作品は書けない。体力が続かない。そうだ、脇道にそれてはいけない。障子紙のことだった。和紙の手漉きの障子紙は売っている店がない。それも、つなぎ目のはいつている昔ながらの紙となるとなかなかお目にかかれない。やはり、あてにしたその店にも置いてなかった。残念だった。ぼんやりと筆を見ていた。小説家でやっていけるようになったら、もう一度あの墨の匂いをかぎながら書道をやりたい。まあそんなことができるようになるとは思えない。でもそれを夢見ている。
●手漉きだと光を通した時の、やわらかな感じがする。その和紙を通した光が畳に落ちてくれば贅沢な気分になれるのだ。光の質感にこだわっている。
●千鳥が淵で猫と出会った。わたしたちが猫の匂いがするのか、逃げようとはしない。カミサンが携帯で撮った。これが、その一枚だ。ブレッソンを観て感銘をうけた彼女にそのうちカメラをねだられることを覚悟している。
●竹橋の駅の付近でカミサンの草履の裏がはがれてしまった。困った。うまく歩けない。駅の売店で瞬間接着剤がないかと尋ねた。この上の階に文房具屋がありますよ、と親切に教えてくれた。そこで、靴修理屋さんのあることを教えてくれた。毎日新聞の社員食堂を横切ったおくにその店はあった。食事中の人たちの視線を浴びてすこしはずかしかつた。それでも親切な人たちのおかげで草履はふたたび履けるようになった。助かった。
●おなかが空いていた。和食の店に入った。うまかった。
「おふたり一緒でいいのですか」と会計のときにカミサンは声を掛けられていた。
「わたしたち夫婦に見えないのかしら」
●和服姿のカミサンはたしかに若く見える。


HAL

2007-07-19 06:13:38 | Weblog
7月19日 木曜日 曇り
●ひとり合点。自分だけわかったつもりになっていた。「はるうらら」とわたしのPCにニックネームをつけた件のことだ。どうして、はるうららなの? と聞かれた。
●わたしはジブンを「懸賞文壇のはるうららだ」と自称してきた。と、いうことならおわかりいただけますか。懸賞文壇なんて、呼び方はまずないとおもいます。ないですよね。まあ、それはさておき。
●一生懸命に投稿しても入賞したためしがない。その残念無念な投稿歴を憐れんで、はるうらら、ということになってしまった。                      
●はるうらら、では長すぎるので「はる」とうことにした。いつそのこと「HAL」としたほうがいいかな? とまだ迷っている。                       
●二十代から雑誌にはかなり小説を発表してきた。このところ見限られている。感性が古びてしまったのか? この年では持ち込みをするのも気がひける。じつは、そのつもりになってPCでカミサンに営業用の名刺を作ってもらった。でも、だめですね。往時の覇気はどこへいってしまつたのだろうか。王子、王子なんてさわがれている若者がうらやましい。往時を顧みて、すこしでも若く見られるようにと、鬚をはやした。次元大介みたいな鬚だ……などとカッコつけている。鬚を剃るのがようするに面倒になってきただけのことではないか。
●編集部の人たちだってルパン三世の相棒らしいのは鬚だけ。だいぶたそがれてきた頭を下げられたってゾウッとするだけだろう。
●わたしの「はる」ちゃんと顔を合わせて毎日、こうして原稿を書ける。健康で原稿を書きつづけられるだけでも幸せなのかもしれない。でもそれだけでは、満足できません。なんとかして、フルタイムの作家になりたいものだ。希望をもつのに年齢制限なんてない。とまあ、思っている。
●「あわれな老人に、神の救いを」


橋からの眺め

2007-07-18 21:57:32 | Weblog
7月18日 水曜日 曇り
●「ハル」を笈のごとく背負って街にでる。K川はまだ増水したままだ。
「橋の上から撮ったほうがよかったみたい」
「あれでいいさ。あまり気をもむことない」
7月16日のわたしのブログ、濁流に載せたピクチャのことが話題になっている。カミサンは携帯で写真を撮る。それをPCにとりこむ。よく覚えたものだ。それからブログに張り付けてくれる。
●いくら文章で表現しても写真にはかなわない。前のブログにもさかのぼって、写真がはいっています。おたのしみください。
●どんよりと曇っている。クリンセンターの煙が煙突から立ち上っている。でもまっすぐにはのぼっていかない。煙まで灰色の雲とまじりあっている。低く中空にただよっている。
●でも、この大気のようすは、梅雨明けがまぢかだということを予告している。
●もうじき田舎町にも熱い夏がやってくる。

お客猫

2007-07-17 18:44:39 | Weblog
7月17日 火曜日
●長年、猫を飼い続けているからなのだろうか。ブラッキーがいるからなのかな。ときおり、迷い猫がやってくる。迷い猫は、一応飼い猫なのだろうが、家を離れ過ぎてすぐには戻れない。そんな風情のある猫だ。堂々と餌をねだる。二三日するとこなくなる。家路を探り当てたのだろう、と安心する。これとは別に巡礼猫もいる。いちどだけ角付のようにやってきてそれっきりだ。少しさびしい。     
●お客さん、わたしたちが呼ぶトラ猫が近頃よく来るようになった。まだわかいオスなのだがとても人懐こい。カミサンがふちのかけてしまった江戸切子の深皿に固形餌を入れてやると二杯くらい食べていく。食べ終わるとおあいきょうに、ごろりと仰向けにねころがる。その動作がとてもかわいいとカミサンは喜ぶ。どうもオス猫のほうがカミサンになつく。前に飼っていたオス猫のムックがなつかしいという。        
●ブラッキーが私になつき過ぎているのでカミサンはつまらないらしい。ブラッキーはわたしのオッカケだ。テレビを見るときも、原稿を書くときもかならずわたしのわきに控えている。かわいいものだ。どこかへでかけようとすると、きげんがわるくなる。奥の部屋にかくれて出てこない。犬だったら外につれだせるのに残念だ。
●内田百ではないが、「贋作吾輩は猫である」のような作品を書きたものだ。資料は集めてある。ぐうたらなわたしのとだから、書き出すのはいつのことやら。


濁流

2007-07-16 21:10:00 | Weblog
7月16日 月曜日 晴れ
●「はるうらら」と呼びかけることにしたPCと早朝から顔をあわせる。短縮して「うらら」がいいかな。「はる」ではどうだ。「2001年宇宙への旅」にでてくるコンピューターがそんな名前ではなかつたかな。しめた。これでいこう。ハルにきめた。これがいい。
●朝からハルにあう。何時もよりブログの来訪者が少なかった。ブログを書くことで楽しみがふえた。じぶんの書いた文章を読んでくれる人がいると思うととてもたのしくなる。
●台風の後なのでK川の流れを見に行く。灰色の濁流が音を立てて川岸をけずっていた。かなり高いところまで草が薙いだようによこになっていた。昨夜だとこのあたりまで水位が上がっていたのだろう。台風の後で川の水位が気になった。
山の木々が倒れていやしないかと気になるのは、田舎住まいの由なのであろう。
●昔はこれくらいの水位があった。清流ではあるが、普段は河原のなかほどを細々とながれている感じだ。増水した流れをみながら往時を回顧したものだ。やはり源流の山々の伐採がたたっているのだろう。
●カミサンは携帯を川面にかまえて、土手から身をのりだしていた。はらはらした。


わたしのPCは「はるうらら」

2007-07-15 21:57:19 | Weblog
7月15日 日曜日 雨
●「八十歳のアダムとイブ」なんとか校正がすんだ。ある文学賞に応募してみるつもりだ。この歳になって初心にもどることは辛い。でも、書きぬくほか仕方がない。
●むかしのことを考えたら小説を書くのはずっと楽しくなった。ペンと原稿用紙だけだった。いまでは、PCがある。飽きが来ない。いろいろな機能をもっと覚えれば、さらに楽しくなるだろう。
●ケニー・ドリューJrの「星に願いを」を聴きながら小説をパソコンで書いているなんて信じられな。長生きするぞ。早くパソコンを速く打てるようになるぞ。駄馬のダメ老人も歳を忘れてがんばるぞ。
●だれも褒めてくれない。駄馬にむち打ち長すぎる助走を走り抜けるのだ。じぶんのことをじぶんで信じて、気合をかけて原稿を書いている毎日です。
●わたしのPCに「はるうらら」というニックネイムをつけることにしました。いくら書いても思うような作品がかけません。いくら投稿しても入賞するあてはありませ。
●でも、ご安心のほど。そんなことで、メゲルGGではありません。
●明日も「うらら」ちゃん、よろしくね。


ローソクの明かり

2007-07-15 00:41:16 | Weblog
7月14日 土曜日 雨
●九州地方を襲っている台風の影響で終日雨だった。外からは物音一つしない。何時もであったら小鳥の鳴き声が聞こえるのに、静かなものだ。田舎住まいということは、simple is best を信条として生きることだと思っている。小鳥の鳴き声くらいしてもいいのだが、こういう雨の日こそ、田舎で暮らす静寂をしみじみとあじわうことができる。電話もない。便りも、メイルもこない。外からはなにも訪れない。静かだ。
●カミサンが部屋の照明を落とした。かわりにランプに火を灯した。千趣会でとりよせた外国製の灯油ランプだ。彼女は照明にこだわりがある。キャンドルの明かり。ランプの明かり。和ろうそくの明かりが好きだ。そして、香炉で香の香りをきくのが好きだ。
●コーヒーを淹れるサイホンにろうそくを立てる。なかなか趣がある。
●仄かに明かりが揺れるのがいい。
●ベルナール・パンゴーの『囚人』を読んだのは何時のころだったろうか。雨が降っていて所在がないので書斎でヌーヴォ・ロマン関係の書棚を探した。
●Georges de La Tour の絵が『囚人』に載っていた。昭和35年の発行だった。蠟燭を手にした女性が盲目の男を照らしている絵だ。その時以来、わたしも蠟燭の揺らぎ、そぼくな明かりにはあこがれていた。
●ラ・トゥール展を二年ほど前に国立西洋美術館で鑑賞した。うれしかった。
●回想にひたるのも雨の夜らしくていいものだ。悔恨の情がしのび込むことのない楽しい思い出でであれば、それはもう年配者だけがあじわえる贅沢であろう。


婦唱夫随

2007-07-14 00:11:18 | Weblog
7月13日 金曜日 曇り
●午後、何も持たずに散歩に出る。カミサンは携帯を持って写真を撮るとはりきっている。家から10分。母校、K小学校に着く。まず6月13日、敗戦の日のブログのために「犬くぐり」の写真を撮る。ぜひ再訪してご覧になってください。その他、各所に写真が入っています。そのためかこのところ閲覧者数が三倍にも膨れ上がっています。ありがとうございます。それに写真を載せてわたしの拙いプログを彩ってくれているカミサンにも感謝します。
●母校の周りにはまだ青田の風景が残っています。美しすぎる田園風景。畦道を歩きながら、めずらしく社会問題を話していた。 
何も持っていないので、両手をふりながら多少興奮して話しまくった。なにも、カミサンにあたっても「しょうがない」ことだ。
●話題は「亭主在宅ストレス症候群」。愛情を育むことのできなかつた夫婦の悲劇。わたしはそう思う。わたしたちは二人で過ごす毎日が楽しくてしょうがない。
●お節介ながら一言。毎朝起きた時に初めて出会ったときのことを思う。それだけで新鮮なきぶんで一日過ごせますよ。それに老いたら妻に従うこと。
●ほんと、年寄りはお節介ですよね。ごめんなさい。