田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

2007-06-19 21:10:19 | Weblog
6月19日
●暑かった。梅雨入りしたのにまだ雨が降り出さない。
おかしな天気だ。裏庭の杏の木で鶯が鳴いていた。梅ノ木で鳴いていた春のころとほとんどかわりがない。
それでも、こうも暑いとなんとなくたのしめない。
なにごとにも、旬というものがあるのだろう。
●数年前のことだった。藤の花が、夏の真っ盛りに咲いた。

 あわれあわれ炎暑に咲きし藤の花

●こちらは鶯を鳴かせることも出来ない。花を咲かせることも出来ない。老木だ。
●毎晩小説を書いている。書くことは書ける。でも、若い人に読んでもらうと感覚的なずれがあるだろう。それが怖い。感覚的なことは、古びた脳細胞ではどうしょうもないみたいだ。そのうち、この欄にショートショートでも書いてみよう。
すでに、旬を過ぎた物書き。田舎住まいのGG不安なのだ。それでも、書くことはやめられない。執念といっていいのかもしれない。

赤青田

2007-06-16 03:32:53 | Weblog
6月16日土曜日
●日付では2日ほどブログをサボったことになる。上京していた。戻ってじぶんのブログを開いてみた。敗戦の夏にたいしてコメントが入っていた。うれしかった。ありがと。深夜、こおしてPCに、小さな田舎町の孤独な部屋でGGは向かい合っている。でも、各世代の人たちが読んでくれているとわかると感動する。その喜びをモチベーションとしてこれからも小説を書いていきたい。やがて、敗戦記念日が来る。今年も各界の有名人がこの日の思い出を綴ることだろう。でも無辜の民のささやかな体験はあまり目に触れない。残念なことだ。ブログだつたら記録に残る。全国の抗加齢世代のみなさん、華麗なる文体で、佳麗であつた日々に出会った敗戦の記憶をブログにとどめておいてください。言葉遊びの綾で、佳麗であつた、などと失礼な表現をした。過去形などにしたら申し訳ない。わたしのまわりの同世代の皆さん、まだまだお若いです。戦争を知らない世代にわたしたちの体験を残しておきましょうよ。
●若いといえば、うちのカミサンもなかなかのものだ。麻酔からさめて「髪乱れていない」開口一番、こんなことがいえるあなたがすきです。わたしは点滴の一滴一滴の滴りを見つめていました。あなたのベットの傍らで……。見つめていました。久保書店刊の「抒情文芸」で雑誌デビューを果たしたころのことを思い出していました。あなたは昨夜、内視鏡検査を受ける不安から、遅くまで「スプラッシュ」を見ていましたね。緑のタオルケットを腰に巻いて横たわっているあなた。あなたはわたしのマーメイドです。人魚姫です。
●幸いカミサンの胃には異常はなかった。
●帰り東武電車の車窓から見た夕焼け。美しかった。すやすやと寝ているカミサンを起こしてしまった。田植の済んだばかりの青田。青田風とここのところブログに書いた。季題としては少し早すぎるのではないか。いま少し苗が伸び、夏がちかづいてからの田の表現なのかもしれない。俳句は素人だからわからない。利根川を渡るころには真っ赤な夕焼け雲が、さらに棚引いて、空一面に広がった。その夕日の光が利根川の川上を赤く染めていた。さらに青田の水面まで染めている。夕風に吹かれ、そよぐ苗の神々しいばかりの緑。赤青田。赤富士にちなんでそんな言葉がふと唇をついて出た。そんな季語はないだろう。でも、この風景を一言で表現するにはぴったりだと思ったものだ。

利根川に負けじ広がる赤青田

敗戦の夏

2007-06-14 08:29:19 | Weblog
6月13日水曜日
●暑い。わたしは、PCから離れて散歩に出た。すくすくと伸びてきた稲。青田風に吹かれて田園に出た。
●木造校舎。昔のままに残っている。母校、まで散歩した。コンクリートの塀の下部に犬くぐりがある。鉄の格子になっていた。犬くぐりと呼ばれていたかどうかも、定かではない。すべてはセピヤ色の記憶の中だ。
●今も鉄格子はない。赤く錆びた根が残っているだけだ。あそこの平らな見事な切り口。N君が切ったところだ。
●家庭にある鉄製品で不用なものは供出していた。誰が、学校の塀のこんな細い鉄の柱に目をつけたのだろう。長さ三十センチ、幅三センチにも満たない柱。切り取って集めたところで、たかがしれている。そんなことまでして、鉄を集めなければならなかった。鉄砲の弾をつくるために。
●わたしたちは、授業はそっちのけで、小さなヤスリでこの鉄の柱を切ることになった。集めた鉄は鉄砲の弾になる。一発でもおおくの弾をつくる。それが銃後のわたしたち小国民の義務だった。校庭は耕されて畑となっていた。サツマイモやジャガイモをつくっていた。食料がなかった。とくに集団疎開できていた児童は栄養失調になっていた。ふらふら歩くものもいた。かわいそうだった。でも、みんなで畑となった校庭の細いあぜ道を昇降口から正門の塀のところまで歩いた。「父よあなたは偉かった」と軍歌を歌いながら勇ましく行進した。「作業はじめ」という先生の掛け声とともに、小さなヤスリで鉄の柱を切った。毎日何時間もかけた。わたしには苦しい労役だった。
●「手伝ってやるよ」いつになっても一本の柱を切り終わらないわたしにN君が声をかけてくれた。わたしは病弱だった。みんなのようにごしごしヤスリを動かすことが出来なかった。手は豆がつぶれて血だらけになっていた。それに耐えての動きだからなかなか作業はすすまなかった。「おれがきつてやるよ」うれれしかった。ヤスリはウソのように鉄にくいこんでいく。鉄くずがみるまにコンクリートの基石の上にたまっていく。鉄くずは太陽の光を浴びてきらきら光っていた。
●「よけいなことするな」不意に、担任教師の声が頭上でした。「じぶんの分担はじぶんでやれ」先生のおおふくビンタにわたしはよろけた。ころんで唇を切った。n君も殴られた。「ごめんな。ぼくのために」いまでもあの時の痛みは覚えている。そして鉄の匂い。ざらざらした鉄の感触。ほんとうにささいな日常の出来事なのだが、何にもまして、わたしの戦争の思い出となっている。
●それから間もなく空襲があつた。わたしの母校の区域だった。焼死した死体を見た。機銃掃射で登校の途中に死んだ先輩もいた。そういう時代があったのだ。今は平和でほら、青田風に吹かれて、みんなで野球を楽しんでいるじゃないか。しかし、わたしの心には、ヤスリと鉄格子と芋畑となった校庭がいまも鮮烈に残っている。そして、なによりも、暴力の時代を生きた悲しみが消えていない。

2007-06-13 22:44:14 | Weblog
6月12日火曜日
午後になって、部屋が29度になった。
蒸し暑い。窓をあけはなった。
緑色の風が部屋をとおりぬけていく。
畳の部屋で寝そべって午睡した。
後悔もある。ああしておけばよかった。そんなことを、考えたら際限ない後悔の海で溺れてしまう。
年を重ねるとはありがたいものだ。
あせりがなくなる。なるようになるさ。それだからこそ、この世は面白い。あせるな。あせるなよ。
明日は、もつと賢くなっているかもしれない。
明日は、もつといい文章がかけるようになるかもしれない。
あせるな。あせるなよ。
緑色の風の中ですやすやと寝てしまった。
畳のイグサの匂いが部屋を満たしていた。

清流

2007-06-12 12:16:42 | Weblog
6月11日月曜日
●街中を流れるk川が清流であると6月7日のブログで書いた。ところが、この川の上流、o近辺はさらに水質汚染がなく澄み切っている、と鮎つりの好きな人に教わった。
●わたしは今から10数年前この流れと流れが合わさる場所の土手にすわって水質の違いをぼんやりと見ていたことがあった。わたしは、子供のころ蚕を飼ったことがあつたのを思い出していた。
家からこ一時間、毎朝桑の葉を取りに通ったものだ。
いくらでも桑の葉を取れるのがうれしかった。そこに、少年の日の思い出いっぱいの土手に、還暦を迎えたわたしは座っていた。小説を書くのに行き詰まり苦しい時期だッたったる。
大病をした後だった。
戦後生まれで初めて芥川賞を受賞したNが郷里の病院で死んでいった。わたしも病気だったので葬儀には出られなかった。
時折小説を書いていた「月刊小説」が廃刊になっていた。
陰の極といった境遇が続いていた。小説を諦めて俳句を始めようかと真剣に考えていた。わたしは土手に座って永田耕衣の一句をぼそぼそと口ずさんでいた。
 少年や六十年後の春の如し                        
渇水期のことでk川は流れるともなく流れていた。風が吹くと川はさざ波を立てていた。川の流れが遡行しているように見えた。
過去と未来の狭間にいた。                         
●あの時小説を書くのを断念しなくてよかった。 
ブログを始めてよかつた。雑誌発表と違う。翌日には訪問者数がわかってしまう。コメントがとどく。驚きだ。ただ一人、密室のような書斎にこもって売れるかどうかわからない小説を書いてきた。そうしたことともお別れだ。書き続けるモチベーションと成る。


落雷

2007-06-11 06:28:06 | Weblog
6月10日日曜日
●曇り空から時折激しい雨が落ちてくる。田舎にいる時は必ず一度は散歩に出ることにしている。でも、この天気では、外に出るわけにはいかないな。とあきらめて終日パソコンとつきあうことにした。ブログを初めてまだ12日目だ。ようやく書くことの楽しさがわかってきたところだ。小説は雑誌に長いこと書いてきたがファンレターをもらったのはたった一度だけだ。その小説のほうはこのところホサレタ感じだ。早くカムバックしたいものだ。 ブログでは直ぐに反応をたしかめることができる。そんなこも知らなかった。三人の方からコメントをいただいた。ありがとう。
閲覧者数が122pv。訪問者数が56IP。このような欄があることも知らなかった。驚きであった。楽しいな。書くことは孤独な作業だ。でも直ぐにこの電脳空間でだれかと、ご一緒できる。これって凄いことだと思う。もう一人ではないのだ。がんばるぞ、がんばるぞ。より多く人に読んでもらうため公開というようなサイトがあるらしいですね。パソコン教室の先生に教えていただこう。読者が直ぐ身近にいるなんてすばらしいことだ。パソコン万歳。なんて、いい年してはしゃいでいる。
●庭のバラが盛りを過ぎた。これからはアジサイだ。去年植えた墨田の花火が咲き出した、とカミサンは大喜びだ。都忘れも可憐な花をつけている。都忘れについてはそのうち短編にまとめて書きたいことがある。このところ着想がわいてきて嬉しい。モチノキも白い小さな粒のような花をつけた。箱根うずきも、後はまだ名前の覚えられない花が庭を埋めている。門を入って、ともかく狭い庭なので体を横にして玄関にたどり着く。鉢がびっしりと並んでいるのだ。でも、自分の家の庭の花を毎日楽しめるのだからやはり田舎暮らしはすばらしい。 とくに東京と田舎の両空間をいききしているわたしには、田舎町のよさが良くわかる。一言で言えば自然にとりかこまれている。これだ。でも都会には都会の自然がある。芸術に志している人が大勢いる。都会のことは奇跡が起きてカムバックできたらゆっくりと書いてみたいものだ。

雷鳴

2007-06-10 07:14:09 | Weblog
6月9日土曜日。
昼過ぎからまた雷雨となった。
我が家はトタン屋根だ。
雷鳴がトタン屋根に反響する。
すさまじい。腹の底まで響くような雷鳴だ。
この年になっても地震よりも雷のほうが怖い。
薄闇の中でカミサンが息子の結婚式のことを話題にする。
雨音と稲妻。雷鳴に阻まれてよく聞き取れない。まさか耳が遠くなったわけではないだろう。不安がふと心をよぎる。      
「わたしたちって旅行したことないわ。それを気にかけてくれているのよ。それで、結婚式を挙げるの。軽井沢で」
思えば、わたしたちの結婚式もささやかなものであった。学業半ばで帰省してからの結婚。カミサンはわたしの両親の看護のために嫁に来たようなものだ。老人医療保険がまだなかった。
わたしは医療費を稼ぐために働き続けた。だからそのころどんな生活をしていたのか記憶にない。
「秋の初めの軽井沢。いいなぁ。一泊できるのよ」
いいなぁ、と感嘆の吐息をもらしている。
軽井沢の街のたたずまい。初秋の山並み。
カミサンは目を細めて物思いにふけっている。
カミサンのこのロマンチックな心情になんどわたしは癒されたことだろう。苦労をともにしてきた歳月が脳裏をよぎる。
息子が長いこと愛し続けた娘さんと結婚する。わたしたちには娘が増える。やがて内孫などと思う。
これからがわたしだけの戦いだ。
書いてて書いて、それでもだめでも書き続ける。
カミサンの期待に応えたい。
カミサンの苦労に報いたい。
雷鳴鳴りやまず。
薄暗い部屋に稲妻が光る。














   

動かざること

2007-06-09 10:39:13 | Weblog
6月8日金曜日
昼ごろから真夏日となった。カミサンといつたスーパーでYEBISUの500mlについ手が伸びた。
「あわをいつぱいたてて、ついで。泡を飲むのが美容にいいらしいのよ」
二人で互いのグラスいっぱいのビール。ナビスコのクラッカーに雪印のカッテージチーズをはさんでつまみとする。
「もう、後がないよな。動かざること山の如しなんて粋がっている場合じゃない。小説がんばるぞ」
「そうよ。もう待ちくたびれているんだから」
すきで、ぐずついているわけではない。諸般の事情これあり、作家としての生活に入っていけない。
フルタイムの作家になる夢がアワのように消えないことを望みながらピールを飲み干した。
夕刻近く雷雨。家がびんびん震えた。

おいしい水

2007-06-09 09:31:01 | Weblog
6月7日木曜日
だいぶ昔の話しである。我が家に横浜から友達が遊びに来た。この故郷の高校での同窓生だ。
サントリーの角瓶の脇に蛇口から水を注いだピッチャーをドンと置いた。
自分でもバーを経営していたことのある男だ。酒にはなかなかうるさい。
いやな顔をしているのを無視した。その水道水で水割りを作ってやった。
おそるおそるグラスに口を寄せた。そっと飲む。そして、ぐぐっとまさに一気飲み。
「ああうまい」CMできいたことのあるような感嘆の声。そして賛美。
「水道水で水割りが飲めるから、お前さんこの街から離れられないのだろう」
いまも、わたしはこの街の水道の水は美味いと思う。
街の中を清流が流れている。川底の魚の影までよくみてとることができる。
わたしは田舎暮らしのよさを、自然と触れ合うことで堪能している。
水だけではない。空気もさわやかだ。
水、空気、川の流れ。街をとりまく山々の緑。もうすぐ入梅だ。山の緑はさらに濃くなっていく。傘を差してカミサンと散歩にでよう。
のどを腫らした。体がだるい。原稿は一枚も書けなかった。だらしないな。

化け物か

2007-06-06 23:17:11 | Weblog
6月6日水曜日
改行のあやまり誤字脱字もそのままにしておきたい。と1日遅れでつけているブログに書いた。投稿をクリツクした。たまたまなにか予感がしたのか。「田舎住まい」わたしのブログを開いてみた。
こんなんってあるんかよ。綺麗に誤りが訂正されている。わたしは思わずPCの後ろをのぞいてみた。というのは嘘だ。
この電脳空間で起きた怪異の謎を解くべく、わたしはいろいろな推理をした。すべてむなしく、解決には至らなかった。
カミサンが帰宅した。玄関の鍵を開けている気配がする。
「エンターキを押さないから、行がとぶのよ」という。
潔癖症のカミサンには許せることではなかった。パソコン教室の先生の指導の下、わたしのブログを正確に直してくれた。それがわかるまでのわたしは、シンクロ二シティて゜起きたこの怪異を理解できず大いに悩んだものだ。
ブログとインターネットを始めてから世界が広がった。なにがなんだかわからない。このわからないところがいいのだ。
40年も前のわたしの小説が載っている「抒情文芸」が古本市場に出ている。
故郷で主宰した雑誌が東京は芝の某図書館にある。懐かしいな。そん情報を読んで興奮している。
73歳にもなるGGがカムバックして作家として返り咲くなんて前代未聞のことですものね。
田舎町ではまだ鶯が鳴いています。鶯鳴かせたこともある。そういきたいものです。
電脳空間で囀ることは難しいですね。
化け物を納得させるのは難しいですね。
どうなっているのか、わかりません。
どうなっていくのか、わかりません。