田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

人間もどきの終焉 麻屋与志夫

2019-10-24 14:36:16 | 純文学
    
 されば人の親の年いたう老いたるは、必ず鬼になりてかく子をも
食はむとするなりけり――今昔物語

1968年 夏

1 空から小鳥が墜ちてくる

「キャー」という声。
妻が――恐怖のために声帯をふるわせたことは確かな叫び声をきいて、ぼくは屋上への階段をかけあがる。鉄製の13階段はぼくの靴底との接触面で、この世の終わりのような暗く重い音をひびかせた。
妻がいた。
ぼくは階段を登りつめただけで、ぜいぜい息切れがして、すぐには声をだせないでいる。
 ビニロン芯縄を片手にさげた彼女が塑像のように立っていた。
だらりとさげた芯縄のさきからは濃い乳白色のボンド溶液が黎明の光をうけて、燐光を放ち、滴り落ちていた。
その白い溶液はフェルメールの「牛乳を注ぐ女」のミルクの滴りを思いださせる。
本来なら、初夏のさわやかな日射しの中にいるはずの彼女なのに、なにか黒い霧のなかにいるように感じてしまうのはぼくが疲弊しているからなのだろうか。それとも、彼女が恐怖におののいてしいるからなのか、ぼくにはいまのところ断言はではない。
 うっすらと口を開き、おののきをすこしからだをそらした姿勢に凝固させた彼女は、勾配の急な階段をかけあがったために息切れがして声をだせないでいるぼくに、一瞬すがるような視線をむけてくる。
 妻のミチコとぼくのあいだには、遮蔽物はない。
周囲の屋根に輝きはじめた朝日を逆光にあび、ひどく遠い場所にいるような妻。やつれて……さらにやせほそっていく感じの彼女をみてぼくは、黙ったまま近寄る。手がだらりとさがり、開かれ、いままで握っていた芯縄が屋上の床にバラバラとばらまかれる。
20センチほどに切られた200本のマエツボ用の2ミリほどの極細のビニロンロープ――芯縄が彼女の手を離れ、スダレが切り落とされたようにナダレテ……床に落ちた。これで切り口につけたボンドはべったりとロープ全体についてしまい、100足分の鼻緒の前坪がムダになった。
――鳥……とりが死んでるわ。
発問をしようとすると、彼女のほうから言葉が虚空にひびく。甲高い声が朝の大気に拡散して消えていった。
朝の静寂がもどってきた。妻はぼくの胸に顔をおしつける。ボンドの溶液が入っているポリ容器のかたわらに小鳥がいた。
小鳥の羽根は風に顫動していた。いま空から舞い降りてきたばかりといった、でもすでにムクロとなったことは明白な小鳥であったものを、排除するために上体をかがめようとすると、彼女はそうはさせまいと、しっかりと抱きついて、腕に力をいれる。ぼくの胸にホホを寄せてくる。ふるえている。ぼくも彼女を安心させようと強くだきしめ、背中をさすっていた。心配いらない。なにも怖がることはない。怖がることはないのだ。
ウナジと額にほつれた髪をかきあげ、彼女は息をはずませている。まだふるえている肩を抱きよせてやりながら、小鳥の死骸を眺める。
――死んだ鳥をみたぐらいで叫ぶヤッがあるか、おどかすなよ。(そのうち……親たちの死をみとってやらなければならない、ぼくらじゃないか) とつづけていおうとしたが、後の言葉は喉の奥にのみこんだ。声にはならなかった。
――でも怖い。
射殺された小鳥の胸には血が小さな星形にかたまっている。鋭く細いクチバシはかたく閉ざされて……いまはその鋭いクチバシで虫をついばむことができないでいるのが哀れであったが、乾いた泡状の血が胸のウモウをつたってそのクチバシまでたっしていた。妻に恐怖をあたえた鳥の、風にゆれる翼は、飛翔する機能を欠いているにもかかわらず、いまにも空に舞いあがるのではないかと期待させる。
 ――パパ、ドウシタノ?
 聖母幼稚園にこの春からかよいはじめた娘の桃代が、階段の下でぼくらを見上げている。
 ――鳥が死んでいてね。それをママがみつけてオドロイタのさ。
 ――ドウシテシンデルノ? モモヨニモミセテ。
 ――はやく、どこかへ、やってよ。
 妻の愁訴する言葉は、邪険にひびく。怖いわ。青ざめた顔をしている。妻の恐怖の発作はおさまりそうになかった。
彼女が小鳥を一刻もはやく捨てることを望むならしかたあるまいと、ぼくは、路地裏からいきなり通りへでた。通りのすみにプラスチックのゴミすて容器が置いてある。
 フワッと空間が広がった感じがして、ぼくは奈落におちこむような目まいに襲われる。疲れているのだ。ぼくも妻も、父の看病と母への気苦労のためすっかり疲れきっている。
 昨夜もほとんど一睡もしていなかった。健康な日常にぼくら家族が在ったなら、小鳥の死骸くらいで妻もとりみだしはしない。ぼくは明るく広い空間にでたくらいで、よろめくことはない。
 ――ネエ、ママハ、ドウシテ、コワガッタノ?
 小鳥の足をもって歩きだしていたぼくに桃代が追いすがる。
 ――パパハコワクナイノ? モモヨニモサワラセテ……ネエ、パパオネガイ、チョットダケサワラセテ。
 ――ほら……。
 手わたそうとすると、幼女らしい屈託のない明るい表情がさっと翳る。だしかけた手をひっこめてしまう。
 ――イヤ。モモヨモコワイ。
 手を後ろにまわしてしまって、おそるおそる鳥とぼくの顔を交互にみてから、たずねる。
 ――ネ……ダレガ……コロシタノ?
 しなやかな髪を朝風になびかせ、追いすがってくる。
 ――さあ、だれだろう。だれが撃ったのだろう。
 小鳥を撃つために空気銃をもちあるく男がいまでもいるのだろうか。ここはsanctuary
(鳥獣保護区)になっている。近所のハリスト正教会の前に「禁猟区」と掲示板が立っているではないか。 
――ドウシテウツノ?
 ――おもしろいからさ。
 ――トリヲコロスト、ドウシテオモシロイノカナ。カワイソウジャナイノ。オソラトベナクナッタトリハドコヲトベバイイノカシラ? ネエ……パパ、ドコヲトベバイイノ?
 ――桃代の胸のなかをとぶさ。
 ――モモヨノ……ムネノナカ?
 おまえの記憶の空をいつまでも鳥はとびつづけるかもしれない。
 だが、ぼくはいう。こころのことさ。この表現も桃代にはむずかしすぎる。
 ――ココロノナカハヒロイノ? ヒロカナイト、オモイキリトベナイト、カワイソウダモノネ。
 ――ああ、広いよ。あの空ぐらい……いや、空よりも広いかもしれない。

2 墓地の朝露

 宝蔵時の墓地をとりかこんだ有刺鉄線の柵。
 そのかずかずの針の先で朝露が滴となり、水玉となって草むらにおちる。今朝、この無数の水玉の輝きをみたのは、ぼくらがはじめてではない。
 ――バアチャン、マダサンポシテルヨ。モモヨガアサネボウダカラ、イツマデモネテイタカラ、バアチャン、ヒトリデサンポ、ヒトリデカワイソウダネ。
 昨夜。熟睡することのできなかった頭のなかでは、幼いぼくが、母に手をひかれて散歩している。輝かしい未来に向かって笑い声をあげて走っている。ぼくはそのぼくの影をひねりつぶす。こんな生活のなかへ走りこんでくるために生きてきたわけではなかった。錯綜し、袋小路へとつらなる道で、おちぶれて、おたおたうごめいている。ひきかえすこともできない。道の両側から迫ってくる草の露にすっかり靴がぬれて重くなる。回り道をすればよかった。 
 さきほどまで、ぼくの手にあった鳥の骸はすでにない。思いきり高かく、ケヤキの梢になげあげておいた。墓地になげすてておくわけにはいかなかった。朝ごとにぼくの母と散歩にやってくる幼い娘の目に、小鳥が乾いて、風雨にさらされ、むごたらしく腐蝕していく過程を見せるのはしのびない。 
 ――パパ。トリ、ドウシタノ?
 ――とんでいってしまったよ。
 ――ウソ。ドコカヘステタンデショウ?
 ――とんでいったよ。ほら桃代の心のなかへ。
 小さな胸をつつく。ウワァ、クスグッタイヨ、パパ。と身をよじる。どんなことがあってもこの娘は守らなければ、家庭を崩れるにまかせておくわけにはいかない。病に倒れた両親をミステル決断がつかず介護のために故郷にもどって七年ほどの歳月が過ぎていた。結婚した。桃代が生まれた。六歳になっていた。鳥を遺棄するといった目的ははたしたのだから、ぼくは一刻も早く家にもどって作業にかかりたかったが、ぼくの思惑や感傷とは無縁の娘は墓石のあいだをぬって、この時刻にバァチャンがいるはずのわが家の墓地のある場所へぼくを連れていく。
 朝の散歩は、母の日課のはじまりである。朝の早い老いた母は、たいていぼくら夫婦が寝ているうちに家をでてしまう。いつごろから、つきだした習慣か、ぼくには思いだせないが、膝の軟骨がすりへって痛みを訴えだしたころからだろう。肥厚した軀を、老いたものにはめずらしく、毎朝の習慣で墓参の場所へ、意志的歩調ではこんでいく母の動きには生への執着がひめられている。先祖代々の墓碑が立ち並ぶわが家の墓地で母はなにを御先祖様に語りかけているのだろうか。
 墓地には人影はない。桃代はだが叫ぶ。
 ――バァチャン! ホエァーュ―?
 樹木の影と光が交差する初夏の空に桃代の甘ったるい声が高くひびく。返事はもどってこない。
だが、桃代の誘導してくれた領域に、母は巨大な墓石の影に腰をおろし、西を向き合掌した姿勢で死んでいた。死んでいるのかと思ったほど不動の姿勢をしていた。半眼に開いた目には意外と生きいきとした光が宿っていた。やはりきき耳をたてていたのだろう。孫をみて喜びに満ちた顔がふりかえる。アゴのたれさがった肉をふるわせながら老人特有の声でぼそぼそとクドキ文句を紡ぎだす。しゃべりつづける。こちらの意向は無視していた。
 ――ゆうべは、ひと晩じゅう、おとうさんが、痛んで、うなかりどうしでね、一睡もしてないんだよ。
 父は直腸ガンを患っていた。患部を手術するには手遅れで、人工肛門をつけた。
 ――あまり無理しないほうがいな。お母さんだって健康な体ではないんだから。すこしはほったらかしておけばいいんだ。どうせ助からないんだから。
 いくたびかくりかえしてきたためにすっかり常套句となってしまった。いつもの言葉をぼくはくりかえす。ぼくの声は非情で怨磋の毒をふくんでいた。
 ――助からないとわかっているから、なおさらかわいそうで……。おとうさんはじぶんの病気のことだって、ガンなんて、知っちゃいないんだからね。おまえはそんなひどいことをよくいえるね。だいたい、おまえたちは、親に冷たいんだよ。
 もう涙声になっている。母は墓石の陰で合掌した姿勢のまま動こうとしない。
 母の言葉が永劫にひびく呪いのこだまとなってぼくの内部にひびきつづけるだろう。母は涙をこぼしながら、今度はぼくを睨みつけている。まだ生きている父を、死んでしまっているようにつきはなしているぼくをたしなめているように。会話のおかしな淀み、異様さに気づき桃代が泣きだしそうな顔でぼくを凝視している。
 母は憎悪をイッカシヨにしぼりこんでくるような目でぼくをにらんでいた。どんなそぶりをされても、いまのぼくには弁護してこちらの立場を理解してもらおうとする情熱に欠けている。気力がなかった。理解してもらったところでこの苦境からぬけだせそうになかった。ぼくらは朝からケズリブシを、それもお湯をかけるとなまぐさいにおいをたてるサバのケズリブシだけで食事をしていた。
 それが、5年もつづいた。頭のなかまでかさかさケズリブシの音がすると、妻にいやみをいったのは昨夜のことだった。
 ――でも余分な、オカズにまわすお金がないのよ。こんなことつづけていたら、わたしたちのほうが、先に死んでしまうわよ。
 母は季節ごとに高価な初物の魚や野菜を食べていた。魚は白身でないと食べない。血のしたたるようなビフテキを三枚も食べることすらあった。
 ――わたしたちが食べているとおもっているのよ。ずいぶんゼイタクしているね、と近所の人にいわれるの。
 ところが、栄養がたりなくて妻は、乳がすぐにあがってしまって、桃代はよく夜泣きしたものだった。

3 鮟鱇の骨まで凍てて
 
黒い光暈のなかでぼくは働いている。黒い霧の中にいるようだ。先が見えない。ふつふつとうずくようなふるえが体を支配している。不安なのだ。なにか不吉なことがおきるようでこころがさわぐのだ。前途が闇だ。いや、すでに闇の底でうごめいている。地虫のように大地にはいっくばって働いている。この労働からは、なにも文学的な成果はいまも、将来においても生まれてはこないだろう。そう思うことが、いちばんつらい。
黒い光暈はぼくにとりついて離れないから、ぼくはいつも陰うつな黒色の世界に沈潜してうごめいている。そして、ときおりそこでは鳥が飛ぶ。鳥が飛ぶようにさっと光が射しこむことがある。あれはほんとうに鳥なのか。鳥か? いや鳥ではあるまい。光だ。なにかの、気配をかんじる。なにか? いまのところそれがなになのか、わからない。もちろん、これらすべてのことはこころの中でのことだ。妄想にちかい。
 昼になると暑くなった。ところが、暗い空。照りつける黒い太陽。仕事をしていると、ぼくの周囲は暗くなる。汗。ポヴール接着剤は即効性の濃縮液ではないが、休みなく労役に励むことを強制する。ぼくの動きが緩慢になれば、33本のパイレン撚糸はポヴール液のタンクのなかで、変色し凝固してしまう。
 芯縄は下駄や草履の花(鼻)緒の芯にはいるもので、もともとはこの土地の農家で生産されている大麻の皮の繊維で製造していたものだった。いまどき、この日本で、鼻緒のついている履き物、下駄や草履を履く人がどれくらいいるのだろうか?
 いまは大手製糸メーカーの合繊を使用している。33本の極細のロープをポヴール液から引きだして、三往復すると99本になる。結束するときに1本足すと百本となる。人間は両足で歩くわけだから、すなわち50足の花緒の芯になるわけで、ぼくは肩にかけた糸を荷車を引くような姿勢で、息を切らせながら引きつづけて7年が過ぎていた。
 汗。空腹。言葉の死んだ時間のなかにいると、その7年の歳月の重みが悔悟となって抑えてもおさえきれない。
 どんなことがあっても故郷にもどってこなければよかった。
 さっと鳥がとぶ。鳥がとぶからには空があるはずだ。空があるのなら、光がみえるはずだ。そしてこの空は、光は、空気はまちがいなく東京の空につながっているはずだ。いつか東京にもどれることを夢見て生きぬくのだ。
 きょうのぼくのこころの空をとぶ鳥はクチバシから血をしたたらせている。やはり、希望の光ではなかった。鳥の形をした黒い光暈が流れる。なにものかに、上からのぞかれている恐怖。
 だれかに訴え、きいてもらわなければならない声なき声を際限なくのみこむ。それでも、希望だけは失ってはいけない。
 そして沈黙。いや初めから響きはなかった。ただながすぎる沈黙だけが周囲にはあった。
宙にうかせた右足を地面を踏みこむようにおろすのは、糸の重量から、ともすると後ろに引きもどされそうな体を支えるためだ。体ごと後ろに引きもどされそうだ。(bring back to the point of departure) そうなのだ。出発点にもどれるなら、どんなにかうれしいか。言葉を覚え始めて、小説を書きだしたあの麻布霞町の日々にもどれたら――。だれが……いまのぼくの苦渋の生活を想像できたろうか。
左足。右。左。一歩、また一歩。二三、四歩。交互にくりかえされる地面をたたくような歩行運動によって、わが家の塀沿いの路面を踏みしめているにもかかわらず、ぼくは家の狭い空間の、古びた鴨居から逆さに宙吊りにされ、鮟鱇のように削ぎおとされる肉体のイメージを内在させている。
あるいは――これはシジホスの岩だ。わたしの肩に重くのしかかっているのは糸の重みではない。岩だ、徒労だ。シジホスの岩だ。



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