田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

鹿沼、黒川の「ふれあい堤」の桜が満開です 麻屋与志夫

2015-04-03 19:32:12 | ブログ
4月3日 金曜日

●ベニマルまで買い物に出かけた。
春休み中ということもあって、混雑していた。
黒川の川沿いの「ふれあい堤」の桜が満開になった。
福田屋の方角に向かって桜並木になっている。
ずっと見渡す限り淡い薄紅色のトンネルが出来ている。
カミサンとふたりで花見とシャレコンデそぞろ歩き。
見渡す限り花を見上げている人はいない。
それどころか、歩いている人もいない。
田舎町のひとは歩くのが嫌いだ。
近所のラーメン屋さんまで行くにも、車に乗る。
ラーメン屋さんには広い駐車場がある。
どこにいくにも、車で移動するのが、あたりまえになっている。
周囲の風景にはあまり気をくばらない。
ぶらりと花見をするという習慣はあまりないような気がする。
花見をするときは、本格的にやる。
お弁当をもって、酒もって、大勢ででかける。
うらやましい。
わたしたちは、いつもふたりだけで暮らしている。
寂しいが、しかたない。
いろいろと事情があるのだが、
ブログは公の場なので書くことは、差し控える。

●桜はいいなぁ。
「こころがうきうきするわ」
「家にいても、お稲荷さんの桜、千手山公園の桜を眺められるのだから、田舎暮らしもいいものだ」
わたしは呑気なこといっている。

●うららかな、春の日の午後、静かに時間ながれていく。

   

   

   


 今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ スローライフへにほんブログ村





庭石を眺め恩師と父との懐古の情に涙する 麻屋与志夫

2015-04-03 11:43:11 | ブログ
4月3日 金曜日

●夜のあいだに降った春の雨が踏み石を濡らしている。
あるいは夜露に濡れていたのかもしれない。
ようやく東の空が明るみだした早い朝、わたしは庭にでてカミサンが丹精込めて造り上げた庭を見回っていた。
門の脇の植え込みを囲う為に敷いた石などは、すっかり苔が生え、年月の重みを石の重さに付加している。

●これらの石は父とわたしが、麻を買いに大芦川沿いの仲買いの家々を定期的に廻っていた折に、買い集めたものだった。
当時は(60前)は河原の石を近隣の人が自由に採集しじぶんの家の庭に飾っていた。
それを売り買いもしていたのだった。
父は「子孫に美田を遺さず」というのが口癖だった。
ミゴトニその言質をはたしてくれたので、あとにのこされたわたしは金銭的に大変な苦労をした。
経済的に逼迫した状態がいまだにつづいているのはお恥ずかしい限りだ。

●「虎は死んでも皮をのこす。おれは死んでも石をのこす」これもお見事。
まさにそのとおりになった。
いまわたしが眺めている石は、すべて父がのこしてくれたありがたい遺産だ。

●どうして、石のことばかり考えているかと言うと、さくじつ昔の英語塾の恩師の奥さんに会ってきたからだろう。
枯山水の庭のある家にお住みになっている。
苔むした庭石がむかしの位置に点在していた。
もちろん、津田塾出の奥さんにも英語の文法を教えていただいた。
I先生には英会話。
GHQの通訳だった先生は教科書は使わず、今で言えば、オーラルメソッド(Oral Method)。
その教授法のおかげで後年、わたしは、東京オリンピックに通訳の任をはたせた。
I先生ご夫妻との出会いがなかったら、いまのわたしは無かったと思う。

●時間の流れ、人と人との出会い。
別離などに想いを馳せ静謐な朝のひとときをすごした。

●先生宅の石は昔からでは更に苔が密生していた。
なるほど、石は不滅か。
それにしても100歳の先生にお会いできてほのぼのとこころがあたたかくなった。
「すごく優秀だったから……」とほめられた。
幾つになってもほめられるのはうれしいものだ。

●木石にあらず。
というが、なるほど石には感情は無い。
でも、ソレを見るひとは感情をこめて眺めるものだ。
往時を回顧するのも悪いものではない。
いやたのしかった。



 今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ スローライフへにほんブログ村