田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

泳いでいるアヒルは足を見せない。  麻屋与志夫

2013-10-05 20:50:54 | ブログ
10月5日 土曜日

●「泳いでいるアヒルは足を見せない」

というのは、ベトナムの諺だったかな? 

間違ったらゴメンナサイ。

●なぜこんなことを書いたのか。

この前のブログでその足をチラリと見せるようなことを書いたからだ。

●泳ぎ続けるためには、水面下で必死に水を掻いている。

その努力を人には見せない。

わたしのすきな、ことばだ。

●それなのに、水面下のことをすこし書いてしまった。

お恥ずかしい。

●小説を書きつづけるためには努力を継続させる。

よほど幸運の星の下に生まれた人でない限り、

その努力をつづけても、

必ずいい小説が書けるようになるとはいいきれない。

才能がものをいう。

●自虐的になり、じぶんに才能のなさに悲しくなって、

ただ茫然と周囲をみまわすこともある。

「おれは今まで何やって来たのだ」

応えてくれる同年輩の友だちはもうわたしの周りにはいない。

●ただひとり、取り残されても、書きつづける。

あなたには、出来ますか。

すべての世俗的な慾望をうちすてて、

ただ書くことに集中する。

あなたには出来ますか。

あまりに安易に小説家になりたい、

なんていわれるとそう問い正したくなる。

●今日は、三度ブログをアップしましたが、

なにか漠としたことばかり書きました。

反省しています。

風邪の後遺症でまだ疲れているのかもしれません。

マイナス思考におちいっています。



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老いの目に涙。  麻屋与志夫

2013-10-05 18:47:13 | ブログ
10月5日 土曜日

●午後雨がやんだ。

カミサンとVIVA、ベニマル。福田屋に買い物に出かけた。

ひとまわりすると7千歩くらい歩いたことになる。

もちろん、いつものように大きなリックを背負ってのことである。

すこぶる健康にいい。

と思っているのは、GGだけで、傍目には尾羽打ち枯らした老人としか映らないだろう。

これでいいのだ。

このへんの事情については、まだ書くわけにはいかない。

●ひっそりと静かにめだたないように生きること。

スローライフ。を――心がけている。

●老いの目に涙。

悲しいことは、色々ある。

うれしいこともある。

カミサンと元気に上京できるのもそのひとつだ。

この秋には、どこか美術館を訪れたい。

来週は乃木坂までいくのだから、新国立美術館にでも寄る時間があればいいのだが。

むりだろうな。

むかし、青山一丁目にいたことがある。

あの辺は土地勘があるつもりだが、まつたく変わってしまっているらしい。

●なにか、おもわせぶりな文章になっている。

事情のわかっていないひとに一言。

田舎にもどってきて、凄い迫害に遭った。

その加害者がまだお大勢生きている。

だからそのことを書けば、またいやなことが起こるだろう。

だから、みなさんよりも長生きしなければいけない。

ひとを非難するようなことは決して書けないのだ。

――ということなのだ。

●なにかオカシナほうに脱線した。

●打たれ強い。

いじめられれば、イジメラレルほど必死で小説を書いてきた。

いまでは、加害者に感謝している。

虐められなかったら、

長く不遇な生活をしている間に、

小説を書くことは諦めてしまっただろう。

●またまた、意味不明ともとれることを書いている。

個々の被害の状況を書けないことには、

理解してもらえないだろう。

ごめんなさい。

もう、愚痴はこぼしめません。


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秋なのに満開の桜の夢を見た。  麻屋与志夫

2013-10-05 08:19:48 | ブログ
10月5日 土曜日

●早めに飲んだ風邪薬のおかげで、爽快な朝をむかえた。

いや、十分に睡眠をとった ご利益かな。

窓の外は曇り空。

お寺の屋根でカラスが鳴いている。

いつもの平穏な朝。

ブラッキに餌をやる。

直そばに餌箱があるのだが、猫にはその蓋を開けられない。

開けようともしない。なにか奇妙なかんじがする。

すぐそばに、必要なものが、欲しいモノがある。

しかしそれを手に入れる方法がわからない。

●黒川沿いの『ふれあい堤』を散歩していた。

なぜか、何時もそばにいるカミサンがいない。

いや、これは……と夢の中で思っている……彼女と知り合う前のことらしい。

桜が満開だ。

向こうから老夫婦がやってくる。

婦人のほうはカミサンではないか。

声をかけようとしたが、隣で杖をついているのは、なんと、わたしではない。

あたりまえだ。わたしはここにいる。

わたしは何故か運命の岐路に立たされているようだ。

彼女だって、わたしとしりあうことがなければ、

いまごろは静かな老後をすごしているはずだ。

貧乏書生と結婚したために、いまだに金銭の苦労から逃げられない。

カミサンは昨日わたしが風邪なので、ひとりで、宇都宮にいった。

マフラーを買ってきた。

目をきらきらさせてウレシそうだつた。

「色もいい。よく似合うよ」

というと、いつそう顔をほころばせた。

いますこし頑張って、彼女の『これいただくわ』症候群をマンゾクさせてやりたい。

さて、夢の中でわたしはどうしたか。

老夫婦の姿わをとくに婦人のほうを見まいと、わたしは桜を見上げた。

桜の花びらが、顔に舞いおりた。

ああ、これでわたしの顔がひとに見られることはない。

と――ションボリとおもった。

わたしは泣いているのだった。

●あらゆる可能性の中から、人は、ただ一つの選択しかできないのだ。

もし、カミサンがわたしと出会って結婚しなかったら、

あの老夫婦のような平穏や老後をすごしていたのかもしれない。

●雨が降り出した。

秋の長雨。梅雨のような降り方だ。

ひと雨ごとに秋が深まっていく。

今年は龍王峡や日光の紅葉を見に行けるのだろうか。



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