1月4日 月曜日
●昨日の午後、急におもいたって日光例弊使街道への歩行を試みた。
始めてわたしのブログを訪ねてくださるかたには解説がいるだろうな。
わが家はこの街道沿いの街にある。
ひょいと歩きだしても、そこはすでに例弊使街道なのだ。
散歩と書かずに歩行としたのは、今日はすこしいつもより長い距離歩こうとおもいたった。
こういうとき、なんと書けばいいのだろうか。
長い散歩。
小さな旅とするには、旅の距離が少なすぎる。
だいたい、旅とは自宅を離れてよその土地へいくこと、と辞書にある。
やはり長い散歩というところなのだろう。
●戸張町の道路標識を見上げたら日光まで27Kとあった。
ところが御成橋町を過ぎ同名の橋をわたって直ぐの標識には18Kとなっていた。
おやおや、わずか10分ほどなのに9Kも歩いたことになるのかなと……考えて気がついた。
あとの標識は新しいから今市までの距離なのだろう。
今市が日光市と合併した後で立てられた標識なのだ。
きっと、そういうことだろう。
と些細なことにコダワル。
だいたい同伴者が松戸の娘のところにいっているから独り歩きだ。
こんなことはメッタニあることではない。
独りで頭の中で独語しながらさらに歩く。
●玉田町総合運動場と道端に粗末な朽ちかけた立て看板がでている。
一応、木を長方形に四枚打ちつけてあるのだが、なんとも鄙びたかんじがしてこのましかった。
興味をもったついでに街道からはそれるがおりてみた。
運動場とはただなばかり、河川敷をグランドのように整備してあるだけだった。
この川は黒川。
この上流の見野のあたりで行川が合流しているので渇水期にしては川幅いっぱいの流れとなっていた。
水深は膝のあたりまでなので釣り人がひとり流れの中央で釣り糸を垂れていた。
まったく動かない。
いいなぁ、あれこそわたしが決してすることはない挙措だ。
釣りをしたことはない。
じいっと、流れに釣り糸をたれている。
自然と一体になっている。
いいなぁ。
とまた独語。
●見上げると男体山、白根、赤薙の日光の峰々が雪をかぶっている。
とくに、男体山の雄姿がすばらしい。
カミサンがいないので写真をとることができない。
これはもう、どうしても写真がとれるように彼女に教わる必要があるな。
建物も電線も入らない、男体山の写真をとりに今度はカミサン同伴で来ようと。
●街道にもどる。
芭蕉の奥の細道の旅では、鹿沼に泊る、と曽良の随行日記にあるだけだ。
『奥の細道』では、
室の八島から日光の仏五左衛門の章へとつながる。
この間、この杉並木にはふれていない。
随行日記にも火バサミへ弐リ八丁としあるのみだ。
いまの文挟のことだ。
そこまで歩こうとしたがさすがに9Kほどの距離はキツイ。
それにこの並木の外側の歩道がどこまでつづいているのかも分からない。
歩道がなかったら、車の輻輳する道は危険で歩けない。
●斜めに差し込む午後の光が街道に落ちていた。
この斑模様の光の感じなど歩かなかったら味わえるものではない。
いつしか人は自然からかけはなれて、あくせくした生活をしている。
あまりの車の多さを横目で眺めながらおもっていた。
●道なかばで引き返す。
芭蕉が歩いたこの街道の杉並木はどの程度の樹形になっていたのだろうか。
昼なお暗い道を、とぼとぼとひきかえしながらアァンタジー作家らしくいろいろと空想してみた。
●この次は文挟まで歩きたいものだ。歩けるかな?
●昨日の午後、急におもいたって日光例弊使街道への歩行を試みた。
始めてわたしのブログを訪ねてくださるかたには解説がいるだろうな。
わが家はこの街道沿いの街にある。
ひょいと歩きだしても、そこはすでに例弊使街道なのだ。
散歩と書かずに歩行としたのは、今日はすこしいつもより長い距離歩こうとおもいたった。
こういうとき、なんと書けばいいのだろうか。
長い散歩。
小さな旅とするには、旅の距離が少なすぎる。
だいたい、旅とは自宅を離れてよその土地へいくこと、と辞書にある。
やはり長い散歩というところなのだろう。
●戸張町の道路標識を見上げたら日光まで27Kとあった。
ところが御成橋町を過ぎ同名の橋をわたって直ぐの標識には18Kとなっていた。
おやおや、わずか10分ほどなのに9Kも歩いたことになるのかなと……考えて気がついた。
あとの標識は新しいから今市までの距離なのだろう。
今市が日光市と合併した後で立てられた標識なのだ。
きっと、そういうことだろう。
と些細なことにコダワル。
だいたい同伴者が松戸の娘のところにいっているから独り歩きだ。
こんなことはメッタニあることではない。
独りで頭の中で独語しながらさらに歩く。
●玉田町総合運動場と道端に粗末な朽ちかけた立て看板がでている。
一応、木を長方形に四枚打ちつけてあるのだが、なんとも鄙びたかんじがしてこのましかった。
興味をもったついでに街道からはそれるがおりてみた。
運動場とはただなばかり、河川敷をグランドのように整備してあるだけだった。
この川は黒川。
この上流の見野のあたりで行川が合流しているので渇水期にしては川幅いっぱいの流れとなっていた。
水深は膝のあたりまでなので釣り人がひとり流れの中央で釣り糸を垂れていた。
まったく動かない。
いいなぁ、あれこそわたしが決してすることはない挙措だ。
釣りをしたことはない。
じいっと、流れに釣り糸をたれている。
自然と一体になっている。
いいなぁ。
とまた独語。
●見上げると男体山、白根、赤薙の日光の峰々が雪をかぶっている。
とくに、男体山の雄姿がすばらしい。
カミサンがいないので写真をとることができない。
これはもう、どうしても写真がとれるように彼女に教わる必要があるな。
建物も電線も入らない、男体山の写真をとりに今度はカミサン同伴で来ようと。
●街道にもどる。
芭蕉の奥の細道の旅では、鹿沼に泊る、と曽良の随行日記にあるだけだ。
『奥の細道』では、
室の八島から日光の仏五左衛門の章へとつながる。
この間、この杉並木にはふれていない。
随行日記にも火バサミへ弐リ八丁としあるのみだ。
いまの文挟のことだ。
そこまで歩こうとしたがさすがに9Kほどの距離はキツイ。
それにこの並木の外側の歩道がどこまでつづいているのかも分からない。
歩道がなかったら、車の輻輳する道は危険で歩けない。
●斜めに差し込む午後の光が街道に落ちていた。
この斑模様の光の感じなど歩かなかったら味わえるものではない。
いつしか人は自然からかけはなれて、あくせくした生活をしている。
あまりの車の多さを横目で眺めながらおもっていた。
●道なかばで引き返す。
芭蕉が歩いたこの街道の杉並木はどの程度の樹形になっていたのだろうか。
昼なお暗い道を、とぼとぼとひきかえしながらアァンタジー作家らしくいろいろと空想してみた。
●この次は文挟まで歩きたいものだ。歩けるかな?