社会学者であり、上智大学名誉教授である鶴見氏の姉和子氏が、生前美智子様と親しかったことを、ネットで確認したかったのですが、昨夜はうまくいきませんでした。
ブログの目的は、鶴見俊介氏の教育論への批評ですから、直接のつながりはありません。ネットの世界に、情報検索の邪魔をする勢力がいるのなら、強いて刺激する必要はありません。検索を止めにしますが、しかしこれで、岩波書店が、鶴見俊輔氏を最初に紹介した理由が、なんとなく分かります。
氏の意見そのものは、他の学者と同じ日本批判で、経歴を見ても、教育を語るほどの人物とも思えません。今流行りの言葉で言えば、岩波書店と6人の編者による「忖度」なのでしょうか。
「戦中にも、親による、教師による、そして子供による、」「子供へのいじめはあった。」「だが敗戦直後の、1945(昭和20)年9月の新学期には、」「親による子供のいじめは別として、教師による子供へのいじめは、」「少なくなっていたのではないか。」
「神国必勝を唱えて、子供達を殴っていた教師たちは、」「土下座して生徒に謝ってから、授業に移った例もある。」
このようなことを、私は見たことがなく、聞いたこともありませんが、氏にはあったのでしょうか。極論の好きな哲学者です。
「敗戦直後には生徒に謝って、温顔を持って対していた教師たちの心の向きは、」「50年後には、戦後の高度成長と好景気のトンネルを抜けて、」「遅刻に対して鉄の鞭を振るう、別の精神の鋳型に打ち直されたのである。」
神戸の学校で、遅れてきた女生徒を、鉄の扉で閉め、挟んで殺した教師の話です。教師は毎朝校門で、男子生徒の頭髪が長くなっていないか、女生徒のスカートが校則通りの長さかをチェックし、その上でしか校門を通さなかった。
同じ神戸で中学生の男子生徒が、9才の小学生を殺し、その頭を校門の前に置くという事件がありました。いずれも当時は、テレビと新聞が大騒ぎした事件です。
「こうした学校は、一校でなくなりつつある。」「学校は、戦中から戦後へと、ファシズムを温存するトンネルの役目を果たした。」
「1945年から60年にかけて、暮らしは良くなった。」「戦前戦中と違って、義務教育は中学校まで伸ばされ、」「読み書きの能力は広く向上し、知識の普及とともに、」「社会全体が向上していくというのが、この時代の教師に共通の考え方だった。」「今も同じ希望を、小学校、中学校の教師たちは、持っているだろうか ? 」「持っているとしても、それは表向きだけではないのか。」
氏の持論は、戦前も戦後も政府の強権により、鋳型にハマった個人を作る教育でしかないというものです。
「私の言いたいことは、今の日本は学校に囚われすぎているということ。」「学校がなくても、教育は行われてきたし、」「これからも行われるだろう。」「学校の番人である教師自身が、そのことを心の底におけば、」「学校は、いくらか変わる。」
途中を大幅に省略しましたが、これが氏の結論です。氏の履歴を読みますと、厳しい母に叱られ続け、小学校・中学校時代はほとんど学校へ行かず、万引きで暮らす不良少年となり、同棲生活までしています。
見かねた父親が米国留学を勧め、苦労しますが、大学に合格し、優秀な成績を収めます。相変わらず、学校を怠けていますが、成績が優秀なため、就学時間が足りなくても特別に修了証書を授与されます。
学校がなくても勉強はできると言いますが、それは氏の知能と恵まれた環境が言わせることで、誰もが真似のできることではありません。日本中の教師や親たちが、氏の言うことを実行したら、どんな社会になるのでしょう。90パーセントの事実と10%の捏造と、私が言う反日左翼論者の意見の見本でもあります。
氏の中年期は、軽井沢の別荘での結核の療養生活と、うつ病の再発による京大休職、精神病院への入院などと、平穏な日々ではありません。それでも桑原武夫氏などの支援により、京大、東工大などの教職につきます。当時の新鋭学者と言われた丸山眞男氏や、都留重人氏などと結びつけ活動させたのは、姉の和子氏でした。
こういうことは、果たして何人の人に真似ができるのでしょう。これから先はネットの情報ですが、文章でなく、箇条書きで紹介します。
1. 60 ( 昭和35 ) 年の安保時・・岸内閣による安保条約改定に反対し、東工大助教授を辞職
2. 昭和40年・・・ 作家の小田実を迎え、「ベトナムに平和を ! 市民連合」(ベ平連)を結成。
3. 昭和42年・・・ ベトナムからの脱走兵2名を、家に匿いスウェーデンに送る。
4. 昭和45年・・・ 大学紛争での警官隊導入に反対し、同志社大学教授を退職
5. 平成12年以降・・・共産党支持を明確にし、大江健三郎、小田実氏らとともに、「九条の会」の呼びかけ人となる
以上で分かる通り、氏は反日左翼教授であり、「獅子身中の虫」の親玉の一人です。このように偏向した人物に、大事な子供たちの教育を語らせて良いのか。疑問でなりません。次回は、氏の驚くべき単純さについて説明いたします。