〈 憲法問題 〉
5. 主権は国民にはない。日本が長年培った伝統と歴史に主権がある。
今回も、動画の文字起こしを続けます。
・欧米の彼らはそうだけれど、日本はそうじゃないでしょということ。日本の国というのは、果てしない、神代の時代と言えるくらいの永遠の過去から、ずーと現代まで、国としての長い歴史を持っている。
・そういう長い歴史の上に、我われはいるんじゃないかということ。我われがこの国で主権者と言えるのは、何なのかと言うと、要するにそれは、私たちがこの国を作った訳じゃないけれど、我われの先祖さんたちが築いてきたこの国、この社会の、我われはその子供なんです。
・つまり相続人としての我われの権利、これが主権じゃないかと、だから主権者である我われがですね。自分たちの権利をかざすことができるのは、相続権としての主権ですからね。
・相続人としての主権を実行するためには、我われはその相続したものを次の世代に繋いでいくと言うこと。
・相続するものは、もちろん国土そのものもあります。国民の命というものもあるでしょう。価値観であったり、財産というものもあるでしょう。
・しかし一番は、歴史ですよ。そういうものを次の世代に引き継いでいくというのがですね。我われが主権者たる一番の理由かと、それを単にですね、我われは国民だから生まれながらにして権利があるということ。
・もちろんそういう考え方もあるけれども、そうでなくてもっと考えてみると、今言ったように、我われの権利の根本にあるのは歴史。歴史の相続人としての立場じゃないかということです。
・という意味で、そもそも生まれながらにして国民に権利があるという考え方ではないんだと、これは「天賦人権説」と言われていますけれど、そうじゃなくてむしろ相続権としての権利じゃないのかと、そういうことを言ってるんですね。
・ですからいずれにしましてもですね、日本人には権利がないし主権がないから、お前たち黙っていろと言ってる訳じゃまったくないんです。
・もっと奥の深い根本の問題を、私はその時述べてきた訳ですね。
・ところがそのことが分かっているのか、分かっていないのか、分かっているのに分かっていない振りをして批判している分もあるのかもしれません。
・そもそも私の言う相続権自体が理解不可能という方がいるのかもしれませんが、要するに為にする話でですね、とにかく西田昌司というと、国民の主権を認めないとんでもない政治家だと言うことを、
・誰が書いたのか知りませんけれど、今から10年10年何年か前に書いた人がいて、それをご丁寧に、何度も何度も貼りつけをしているんですね。
・で、本当にこれをやっている人は、ご苦労さんです。
・ですから、私が言っている相続権という考え方の方が、日本のように侵略によって国を作ったのでなく、革命によって国を作った訳でもない国には分かりやすいのです。
・つまり日本は、永遠に続いてきた歴史の国であるという、世界でもまれに見る国なんですよね。
・だから、その日本の国の主権、権利とは何かと考えた場合、それは「天賦人権説」というよりも「相続権」と行った方が分かりやすい訳ですよ。
・相続権だからこそ、我われには相続権としての義務がある。我われがこの国に生まれてくる以前から、ご先祖が守り残してくれたものを、次の世代に移していくということ。
・我われは自分が生きている時代だけは、主権を言うことはできるけれども、そもそも我われの主権は相続権ですから、我われが勝手に使えない。次の世代に残しておかなければいけない。この国が、潰れないように。
・ま、そういうことで、自分が一番中心じゃという前に、一歩も二歩も歴史の前にひざまづいて、過去に敬意を、未来に夢を託していくということ。
・そういう生き方、考え方をする方が、よっぽど我儘にならないし、身を滅ぼすような無茶なことをしない大事な姿勢だと思います。
・ですから私は、そのことを申し上げて来た訳ですよね。皆さん方も、そうだと思うでしょ。思った方は、ぜひ拡散していただきたいと思います。
・有難うございました。
全部の文字起こしが終わった今、再び西田氏の意見が分からなくなり、振り出しに戻りました。格調の高い話だと思う反面、知識を求める学徒としての疑問が生じました。
単純な疑問ですが、「主権」と「相続権」に関する一般常識は次のようになっています。
〈 主権とは 〉
・「主権」とは、「国を統治する権力」のこと
・「国を統治する権力」と は、
社会秩序を維持するために法律を定める「立法権」
定められた法律を執行する「行政権」
法に基づいて争いごとを解決する「司法権」のこと
〈 相続権とは 〉
・相続権は人が亡くなった場合、相続人の範囲、相続権順位、相続権の割合を明確にすることから開始される
・遺言がある場合は、亡くなった者の意思を尊重し原則として遺言の内容にしたがって分割する。
・相続する権利のある者を「法定相続人」といい、配偶者と血族になる。
平成28年に衆議院憲法審査会事務局が作成した、「日本国憲法の制定過程」に関する資料です。目から鱗の事実が説明されています。
貴ブログのコメントで、「私は西田氏が周囲の親しい方と話される言葉と、政治家として公にされる場合の言葉を区別して考えております。」とお書きでしたが、私が西田氏と親しい?私は自民党員でも何でもなく、月一回の大小の講演会には参加していて、それだけで、西田氏と話したのは「平沼氏」のことで。それも懇親会でお話しただけです。
コロナ以降は京都には行っていません。
三宅先生の古くからのご友人というだけで、西田氏は特に「親しい」とは言えませんし、大小の講演ではここに書くには無責任と思い、話の内容はお話していません。それから「憲法改正」ですが、私は違う意見を持っています。京大の中西教授の本を読んだり寄稿も読みましたが、そのころは安倍政権に対する不信感で、それは三宅先生にもお話し、中西氏の苦渋のお気持ちを察していました。問題をひとつにまとめるのも、しかもWIKIは誰もがいろんな感情を持って誰にも咎めることなく書けます。
どうも今回のご見解には私は戸惑います。
しかしブログは個人のものですので、特にこれ以上は書きません。
結論については、私自身戸惑っております。
西田氏の混同は、「主権」と「相続権」だけでなく、「個人の人権」と「主権」にもあります。法律の基本を無視した意見を言われますと、単純な私は信頼する気持ちがなくなってしまいます。言い難いことですが、それは「捏造」になります。
西部氏が憲法審査会の参考人として、意見を述べているのを読みましたが。賛成なのか、反対なのか、これも意味不明でした。よく似た両氏という印象が、抜けません。
ウィキペディアの資料でなく、政府が作成した公開の「議事録」です。私はウィキペディアの資料を多く紹介していますが、全面的に信じているのでなく、参考として利用し、紹介しているつもりでございます。
コメントは、ベッラ様と西田氏が特に親しいというつもりで書いておりませんが、そのように読めたのだとしましたら、私の文章力のなさです。
西田氏の意見が理解できないのも、私の能力不足と笑い飛ばしていただけたら幸いです。
これからもどうか、よろしくお願いいたします。