ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日航機123便墜落事故 21 - ( ノルウェー、515年間の忍耐 )

2024-07-14 13:45:50 | 徒然の記

 ノルウェーの話の続きです。

 今回は8年前の「ねこ庭」の過去記事を、ほとんどそのまま紹介します。手抜きをしているのでなく、ノルウェーから帰国直後に書いているという臨場感を優先しました。 ( 8年前に「ねこ庭」を訪問されている方は、スルーしてください。)

 ・デンマークによる130年と、スエーデンからの380年を合算すると、ノルウェーが独立を失っていたのは510年間になります。
 
 ・ノルウエー国民は、この間もずっと独立への願望を持ち続けていましたが、それなのに1940年から1945年までの5年間、更にドイツの支配下に置かれるという不幸に見舞われます。
 
 ・ですから実質は、515年間独立を奪われたままだったことになります。
 
 ・ドイツ支配下のノルウェーから、かろうじて国外へ脱出した国王ホーコン7世は、ヒトラーのドイツに徹底抗戦します。祖国解放と自由の回復のため、ノルウェー国民は国の内外で戦い、ホーコン7世はレジスタンスの象徴となりました。
 
 ・だからノルウエーは、ドイツが破れ第二次世界大戦が終わった時、戦勝国の一員として認められ、NATOに名を連ねています。ノルウェー、スエーデン、デンマークの3国は大戦の間中、懸命に中立宣言をしましたが、ドイツの侵攻で国を蹂躙され、小国の悲哀を噛み締めています。
 
 ・北欧の国々の状況を知れば知るほど、自分を含めた戦後の日本人が、どれほど常識の欠落した状態でいるのかを、知らされました。敗戦の衝撃と挫折が大きかったとは言え、日本さえ反省すれば世界が平和になるなどと、どうして国際常識を喪失た思考にはまってしまったのか。
 
  「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
 
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
 
 ・憲法前文の美しさに眩惑されたとしても、どうして他国の公正と信義まで簡単に信じてしまう国になったのか。
 
 ・ついこの間まで自分がその一員だったので偉そうに言えませんが、ある左巻きの人物のブログを見たら、「憲法の前文は素晴らしい。この文を読んだら、誰だって感動する。」と、書いてありました。
 
 ・彼のような人間が日本を狂わせる、まさに「お花畑」の一人でした。選挙の一票欲しさで大衆に迎合する政治家だとしても、このまま「お花畑」をはびこらせていたら、日本の未来は真っ暗だと危機感を覚えないのでしょうか。
 
 ・ノルウエーは祖国の独立を得るまで、515年という歳月を費やしている。
 
 ・国民の多くが独立を願っていながらこの長さだったのですから、際限なく「お花畑」を放置していたら、100年たっても日本の独立は手に入れられないという話になります。
 
 ・その一方で私は、敗戦後70年くらいで独立が叶うと考えるなど、甘すぎるのでないか。100年、200年かかるという覚悟で「お花畑」を耕し、普通の土地へ戻すための汗を流すべきかと、そんなことも本気で考えました。
 
 8年前の自分は、「ねこ庭」でこのように考えていましたから、三橋氏の意見に賛成できませんでした。
 
  「たとえ何百年かかっても日本の独立を取り戻すという、そういう感覚の時代に入ったんだと思います。」
 
 既に8年前に気がついていた私は、この時氏を微かに軽蔑しました。そういう時代に入ったのでなく、国際社会は昔からそうだったのであり、気がついていなかったのは三橋氏と、多くの日本人だったのではないでしょうか。
 
  ・これまでは机の前で読書し、観念的にブログを書いてきたが、今はノルウェーにいて、ノルウエー人を見ながら、彼らと対話しながらの読書だ。この臨場感は、何にも代え難い。
 
  ・スーパーマーケットへ行き、缶コーヒーを探していたら、二十歳前と思われる若い男子店員に声をかけられた。
 
  ・「日本人ですか。」そうだと答えたら、「私は日本が大好きです。」と笑顔の彼が、忙しい朝の店で握手を求めてきました。
 
  ・数日後、市内にある「旅行者センター」を訪ねた時、行列の中に中年の日本人女性が並んでいるのを見ました。
 
  ・「日本は素晴らしい国です。」窓口の係女性が、大きな声で朗らかに笑い、「おお、サンキュウ、ベリーマッチ。」と、言われた女性が日本人らしくない陽気さで応じていました。
 
  ・すると隣にいた係の男性が、日本女性に顔だけ振り向け「ニッポン、サイコウ。」と言葉をかけた。
 
  ・私はこうしたノルウエー人を目にし、「へえ、日本て人気があるんだ。」と嬉しくなってしまった。街を歩くと、多くの日本車を目にした。トヨタ、日産、ホンダ、三菱、ダイハツなど、雪の坂道をベンツやワーゲンに負けない勢いで走っていました。
 
  ・どうしてそんなに日本が好きなのか、聞いてみたかったけれど、誰も皆忙しそうでしたし、先ずもって自分には英語力がありませんでした。
 
  ・ノルウエーでは誰もが英語を喋るので、バスに乗ったり買い物をしたりと、簡単な会話なら何とかできますが、ちょつと込み入って来ると、もうお手上げでした。
 
  ・「日本人は、意思を伝えるツールとしての英語力を、身につけなければなりませんね。」
   「ボーダレスになっていく国際社会では、そうでないと生きていけません。」
 
  ・平泉渉氏が亡くなられる前、しきりに強調されていましたがその通りでした。
 
 帰国直後の私は日本の独立についてだけでなく、いろいろなことを考え、「ねこ庭」のブログに向かっていたことが伺えます。話が横道へ逸れる癖は、この時以来だと言うことも分かりました。
 
  ・「英会話を小学生から必須にするなど、日本をダメにする愚策です。」「なるほど東南アジアの人間は、誰もが英語を喋りますが、彼らは英語の学術書は読めない。」
 
  ・だから今のままで良いのだと、ある教授が平泉氏の意見に反対していましたが、自分の経験からしても氏は間違っていると思います。
 
  ・本を読めるのと同じくらい、意思を伝えるツールとしての英語力は必須なのです。聞くも喋るもできないまま、他国の人間と交流して、何の意味があるというのでしょう。
 
  ・あの動画と今回の自分の経験で、「ツールとしての英語力」の必要性を痛感しました。英語がもっと喋れたら、自分はもっと多くのことを知り、もっと有意義なブログが書けたのにと無念でなりません。
 
  ・会話については無念だでしたが、無念でない沢山の経験をしてきました。「ねこ庭」の遺産として残さずにおれませんが、今日はこれまでとし、明日以降の楽しみにします。
 
  ・そろそろ日が傾き、春とはいえまだ朝夕は冷えます。「ねこ庭」の花が日を追うごとに増え、白と黄色の水仙がほのかな香りを漂わせています。水やりをし、雑草を抜き、枯れ枝を切りと、手入れを疎かにしているのではありませんが、今はノルウエーについて優先させたいのです。
 
  ・日ごとに記憶が薄れていく気がするので、忘れない内に記録したいと思うからですが、さてその記録、一生懸命綴っていますが自分が死んだらどうなるのか。ほんとうに、息子たちが読んでくれるのか。孫が読んでくれるのか。
 
  ・そこまで考えるとお先は真っ暗で、日本の未来どころではないおぼつかなさがあります。
 
  ・しかし何を嘆こう。生きている限り、自分は知識を求めブログに記録する。生きている限り、無意識に呼吸をするのと同じようなものです。
 
 8年前も現在も、「ねこ庭」へ思いは変わっていませんが、「日航機123便墜落事故」との関連で読み返しますと、新しい風景が見えてきます。次回も8年前の「ねこ庭」の過去記事を紹介しますので、既に読まれている方はスルーしてください。
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