東北の思い出 その2から続き
次の日は、1975年に行っていない気仙沼大島に向かう。南端の龍舞岬という景色の良いところに行った後、横沼というところでネリネアという白亜紀の巻き貝を採集できたが、化石は少ない。大船渡市盛町(七重旅館;1000円;ネットに出てくる。)泊。
渡船から見た気仙沼港。
大島産の白亜紀ネリネア。
大島には渡船で渡った。海水浴客で込み合っていた。船から見た気仙沼港は漁船が多くさすがに大漁港と思ったが、現在は全く景色が変わってしまっていることだろう。
三陸の海岸を見た後、内陸部の化石産地をまわる。
翌日の長安寺・樋口沢も思った通りでまあまあ。1965年に行けなかった雪沢を訪れる。沢の中に豊富なサンゴ化石が見られるが、露頭は狭く、また大きな岩についているので採集は難しい。陸前高田の宿屋は亀屋旅館(1000円)。
雪沢の川に見られる石炭紀サンゴ化石。
この後、また岩井崎を訪問。採集できないので岩の表面の化石を撮影。
岩井崎の石灰岩に見られるペルム紀ウミユリ化石。
同行者と分かれ、山形の大学同級生のお宅を訪れ、歓迎を受ける。さらに蔵王のスカイラインに案内される。その後30年以上あまりおつきあいがないが、深く御礼申し上げる。帰途は仙台から急行「第2みちのく」東京から夜行臨時急行「ながら3」で帰着。
均一周遊券を利用して夜行列車にばかり乗っていたこの旅行である。旅館代を節約したつもりだろうが、疲れがたまり翌日にはあまり動いていない。
夜行列車・夜行バス・夜行フェリー・夜間フライトには、これまで79回乗ったという数が記録されている。といっても1973年までの41回の内20回には詳しい記録がない。1977年まではしばしば夜行列車を利用したが、その後は就職したこともあってほとんど使わなくなった。関釜フェリーや海外への夜行フライトばかりである。最近乗った「北斗星」については以前の記事を参照してほしい。
均一周遊券(使用者名のところをぼかし処理)。途中下車印は捺してくれない駅も多く、全部というわけではない。
化石産地の近くまでバスに乗り、後はどんなに遠くても歩く、というのが当時の採集のパターンだが、現在見直すとずいぶん歩いている。
この記事も、1965年の記事と同じく採集日記とフィルムのデータから作成したが、フィルムの内の1本は失われており、竜飛岬付近の写真がない。前回訪れたところの記述は略記した。どの場所も今回被災した地域で、この「思い出」を記すことの是非は分からない。繰り返しになるが一日も早い日常生活をお祈りする。
後で東北旅行1965・1967について、鉄道関係だけをピックアップする予定。
次の日は、1975年に行っていない気仙沼大島に向かう。南端の龍舞岬という景色の良いところに行った後、横沼というところでネリネアという白亜紀の巻き貝を採集できたが、化石は少ない。大船渡市盛町(七重旅館;1000円;ネットに出てくる。)泊。
渡船から見た気仙沼港。
大島産の白亜紀ネリネア。
大島には渡船で渡った。海水浴客で込み合っていた。船から見た気仙沼港は漁船が多くさすがに大漁港と思ったが、現在は全く景色が変わってしまっていることだろう。
三陸の海岸を見た後、内陸部の化石産地をまわる。
翌日の長安寺・樋口沢も思った通りでまあまあ。1965年に行けなかった雪沢を訪れる。沢の中に豊富なサンゴ化石が見られるが、露頭は狭く、また大きな岩についているので採集は難しい。陸前高田の宿屋は亀屋旅館(1000円)。
雪沢の川に見られる石炭紀サンゴ化石。
この後、また岩井崎を訪問。採集できないので岩の表面の化石を撮影。
岩井崎の石灰岩に見られるペルム紀ウミユリ化石。
同行者と分かれ、山形の大学同級生のお宅を訪れ、歓迎を受ける。さらに蔵王のスカイラインに案内される。その後30年以上あまりおつきあいがないが、深く御礼申し上げる。帰途は仙台から急行「第2みちのく」東京から夜行臨時急行「ながら3」で帰着。
均一周遊券を利用して夜行列車にばかり乗っていたこの旅行である。旅館代を節約したつもりだろうが、疲れがたまり翌日にはあまり動いていない。
夜行列車・夜行バス・夜行フェリー・夜間フライトには、これまで79回乗ったという数が記録されている。といっても1973年までの41回の内20回には詳しい記録がない。1977年まではしばしば夜行列車を利用したが、その後は就職したこともあってほとんど使わなくなった。関釜フェリーや海外への夜行フライトばかりである。最近乗った「北斗星」については以前の記事を参照してほしい。
均一周遊券(使用者名のところをぼかし処理)。途中下車印は捺してくれない駅も多く、全部というわけではない。
化石産地の近くまでバスに乗り、後はどんなに遠くても歩く、というのが当時の採集のパターンだが、現在見直すとずいぶん歩いている。
この記事も、1965年の記事と同じく採集日記とフィルムのデータから作成したが、フィルムの内の1本は失われており、竜飛岬付近の写真がない。前回訪れたところの記述は略記した。どの場所も今回被災した地域で、この「思い出」を記すことの是非は分からない。繰り返しになるが一日も早い日常生活をお祈りする。
後で東北旅行1965・1967について、鉄道関係だけをピックアップする予定。
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