OK元学芸員のこだわりデータファイル

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古い鉱物標本(その1)

2013年01月05日 | 鉱物・化石組標本
古い鉱物標本(その1)
An old set of mineral specimens: part 1

私の部屋に古い鉱物標本がある。父から引き継いだものであるが、小学生頃にはもう見ていた記憶がある。一部が虫に食われたりして見る影も無かったので、先日修理した。この標本について調べてみた。今回から新シリーズとして投稿していく。おおよそ「蒸気機関車」シリーズと交互に投稿するが、日常の記事を優先して入れてゆく。
鉱物標本シリーズは、それぞれの標本の解説ではなくて、組標本から離れて、私とその種類の岩石・鉱物の係わりを中心にした内容を書く。私は学生時代にしか鉱物採集に出かけていないから、全くかかわったことの無い鉱物もたくさんある。なお、もとの表示が旧字の場合、文中では最初に旧字で、以後は新字に直すことにする。
分からないことが多いので、皆さんのご意見をいただければ、その都度訂正して行くつもり。ご意見を歓迎する。

標本は、B5サイズで厚さ約5cm。二段の箱に入っていて、紙製のカバーがついている。蓋の内側に、名称と産地の目録がある。よく見る教材セットである。こういうものを「組標本」というらしい。現在も多くの種類が発売されている。安いものでも数千円程度で、結構値の張るもの。


Fig. 1 「鑛物標本」外観
Outside view of the specimen set

外箱は、昔学校でファイルを作る時に使ったような、黒い紙を表面に貼った厚紙製のもので、背表紙にあたるところや角はえんじ色の布で補強されている。蓋は二か所の平紐で結んで止めるようになっていた。この紐は傷んで切れてしまったので、手持ちの別の紐に替えた。表にラベルのような白紙が貼ってあり、「MINERAL SPECIMENS」「鑛物標本」と印刷してある。紙の隅に二つの印が捺してある。印は父のもの。なお、同じ印が内部にも数か所に捺してある。

紐をほどいて蓋を開けると、内部に二段の木製の箱が重なっている。その中を厚紙製の組み合わせた仕切りが区切っていて、各区画に綿を敷いて標本が入っている。一段に35種類、合計70種の岩石や鉱物。区画は横2.8cm,縦3.2cm、深さは2cmである。一部(10点ほど)の標本は丸底の管瓶に入っていて、コルク栓がしてある。標本には丸い紙に番号を印刷して、貼ってある。一部の番号札は無くなっている。番号の無いのは5点あって、28鉄石英、30陶土、53琥珀、60赤鉄鉱、68輝安鉱。このうち前の4点はたぶん原標本だが、最後の輝安鉱は黄鉄鉱らしき別の標本が入っている。それ以外は失われた標本は無さそうだが、逆に区画に二個以上が入っていて後で加えられたと思われるものが数点ある。


Fig. 2 鉱物標本。右が上段。
Inside view of the set

蓋の裏側に番号・標本名と産地の目録が、横書き・二段組で印刷してある。下の写真は、その目録だが、右側は最近私が作り直したもので、産地の行政名の更新などをしたもの。いくつか間違っていたがすでに訂正した。


Fig. 3 目録
Specimen list (left) and my revised list (rigut)

目録の上には「鑛物界標本目録」「七拾種壹組」下には、「理科學機器・博物標本 製作販賣」「岐阜縣不破郡赤坂町 振替東京三〇四九二番」「矢橋製作所標本部 矢橋忠輔」「支店 東京」とある。
「岐阜県不破郡赤坂町」は、1967年に大垣市に編入され、現在は大垣市赤坂町である。化石の世界でよく知られている金生山の麓である。この赤坂町に「矢橋工業株式会社」というのが現存し、石灰石産業などを行っている。HPを見ると、矢橋工業株式会社の創業は1926年(矢橋商事)。矢橋の読みは「やばし」である。これ以外に標本と関連のありそうな「矢橋製作所」は、ネットでは見当たらなかったので、この会社の関連会社と思う。父はずっと名古屋にいたから、矢橋の製品を買ったのだろう。
では、この標本、いつ頃のものだろう?目録の産地(旧国名で表示)を見ると、外国のものは42番の岩塩がドイツ(表記は獨逸)というのがあるだけで、台湾や朝鮮半島が無い。だから、終戦の1945年以後(可能性はほとんどない)か逆に1930年頃よりも前ということか。25番玉髄と27番碧玉が「小笠原島」となっている。小笠原が返還されたのは1968年だから、戦後・私の小学生時代前では持ってくるのは困難だろう。従って古そう。
2012年のミネラルショーに、「1930年頃(根拠は何だろう?)の矢橋製作所の組標本」というのが出品されていて、会社名・社長名は同じだが、産地は県の名で記されている。また、台湾や南洋クリスマス島、満州などの地名が散見される。私の標本の表示が旧国名であることと、こういう地名が含まれないことは、この標本が1930年ごろより前のものであることを示す。
では、それぞれの地名の合併・改名の歴史を調べよう。すぐに反映されるとは限らないが。70標本には、現在市なのに郡名が記載されているなど、年代を制限する地名はかなり多くあるが、1940年以前を示すものは下記の4つある。括弧内は現在の地名。
8 砂岩 下総國海上郡銚子 (千葉県銚子市)銚子市市制は1933年
30 陶土 尾張國東春日井郡瀬戸 (愛知県瀬戸市)瀬戸市市制は1929年
39 滑石 阿波國名東郡八萬 (徳島県徳島市八万)八万町徳島市編入は1937年
61 美作國勝南郡柵原 (岡山県美咲町柵原)勝南郡の合併消滅は1900年
最後のものは郡名の変更でニュースになりにくいし、1900年以前となると矢橋商事の発足前になってしまう。そうすると地域も近い1929年の瀬戸市発足あたりが鍵かな?以上からこの組標本の製作は1926年(矢橋商事発足)から1929年(瀬戸市市制)の間、としておこう。父は1910年生まれ、1929年にはちょうど高等師範を卒業して教職についた頃。最初の給料で発売後少し経ったこの組標本を購入した…ということだろうか。

標本は大体次の順に並んでいる。
1~6 火成岩、7~16 堆積岩、17~19 変成岩、20~45 珪酸塩鉱物など、46~50 有機堆積物など、51~54 元素鉱物など、56~69 金属鉱物、70 熔岩。
「…など」としたのは、ちょっと違うものも含まれているという意味。最後の熔岩がなぜ6番あたりに来ないのか不思議。前述の「1930年頃の矢橋製作所の組標本」の目録は、「火成岩」等の区分があるが、これには無い。
次回から5個ずつの標本について述べていく。

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