OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

小学生のころの写真 その6 五年生海の生活

2019年04月13日 | 50年・60年
小学生のころの写真 その6 五年生海の生活

 日付がわからないが、学校での普通の生活を写したこのころの写真が一枚だけある。日付がわからないが、もう少し前の三年生かもしれない。写真は1階のようだが、教室が1階にあったのは一年生(北棟)と三年生(南棟)だったような気がする。

6-1 教室の窓 日付不明

 足を出して窓に座ったら怒られるのではないかと思うが、足を出しているのが私。
 五年生の夏には、「海の生活」ということで知多の小野浦に行った。

6-2 「海の生活」記念写真 1957.7 小野浦

 「小野浦館」という旅館で一泊、海水浴と野間の灯台の見学などをした。小野浦館という旅館は現存する。

6-3 旅館前で男子だけの写真 1957.7 小野浦


6-4 朝の体操 1957.7

6-5 砂遊び 1957.7

6-6 野間の灯台 1957.7

 名古屋に住む人は、野間あたりに海水浴に行くことが多かった。普通は名鉄の河和線で行った。知多新線が全通したのは1980年だから、この頃にはなかった。当時の新名古屋(現・名鉄名古屋)で乗車して、神宮前で名古屋本線から別れ、さらに太田川で常滑線から別れる。ここまでは知多半島の西側を走るが、ここから半島を斜めに横切って、東側の河和が終点。現在は名鉄の運転方式だから最初から河和行きの電車で、乗り換えはないが、そうなったのは1963年で、この時には神宮前駅で乗り換えたのだろう。海水浴場は西岸だから、河和から路線バスで野間や内海などに向かう。この「夏の生活」の時に、名鉄で行ったかどうかはわからない。というのは、野間にある「鵜の池」や「野間大坊」に行った記憶があるのだが、この時に行ったのか他の機会に訪れたのかはわからない。
 小野浦で一泊した朝のクマゼミの声が記憶に残る。