OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その165 ドーバー海峡のトンネル 追記 下

2024年04月10日 | 化石

 参考のため、日本の学術誌で最近話題の植物学雑誌は1887年の創刊。ここで調べたのは私に関係する地質学関連で、最も古い学術誌は地質学会の「地質学雑誌」(1893年創刊)ではなく、地学雑誌(1889年創刊)が先。それより前に「地学会誌」(創刊号:1884?、2号1888)というのがあるようだが、入手できなかった。

616 地学雑誌創刊号 1889 本文最初のページ(上半)

 上のページは地学雑誌の最初の部分で、著者は小藤文次郎(1858−1935)。東京大学の地質学者。
 地学雑誌・地質学雑誌とも、最初の頃のものには解説書のようなものを除くと化石関連の記事は少ない。地質学雑誌で最初の化石関連の記事が次のもの。
⚪︎ 神保小虎, 1894. 北海道第三紀動物化石畧報. 地質学雑誌. Vol. 2, no. 14: 41-45.

617 地質学雑誌 Vol. 2, no. 14. P. 41.

 文頭に、地名表記に関する但し書きがある。「文中北海道の地名に限り余が立案の「補欠かな」を用ゆ. 其他異国語にカカル名刺は原語を加フ、化石名にはかなを附せず所謂補欠かなとはカナを右に寄せてかなの母音を失ひたるを示す.縦令ばShakを「シャク」と書くの類なり.」(原文はカタカナ主体。一部句点を加えた。)「補欠かな」がよくわからないが、他で使われた例を知らない。実際に出てくる北海道あたりの地名は、カラフト・カムチャッカ・アリュート・モーライ驛・ポロナイ炭山・シャマニ ぐらい。23件の文献が記してあるが、すべて外国の論文であり、「其他の書籍は種属の」リストに示すとしている。58種の軟体動物化石学名がしるしてあるが大部分は属名だけ。18種に対して種名またはaff./cf.名が出ている。その18種には命名者が記載されている。当然外国の研究者の命名であるが、次の3種だけはYokoyama(横山又次郎)の命名した種である。 <5 Nucula poronaica. 6 Venericardia compressa 29 Tapes ezoensis> これら3種の記載が掲載されたのは次の論文であるが、神保の論文には出典が書かれていない。
⚪︎ 横山又次郎, 1890. 本邦白亜紀動物群要論(承前). 地学雑誌, vol. 2, no. 14:57-62(no. 14となっているが、これは通算番号で、ネットのアーカイブでは巻ごとに更新してno. 2としている。)
 この論文の58ページにこれら3種が「新種」として出てくる。いずれも幌内石灰岩(または幌内石灰岩球産)である。その地層の年代については「白亜紀に属するや蓋し疑を容れず」とし、さらに有孔虫の種類をヨーロッパの白亜系のものと比較しているから、横山はこの種類の年代を白亜紀と考えていたようだ。ところが4年後の神保の研究では鮮新世と考えているようだから、ずいぶん違う。なお、神保はこれらの種の標本をベルリンで弁別したという。標本はMunch Museumにあると、「Databese」にも書いてあるのだが....。「Database」としたのは次の論文。
⚪︎ Ogasawara, Kenshiro, 2001. Cenozoic Bivalvia. In Edits. Ikeya, N., Hirano, H. and Ogasawara, K., The database of Japanese type specimens described during the 20th Century. Special Papers, Palaeontological Society. No. 39: 223-373.
 この論文にもちろん上記の3種類が出てくる。ところが初出論文はYokoyama, 1890 としながら、雑誌名の引用は「Palaeontogr., vol. 36, nos, 3-6」としているのだ。それが次の論文。
⚪︎ Yokoyama, Matajiro, 1890. Versteinerungen aus der japanischen Kreide. Palaeontographica. Beitraege zur naturgesichte der Vorzeit. Band 36: 159-202, Taf. 18-25. (日本の白亜系からの化石)
 確かにここに記載があって、その各種名見出しに「n. sp.」 としてある。この号は二冊に分けて発行されていて、該当する部分の表紙に「1890年3月発行」という日付が記されている。一方地学雑誌の方は、各ページに「明治23年(1890年)2月25日發兌」という柱がある。「發兌」(はつだ)は発行のことだからこちらが1月違いで早いことになるが、記載もないからOgasawaraがドイツの方を新種の提示としたのは妥当だろう。ちょっと気になるのは地質年代を誤っている点である。幌内層は1901年矢部の命名だから、横山の論文の時代にはまだ定義されていないが、現在は始新世頃の地層とされる。

618 Yokoyama, 1890. p. 163

 上の図は、Yokoyama, 1890のp. 163 に掲載されている「蝦夷の地質図(B. S. Lymanによる)という図。Benjamin Smith Lyman(1835−1920)は「お雇い教師」の一人でアメリカ人で専門は鉱山学。この図はデジタル化の問題のためかよく見えない。左上の凡例は、上から「新旧の沖積層」「新期火成岩」「利別層」「古期火成岩」「Horumui層」「神居古潭層」で、たしかに上ほど新期の地層のようだ。凡例があるのだが、どこがその区分かわからない。細かい線は走向だろうか。いずれにしても、白亜紀層をそれよりも上位と区別する気持ちは見えない。「Horumui層」は不明。1966年に命名された中新統幌向層かもしれないが、時系列が合わない。
 日本の古いジャーナルという横道を長く辿ってきたが、あまり私の興味ある方向に進んでこない。最後に一つだけ眼をひいた文献を紹介してこのテーマから離れよう。それは地質学雑誌の1898年の号にある次の論文。
⚪︎ 矢野長克, 1898. 東京近傍第三紀介化石目録. 地質学雑誌. Vol. 5, no. 58: 387-395.

619 矢野長克のミスプリント

 著者名はもちろん「矢部長克」のミスプリントであろう。矢部長克(1878-1969)は、この論文の1898年に20歳になるのだから、東京帝国大学に在学中(1901年卒業)。学生なのだから名前が知られていなくても当然だろう。むしろこの年齢で学会誌に単著の論文が出る方が珍しい。雑誌中で(後に)この件についての正誤表があったかどうかはわからない。地質学雑誌のネット上のアーカイブは、一冊全部をディジタル化したものではなく、論文別だからそういう事務局の?記事は出てこない。どこかに正誤表があったかもしれない。幸か不幸かこの論文には新種記載はない。内容は、東京付近の多くの地点の貝類化石の種名リストである。地点別に番号が付いていて、重複があるだろうが述べ169種に上る。ただし最初の3地点は他の論文にあるとして省略されている。うち70種ぐらいは種名まで書いてあるが、すべて外国人によって命名されたものである。

池袋ショーに行ってきました 4 入手した化石 下

2023年12月25日 | 化石
4 コプロライト

17 コプロライト ジュラ紀 Mühlheim, ドイツ

 おなじみのゾルンホーフェンの石板石に見られる糞石。珍しいものではない。魚類の糞であるという化石商の説明である。痕跡化石のLumbricaria intestinum Münsterだろう。この種名の著者は、インターネットで「Münster, 1831」もしくは「Münster in Goldfuss, 1831」とされているが、文献の表題などは記されていない。たぶん次の論文がそれだろう。探すのに大分手間取った。
○ Goldfuss, August. 1831. Petrefacta Germaniae: 1. Theil, 2. Auflage. Arnz & Co., Düsseldorf, 252 pp, 71 Taf. (by Münster. Genus Lumbricaria: 222-224, Tab. 66.) (ドイツの岩石)
 この論文は、ドイツの多くの化石種を列記したもので、それぞれ記載がある。222ページに「Divisio Tertia: Annulatorum Reliquiare. Ringelwürmer der Vorwelt」(太古の環形動物) という見出しがあって、その最初の属がLumbricariaであり、Münsterの命名と記してある。最初にラテン語で(属の)特徴が「体は裸で、円筒形、柔らかく、細長く、様々にねじれ、湾曲していたり真っ直ぐだったりする」としている。その本質については「これらを博学なBuckland氏が書いた糞石の図と比較すれば、それらがヒトデや小魚を餌とした海の動物の排泄物に他ならぬのは疑う余地がない」という。Buckland 氏というのはもちろんMegalosaurusを記載(1824年)したイギリスのバックランドである。しかし、彼の論文には今回の糞化石と似たものは記されていない。もっと大きな動物の糞化石と思われるものが図示されている。その論文は次のもの。
○ Buckland, William. 1829. On the Discovery of Coprolite, or Faeces, in the Lias at Lyme Regis, and in other Formation. Transactions of the Geological Society of London. Second Series. Vol. 3: 223-236, pls. 29-31. (Lyme Regis のLias層他からの糞化石。Coproliteの発見)
 この論文の発行年に少し疑問がある。タイトルページに1835年と書いてあるのだ。しかし1831年のGoldfuss論文に引用できるわけはない。内容は1829年の2月に口頭発表されているが、Goldfussの引用書きにはページも書いてある。そうすると、Buckland の論文はTransactionsの分冊に入っていて、その分冊に年号が書いてあるに違いない。すぐには解決できそうにないから、1829年発行としておく。
 このあと、Goldfussは種の説明に入り、Lumbricaria Intestinum, L. Colon, L. recta, L. gordialis, L. coniugata, L. Filaria の6種を記載している。いずれも命名者をMünsterと明記している。3ページほどで次の属Serpula Linnaeus に移る。現代のリストを見ても、Lumbricaria 属に種数が増えているわけではない。例えばHarvard大学のデータベースでは、4種が挙げられているが、すべてMünsterの種である(L. rectaL. coniguataは含まれていない。かなり異なるものである)。Lumbricaria 6種は、Tabula 66に図示されている。うち現在使われている4種を見よう。図版にはスケールがなく、すべて実物大となっているが、原本のサイズはわからない。

18 Goldfuss 1831, Tab. 66, Fig. 1a-1c. Lumbricaria Intestinum

19 Goldfuss 1831, Tab. 66, Fig. 2a-2d. Lumbricaria Colon

20 Goldfuss 1831, Tab. 66, Fig. 4a-4b. Lumbricaria gordialis

21 Goldfuss 1831, Tab. 66, Fig. 6a-6c. Lumbricaria Filaria

 これらの図は一枚の図版の中の種類の同じものを取り出したもの。周りの別種は消してある。また、下の二図はやや拡大してあるからこの2種のサイズはずいぶん小さいことになる。このひも状の糞は、かなりこんがらがっているようだ。上からひも状のものが落ちてきたのではなく、塊で海底を転がったのだろうか。標本は地層の上面を見ていると思うが、下面であってもこのことは同じ。
 最近このような化石がアンモナイト類の糞ではないかという論文が出版された。
○ Knaust, Dirk and René Hoffmann, 2020. The ichnogenus Lumbricaria Münster from the Upper Jurassic of Germany interpreted as faecal strings of ammonites. Papers in Palaeontology, Vol. 6
https://doi.org/10.1002/spp2.1311  (ドイツの上部ジュラ系の痕跡化石Lumbricaria Münster はアンモナイトのひも状の糞と考えられる)
<未入手 要旨を読んだ>
 なお、この論文の要旨は、科学技術研究機構の翻訳プロジェクトで、日本語に「京大機械翻訳」されたものが公表されているが、十分に日本語になっていない。英語の方を読むのをお勧めする。
 また、インターネットで見ることので見る飼育下のオウムガイの糞の写真はこの類の化石にやや近い。違いは、現生オウムガイの糞では「ひも」の途中で急激に組織や外見が異なるところがあるという点である。
 結論として、今回入手した標本はLumbricaria intestinum Münster が最も近く、アンモナイトの糞であることが推測される。
(入手化石についてここまで)

池袋ショーに行ってきました 3 入手した化石 上

2023年12月21日 | 化石

 今回はほとんど化石を買わなかった。目新しいものがなかったため。大したものはないが、順に記す。
1 モロッコのモササウルス類 歯

11 Globidens aegyptiacus, 歯 モロッコ 白亜紀

 モロッコの特異な形の歯を持つモササウルス類Globidensの歯を入手した。販売しているのをしばしば見ているから、稀なものではない。これが上顎か下顎の歯かは不明
 属の命名は次のもの。
⚪︎ Gilmore, Charles Whitney, 1912. A new mosasauroid reptile from the Cretaceous of Alabama. Proceedings of the United States National Museum. Vol. 41: 479-484, plates 39-40.(Alabama州の白亜系からの新種モササウルス類爬虫類)

12 Gilmore, 1912. Plate 40. Globidens alabamaensis Gilmore 上顎腹側 白亜紀

 モロッコの種類については次の論文に出てくる。
⚪︎ Arambourg, Camille, 1952. Les Vertébrés Fossiles des Gisements de Phosphates (Maroc - Algérie - Tunisie). Notes et Mémoires No. 92. 372 pp. Planche 1-44.(燐酸塩鉱床からの脊椎動物化石(モロッコ・アルジェリア・チュニジア))

13 Arambourg, 1952. Planche 40. (一部)Globidens aegyptiacus Arambougr. Koceir, エジプト。白亜紀後期

 尖っていない歯を持っているから、貝類などの殻のある生物を食べていたのだろう。

2 シルル紀のウミユリ(茎部断片)

14 シルル紀のウミユリ茎部 アトラス山脈、モロッコ

 普通は、茎板(columnal)同士の噛み合わせが浅いからそこで外れることが多いが、なぜか強く噛み合っているようだ。茎部を構成する茎板が、同一の形のものの繰り返しの場合もあるが、間に1枚ずつやや小さい円盤を挟むこともあり、また、その二種類の間に第3の板が挟まることもある。写真の標本では、中央と右のものでは、やや直径の大きな茎板の間に3本の筋が見える。左の標本ではもう1ランク細かい円盤が挟まっているようだ。茎部のみから種類を知ることは困難。

3 玉髄化したアンモナイト

15 モロッコ産アンモナイト Barroisiceras と Hemitissotia

 これについては、2022年9月17日と21日の当ブログで記した。そこに戻るのは煩雑なので、簡単に再録する。
⚪︎ Algouti, Ahmed, Abdellah Algouti, Fatiha Hadach, Abdelouhed Farah and Ali Aydda, 2022. Upper Cretaceous deposits on the Northern side of the High Atlas Range of Marrakesh (Morocco): tectonics, sequence stratigraphy and paleogeographic evolution. Boletín de la Sociedad Geológica Mexicana / 74 (1):1-19.(Marrakesh (Morocco) のHigh Atlas山脈の北側にある上部白亜系の堆積物: テクトニクス、シーケンス層序、および古地理的進化)
 この論文にHemitissotia dullaiとHemitissotia dullai (Karrenberg, 1935) などが出てくるが、それらに近い種類と考えた。
 標本は玉髄化していて(前の記事ではカルサイトとしたが、誤り)光を通す。

16 裏から光を当てたモロッコ産アンモナイト Barroisiceras Hemitissotia

 標本の表面に白い点があるが、何だろう? 透過光では他よりも光を通さない。白点の大きさがほぼ均一なのはなぜだろうか。

古い本 その158 古典的論文補遺 その9

2023年12月05日 | 化石
古い本 その158 古典的論文補遺 その9

 仙椎の図を探した結果、最近になって次の論文にそれがあるのを知った。
⚪︎ Norman, David Bruce 1980. On the ornithschian dinosaur, Iguanodon bernissartensis of Bernissart (Belgium). Inst. Royal des sciences naturelles de Belgique, Mém. No. 178: 7-83.(ベルギー、Bernissartの鳥脚類恐竜Iguanodon bernissartensisについて)

592 Norman 1980. p. 41, Fig. 44. Iguanodon bernissartensis 仙椎左側面

 1985年に東京で「イグアノドン展」が開催された時に発行された図録に、イグアノドンの各部分の骨のスケッチが掲載されたが、その時に用いられたのがこの論文のスケッチであった。上の図で、仙椎の側面に灰色に塗ったところが骨盤との癒合面である。しかしOwenの図(側面図もある)との比較は分かりにくい。
 David Bruce Norman(1952− )はイギリスの古生物学者で、Cambridge 大学にあるSedgwick Museum に勤め、1991−2011には同館の館長だった。
 Iguanodonの模式種の変更に関して調べてきたが、そもそもこの変更は正当なものだろうか? Iguanodon属の命名に際して標本は脱落した複数の歯であった。たしかにこれらでは不十分であったのだが、それはこの種の認識に関わる問題で、のちの標本の中に、もっといいものを見つけてneotypeを指定すればいいのではないのか?

フランス語論文の著者名表記

 もう一つ補遺として記す。それはこの「古典的恐竜」調査の終わりに近いところで気がついたこと。このころの論文著者名は、例えばMarsh 1899 では、タイトルのうしろに、「by O. C. Marsh」というように、given name やmiddle nameは頭文字だけを記しているものが多い。文献を見つけて、正しい著者名をエクセルの表に転記していったのだが...。
 気づいたのは次の論文。
⚫︎︎ Collini, M. (sic!) 1784. Sur quelques Zoolithes du Cubinet d'Histoire naturelle de S. A. S. E. Palatine & de Baviere, à Mannheim. Historia et Commentationes Academiae Electoralis Simentiarivm et Elegantiorivm Litterarum Theodoro-Palatinae, Volvmen. 5 Physicvm: 71–103, Tab 2-4.
 タイトルページの一部を示す。

593 Collini 1784. Title. 赤線は私が追加した。

 ご覧のように著者名のところは「par M. Collini」となっている。フランス語 par は、おおよそ英語のbyにあたるから、当然M. はColliniのファーストネームの頭文字と思っていた。ところが、ColliniのフルネームはCosimo Alexandro Collini (=Côme Alexandre Collini)(1727-1806:イタリア生まれで、ドイツの博物学者)である。M. はMonsieur ムッシュの略なのだ。したがって、上に書いた文献データの冒頭は次のものが正しい。
⚪︎ Collini, Cosimo Alessandro, 1784. Sur quelques Zoolithes....(以下略)
 なお、この論文を引用した翼竜に関する「古い本 その126. 2022年10月25日掲載」は正しいものが書いてある。その時には、<未入手>としたが、その後めでたくpdfが入手できた。
 このブログを作るにあたって作成した論文pdfリスト中、フランス語著作のある著者は7人。Cuvierのように複数ある人がいるから20件近くある。心配だったのでそれらの名前をチェックした。その例を挙げておく

594 Cuvier 1812. Title.

 Colliniと同じようにPar M. Cuvier としているが、もちろんCuvier の名前はGeorge Cuvier で、図書館(この本原本はスミソニアンの図書館)の司書の鉛筆?の書き込みがうっすらと見える。「Georges」と書いてあるようだ。

595 Cuvier 1824 Title.

 同じCuvier の著作で、1812年の新版だが、今度は「Par M. le Bon. G. Cuvier」となっている。Bon. は、おそらく爵位Baronの略だろう。
 他にも幾つかのスタイルがあるので、著者名の記録を作る時には注意が必要である。知らないことだらけ。ここまでに記したことにも多くの間違いがあるに違いない。

古い本 その157 古典的論文補遺 その8

2023年11月21日 | 化石

Iguanodonのタイプ変更
 Iguanodonに関する記事は、「古い本 その92(古典的恐竜3)1825年(2022年3月29日掲載)にある。ここで、まとめとして、この属の模式種をIguanodon angulicus Holl, 1843とした。このブログでは調査が行き届かなかった。のちにベルギーのBernissartで完全な骨格がいくつも発見されたことから、ベルギーの種類 I. bernissrtensis が模式種に変更されていた。そのことは国際動物命名委員会の次の文で公告された。
⚪︎ ICZN 2000. Opinion 1947 Iguanodon Mantell, 1825 (Reptilia, Ornithischia): Iguanodon bernissartensis Boulenger in Beneden, 1881 designated as the type species, and a lectotype designated. The Bulletin of Zoological Nomenclature, Vol.57: 61-62.(Iguanodon Mantell, 1825(爬虫類・鳥脚類)についてIguanodon bernissartensis Boulenger in Beneden, 1881を模式種に指定、及び後模式標本の指定)
 そこに以下のIguanodon bernissartensis の原記載が引用されている。
⚫︎︎ Boulenger in Beneden, 1881, Bulletin de l’Academie Royale des Sciences, des Lettres el des Beaux-Arts de Belgique. Classe des Sciences. (3)1(5): 606. =ICNZの引用のまま。このブログの引用形式に直すと次のようになる。
⚪︎ Boulenger, George Albert 1881. [in Beneden] Sur l’arc pelvian chez les Dinosaurien de Bernissart; [par G. –A. Boulenger.] Bulletin de l’Academie Royale des Sciences, des Lettres el des Beaux-Arts de Belgique. Classe des Sciences. Série 3, Tome 1, No. 5: 600-608. (Bernissart の恐竜の腰帯について)
 いろいろと、命名のルールに関わることがある。まず、この論文は、van Beneden がBoulengerの意見を紹介する、という形式をとっている。この場合の命名者は規約ではその意見を表明した人として、Boulenger になりそう。日本でも化石脊椎動物の種類で、私信で記された新種を手紙の差出人の命名としている例もある。差出人が発表に同意したのかとか、気になることも多い。第一、BenedenはBoulengerの手記を紹介しておきながら、いくつか理由を挙げて「掲載に値しない」とまで言っているのだ(それなのに紹介はしている)。上記のICZNのこれに関する論文ではBoulenger in Beneden, 1881という形で記しているが、このブログでは、Boulengerの著作として扱った。
 George Albert Boulenger (1858-1937) はベルギー生まれ、イギリスで活躍した動物学者。2,000種以上の新種(主に魚類・両生類・爬虫類)を記載したという。
 対象となった標本は1878年にベルニサールの炭鉱で発見されたもので、後で述べるように翌年から詳しい記載がされる。Boulengerの論文は骨盤に限ったものである。文中次のように記されている。「(ベルニサールの)Iguanodonではその仙椎は6個からなる。一方大英博物館のものは5個からなる。.... 個体差をも考慮して、Boulenger 氏はベルニサールの種類を未知のものと考え、Iguanodon bernissartensis という名を追加した。」なお、この論文は図版を伴わない。Owenのモノグラフを探してみると次の図がある。

589 Owen 1854. Monograph Issue 27, Tab. 3. Iguanodon 仙椎腹面

 この標本がBoulengerの比較したものかどうかは分からないが、5個の仙椎が癒合している。前後両側の状態が今ひとつ明瞭ではないが。OwenはIguanodon 属のものとしている。標本の産出地は有名なイギリス南岸のWight島で、Sauli 氏の博物館所蔵。
 ベルニサールの完全骨格の研究はDollo が行った。彼はIguanodonに関して多数の論文があるというが、一番重要なのは1882年から1883年にかけて公表した4つの論文だろう。それらが次のもの。
⚪︎ Dollo, Louis Antoine Marie 1882a. Premiére Note sur les Dinosauriens de Bernissart. Bulletin du Musée Royal d’Histoire Naturelle Bergique.Tome 1: 161-178, Planche 9.
⚪︎ Dollo, Louis Antoine Marie 1882b. Deuxiéme Note sur les Dinosauriens de Bernissart. Bulletin du Musée Royal d’Histoire Naturelle Bergique.Tome 1: 205-211, Planche 12.
⚪︎ Dollo, Louis Antoine Marie 1883a. Troisième Note sur les Dinosauriens de Bernissart. Bulletin du Musée Royal d’Histoire Naturelle Bergique. Tome 2: 85-120, Planche 3-5. 
⚪︎ Dollo, Louis Antoine Marie 1883b. Quatrième Note sur les Dinosauriens de Bernissart. Bulletin du Musée Royal d’Histoire Naturelle Bergique. Tome 2: 223-248, Planche 9. (Bernissartの恐竜に関する第1から第4のノート)
 これらにはそれぞれ図版があるが、合計で6図版と数少なく、文中図はない。文章もそれほど長くはない。いちばん有名な図が、全身の「カンガルー型」復元図である次のもの。

590 Dollo 1883a, Planche 5. Iguanodon bernissartensis. スケールは書き直した。

 他にも、頭骨のスケッチは美しい。

591  Dollo 1883b, Planche 9(一部).  上Iguanodon bernissartensis 頭骨左側面. 下 同左下顎舌側 一部を取り出して並べ直した。

 この論文には仙椎の図は含まれない。しかし、Dolloは、彼はそれまでに発表された幾つかの種類のIguanodonを3種類にまとめた。仙椎が4個の脊椎からなるIguanodon Prestwichii、 5個の仙椎を持つIguanodon Mantelli、それに6個の脊椎を持つIguanodon Bernissartensis である。つまりこの論文の分類はすぐ前の年のBoulengerの骨盤の研究にかなりの重要性を認めて頼っている。それなら、Boulengerの書いた図(Benedenにより、出版物に採用されなかった)などそこに関する図がありそうなものだ。Dolloの多くの論文のどこかに仙椎のスケッチがある可能性があるが、探せなかった。