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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その197 戸狩動物群 13

2025年06月21日 | 化石
 瑞浪の鰭脚類に関して記している。
 1977年の時点で岡崎はこの鰭脚類の属を決定していないが、後の共著を含むいくつかの文章の中で、瑞浪産の哺乳類のリストを掲載し、鰭脚類を「?Neotherium sp. 」や「Neotherium sp.」と記した。たとえば次のものなど。
○ 岡崎美彦. 1982. 化石哺乳類の復元のむつかしさ. 動物と自然. Vol. 12, no. 6: 7-10.
○ 長谷川善和・岡崎美彦・久家直之・甲能直樹. 1988. 哺乳動物化石による富草・瑞浪・一志層群の対比について. in 日本産海生哺乳類化石の研究. 科研費報告書. 1988.3. 15-17.
1984年に、福井県から中新世の鰭脚類が報告された。論文は次のもの。
○ Takeyama, Ken-ichi and Tomowo Ozawa. 1984. A new Miocene otarioid seal from Japan. Proceedings of the Japan Academy, Series B Physical and Biological Sciences. vol. 60, no. 3: 36-39. (中新世のアシカ上科鰭脚類新種)
 この論文では頭骨を含む標本を元に新属新種を提唱した。

749 Takeyama and Ozawa, 1984. Fig. 1. Prototaria primigena. holotype.

 標本は福井県最西端近くの高浜町から産出した頭部で、頭部以外の骨も伴っているというが、記載はここでは頭部のみである。文中に頭部およびそれ以外の骨の詳しい記載は、準備中であるとしているが、それが出版されたかどうかわからない。
 瑞浪から1990年頃に新しい標本が産出し、その中には頭部の標本が含まれていた。それについて最初に報告したのは次の講演である。
○ 甲能直樹. 1990. 中新統瑞浪層群より産出した鰭脚類の形態について. 哺乳類科学. Vol. 30, no. 1: 84-85.(講演要旨)
 この要旨によると、甲能はかつてCanidaeとされたものを含めてNeotherium sp. として扱った。しかし論文としては1992 に次の論文で議論した。
○ Kohno, Naoki. 1992. An Early Miocene enariarctine pinniped (Carnivora: Otariidae) from the western North Pacific. Bulletin of the Mizunami Fossil Museum. No.19: 273-292, plates 35-43. (北太平洋西岸からの中新世初期のenariarctine鰭脚類)
 この論文では、属の決定を控えて、エナリアークトゥス亜科のものとした。

750 Kohno, 1992. Plate 43.(一部、配置変更)Enariarctine species A.

 図は最初の3つの標本と対応が付く部分を取り出したもので、左の二つが左の腓骨、右の6方向からの写真は右の距骨。形態は3標本とは異なるように見える。
 のちに、Kohno, 1994 はPrototaria planiceophalaを宮城県から報告した。
○ Kohno, Naoki. 1994. A new Miocene pinniped in the genus Protoraria (Carnivora: Odobenidae) from the Moniwa Formation, Miyagi, Japan. Journal of Vertebrate Paleontology. Vol. 14: 414-426. (宮城県茂庭層からのPrototaria属((Carnivora: Odobenidae) の中新世鰭脚類新種)
 これらの関係は次の論文でまとめられている。
○ Kohno, Naoki, Lawrence G. Barnes and Kiyoharu Hirota. 1994 (1995). Miocene fossil pinnipeds of the genera Prototaria and Neotherium (Carnivora; Otariidae; Imagotariinae) in the North Pacific Ocean: Evolution, relationships and distribution. The Island Arc. No. 3: 285-308. (北太平洋のPrototaria 属とNeotherium属(Carnivora; Otariidae; Imagotariinae). その進化、系統、分布)この雑誌は奥付に1994としてあるが、実際の発行は1995年になってしまったので年号が二つ書いてある。
 しかし、これらと瑞浪の種類との関係は同じ部位の標本が出ていないのでわからない。年代的にはPrototaria primigena の方が近いようだが、現在の日本近海を見ても、多くの種類の鰭脚類が生息しているのだから、種の決定には至らない。
 さらに、近年この地区から新しい標本の報告がされている。
○ 甲能直樹・安藤佑介・楓 達也. 2020.  市道戸狩・月吉線工事現場(瑞浪市明世町)の下部中新統瑞浪層群 明世層より鰭脚類の頭蓋を含む骨格化石の産出.  瑞浪市化石博物館研究報告 No. 47: 125–135.
 この論文は、瑞浪市化石博物館のすぐ近くから良好な保存の頭部などの鰭脚類化石産出を報告した。種についてはEnaliarctine gen. et sp. undet.とし、Kohnoが1992年に記載したEnaliarctine species A と同一の種類であるとした。

古い本 その196 戸狩動物群 12

2025年06月13日 | 化石

 残る一種類のものは、属名が決められていない。鰭脚類に属するものであるが、最初のころに報告された文では誤って「イヌ科に属する」としている。まず次の論文。なお、この項目では標本の図や写真がたくさん出てくるが、すべてにスケールを書き込んだ。その精度は保証しない。
○ 亀井節夫・岡崎美彦, 1974. 瑞浪層群の哺乳動物化石. 瑞浪市化石博物館報告. no. 1:263−291, pls. 7-97. (前出)
 標本は2か所から報告されていて、そのうちの一つだけが図示されている。高校卒業のころに岡崎と二人の友人が土岐市泉町穴洞で採集したものであった。

742 亀井・岡崎, 1974. Plate 95 (一部)“Canidae” 土岐市穴洞産

 上段は立方骨(cuboid)、下段左の二つは左第4中足骨(metatarsus)、右は同第2中足骨。中足骨の長さはそれぞれ86mm、88mm あって、このサイズは随分大きな食肉類に当たる。採集した時に高校の生物の先生に聞いたがどんな動物なのかわかなかった。1973年頃に上記のレビューをまとめるに当たって、調べた結果を記録したもの。瑞浪の高速道路の建設では、他にもよく似た骨が出てきた。

743 岡崎, 1977. Plate 3 (一部)“Canidae” 土岐市七曲産 

 この標本のデータは岡崎・亀井, 1974 に本文にあるが、写真はそのレビューの続編となる別の論文に掲載されている。写真の左上の二つは左腓骨遠心端、右上は立方骨、右下は第2中足骨近心部である。前の穴洞標本とよく一致する。標本は1973年に発見されたもの。同じ動物の標本はまだある。
○ 岡崎美彦, 1977. 瑞浪層群の哺乳動物化石(その2). 瑞浪市化石博物館報告. No. 4:29-24, pls. 3-11. (前出)

744 岡崎, 1977. Plate 3 (一部)食肉類腓骨・距骨 瑞浪市明世町松ケ瀬産

 左上は右腓骨遠心端で、七曲標本と一致する。下の3方向からに写真は右距骨である。以上の3標本はこの論文では前の論文では「食肉類のイヌ科」となっていたのを、1977年のものでは「食肉類」としてあり、本文では「むしろ鰭脚類の可能性がある」と記した。鰭脚類は食肉類の一員である。このころ、後で述べるKelloggが図示したNeotheriumに似ていることに気づいたのだろう。実際次の論文はこれに触れている。
○ 岡崎美彦・松岡長一郎. 1979. 滋賀県産の哺乳動物化石. 滋賀県の自然(総合学術研究報告). 滋賀県自然保護財団.:391-421, pls. 1-21.
 これは、滋賀県産の哺乳動物化石を網羅すべく保管施設などを歩き回って調べたもので、原稿を書き終わったころに中新統の鮎河層群から発見された標本が「駆け込んで」きたのを、「補遺」として取り込んだもの。

745 岡崎・松岡. 1979. Plate 20. (一部)笹路標本の距骨

 瑞浪の松ケ瀬標本の距骨と比較して類似していることから「Pinnipedia, 属種不明」としている。同種のようには見えないが、瑞浪のものを鰭脚類としたのはこれが初めてかも。
 「Kelloggの図」というのは、次の論文。
○ Kellogg, Remington, 1931. Pelagic Mammals from the Temblor Formation of the Kern River Redion, California. Proceedings of the California Academy of Science. Ser. 4, vol. 19, no.12: 217-397. (California州、Kern River地区のTemblor層からの遠洋哺乳類)
 この論文は、中新世の海洋性の哺乳類について180ページにわたって記したもので、中新世鰭脚類 Neotherium mirum の新種記載論文である。227ページから鰭脚類に入り、Allodesmus kernensis に約70ページを費やした後、問題の Neotherium mirum (新属・新種)の記載はたった8ページである。残りの約100ページがクジラ類の部分。
 Neotherium mirum のタイプ標本は有名なShark Tooth Hill産の4個の足根骨が指定されている。右踵骨、右距骨、右立方、右舟状骨で一個体のものだろうか。他に参考資料(パラタイプかな)として大腿骨、上腕骨などが記録されている。足根骨をホロタイプにしていることは注目に値する。現在はこのあたりの種類の認識には頭骨が不可欠であろう。
746 Kellogg, 1931. p. 302, figs,71-73. Neotherium mirum 右立方骨

 これを土岐市七曲の標本とサイズを合わせて並べてみよう。共通するのは立方骨だけ。

747 Neotherium mirum (左)と七曲標本(右の二図)の立方骨の比較

 左右が違っているにはいいとして、少し撮影方向にずれがあり、瑞浪のが少し小さいぐらいで、かなり似ている。ただ、他の鰭脚類とも比べてみないと、どのくらいの分類単位で「近い」のかはわからない。しかし、こんな部分的なものの図の載っている論文は少ない。
 Kellogg, 1931 に別の鰭脚類 Allodesmus kernensis の立方骨にスケッチがある。

748  Kellogg, 1931. p. 290, figs, 57-59. Allodesmus kernensis 左立方骨

 この図は、原図と配列を変え、740の Neotherium の図と順序を同じにした。大きさがずいぶん大きいし、形も異なる。なお、本文に「ここに図示した標本は、1922年に記したものよりも小さい」としてある。その論文は、次のもの。
○ Kellogg, Remington, 1922. Pinnipeds from Miocene and Pleistocene Deposits of California. University of California Piblications Bulletin of the Department of Geological Sciences. vol. 13, no. 4: 23-132. (中新世および更新世の鰭脚類)
 この論文の73ページ, figs. 17a-17c として、左立方骨の図があるが、1931年の図とほとんど違いがない。なお、1922年の論文は中新世の鰭脚類 Allodesmus kernensis の新種記載論文。
Allodesmusは絶滅したDesmatophocidaeの一員で、アザラシに近い鰭脚類。セイウチ類の祖先の一員である Neotherium とは、科のレベルで異なる。

古い本 その195 戸狩動物群 11

2025年05月25日 | 化石
古い本 その195 戸狩動物群 11

 Paleoparadoxia について、2005年に次の論文が刊行された。
○ Inuzuka, Norihisa, 2005. The Skeleton of Paleoparadoxia (Mammalia: Desmostylia). Bulletin of Ashoro Museum of Paleontology, No. 3: 3-110. (Paleoparadoxia の骨格)
 この中で、InuzukaはTokunaga, 1939で用いられた模式標本は、全部が戦災で失われたのではなく、一個の臼歯が現地の展示施設に残っているとした。そこで、これをlectotype とした。さらに泉標本はPaleoparadoxia tabatai と異なる種類であるとして、これにPaleoparadoxia media という種名を付けた。
 「現地に残っていた」標本(以下第3の臼歯)が、Inuzukaによって図示されている。

740 Inuzuka, 2005. Fig. 1. (一部)Pleooaradoxia tabatai 下顎臼歯 佐渡市相川産とされる。

 この標本は、Aikawa Local Museum(Inuzuka による)に保存されている。相当するのは相川郷土博物館であろう。インターネットでは、個人的なブログに佐渡博物館(別の施設)に行った記録としてこの歯の写真があった。レプリカかもしれない。Holotypeと同様に、相川トンネルの工事中に発見されたという。この標本または同じような由来の標本の存在の可能性については、Tokunaga, 1939の中(290ページの最後から次ページの1行目)に記述がある。”Other teeth, it is said, were also found, but these two specimens are all that seem to have been saved.“ (他の歯(複数)も見つかったと言われているが、保存されていると思われるのはこの 2 つの標本だけである。) つまり、まだ他にも標本が存在した可能性があるということである。しかし、Tokunagaはそれの存在を掴んでいないし、もちろん見ていない。
 Inuzukaの報告したこの歯は、Tokunagaの図示した標本とやや異なる。しかし、直良のかいたスケッチとかなりよく一致する。スケッチと写真でどうしてこんなに違うのだろう?直良氏のスケッチについては定評があり、私の見たものでも、隆起部の強調などがあるにしても形はよく引き写されているのが普通で、信用したくなる。Tokunaga, 1939の写真、とくに咬合面の照明は左右の側方から二つあたっていて上の面はほとんど黒くつぶれているのに、円形の磨耗面の一部に反射光が入って光ってしまったようにも見える。また強い歯帯の存在は、記載で強調されているのに、写真ではほとんど見えない。そして、臼歯の幅(頬舌径が小さい。写真切り抜きが間違っているのだろうか?
 「第3の臼歯」については詳細な検討が必要だが、直良氏のスケッチと比べると、咬頭の配列や歯帯の様子など、同一の種類、それも磨耗が揃っていて同一の個体のように見える。

741 左から沢根標本(右下顎臼歯:直良, 1944, Tokunaga, 1939. 歯根をカット)「第3の臼歯」(左下顎臼歯:Inuzuka, 2005)

 それでもこれをlectotypeとするのは ありえない。命名規約に「72.1.1:タイプシリーズ:それに基づいてあらゆる名義種階級群タクソンが設立されたあらゆる標本。」と定義されていて、設立に際して用いられたものしかタイプシリーズに入らない、という当たり前のことが記されている。Tokunagaの見たのは二つだけと言っているから、第3の臼歯(もしかしたら他にあるかも)は種の概念をつくるのに使われていない。だからneotypeに指定される可能性は残すが、lectotype にはできない。
 なお、名前の由来についてInuzukaは次のように記している。「この名称はPaleoparadoxia属に含まれる3種の中間の大きさであることに由来する。」3種というのは、小さい方からP. weltoni Clark, P. media Inuzuka, P. tabatai (Tokunaga)である。
 3種のうち、Paleoparadoxia weltoniだけは日本側(太平洋西岸)から見つかっていない。冗談だが、この種類がなかったら、「2種のうち小さい方」となるから、P. minora とでもなっただろう。「美濃」の名が入って洒落ていたのに。
 なお、Inuzukaは日本でP. tabatai (Tokunaga)としてそれまでに報告された標本を二つの種類に区別している。瑞浪市内で発見された他のパレオパラドキシアの四肢骨のうち、本郷産左橈骨はP. tabatai (Tokunaga) と判定され、戸狩産の右腓骨はP. media Inuzuka とした。

12 (追記)泉標本の命名に関する意見
 <注意:この項は十分に検討した結果ではなく、私が幾つかの印刷物を読んだ時の印象をメモしたものなので、正確性に欠ける。詳しく、また正しく知りたい方は原文をお読みいただきたい。>
 「古い本」の対象ではないが、命名規約の適用事例として記す。Inuzuka, 2005に対して次の命名上の「意見」が委員会に送付された。
○ Hasegawa Yoshikazu and Naoki Kohno. 2007. Cornwallius tabatai Tokunaga, 1939 (currently Paleoparadoxia tabatai; Mammalia, Desmostylia): proposed conservation of usage of the specific name by the designation of a neotype. Bulletin of Zoological Nomenclature, vol. 64, no. 2: 113-116. (Cornwallius tabatai Tokunaga, 1939  (現在は Paleoparadoxia tabatai; Mammalia, Desmostylia)のネオタイプの指定による特定名の使用の保存を提案) 

 これに対する委員会の裁定は次のもの。
○ Comission of the International Zoological Nomenclature, 2009. Cornwallius tabatai Tokunaga, 1939 (currently Paleoparadoxia tabatai; Mammalia, Desmostylia): proposed designation of a neotype not accepted. Bulletin of Zoological Nomenclature, vol. 66, no. 3: 295-296. (Cornwallius tabatai Tokunaga, 1939  (現在は Paleoparadoxia tabatai; Mammalia, Desmostylia) について提案されたネオタイプの指定の不受理)
 この論文要旨では「委員会は、日本およびカリフォルニア産の中新世束柱目の種である Paleoparadoxia tabatai (Tokunaga、1939) の種名の使用は、ネオタイプの指定によって保存されないとの裁定を下した。」という。これは省略しすぎで、要旨だけではなく、本文を読んで理解する必要がある。
 つまり、「第3の歯がsyntype ではないから、lectotypeの指定は自動的に無効である」という意見があるは当然だろう。投票者の一人は「“lectotype” には命名上の地位がなく、その件については委員会による裁定の必要がない」とまで言っている。
 もうひとつ指摘すると、Hasegawa and Kohno, 2007の「第 3 の歯については、Cornwallius tabataiの最初の記述者 (Tokunaga, 1939) によってまったく記述も言及もされていない。」という部分は、間違っていて、そういうものがあった可能性は言及されている。

古い本 その194 戸狩動物群 10

2025年05月17日 | 化石

10 泉標本の記載とneotypeの指定
 泉標本とサハリンの気屯標本は、委員会の決めた分担に従って順に記載がされたが、時間がかかった。泉標本の剖出は横浜で行われたが、それに当たった研究者は少なくとも鹿間・高井・井尻の諸氏で、この3名が標本を前にした写真が存在する。公表されていないのでここでは紹介をしないが、この3人とはかなり珍しい組み合わせである。研究成果についてはまず、頭蓋について1961年に標本の記載論文が出た。それが次のもの。
○ 井尻正二・亀井節夫, 1961.  樺太産の Desmostylus mirabilis Nagaoと, 岐阜県産の Paleoparadoxia tabatai (Tokunaga) の頭蓋骨の研究. 地球科学. No.53: 1-27, pls. 1-6.
 この論文では、サハリンの気屯標本と泉標本の頭部について、記載を行った。文末に写真が示されているが、手に入るディジタルファイルでは残念ながら細部はあまり見えない。頭蓋の図を示す。

733 Iziri and Kamei, 1961. Plate 3. Paleoparadoxia tabatai 頭蓋 スケールを入れた

 歯の部分については、拡大した図を伴う。

734  Iziri and Kamei, 1961. Plate 5.(一部) Paleoparadoxia tabatai 口蓋の後部 スケールを入れた

 よく見えないので、手持ちの写真を示す。

735 泉標本の口蓋の後部 国立科学博物館蔵

 この写真は、お恥ずかしいが撮影記録がない。1970年代のはじめに、百人町にあった科学博物館の分館で標本を見た時に撮ったものだろう。
 鹿間が担当した前肢と後肢については次の論文がそれである。
○ Shikama, Tokio, 1966. Postcranial Skeletons of Japanese Desmostylia. Palaeontological Society of Japan, Special Papers. No.12: 1-202, pls. 1-12. (日本のデスモスチルス類の頭以外の骨格)
○ Shikama, Tokio, 1968. Additional Notes on the Postcranial Skeletons of Japanese Desmostylia. Science Reports of the Yokohama National Unversity, Section II, No. 14: 21-26, pls. 3-6. (日本のデスモスチルス類の頭以外の骨格についての追加ノート)

736 Shikama, 1966. Plate 3. (一部)Paleoparadoxia tabatai 大腿骨と脛骨

737 Shikama, 1966. Textfig, 57. Paleoparadoxia tabatai 大腿骨スケッチ

 これらの四肢骨の記載にあたって、ShikamaはPaleoparadoxia tabatai のタイプ標本が失われていることから、泉標本をこの種のneotype に指定した。
 なお、デスモスチルス研究委員会(DEREC)の分担計画のうち脊柱と胸郭(高井)については、ずっとのちになって気屯標本について犬塚が5つの論文(他の部分を含む)を公表した。ここではそのうち最初のものだけをリストアップしておく。
○ 犬塚則久, 1980. 樺太産Desmostylus mirabilis の骨格1. 環椎・胸椎.  地球科学. vol. 4, no. 4: 205-214, pls.1-9.
 他に同表題、2-6. がある。

11 その後のPaleoparadoxia
 このシリーズは、最初に記したように1974年あたりを想定して、その時代までの論文を見てきた。言い換えるとここから後の文献調査は不完全である。
 一つだけ、ここまでの記事と関係が深いので追記しておくが、詳しくない。Paleoparadoxia については、その後各地から全身の骨格が揃った産出例が続出した。それらはおおよそ全てPaleoparadoxia tabatai の種名の元で記録・記載された。それらは、Shikamaが選んだ neotypeの泉標本を主な基準として判定されたに違いない。瑞浪盆地でも中央道の工事や、それまでに発見された標本の寄贈で、二つの標本が新たに認められた。それについてはそれぞれ前出の論文で報告されている。

738 亀井・岡崎, 1974. Pl. 88, figs. 6a, 6b. ? Paleoparadoxia tabatai 本郷産左橈骨

 瑞浪市在住の方が保存しておられた標本で、長さは37.0cmある。泉標本の橈骨の長さは33.0cmだから、11.2%ほど大きい。遠心端の形に違いがあるので種の決定を控えて疑問符をつけている。

739 岡崎1977. Pl. 4, figs. 2a-2b. Paleoparadoxia tabatai 戸狩産の右腓骨

 中央道の工事現場で、1974年5月に山野内層から高校生が発見したもので、長さは35.2cm(図版から計測)である。泉標本では28.2cm (Shikama, 1966)だから25%も大きいが、形態的に一致するとしてPaleoparadoxia tabataiとされた。
 この二つの標本ともPaleoparadoxia tabataiの泉標本との比較で同定されたが、どちらも泉標本より大きいが、その比率は異なる。層位的には橈骨の方は転石であり不明、腓骨はDesmostylus戸狩標本よりも上位である。

古い本 その193 戸狩動物群 9

2025年05月09日 | 化石
 泉標本(=隠居山標本)の発見が学術発表されたのは1951年で、講演記録が次のもの。
○ デスモスチルス研究委員会, 1951. 岐阜縣より發見された第二の Desmostylus 骨格. 地質学雑誌. Vol. 57, no. 672:414.
 この段階では、泉標本をDesmostylusと表現しているが、当初はとくにその産出層準についてその後多数の研究者が短い論文を出している。
 デスモスチルス研究委員会(DEREC)というのは、サハリンの気屯標本と泉標本をおもに対象として、その保存や研究の態勢を整えるために組織された会で、委員長・矢部長克(1878-1969) 高井冬二(1911−1999)鹿間時夫(1912−1978)湊正雄(1915−1984)井尻正二(1913−1999)で構成された。ご覧のように当時の「大御所」の名が並んでいる。二つの標本について、部位ごとの分担を決めている。すなわち、頭蓋(井尻)脊柱と胸郭(高井)前肢と後肢(鹿間)である。すぐに研究成果が公表され始めた。
○ 矢部長克・高井冬二・井尻正二・鹿間時夫・湊 正雄, 1952. Desmostylus の研究(第一報). 地質学雑誌, vol. 58 no. 682: 256.
 また、1952年に次の講演要旨が印刷された。
○ 矢部長克・高井冬二・井尻正二・鹿間時夫, 1952. Desmostylus の研究(第2報). 地質学雑誌. Vol. 58, no. 682: 315.
 これは、泉標本の処理・研究の状況を報告するもので、なぜか共著者に湊の名はない。文末に比較の結果として、「泉標本はCornwaelius (sic!) かあるいはこれに近い新属のどちらかである」として、初めて泉標本とCornwallius(印刷されたものの綴りは誤っているが)との関連を暗示している。
 泉標本の剖出は横浜国立大学で実施された。それにあたったのは鹿間・高井・井尻の諸氏ほかだった。この3氏が標本を前にした写真が存在する(小樽で開催された特別展で展示)が、印刷物で公表されていないのでここでは引用を差し控えておく。
 これらよりも前に能登半島のデスモスチルス類標本についての報告がある。
○ 高井冬二, 1944. 能登半島の燐鑛層産デスモスチルス. 資源科学研究所叢書. Vol. 5: 59-61, pl. 5.
 私はなぜか、この論文の別刷りを持っているが、どうして入手したのかは記憶がない。二つの標本の産出が報告されていて、ひとつは能登半島の西島村(現・七尾市能登島)半ノ浦の燐鑛採掘場から産出した後の「半ノ浦標本」、もうひとつは、鳳至郡(ふげしぐん・読みを間違っている論文があるので注意)鵜川村(現・能登町)七見(しちみ)の燐鑛採掘場で発見された牙状の化石(後の七見標本)である。前者は現在Paleoparadoxia のものと考えられている。後者はDesmstylus と考えられているので、ここではこれ以上触れない。

731 高井冬二, 1944. Plate 5.(一部) “Desmostylus japonicus” 上顎左第3前臼歯

 写真の上は歯の側面で、下が咬合面。咬合面の周りに、上の側面の記号が見ている方向として表示されている。長い歯根に注目して欲しかった。
 このように、この時期まではCornwallius はあまりよく認識されていなかった。

9 Paleoparadoxia 属の提唱
 次に、Paleoparadoxia 属が提唱された。論文は次のもの。
○ Reinhart, Roy Herbert, 1959. A Review of the Sirenia and Desmostylia. University of California Publications in Geological Sciences. vol. 36, no. 1: 1-115, pls.1-14. (海牛目と束柱類のレビュー)
 この時、Reinhart (アメリカ) はCornwallius tabatai を模式種として新属Paleoparadoxia を提唱(94ページ)した。模式種のタイプ標本は失われているが、そのことは規約上問題がない。重要なのは、98ページから99ページの「Comparison of Paleoparadoxia and Cornwallius」という40行ほどの部分である。両者の相違点として、まずPaleoparadoxiaの歯帯が歯冠のほとんどを囲み、厚みが大きいことを挙げる。咬柱がPaleoparadoxia の方が密着していること、また歯根についてはPaleoparadoxiaの歯根が長くなり、単根であることを特徴として挙げる。それに対してCornwalliusの歯根は通常二根である。

732  Reinhart, 1959. Plate 14. Paleoparadoxia tabatai

 写真にはスケールを書き加えた。左の歯はCalifornia州Fresno County産左下顎臼歯U.C.M.F. no. 32076.、右はCalifornia州Santa Cruz County産右下顎臼歯U.C.M.F. no. 40862、上段が咬合面、下段は側面。右の歯は下顎骨に植立しているので歯根が見えないのだろうか。私の持っているコピーは画質が悪いので見づらい。