写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

生活のリズム

2009年12月15日 | 生活・ニュース
 今日(14日)は月曜日、休刊日で新聞が来ない。1991年から毎月休刊日があるようになった。新聞に携わっている人のことを考えると、月に1度くらいの休刊日はあって当然だと納得はいく。
 翻って、読者の立場に立つ私は、朝起きてダイニングテーブルの椅子に座っても、なんとも手持ちぶさたである。
 いつもは新聞に目を通しながら片方の耳で朝からテンションの高いテレビの朝番を聞いているのだが、今朝は朝食を待つ間、正面からテレビと対峙するように見ているだけである。
 考えてみると、朝起きるとまず新聞を開くという行為が、生活のリズムとして完全に組み込まれていることに気づく。肝心なその新聞がない日には、空白の時間が生まれることになる。
 早朝、まだ明けやらぬころのまどろみの中で、バタバタバタというバイクの音が我が家の前で止まる。カタッ…カタッ、新聞受けの扉を開けて新聞を入れる音が続く。カチン、バイクのスタンドを戻す音だろう、その後またバタバタバタと裏の団地のほうに走り去っていくのを聞く時がある。「あっ、新聞が来たな」。大事な友が話をしに寄ってくれたような気にもなる。
 さて、周りを何度見回しても今日は新聞はない。それでは図書館にでも行ってみるかというと、月曜日は休館日だ。気の利いた町では年中無休や、夜もやっているところがあると聞くが、岩国ではまだそこまで行っていない。新聞に比べると、図書館は毎月8、9日間と結構休館日が多い。多過ぎないか。
 それでは朝からちょっと一杯という気にもなりそうだが、体も今日は休肝日。これをきちんと守らなければ、急患で運ばれちゃいます。
 (写真は、休刊日は退屈そうな『九官鳥』)

店長の心意気

2009年12月14日 | 食事・食べ物・飲み物
 2か月前、岩国駅に近い国道2号線沿いに、「来来亭」という大きなラーメン店が開店した。ミシュランの審査ではないが、厳しい眼でこの店に行ってみた。一人なので調理場と向かいあったカウンター席に案内された。午後3時を過ぎていたが、そんな時間でも客は多い。
 ラーメンと餃子の定食を頼み、水を飲みながら待っているとき、カウンターの前に貼ってある紙に目がとまった。
 「ラーメン一杯に自分の人生を賭け、ラーメン一杯に自分の情熱、真心、感謝の気持ちを全て詰め込みました。大村浩一渾身の一杯をどうぞお召し上がり下さい。来来亭 岩国店 店長 大村浩一 談」と書いてある。
 続けて「麺の堅さ(柔らかめ、普通、堅め)、しょうゆ(薄め、普通、濃いめ)、背脂(抜き、普通、多め)、一味唐辛子(抜き、普通)、ネギ(抜き、普通、多め)、チャーシュー(脂身)、情熱・真心(抜けません)。ご注文の際、スタッフまでお申しつけ下さい」とある。
 客の好みにより、いろいろときめ細かく注文できるようにしている。胸に付けた名札を見ると、麺を茹でている35歳くらいの精悍な男が店長だ。スタッフの4人と大きく声を掛け合いながらが、元気一杯に仕事をしている。
 「情熱・真心(抜けません)」の一言。ユーモアも持ち合わせているようだ。若いがなかなかやるではないか。
 特別な注文をしなかったので、すべて「普通」レベルのラーメンを食べた。私にはこれで十分においしい。開店2カ月でこの盛況だ。おいしい店だと口コミでいい評判が広がっているのかもしれない。また行って、今度は「ネギ多め、情熱・真心は2倍のヤツ、お願いっ!」とでも言って注文してみたい。
(写真は、カウンター前に貼ってあった「情熱と真心」)

忘年会

2009年12月11日 | 季節・自然・植物
 エッセイサロンの忘年会を昨夜開催した。アトラクションとして、会員各人の今年の業績を称える表彰状を作って手渡した。副賞といえば聞こえは良いが、100円ショップで買いこんだ雑品の数々。雑品といえば聞こえが悪いが、表彰文の内容にふさわしい商品を厳選している。やっぱりそこは100円。心から笑ったり喜んだりするには少々無理がある。口先でかなりカバーしないことには、何故こんな物をもらったのかが分からないものが多いが、まあいい。
 忘年会とは、このように品物をもらうことが目的ではなく、一人ひとりがこの1年をちょっと振り返り、すべてきれいさっぱりと忘れ去るだけでなく、来るべき年に向けての作戦を考え始める機会であると理解している。
 忘れるといえば「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という、半世紀前のラジオドラマ「君の名は」の冒頭のナレーションを思い出す。忘れてしまったらどんなに心が軽くなるだろう。だけど忘れられないという切ない心を表した名セリフである。
 私の年ともなると、忘年会で忘れ去りたいと思うほどのこともなくなってくる。忘年といっても、その年のいやなことを忘れたいというよりか、年そのものを忘れてしまいたい心境だ。
 「憂きことの なおこの上に積もれかし 限りある身の 力試さん」
 サラリーマン時代、いろいろ苦しい局面に立ったとき、私は机の上に貼っているこの歌をいつも読んで奮い立たせてきた。不況で大変な年の瀬。ここはぐっと歯を食いしばって、精一杯限りある身の力を試してみたい。朝の来ない夜はないというではないか。

700字

2009年12月08日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 ブログを書き始めて今6年目をやっている。初めのころはごく短いものを書いていたが、徐々に文章が長くなってきた。この2年間は800字を越えないことを目標として書いてきた。
 書いていると、話がだんだんと膨らんできて、あれも書こう、このことも書いておこうとして文章は長くなってくる。自分が思っていることを書き漏らさないようにとの思いが強いだけで、読者からの視点をあまり考えていないことが多かったように反省している。
 ちなみに、各種新聞の1面最下段に毎日掲載されているコラムの字数をチェックしてみた。毎日新聞の「余禄」は690字、日経新聞の「春秋」は550字、中国新聞の「天風録」が530字である。
 わずかこれくらいの字数で、花鳥風月から時事・世相・流行まで、何でもキレよく書いている。ビールのキャッチフレーズと同じく、キレとコクのある文章というところか。
 このブログの文章がこれらのコラムニストやエッセイストのものとは比べるべくもないことは重々分かってはいるが、字数くらいは少し真似をして今日から削減し、まずは700字以下を目標にして書いてみたい。
 何よりもこのブログは「写真エッセイ」と銘打って、1枚の写真を貼り付けている。この写真が文字にすると何百字にも相当する表現力を持つように、そうだ、写真撮影の腕も上げていかなければいけない。望ましくは、写真を見なくても言いたいことがすべて表現されるような文章を書くことだとは思うが、それは夢のまた夢。きらめく遠い宇宙の星のように、手の届かぬ永遠の夢である。
 ここまで書いて670字。残り30字で着地を決めなければ、スタートからマニフェスト違反となる。
  (写真は、各紙1面最下段の「コラム」) 

勧進帳

2009年12月07日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 「勧進帳」といえば、歌舞伎十八番の一つである。6日の午後、岩国小学校で「第9回子ども歌舞伎公演」が開催され、小学生による「勧進帳」が500人の観客を前に演じられた。
 兄源頼朝との仲が悪くなった源義経は、武蔵坊弁慶らわずかな家来とともに、京都から平泉の藤原氏のもとへと向かう。頼朝は平泉までの道すじに関所を作らせ、義経をとらえようとする。「勧進帳」とは、義経たちが加賀国の安宅の関所(石川県)を通過する時の様子を歌舞伎にしたものである。
 義経一行は山伏に変装して関所を通過しようとする。ところが関所を守る富樫左衛門は、その情報を知っていたので一行を怪しんで通さない。そこで弁慶は、何も書いていない巻物を勧進帳と見せかけて読み上げる。勧進帳とは、お寺に寄付を募るお願いが書いてある巻物のこと。いったんは本物の山伏一行だと信じて関所を通した富樫だが、義経に似た者がいると家来が訴えたため呼び止める。変装がばれないように、弁慶は持っていた杖で主君義経を激しく叩く。富樫は、その弁慶の痛切な思いに共感して関所を通す、というストーリーである。
 小学5年生の男児が弁慶を演じた。長いセリフを暗記し淀みなく朗々と語る。夏休みのころから毎週練習をしてきたとはいうが、見事に仕上げてきた演技に感激し目頭を押さながら観ている観客は多かった。最大の見せ場は、弁慶が見得を切った後、六方飛びをしながら花道を去っていくところだ。
 「勧進帳を読む」という表現をすることがよくある。これは弁慶が何も書いてない巻物を朗々と読み上げる場面の連想から、あたかも原稿を読んでいるようで実は即興でものを言っているさまをいうが、現役時代、これが得意な男がいた。大きな会議で「今、勧進帳を読んできた」と臨機応変な対応を自慢していたなぁ。
 年末、奥さんから大掃除を言いつけられたとき、私はどんな勧進帳を読めばいいのか、目下考え中である。
  (写真は、子供歌舞伎の「勧進帳」;yattaro-さん撮影のものを拝借)