写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

学び方

2009年12月05日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 現代を代表する日本画家の平山郁夫さんが亡くなった。日経新聞の文化面に「本質描いた求道の旅」と題して、日本画家の田淵俊夫氏が平山郁夫氏を悼む文章を書いている。
 1961年、2人は東京芸術大学で先生と生徒の関係であった。当時「芸大における先生方の指導法は、伝統的に何も教えないというものであった。教授は制作中の絵が並ぶ教室を、入り口から入って順番に見て歩き、反対側の出口から出ていく。その間、一言も発しない。教えを請えば助言はもらえるが、どこがどうとは決して言わない。自分で考えて解決する。それが出来ないようではだめだ、という姿勢だった」と生徒から見た感想を書いている。
 まさに徒弟制度のようなものである。教育は「教え」「育てる」と書くが、徒弟制度は「育てる」だけだ。親方と一緒に暮らし肌で感じなければいけない。弟子は親方がやっていることを見て、自分で考えてやってみる。これを何度も繰り返し記憶する。その内になんとなく分かってきて、できるようになる。自分でやっているうちに親方のやりかたに似てくるという。
 この追悼文を読みながら、岩国エッセイサロンの定例会のことに思いが及んだ。毎月1回会員が集まって勉強会をやる。親方と呼べるような先生や指導者はいない。読者が毎日新聞に投稿し掲載される「はがき随筆」の内、優秀作品10編が翌月評価発表される。それを切り抜いてコピーしたものを会員に配り、読み合わせながら、何がいいのか、どこがいいのかを一人ひとりが考えながら話し合う。まさに「自分が考える」であって、誰も教えてはくれない。
 そういう意味では岩国エッセイサロンも徒弟制度と同じ育て方、いや育ち方をしている。親方がいないので、作風が似る対象がない。一人ひとりが自分だけの作風を醸し出す。最近は、読むと誰が書いたものか見当がつくようになってきた。これがいい。そう思って同好会を運営している。
 (写真は、それぞれが好きな方に伸びた「シクラメン」)