写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

山岳ガイド

2009年12月06日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び
 広島に住んでいる従姉のM子から電話がかかってきた。2年ぶりの電話である。何ごとか? 一寸心配しながら話を聞いた。
 「来週の月曜日に、岩国にある平家山という山に友達4人と登ることにしたの。お宅の近くのようだけど、どう行けばいいの」と言う。平家山といえばわが家のすぐ裏手に「そびえている」高さわずか150mの山である。頂上からは瀬戸内海と岩国市街が一望できるばかりか、米軍岩国基地も上から丸見えだ。ものの40分もあれば登ることができる。
 高い山は苦手だが、この辺りの低い山なら登れる自信はある。つい先日も光の峨嵋山と錦帯橋のそばの城山にも登ってきた。そんなささやかな実績を持っている自信からつい「その日なら私が案内してあげてもいいよ」と、山岳ガイドを申し出た。
 朝9時の電車に乗ってくる。10時半に山すそのバス停で落ち合うことにした。熟女4人を引き連れての、にわか山岳ガイドは今作戦を練り始めたところである。
 そもそも山岳ガイドとは何なのか?「登山を志す顧客の技術的、精神的ささえである。常に安全登山を心がけ、自己の技術、体力及び人格の向上に努めなければならない」と書いてある。
 こういうことであれば山岳ガイドなどと簡単には名乗れない。技術も体力もないし、人格などとはかけ離れたところで生きている。道案内くらいの役に徹することにした。
 当日の天気予報は薄曇り。山に登るにはちょうど良い。優しいことに、お弁当は広島駅で美味しそうなものを買ってきてくれるという。それを食べることが楽しみで案内するが、元気そうな4人に置いていかれるのではないかと心配している。
 そんなときには「この方向に登っていって下さい」と、頂上あたりを指で差し、私はゆっくりとマイペースで追っかけることにしよう。「熟女4人との平家山登山」、年老いた光源氏の心境になってきた。
  (写真は、バス停から見た「平家山」)

学び方

2009年12月05日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 現代を代表する日本画家の平山郁夫さんが亡くなった。日経新聞の文化面に「本質描いた求道の旅」と題して、日本画家の田淵俊夫氏が平山郁夫氏を悼む文章を書いている。
 1961年、2人は東京芸術大学で先生と生徒の関係であった。当時「芸大における先生方の指導法は、伝統的に何も教えないというものであった。教授は制作中の絵が並ぶ教室を、入り口から入って順番に見て歩き、反対側の出口から出ていく。その間、一言も発しない。教えを請えば助言はもらえるが、どこがどうとは決して言わない。自分で考えて解決する。それが出来ないようではだめだ、という姿勢だった」と生徒から見た感想を書いている。
 まさに徒弟制度のようなものである。教育は「教え」「育てる」と書くが、徒弟制度は「育てる」だけだ。親方と一緒に暮らし肌で感じなければいけない。弟子は親方がやっていることを見て、自分で考えてやってみる。これを何度も繰り返し記憶する。その内になんとなく分かってきて、できるようになる。自分でやっているうちに親方のやりかたに似てくるという。
 この追悼文を読みながら、岩国エッセイサロンの定例会のことに思いが及んだ。毎月1回会員が集まって勉強会をやる。親方と呼べるような先生や指導者はいない。読者が毎日新聞に投稿し掲載される「はがき随筆」の内、優秀作品10編が翌月評価発表される。それを切り抜いてコピーしたものを会員に配り、読み合わせながら、何がいいのか、どこがいいのかを一人ひとりが考えながら話し合う。まさに「自分が考える」であって、誰も教えてはくれない。
 そういう意味では岩国エッセイサロンも徒弟制度と同じ育て方、いや育ち方をしている。親方がいないので、作風が似る対象がない。一人ひとりが自分だけの作風を醸し出す。最近は、読むと誰が書いたものか見当がつくようになってきた。これがいい。そう思って同好会を運営している。
 (写真は、それぞれが好きな方に伸びた「シクラメン」)

駆け込み寺

2009年12月04日 | パソコン
 駆け込み寺とは、江戸時代において夫との離縁を望む妻が駆け込み、尼僧として修行することで離婚を成立させるための寺である。
 そんな駆け込み寺ではないが、このところいろいろな会で知り合ったアラセブンの知人が、ノートパソコンを抱えて我が家に駆け込んでくる。
 「亡くなった主人が使っていたものだが、今は埃をかぶっている。何とかメールやインターネットが使えるようになりたい」というAさん。「写真入りの年賀状を作りたいが、デジカメで撮った写真がうまく取り込めない」というBさんだ。
 私のパソコンを持ち出して並んで座り、同じ操作をやりながら手順を教えていく。3回のレッスンが終わったAさんは、漢字変換もマスターし今やメールの交換はすいすいできるようになった。特別の用件はなくても、時に練習を兼ねてメールが入ってくる。
 Bさんは「筆ぐるめ」を使って年賀状を作ろうとしている。自慢の一眼レフのデジカメで撮ったジェット戦闘機の写真が短時間のうちに貼り付けられるようになり、年賀状が完成したと喜んで帰って行った。
 パソコンだけは、分からなくなったその時すぐに教えてもらえる人がいることが上達の要点だと思っている。「分からないことがあったら、いつでもどうぞ。電話でもいいですよ」と言ってある。
 本屋に行けば、パソコン操作の説明本は何種類も並んでいるが、知りたいことがどこに書いてあるかを見つけることが初心者には難しい。知っている人に聞くのが一番易しいのは私の体験だ。
 アラセブンの人に出会ったら「分からないことがあったら教えてあげるから」といいながらパソコンを始めることを勧めている。ただし肝心な駆け込み寺の住職のパソコンの腕が大分怪しいことは誰にも明かしていない、ヒ・ミ・ツ。
 (写真は、北鎌倉にある駆け込み寺「東慶寺」)

忘年会準備

2009年12月03日 | 生活・ニュース
 いよいよ12月に入った。ここ3日間は、10日に開催するエッセイ同好会の忘年会準備で忙しかった。会場の予約はすでに終えているが、当日のアトラクションの準備をしていない。
 例年の行事として、参加者20名に対して今年頑張った点を見つけ出し、表彰状を作って読みあげる。限られた短い文章で褒め言葉を書く作業がなかなか難しい。
 表彰状には印ばかりの副賞を付ける。少ない会費ゆえ財政も逼迫している。その中から僅かな金額ではあるが、評価内容にふさわしいばかりか笑いがこぼれるような品物を物色しに出かけてみた。
 行き先は駅前にある大型の100円ショップである。品定めは大変難しい。金をかけない代わりに時間をかけた。20品全部をかごに入れ終わったとき、入店してなんと1時間半が経っていた。
 その買い物をしているとき、パーティ用品のコーナーを通りかかった。私と同年輩くらいの夫婦が何かを探している。主人がちょんまげのかつらをかぶって鏡をみている。「こりゃぁどうか?」「ちょっと似合わんねぇ」。「こっちはどうか」「うん、それならまあええよ」。
 少し離れて立ち止って見ていると、ピンクの豚がついた帽子のようなものをかぶっていた。その夫婦と目があった。どちらからともなくお互いが笑った。何があるのだろう。こんな年配でかぶりものをしてどんな宴会をやるのだろう。真剣な顔をして物色している夫婦を、もう一度遠くから振り返ってみた。
 先生も走り出すという師走。私にとって、今年もそれほどいいことはなかったが、悪いこともなかった。今までと同じ1年が過ぎていく。忘年会で忘れてしまわなければいけないほどのこともない。昨日のことも覚えていないまま、忘年会にいざ突入しようとしている。その準備は今日すべて完了した。
  (写真は、考えに考えた20枚の「表彰状」)