まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ山復活させ隊NEWSLETTER 773 

2013年01月03日 | マツタケの生理生態

明けまして おめでとうございます !

今年も よろしくお願いをいたします!


 和歌山県 高野町の富貴マツタケの写真で、手入れ後に発生した嬉しいマツタケです.この山は、和歌山市の岩田光弘氏所有で、40年前の山火事の後にできあがった美しいアカマツ林です.地域の若い仲間と一緒に手入れされています.驚くほど熱心にまつたけ山づくりをされています.

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マツタケは栽培できる(8)

2005年09月24日 | マツタケの生理生態

写真は、人工林に胞子を播種して発生したマツタケ.日本で初めてである.

人工アカマツ林にもマツタケは発生
岩泉町に13、000ha以上、岩手県全体では15万haのアカマツ人工林がある.アカマツ人工林は、そのほとんどがマツタケ発生前の若齢林で、ある林齢までは除間伐作業がなされるが、その後は、放置されているに等しい(有用資源の放置である).
しかし、岩手県林業公社造林の人工アカマツ林にも、マツタケの発生がすでに確認できている.このことは、人工アカマツ林でマツタケ栽培が可能になっていることを示している.

岩泉まつたけ研究所の輝かしい成果の一つであるが、向林試験林の一斜面に人工植栽のアカマツ林がある.1991~1992年にわたってアカマツ林の手入れを実施.そのあとに土壌表層に階段状のステップを作り、マツタケの胞子とアカマツ細根との出会いすなわちマツタケ感染の機会を大きくするための作業を施した.
1997年に、マツタケの自然感染による初シロが二つ形成された.岸町有林(1994、マツタケ胞子の人為散布法でマツタケ発生)についで二度目の成功である.このことは、人工アカマツ林におけるマツタケ栽培法が確立したと考えてよい.実はそれは江戸時代にも見られるマツタケの栽培法であったのである(群馬県太田市金山城).

アカマツ人工林でマツタケを栽培するためには、林齢15年くらいあるいはそれ以下の若齢林にマツタケ発生環境整備作業を行うようにすべきである.現在の材生長の手入れ(=除間伐材の林内放置=土壌の富栄養化を招く=キノコが減少=樹木の衰弱)から、マツタケ栽培の手入れに変換をすべきである.

マツタケ向きの手入れを施しても、材の生長に有意の差はなく、むしろ、樹木の生長に有意な効果をもつ菌根性のキノコの減少を招く現在の林業技術は直ちに変更すべきであろう.

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マツタケは栽培できる(7)

2005年09月20日 | マツタケの生理生態

マツタケの栽培法                
マツタケの栽培法は2通りある
一つは、温度、湿度、培養基の性質など物理的要因や化学的要因を制御した環境で、マツタケの胞子や培養菌糸を培養基に接種してマツタケ子実体を得る方法である(狭義の人工栽培).

二つ目はアカマツ林をマツタケの生活しやすい環境に整え、アカマツ細根を増加させマツタケの胞子などを播種したりして、マツタケ子実体を得る方法である.マツタケ菌糸マットをアカマツの根に接種し、人為的に菌根を作ることも可能になった.

前者の方法は、100回に1回くらいの割合で親指大のマツタケ子実体が得られる.なぜマツタケ子実体が得られたのか、あるいは何故得られないのか解明できてないので再現性を欠いている.

後者は、アカマツ林を健全に誘導する効果もある(このことは,ヒトが生活するために極めて重要なことである).全国的に森林の放置が進み森林機能の低下を来している森林の現状を改善する必要性からも最も望ましいマツタケの栽培法である.
そう言う意味で,マツタケのオガ粉栽培など考えるべきではない.

林地栽培の効果
 岩泉町の例
マツタケが発生しているアカマツ林に正しいマツタケ発生環境整備を実施した場合(単に昭和10年代のアカマツ林に戻すことである)、その効果は100%である.まつたけ研究所向林試験林(1ha)では、1990年に発生環境整備を実施、36のシロを確認.現在(2000.10)は101のシロを有するにいたっている.

マツタケ未発生林の場合、失敗例が少なからずある.この原因は、発生環境整備を初年度に実施し、その後、林を放置することにある.整備後の林の放置は放置以前以上にマツタケの生活に不向きな状態になる.

こんな例がある.マツタケ発生環境整備事業には公的資金の補助制度があるが、例えば、2週間で作業が完了する計画なら、人は2週間しか山に入らない.補助金制度に問題があるにせよ、これは作物の栽培者のすることではない.

アカマツ林に適正な手入れを恒常的に施しさえすれば、マツタケ既発生林ではシロ数やマツタケ発生数の増加が見られる.また、研究所試験林のマツタケ未発生林(人工アカマツ林)においては、1993年に岸長内沢試験林(人工アカマツ林、20年生)で、また、滝野向林試験林(人工植栽、35年生)では1997年に、初シロの形成をみている.

繰り返しになるが、昭和10年代は全国いたるところのアカマツ林に蹴飛ばすほどにマツタケは生えていたのである.(続く)

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マツタケは栽培できる(6)

2005年09月12日 | マツタケの生理生態

写真は、マツタケのシロの一部である.マツタケの菌糸に覆われた菌根が見えている(白いところ).

全山のシロ化とシロの崩壊
アカマツの樹齢の進行とともにシロ数が増え、また、シロ直径が大きくなる.マツタケの発生量が増加する.時には、一つのシロに400本のマツタケが生えることもある.壮齢林では100kg/ha以上の生産量が望める.

マツタケと他の土壌微生物とのインタラクション(攻撃,協調、無関心など)は場所や時間によってその質は異なるが、マツタケのシロは痩地であり乾燥ぎみのマツタケが優占しうる諸条件が整っている場所へ広がっていく.
シロ数が増え、また、シロの先端が年々外側に10-15cmほど広がり大きくなると、マツタケのシロは重合する.重合すると瓢箪状、線状あるいは弧状にマツタケ子実体が発生するようになる.しかし、マツタケは土壌微生物との競争に弱いため、手を入れてない林では、途中で消滅するシロも多い.

ドーナツ状のシロの内部は、土壌がパサパサになり、細根が脱落した主根だけが残り、菌糸の残骸や死んだ細根由来のキチンとセルロースやヘミセルロースまたリグニン、タンニンが多い.それらは難分解物質のため、シロ内部の微生物社会はマツタケの発生してない土壌やシロ周辺部土壌のそれとも違っている.シロの内部には、アカマツの根も侵入せず、マツタケも生えない忌地 (sick soil)となる.

マツタケ発生後40年もすると、アカマツ林内にはマツタケの忌地面積が増える.また、アカマツの生長が鈍り根の発達が悪くなるため、マツタケの発生量は落ちてくる.アカマツの生長を促したり,林の更新を考える時である.アカマツが常に生長するように、枝払いや芯止めを施して、100年生のアカマツ林でも、マツタケ発生量が落ちない手入れもある.

更新は、薪炭生産林をモデルとすると良い.マツタケ感染アカマツ樹(シロ)を一部残し伐採する.地かき後、アカマツ異齢林をつくる.あるいは、帯状に伐採区と非伐採区を設け、伐採区は地かきし、新たなアカマツ林を造成することを考える.このような作業では、マツタケが非常に早く発生することが見られる.(続く)

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マツタケは栽培できる(5)

2005年09月09日 | マツタケの生理生態

写真は、人為的にマツタケを感染させて形成されたアカマツの菌根(接種後2ヶ月)

感染-菌根形成
この2次菌糸はさらに運が良いと、先住者のカビがいない空き家のアカマツ細根に出会う.すると、これに感染し菌套を形成.その後、細胞間隙に侵入、菌根となる.マツタケの場合は、外生菌根いわれる.

 菌根になるとホルモンを分泌し、アカマツの細根はテングス状に枝分かれし、根の吸収面積が飛躍的に増える.マツタケは周りに細い根があればそれにどんどん感染、菌根をつくる.

 活性の高い菌根は抗生効果のある物質を分泌し、アカマツの根やマツタケの菌糸を土壌微生物の攻撃から守っている(4).しかし、常に土壌生物との競争にさらされていることを忘れてはならない.

 マツタケは菌根を介し、アカマツと物質をやり取りしている.マツタケは光合成産物である糖類をアカマツから摂取し、土壌中のミネラル類をアカマツに渡している.植物間の物質移動の仲立ちについては先述のとおりである.
アカマツ林の尾根筋は肥沃化せず、乾燥気味でマツタケ栽培に適している.しかし、土壌が肥沃してくると、アカマツの細根形成が悪くなり、また、光合成産物を自らの生長に利用しマツタケに与えないようである.実験室の感染テストでは、肥沃化土壌で育てたアカマツは、まつたけの感染を拒否する傾向にある.マツタケのような菌根性のキノコが感染しないと、ホストは病気に弱くなることがわかっている.

シロの誕生とマツタケの発生
マツタケは、更に周囲の細根に感染を続け、やがてホットケーキ状のシロを土壌内部につくる.シロとは、マツタケが宿主の細根に感染することによってつくりだされる菌根やその周りの土壌とそこに生活する微生物を含む集合体を意味し、それらの微妙なバランスのうえに成り立つ生態系である.

 物理的・化学的・生物的条件が適切に維持され続けると、シロはその容積がだんだん大きくなるが、シロの内部はくぼんでドーナツ状の形になる.2次(核)菌糸がアカマツの細根に感染し、約5年たつとシロの容積は、マツタケの菌糸とアカマツの根や土を含めて1.5-2リットルほどになる.

 すると、マツタケ子実体を1~2本発生するようになるが、微生物数の少ないマツタケ向きの痩地や乾燥気味の土壌は斜面や尾根の上部に多いため、マツタケはそのあたりから発生を始める.マツタケ発生の始まりはアカマツの樹齢が平均30年くらいである.地域によっては、それが40~50年になるケースもある.

 シロ表面の温度が19℃(北では18℃未満)を下回ると、マツタケのシロ表面に子実体原基が形成され、適当に雨があると(2-3日おきに10~20mmの降水)、「選ばれた」原基は生長を続け、7日~10日後に地表に顔を出す.

 更に7~10日でヴェールがきれ、胞子が飛散する.胞子は、新たなシロ形成に重要な役割を担っている.マツタケ山の長期の観察では、マツタケの新たなシロは、胞子が雨水などで流れ易い方向に並んで増えているように見える.(続く)

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マツタケは栽培できる(4)

2005年09月06日 | マツタケの生理生態

写真はマツタケの2核菌糸(DAPI染色)

マツタケは栽培できる
人類の活動によって、人里付近に登場したアカマツ林に、マツタケは発生を始め、毎日の生活のために里山林を大いに活用した結果、マツタケの生産量を高めていたことになる.

しかし、昨今の森林の放置によってアカマツ林が衰退し、マツタケの生産量を落としている.マツタケは、人による森林の破壊によって生まれ、また、森林の放置による森林「破壊」によって、その生を終わろうとしているのかもしれない.

先述したように、昭和10年代、あるいは薪炭の生産が必要であった昭和30年頃までは、意図的でなかったが、日本のアカマツ林で人はマツタケを大量に「栽培」していたのである.

アカマツ林を放置し、山からマツタケを搾取するだけの時代はもう終わっている.
まず、昭和10年代の健全なアカマツ林を取り戻す.その上で、マツタケやアカマツの生理や生態をよく理解し、マツタケを栽培する必要がある.

マツタケの栽培は、実は極めて容易なのである.昭和10年代には、日本のアカマツ林には蹴飛ばすほどにマツタケは生えていたのだから.

マツタケの生理生態
マツタケの生理
実験室でHamada培地(グルコース10.0g、エビオス5.0g、pH=5,1-N HCl)あるいは無機培地としてはグルコースやフルクトース、酒石酸アンモニューム、ミネラル類、アミノ酸やビタミンB類などの栄養物でマツタケ菌糸を培養することは可能である(pH=5.0前後、生長至適温度 23-25℃).

その生長は他のカビやキノコと比べて非常に遅い(マツタケの菌糸の生長:平均0.3-0.5mm/day: ミトコンドリアが少ない).青カビなどの1/100、シイタケの1/20の生長スピードでしかない.
腐生性のシイタケ、エノキタケ、ヒラタケやエリンギ、マイタケのように生物遺体を分解する酵素を欠いている、また、栄養生長から生殖生長へ切り替わるメカニズムが温度要因を除いて不明であるなどのために、オガクズなどでマツタケを栽培することは不可能である.

胞子発芽-2次菌糸
マツタケは外生菌根菌で大型のキノコ(子実体)を形成するカビの仲間である.マツタケのヴェールが切れると、ヒダから胞子(レモン状、4-7×5-9μm)が飛散し林床に落ちる.

1本のマツタケ子実体から数百億の胞子が落ちるが、その発芽率は1%をかなり下回っている.実験室で発芽率を高める物質として、酪酸や松葉の抽出液の添加が有効であることが解かっているが実用化は疑問である.

厚い落葉や腐植層の上に落ちた胞子は、そこを住み家にする細菌や糸状菌や小動物との競争を強いられたり、それらの攻撃にであう.その攻撃を逃れた胞子は温度と水分が適切なら発芽し1次(核)菌糸になる.

次いで、互いに親和性のある1次菌糸どうしが運良く接合すると、1つの菌糸細胞に核が2つ存在する2次(核)菌糸ができる.ここにいたって、はじめてアカマツ細根に感染する力を持つ.(続く)

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マツタケは栽培できる(3)

2005年08月28日 | マツタケの生理生態

全国的なアカマツの枯損
アカマツ林も放置されていて、アカマツは林の構成樹種との競争に喘いでいる.それに追い討ちを掛けるように、マツの材センチュウ病によるアカマツの枯損が特に西日本に目立つ.

太平洋側では岩手県南部まで、日本海側では青森県南部までその害は及んでいる.現在の国産のマツタケ主産地は、中国地域であるが、近い将来、東北地域にその主産地が移る可能性が大であろう.

しかし、九州北部や中国地域にも、アカマツ林の復活が見られるので、今後のアカマツ林の手入れが望まれるところである.中国地域や京都府郡部もアカマツの枯損が激しかった地域だが、アカマツ林に手を入れることによって枯損をまぬかれた林がある(2).これは大きな教訓である.

人がマツタケの発生を減らしている
マツタケ生産量激減の原因は、高度経済成長による私達の生活や農業や林業の大きな変化=近代化にある.

昔、人は、材木や炭の材を得るために、また、毎日の煮焚き物用の薪や柴をあるいは緑肥を採取するために、森や林を活用したのである.これによって山を、健全に維持し続け、常に生長する林としてきたといえる(里山林(2)).

言い換えれば、以前は山菜やきのこが生える山に山を育てておいて(栽培)、それらを取りに出かけたのである.ヒトは,山菜やキノコを山に繁殖させることが山づくりに繋がることを理解していたのではないだろうか.

その里山は宅地やゴルフ場に転用され、また,アカマツはパルプ材になった.アカマツ林面積が減少したこともマツタケ発生量の減少の原因のひとつである.今は、山菜やきのこを採るためにだけ人は山に入る.

森林を放置しておよそ45年になるが、最近、樹木の生長を助ける様々なキノコの発生量が減っている.山を活用しなくなったために,菌根性のキノコが生育できない土壌条件になっているのである.

最近の森林は疲弊し、公益的森林機能も不充分で多様な生物の生活を許さない場となっている.アカマツ林に続いて、ナラ林が、日本海沿岸で異常に枯れ始めた.このナラ枯れ病は沿岸を西下し、今は太平洋沿岸を東上し、紀伊半島に達している.まず、キノコの生えない森林となり、やがて樹木が枯死する.キクイムシの運ぶカビ病が原因である.これは、自然の警鐘と受けとめるべきだろう.

この警鐘を軽視したりおろそかにすると、人類は自然から手痛い反撃を食らうことになりはせぬか.人は、森林をキノコが生えない森林にしておき、「キノコが生えない」と嘆いている.滑稽な話ではある.
生き物にとって、山に緑があれば良いと言うものではない、質の良い緑が必要なのである.(続く)

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マツタケは栽培できる(2)

2005年08月26日 | マツタケの生理生態

写真は、マツノザイセンチュウ病で枯死したアカマツ林

マツタケとホストとの共生関係
 マツタケはカビの仲間で、カビは、その生活様式などから腐生性や菌根性や病原性のものに分けることができる.マツタケは腐生性のカビから進化したと考えられ、生物遺体を分解する能力を遺伝的に欠いた菌根菌の仲間である.

菌根菌は生きた植物(宿主あるいは寄主)の1mm未満の細根に感染し、光合成産物である糖類を宿主から摂取する.逆に宿主は菌根を介して土壌中の水やミネラル類を受け取る.

 マツタケは菌根になると、抗生物質を分泌し土壌微生物の攻撃から自らや根を守る.アカマツの細根を菌糸マットで覆い根の乾燥を防いでいる.

 マツタケにとってはアカマツのようなホストが、アカマツにとってはマツタケのような菌根菌が、それぞれの生物が生き残るために獲得した戦略的パートナーなのである.

 菌根菌は,同種あるいは異種植物同士の物質の移動の仲立ちもする.アカマツ林を構成する樹種間に菌根菌の菌糸マットが仲立ちしたネットワークが林内に形成され「情報の伝達」があることが最近わかってきた.

 マツタケの宿主は日本においては、アカマツ、クロマツ、ハイマツ、エゾマツ、ツガ,コメツガなどであるが、台湾ではタイワンアカマツやタイワンツガ、朝鮮半島ではアカマツやチョウセンゴヨウ、アメリカではダグラスファーやツガの仲間、コントルタマツ、地中海沿岸ではレバノンスギである.そのほか、広葉樹をホストにするマツタケが日本にもある.

 日本で、マツタケの生産量の多い宿主はアカマツであり、日本のマツタケはアカマツの存在抜きには考えにくい.

アカマツ林の現況
全国のアカマツ林も、昭和30年代までは元気だった
岩手県岩泉町のアカマツ林の例
東北地域にアカマツ林が広がるのは、江戸時代後半から明治に入ってからだそうである(5).大正初めの盛岡の絵地図を見ると、山の上はアカマツで、麓はスギのようである.

 岩泉町は昔、たたら式製鉄(鉄1tをつくるために、木炭14t=薪50tが必要(1))、炭焼きあるいは牧畜が盛んだった.炭を焼くために莫大な樹木を切ったであろうし、牧草のための火入れで草地が増え、その後、草地がアカマツ林に遷移したと思われる.少なくとも昭和30年代初めの頃まで、岩泉町のアカマツ林面積は今よりも大きく、生長量も森林機能もより大でがあったと想像される.

 現在、岩泉町の面積は、約1000km2で、その93%を森林が占める.アカマツ林は、天然アカマツ林(5,000ha)と人工アカマツ林(13,000ha)で構成され、岩泉町の森林の19%(除く国有林:5000ha)にあたる.

 多くのアカマツ林は適当な手入れがなされてないため、アカマツ林として維持されにくい環境にある.このままでは、ここでも、アカマツは無くなることを意味する.

 林内の立木密度が徐々に増え、林内は薄暗く、湿潤になり過ぎ、腐植層の堆積も多い.これでは、クライマックス林も低生長になることを忘れてはいけない(山に緑があればよいと言うものではない).

森林と微生物は密接な関係
アカマツ林は遷移林(2次林)であり、人の手が入らず放置されると、その土地のクライマックス林にとって代わられる運命にある.西日本では照葉樹林に、東北地域ではブナ林やミズナラ林に必ず遷移して行くことを意味する.

放置されたアカマツ林内は、広葉樹の立木密度が増加してうす暗く、地表に落葉や腐植が堆積し、アカマツ林土壌は富栄養になる.ミミズが見られることもある.このようなアカマツ林土壌には、乾燥土壌とは異なる微生物が多くなり、微生物との競争に弱いマツタケは生活しなくなる.

 もちろん、他の菌根性のキノコの発生も少なくなるし、発生する種が交代することも考えられる.また、腐植層が堆積し過ぎると、アカマツの細根が腐植層に伸長し、褐色森林土壌中に細根が少なくなる.こうなると、夏期の乾燥時に、腐植層は極端に乾燥するので、アカマツは水分ストレスに耐え切れず枯死することがある.

マツタケは褐色森林土壌内部(深さ30cmくらいまで)に生活するキノコであり、腐植層のなかでは生活できない.菌根性のキノコは樹木の生長に大きな役割を持っているがそれを期待できなくなる.菌根性のキノコを感染させないと,樹木の苗の生長が明確に悪くなる.

 放置林ではいわゆる森林機能も落ち、病気にも弱くなってくる.健全なアカマツ林構成樹種の葉面には、二酸化炭素よりも地球温暖化に影響の大きい一酸化炭素やメタンを資化=吸収する細菌Methylobacterium が大量に生活している(3).

 富栄養化したアカマツ林土壌には、糸状菌、細菌、放線菌やそれらをエサとするセンチュウなどの微生物数がマツタケの発生するアカマツ林土壌のそれと比べると非常に多くなっている(6).このことは微生物との競争に弱いマツタケにとって致命的なことである.当然のことながら、そんな林には、マツタケの発生は見られないし、発生林にあっても生産量が減少する.(続く)

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マツタケは栽培できる(1)

2005年08月22日 | マツタケの生理生態

 「マツタケは栽培できる」(8回シリーズ)と題して、もちろん里山林の保全をも提唱する「まつたけ十字軍運動」だから、当然、「まつたけは、林地栽培が出来る」ことを意味する.

 この上に立って、専業のまつたけ栽培林家を育成する方法を労働力や資金面からも真剣に考えていきたい.このことが進めば、里山林の保全問題は、所謂、民活方式で飛躍的に前進することと思われる.

 皆さんのあらゆる支援をお願いしたい.

                        まつたけ十字軍運動 代表
                            吉村 文彦


マツタケは栽培できる(1)

マツタケとホストとの共生関係
マツタケはカビの仲間で、カビは、その生活様式などから腐生性や菌根性や病原性のものに分けることができる.マツタケは腐生性のカビから進化したと考えられ、生物遺体を分解する能力を遺伝的に欠いた菌根菌の仲間である.

菌根菌は生きた植物(宿主あるいは寄主)の1mm未満の細根に感染し、光合成産物である糖類を宿主から摂取する.逆に宿主は菌根を介して土壌中の水やミネラル類を受け取る.

マツタケは菌根になると、抗生能のある物質を分泌し土壌微生物の攻撃から自らや根を守る.アカマツの細根を菌糸マットで覆い根の乾燥を防いでいる.

マツタケにとってはアカマツのようなホストが、アカマツにとってはマツタケのような菌根菌が、それぞれの生物が生き残るために獲得した戦略的パートナーなのである.

アカマツ林を構成する樹種間に菌根菌の菌糸マットが仲立ちしたネットワークが林内に形成され「情報の伝達」があることが最近わかってきた.菌根菌は,同種あるいは異種植物同士の物質の移動の仲立ちもする.

マツタケの宿主は日本においては、アカマツ、クロマツ、ハイマツ、エゾマツ、ツガ,コメツガなどであるが、台湾ではタイワンアカマツやタイワンツガ、朝鮮半島ではアカマツやチョウセンゴヨウ、アメリカではダグラスファーやツガの仲間、コントルタマツ、地中海沿岸ではレバノンスギである.そのほか、広葉樹をホストにするマツタケが日本にもある.

日本で、マツタケの生産量の多い宿主はアカマツであり、日本のマツタケはアカマツの存在抜きには考えにくい.

人の生活がアカマツ林を育てマツタケを発生させた
マツタケがいつから日本に発生していたのかはっきりしないが、キノコについては、日本書紀(720年成立)に茸(タケ、クサビラ)のことが記されている.これがマツタケかヒラタケか知るよしがないといえる.

花粉分析によると、日本にマツ属の花粉が急増した時期は、500年頃と考えられている(長野県野尻湖、大阪府羽曳野市(1)).奈良時代になると、照葉樹林での人間の活動が激しく、アカマツ林が増え始めたようである.

マツタケは内陸の山の尾根筋に侵入してきたアカマツ林に登場し、珍重されている様子が万葉集にうかがえる(高松のこの峰もせに笠立ててみち盛りたる秋の香のよさ.万葉集2233 巻第十秋 雑歌).

平安時代になると、飛躍的に人口が増加し、住居や道具のための材(5)や毎日の燃料や肥料などの需要も飛躍的に多くなった.そのために、平安京周辺の原生林が破壊されアカマツが都周辺にも登場し、マツタケも増えてきた(都まつたけ).

当時の平安京周辺の山には、ほとんど木がなく、公家達も入浴がこの上ない贅沢であった.平安~室町時代になると、天皇や公家がマツタケ狩りを楽しみ、盛んに贈答しあっている(三条実房 愚昧記; 藤原定家 明月記; 近衛政家 後法興院日記).

徒然草(吉田兼好、14世紀の初め)に、「きじ、松茸などは御湯殿の上にかかりたるもくるしからず、その外は心うきことなり」とあって、マツタケが高級食材であることがうかがえる.

秀吉も相当マツタケ狩りが好きだったようである(翁草).江戸時代にも、“下郎の口にはかなわない”しろものであったが、京都の錦小路にマツタケの市がたち、町衆が買っていたようである(本朝文鑑、支考編).与謝蕪村に言わせると “松茸や食ふにもおしい遣るもおし”いものであったようだ.

時代が下って、昭和10-20年代は、マツタケが「蹴飛ばすほど生えた」とか言われたが、昭和16年(1941)の12,222tの生産量を最高に、昭和35年(1960)頃からその生産量が減少し、最近はその250分の1に激減している.
(続く)

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アカマツ林とマツタケ-4-

2005年07月23日 | マツタケの生理生態

アカマツ林の保全にはマツタケ増産が似合う
 絶滅の恐れのある生物が、深山幽谷の森に多いわけでなく、利用されなくなり変貌の激しい里山に多いことは先述した.多様な生物の生活する地球が望ましいとするなら、里山という生態系はきわめて重要といえるだろう.生物の多様性の価値を否定する人はいないが、「アカマツ林が極相林に変わってもいいじゃないか!」とか「樹を伐らなければ緑が豊かになるのだから!」と考える人が多い.「森林の放置による破壊が進行し、里山林の植物が絶え、そのために植物を訪れる昆虫が絶え、それを餌とする鳥類に影響が及び、鳥類を餌とする動物がダメージを受け・・・・・やがて、生物の量的アンバランスを生み出し、生態系の破壊に繋がる.」と考える人は少ない.これでは、「原生林の人為的な撹乱で登場した、しかも長期に渡って維持され続けた里山林、だからこそ、この生態系にさまざまな生物が適応し生活していた.これらの生物達を、当時の人はたった45年間で葬り去ったのだ.」と、後世において批判されることになるだろう.
森林保護や環境保全が声高に叫ばれているが、20世紀型の経済効率第一で解決しようとすると、それらは取り残されるように思えてならない.また、自然保護運動にも色々あって、森林の健全な生長に障害となる運動もある.森林の持続的利用とか生物の多様性の保全などの言葉が多用されるが、具体性に欠ける嫌いがある.どうしたら里山林を持続的に利用していけるのか、森林は誰が守るのか、その資金はどうするのか未だに国民的合意はない.里山林を保全するためには、その資源を活用する以外に方法はない.マツタケを増産してみてはどうだろうか!
現在のマツタケ主産地は、西日本にあるが,マツノザイセンチュウによるアカマツの枯損は想像以上に激しく、人はアカマツ林再生の意欲を失っている.また、中京圏では、伊勢湾台風による大規模なアカマツ枯損も重なってその面積が激減したが、林の再生意欲は同様に乏しい.そうなれば、近い将来,長野県や岩手県などにその主産地が移ることになるだろう.しかし,九州北部や中国・近畿・中京圏にもアカマツ林の復活が見られ、また、アカマツ林そのものを再生しようという運動も起こっている.今後のアカマツ林の手入れが望まれるところである.
全国のマツタケ産地を見る機会があるが、マツノザイセンチュウの被害激甚地であっても、これは大きな教訓にすべきと思うが、マツタケを採るために、昭和30年代のアカマツ林のように手を入れて、枯損をまぬがれた林が少なからずある.この事実は、あまり、生かされてないように思える.
マツタケが1本でも出ているアカマツ林では、昭和30年代のアカマツ林のように手入れをするのである.高等植物の密度調整と森林土壌に深く堆積した腐植層を取り除くことである.アカマツ林土壌の微生物には,マツタケの生活に有利なグループと有害なグループと無関係なグループとがある.アカマツ林に手を入れると、それらの関係がうまくコントロールされ,マツタケがアカマツ林(天然あるいは人工林)で栽培できるのである.その効果は100%である.
「昔は、マツタケの産地だったけどなー、今は松がない.」こんな話もよく耳にする.
アカマツ林の再生にチャレンジしてみよう!少しでもアカマツがあれば樹勢のよいものを残し、他を皆伐あるいは択伐し,地掻きして天然下種更新でアカマツ林を再生する.この場合,マツタケの菌根を保有していたアカマツがあると、若齢アカマツ林でマツタケの発生が始まることがある.群馬県太田市の金山御用林もこのようにして400年の間、まつたけを持続的に発生させていた.マツタケの発生が近辺にない地域では、マツタケシートなど培養菌糸の接種法も考えることが出来るようになってきた.
里山林保全と持続的森林経営のモデルケースとして、まつたけ栽培専業林家をもっと育てていく必要がある.
写真は、岩手県岩泉町のまつたけ研究所の試験林である.教科書どおりに手入れが出来ている.
終わり

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