信州自由人

のぐケーンのぶろぐ

八日堂大縁日

2012年01月08日 | 風物詩
年賀状に寄せて、東西の旧知の友人知人から、
震災・原発事故、また台風災害の復興に懸命に勤めている様子が届きました。
今、自分が進もうと練っている方向を考え直させるような今年の正月でした。


1月7日、8日は、近くの八日堂信濃国分寺の大縁日です。
まずは、国分寺建立の趣旨、「国泰らかに人楽しみ、災を除き福至」を祈り、
2日続けて詣でてきました。






早めに出かけたのですが、露天の並ぶ山道は人でいっぱいです。
にぎわっていると、うきうきと興奮し、楽しくなります。




信濃国分寺の鐘楼は1801年上棟で、梵鐘は昭和27年に再鋳されたものだそうです。
鐘楼の急な階段を上ると、時計があります。
そして、30秒以上開けて優しくつくように書いてありました。
寺周辺の方々への気配りでしょうか。
東北各地、栄村、奈良県野迫川村などの一日も早い復興を祈り、心を込めてついてきました。





これは「蘇民将来符」(そみんしょうらいふ)です。
蘇民将来符とは八日堂縁日の8日に家族の幸せを願って分けられる護符です。

昨年始めて縁日でこの護符を授かり、家に帰ってからゆっくり見てみました。
六角錐形の符には、「蘇民将来子孫人也」と「大福長者」が1角に2文字ずつ入っていました。
しばらくして気づいたのです。
「蘇民」の「蘇」「蘓」になっているのです。
とっさに、誤字の護符を授かってしまった、換えもらわなければ、とあせりました。
玄関を出ようとして、まてよ、一瞬冷静になり調べてみました。
すると、「信濃国分寺では護符の「蘇」の字は、昔から「蘓」の文字が使われており、
意味は同じとされています。」とありました。

今年はそれを確かめるために符所に訪れると、すべてが「蘓民」でした。

なお、蘇民将来符はドロヤナギを材料にした手彫りで、形状と図柄は民芸的に格調が高く、
昭和43年4月に上田市の民俗文化財に指定されているのだそうです。




信濃国分寺史跡公園・資料館へ行くと江戸時代からの蘇民将来符が展示してあります。
その中には、「蘇民」「蘓民」がありました。





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