そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない






コメント ( 0 ) | Trackback ( )




もう18年も前。
1989年のジャパンカップ。
21歳だった僕はこのレースを東京競馬場のスタンドで観ていた。

この一週間前。
阪神競馬場でG1マイルチャンピオンシップに出場し鼻差で辛くも優勝。
異例のG1連闘、しかも阪神→東京を長距離移動させられて2週連続出場させられたオグリキャップ。
さすがに疲れているだろう、世界の名馬相手には勝てないだろう、と、オグリの下馬評は低かった。
何しろそこには2400メートル2分22秒8の世界記録を持っていたアメリカの超快速馬ホークスターを始め(しかもこの記録は当時の日本記録より実に2秒も早かった)、世界の強豪馬、それこそすごい顔ぶれが揃っていたからだ。




イギリス馬イブンベイと世界記録保持馬ホークスターが引っ張ったこのレース。
途中の1800メートル通過タイムが当時の1800メートルのレースの日本最高記録よりも早いタイムだったことはあとで分かるのだが、競馬場で実際に観ていても、見るからに常軌を逸したハイペースで前半から馬群が飛ばしていたため、スタンドの客からは「早すぎる、早すぎる!」という悲鳴が飛んでいた。
そして最後の直線。
ほとんどの馬がスタミナ切れで失速。
しかし、唯一オグリキャップは外から差してきた。
2400メートルで2分22秒2という世界記録が出たこのレースで、前の週に大阪で走ったばかりのオグリキャップは、それでも2着に突っ込んだ。
僕は馬券を取ったし、オグリのけなげさと凄さに、スタンドで泣いた。

ちなみに。
このとき一緒に競馬場に行った後輩Yは、今、テレビ東京の社員でディレクターだ。

このジャパンカップでオグリは燃え尽きたのだ。
その年の有馬記念では、初めて5着に沈んだオグリ。
その翌年はもうボロボロ。
11着みたいな二ケタ着順まで経験し、年末の有馬記念で引退することになった。
正直、もう人気はなく、誰も勝てないと思っていた。
だが、そこで、武豊を背に、引退の花道を飾った奇跡は今も語りぐさだ。
僕はこのレースをテレビでは観られなかった。
この有馬記念が行われた日曜日は正月の特番の仕事をしていたのだ。
そして、その仕事の合間、ビルの非常階段に抜けだし、ラジオでこのレースの中継を聴いた。




このときは号泣したなぁ。
ラジオで号泣した。
22歳で号泣。
そのとき作っていた番組は確かマリリン・モンローの人生を紹介するような番組だったと記憶している。

我が青春の馬。
オグリキャップ。
懐かしい。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )




マイケル・ジャクソン。
伝説のスーパーボウル1993年のライブ。
登場の格好良さはおバカ級。

その1




その2




コメント ( 0 ) | Trackback ( )