元気のよい男の子たちが通り過ぎました。何やら楽しげに話をしていました。竹馬の友というのはこういうのをいうのでしょうか。この子たちにとって日常的な当たり前の景色である玉川上水が、いつまでもそうであってほしいと思います。私の中で、大自然の保護というものと、都市のささやかな自然を維持することを比較する気持ちが育っています。自分がしてきた生態学をそのことに活かすためには、何をし、どういう論理を組み立てるかを考え始めたということです。
元気のよい男の子たちが通り過ぎました。何やら楽しげに話をしていました。竹馬の友というのはこういうのをいうのでしょうか。この子たちにとって日常的な当たり前の景色である玉川上水が、いつまでもそうであってほしいと思います。私の中で、大自然の保護というものと、都市のささやかな自然を維持することを比較する気持ちが育っています。自分がしてきた生態学をそのことに活かすためには、何をし、どういう論理を組み立てるかを考え始めたということです。