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重要書類は疎開から焼却へ

2012-09-09 00:09:09 | Weblog
重要書類」はいったん「疎開」し、
それから「焼却」された。

敗戦前に「重要書類」を疎開せよ。
敗戦が色濃くなったときの命令である。

本城国民学校の職員会の議事録、
昭和20年度 職員会誌」に載っていた。

本城小学校で、2012年8月。

「昭和20年度 職員会誌」には、
16回の職員会の議事録が収められていた。
5月29日、6月6日、7月6日、7月18日、8月8日、8月24日、
9月13日、9月18日、10月9日、11月13日、11月27日、
12月11日、12月18日、12月28日、2月19日、3月8日。
校長が校長会に出席し、その内容を学校にもどって、
職員会で伝達している。

昭和20年8月15日に終戦になるが、
敗戦が色濃くなった昭和20年7月18日の職員会の記録では(2ページ)、
「重要書類」を「疎開」させることが伝達されている。


七.一八
一、松根隊慰問につき
  20日午後5時より約1時間の予定にて、
  南裁縫室にてなす
二、藤井君壮行会
三、高学年の作業につき
  19日-20日 5、6年 薪だし
  21日-22日 勤労奉仕 (高2男 調査)
  23日    麦脱穀
  24日-25日 家庭作業日
  26日-27日 水田除草 勤労奉仕
四、学校備品疎開につき
  19日 午後各学校において準備
  20日 高学年を利用した疎開
     大沢分教場 図書および重要機具
     伊切分教場 重要書類

五、馬の飼育管理につき

昭和20年7月18日の職員会の議事録(2/2)。


学校備品は、
19日に、各学校で、「疎開」させる「重要書類」を選別し、
20日に、高学年を使って、分教場に、
「図書」および「重要機具類」
「重要書類」を「疎開」させることを指示している。
昭和20年7月18日の職員会の議事録である。

疎開」とは、一時的な避難である。
「重要書類」を、敵の空襲や本土上陸から護るために、
空襲の対象とならない分教場に一時的に避難させた。

ところが、一か月後の昭和20年8月24日の職員会の議事録では、
「重要書類」を「焼却」することを伝達している。


八.二四
一、知事の訓令および大臣訓令につき、校長朗読
二、知事の告諭朗読
三、校長会の報告
 1、軍人援護および治安維持に就いて
 2、政府の経過発表は近い中にあるという
 3、戦後社会の輿論の取締を厳重にする由
  ○大御心を奉体し国体護持をすること、
   全国民は親和、臥薪嘗胆の志で処すること、
  ○敗戦の責任国民全体にて負うこと、
  ○上体1人に対し奉りては律統の精神をもって
   壱忠の誠をいたすること、(このように読めたが?)
  ○難局打開を子々孫々に到るまで克復し、
   中途にて斃(たお)れるがごとき事なきこと、
  ○直接行動を戒めること、
  ○共産主義革命的言論を取締ること、
  ○痛憤悲哀の心は認めるし、批判も認める、
   然し、廟議決定に反する戦争継続論または、
   国民の結束を乱すがごとき言論は取締る、
  ○軍か政府に対する戦争責任追求の論議は取締る、
  ○直接行動をそそのかすごとき言論、
   自暴自棄に導くがごとき言論は取締る、
 4、書類焼却をなすこと
  ○戦力増強のために参加した事の分かるようなもの、
   学徒動員、校舎転用、翼賛会、青年団等の関係書類、 
   その他、義勇隊、学徒隊等の書類、
  ○国力判定に資する統計類および資料
  ○青年学校教練科の年度表
 5、学徒指導に関し
  ○学校工場は至急取り去ること、
  ○中等学校は指示あるまで教科書を停止のこと、
   男子学徒は集団的に増産に、
   女子学徒は家庭に入ること、
  ○国民学校授業休止は7月30日付通牒によること、
  ○高等科、工場出勤学徒は指示あるまで授業を停止すること、
  ○応召軍人教員は順次帰還するにより補充せぬこと
 6、応召者の隊者、現役者、休職者の報告をすること
   形式
   応召月日 資格 財産 俸給 氏名 勤務地(内地、外地) 応召現役の別
  ○青年学校、国民学校は別紙によること
   教学課長宛に提出のこと
 7、学級増加は認める 70人以上
 8、加配米は8月15日以降認めず
 9、増産協力賞誉金 180円配当する
   19年度9月以降至籍せよ(このように読めたが?)
   高等科児童へ等分し貯金すること
 10、焼却書類
   青少年団綴
   通牒中のものを取り去る
   武道用具銃器類は一括して始末する
   統計年鑑


「重要書類」は、
昭和20年7月18日に、いったん分教場に「疎開」した。
いったん疎開した「重要書類」だったが、
敵の手に渡らないように、
「焼却」に切り替えた。

みなさんの「重要書類」も、ちゃんとしまってあるでしょう。
アルバム、卒業証書や通知表、貯金通帳や印鑑、お宝・・・。
焼けないところ、濡れないところ、盗まれないところへ。
だれも、「重要書類」を「焼却」はしない。そして、
地震や津波、火事など、イザというときは、持ち出す。

東日本大震災、原発災害のボランティに行ったが、
「思い出がなくなったのが悲しい」
と言って、ドロの中から見つかった写真の中から、
家族の写真がないか? 記念写真が残っていないか? と探していた。

一度は分教場に「疎開」した「重要書類」だが、
昭和20年8月24日には、「焼却」されることになった。

「重要書類」の「焼却」は、戦争の「証拠隠滅」である。
一度は「疎開」した「重要書類」だが、「焼却」した。

「重要書類」を「疎開」して保存するつもりだった。
「疎開」で、「重要書類」の機密を保とうとした。

ところが、「敗戦」は甘いものではない。
戦争犯罪が裁かれ、犯罪者は極刑になる。
国がなくなる。大日本帝国が崩壊する。崩壊した。

戦争の証拠隠滅をした。
GHQの調査が入るまえに。

みなさんは、「アルバム」を焼却するでしょうか?
考えられない。
「アルバム」を焼くとは、よほどのことだ。
思い出をなくしたいとき? 証拠を隠滅したいとき?

軍・政府は「戦争アルバム」と言う「重要書類」を、
いったんは「疎開」した。そして、
敵の目に触れないように保存をした。
しかし、「敗戦」は甘いものではない。

昭和20年7月18日の職員会の議事録を見ると、
つぎのことが書いてある。
慰問隊、壮行会、勤労奉仕、重要書類の疎開、馬の管理。
これらは、学校にとっても、学生にとっても、
地域社会にとっても、重要なことであった。

慰問隊には、メンバー、予定、内容を示す日誌があっただろう?
壮行会には、人物の略歴、式次第、出席者の記録があっただろう?
勤労奉仕には、予定表、割り当て、日誌があっただろう?
重要書類の疎開には、重要書類のリスト、疎開先があっただろう?
馬の管理には、馬のリスト、管理日誌、軍馬訓練があっただろう?
しかし、なんにも残っていない、なんにも。
ただ、「昭和20年度 職員会誌」が残っているだけである。奇跡的に。

「重要書類」の「疎開」から「焼却」へとは、
みなさんが大切にしていた「アルバム」を、
痛まないように、一時避難で蔵に入れて、
大事に保管していたが、取り出して、
焼却したようなものだ。
よっぽどのことだ!
狂気のような行動だ!

GHQの調査が入るまえに、戦争の証拠隠滅をした。
「重要書類」は「疎開」し、それから「焼却」された。
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