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クンデピークからヒマラヤを眺める

2016-05-29 00:01:06 | Weblog
クンデピークに登る。標高は4,200メートル。

クンデピークから、ヒマラヤを眺める。

マウンテントラベルの企画、
「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」
には、オプショナルツアーとして、クンデピークの登山、
約6時間が組み込まれていた。

クンデピークの4,200メートルは、
これまでの富士山の3,776メートルを超えて、
標高のレコードになるから、ぜひ登りたい。それに、
昼間のヒマラヤを、高いところから、眺めることができる。

これまで、エベレスト街道を、ルクラ、2,840メートルから
ホテル・エベレスト・ビューの3,880メートルまで、
2泊3日のトレッキングで上がってきた。が、
幸い、疲れも、高山病もない。それに、
晴れている。2016年4月20日。

ホテル・エベレスト・ビューまでは、参加者全員がたどり着いた。
疲れのでている人もいるが、クンデピークには、
登れるところまで行こうと、5人、全員が参加した。
途中のシェルパ族のクムジュン村や、クンデ村を見るだけでもいい…1人、
クンデピークの手前の展望台でも、4,000メートルある…1人。
そして、クンデピークには、3人が登ることができた。

クンデピークとは、どんな山か?

シャンボチェのビューポイントから。

後方は、左から、剣のようなコンデ・リ主峰6,730メートル、
パナヨ・テッパPanyo Tippa、6,696メートル、
パルチャモParchamo、6,187メートル、
テンギラギタウTengiragitau、6,943メートル。
あとで、クンデピークから、テンギラギタウの右奥の山を見ることになる。

クンデピークは前山の稜線で、左から、
△展望台Hillary Memorial View Poit、4,000メートル、
(△の上の位置で示す)
→ヒラリーの碑、
▽クンデピーク4,200メートル。
右端の→は、その先にあるピーク。行ってみると、
テンギラギタウとボーテ・コシ(川)が、より見える。
ここが、クンデピークでもいいと思うが、
ちょうど区切りの、4,200メートルにしたのだろうか?
左下は、シャンボチェ空港。

クンデピークは、雪山の孤高ではない、里山のピークのイメージ。
クンデ村のピークだから、クンデピーク。
だが、なめてはいけない。
4,000メートル近くから、酸素が薄く、息がきれる。
歩みを止めては、登る…これを繰り返す。
ネパール人のガイドは、
日本人を見ながら、極めてゆっくりと上がる。
幸い、ガイドのあとを、ついていくことができた。

上から眺めた、ヒラリーの碑展望台Hillary Memorial View Poit。

手前がヒラリーの碑。奥が展望台Hillary Memorial View Poit、4,000メートル。
尾根を登ってくるが、標高4,000メートル近くからは、息がきれる。
右にエベレスト方面、左にコンデ・リ方面を見ながら登る。

ヒラリーの碑

風が強い。タルチョーが舞い上がる。
左からヒラリーEdumond Hillaryの碑、
「クーンブ地方のシェルパ族の友人であり、啓示者に、永遠を」
飛行機事故で亡くしたヒラリーの最愛の妻ルイーズLouise、そして、
妻ルイーズと一緒に、飛行機事故で亡くした娘ベリンダBelindaの碑。.

クンデピークの4,200メートルは、
ホテル・エベレスト・ビューの3,880メートルよりも、
320メートル高いことになる。この差は、
今まで見えていた高い山では、下の方が見えてくる。
位置が変わるから、見えなかった山や川が、現れてくる。
ホテル・エベレスト・ビューから360度の眺望は、朝だったから、
クンデピークから、昼間のヒマラヤを眺めることになり、期待はふくらむ。

クンデピークへのルートは、
ホテル・エベレスト・ビューを出発して、
クーンビラのふもとにあるクムジュン村に下りる。
ヒラリー・スクールを見てから、となりのクンデ村に行き、
クンデピークに登り始める。
展望台Hillary Memorial View Poit、4,000メートルで一休みして、
ヒラリーの碑を通って、クンデピーク、4,200メートルに到達する。
弁当のおにぎり、鶏のから揚げ、ゆで卵、オレンジを食べる。
往復6時間、実際にはユックリ目で、7時間かかった。

それでは、順を追っていく。
ホテル・エベレスト・ビューから、クムジュン村に下りる。
クムジュン村

添乗員が撮影してくれた。
奥はクーンビラKhumbila、5,761メートル。
クーンビラは、シェルパ族の聖なる山で、登山禁止。
クムジュン村の上に、左右に延びる道は、水道工事という。

クムジュン村のヒラリー・スクール

校門には、KHUMJUNG HIGH SCHOOLとある。

小、中、高がある、人気は高い、成績もいい、
と、ネパール人のガイドは言う。
私立ではなく、公立。

どうして、クムジュン村に、ヒラリー・スクールがあるのだろうか?
ガイドに聞いてみた。
「ヒラリーが、エベレストの初登頂に成功したとき、
ここ出身のシェルパの献身的なヘルプがあった。
ヒラリーの感謝の気持ちの表れである」

校内には、ヒラリー卿の銅像がある。

ヒラリー卿は鼻まで、カタ(絹布)で覆われていた。これは、
シェルパ族が、ヒラリー卿に寄せる敬愛の深さをみる。
今日は、学校は休みで、学童がいなかった。

「日本政府と松本ヒマラヤ友好協会が合同で寄贈した寄宿舎が、
ヒラリー卿の銅像の右手前にある、それと、
向かいに、校舎がある」
と、添乗員が説明してくれた。
私が松本から来たことを知ってのことで、
この説明には、うれしくなるじゃないか。
ヒマラヤの学童の援助に、松本が貢献している。
寄宿舎と校舎の入り口にある、銘板をじっくり見た。

ヒラリー・スクールのとなりにあるチョルテン(仏塔)。

ひび割れているのは、2015年4月25日のネパール地震の影響。
震央の震度は8だった、とガイドは言う。修理をしていた。

クムジュン村手前と、クンデ村奥。

クンデピークは、左奥の→の先になる。
クンデ村の⇒僧院の左を上がる。お寺の屋根は赤。

クムジュン村とクンデ村は、ロッジで、住居を兼ねた家がならぶ。
屋根は緑、壁は石と、色調が統一されていた。
村には、電柱が1本もない。
電線が空を占拠することもない。
地中に埋めてあった。日本でも見習いたい。
門の内側の照明。

地中から⇒ケーブルが立ち上がっている。
景観保護の街づくりは、イギリスの影響、とガイドは言う。

クムジュン村には、イエティ(雪男)の頭皮がある、
というが、「本物か?」、ガイドに聞いてみた。
「イエティには、会ったことがないから、本物か、どうか、わからない」
大笑い、名回答でした。

クンデ村には、クンデ病院がある。
ヒラリー卿の創設した基金で建てられた病院。
設備が整っていて、地域住民に医療サービスを安く提供している。

クンデピークの登りはじめは、ややきつい。

しかし、土地の女性は、我々を追い越して、すいすい登る。
この先に、家はない。
「カゴは空だが、なにしに山に登るの?」
ガイドに聞いてみた。
「松の落ち葉を拾いに行く」と言う。
トイレに敷いて、糞と混ぜて肥料にする。

そういわれて、クンデ村の家を見ると、

トイレは家の外にある。
石積みの上にあって、下の口から肥料を取り出して、
手前の畑にまく。まもなく、ジャガイモを作るという。

松葉を運ぶ女性を、クンデ村で見かけた。

なにを運んでいるのか? と思ったが、松葉だったのか。
すれ違ったときに、匂いはないが…湿り気から、肥料かな?

クンデピークに登っていくと、シャクナゲのトンネル。

高度が高いから、これから咲く。5月になれば、見事だろうな。
シャクナゲの公園が、シャンボチェとクンデ村の間にもある。

つぼみだが、シャクナゲとタムセルクを撮った。

左はカンテガKantega、6,779メートルで、下が現れてきた。

クンデピークに登るにつれ、周囲の山が見えてくる。
360度、見回してみる。
エベレストEverest、8,848メートル。

強風で、雪煙がなびいている。
手前に、ヌプツェNuptse、7,861メートルが横たわる。

エベレストの右のローツェLhotse、8,516メートルは、
雲がかかることが多かった。翌日の2016年4月21日、朝7時、
ホテル・エベレスト・ビューから撮ったローツェがある。


アマ・ダブラムAma Dablam、6,812メートル。

手前はクムジュン村、3,780メートル。
アマ・ダブラムは6,812メートルだから、
標高差が3,000メートル以上ある。
日本でいえば、富士山、3,776メートルから、
さらに、3,000メートルの上空を眺めたことになる。
このスケールの大きさが、ヒマラヤらしい。

アマ・ダブラムの右に、アマラプ・ツァミンブラ

アマラプ・ツァAmalap Tha、6,571メートルと、
槍先のようなミンブラ、6,467メートル。
ミンブラは、前山のくぼみから突き出るように見えてきた。

前日に、ホテル・エベレスト・ビューの近くから撮った、
アマ・ダブラムがある。2016年4月19日。

⇒アマラプ・ツァと、→ミンブラが小さく見える。
アマ・ダブラムには、雪渓が見える。
世界で最も美しい山の一つという。
アマ・ダブラムは、「母の首飾り」の意味。

タムセルクThamserku、6,623メートル。

タルチョーが、強風で舞い上がる。
左の氷のスフィンクスは、カンテガKantega、6,779メートル。
カンテガは、下が見えてきて、タムセルクとは、別の山になった。

前日に、ホテル・エベレスト・ビューから撮った、
タムセルクがある。2016年4月19日、午前10時18分。

カンテガは、氷の頂部だけが見える。
ガラスの城というタムセルクは、上からヒマラヤひだ、
V字形の雪渓、その下の大きな雪渓を見ることができる。
V字形の雪渓は、ネックレースのようだ。

前日の午後に、ホテル・エベレスト・ビューから撮った、
タムセルクがある。2016年4月19日、午後1時10分。

午後になって、雲が湧いてきた。
タムセルクのピークが3つに割れて、はっきりしてきた。
このダイナミックさが、ヒマラヤらしい。
絶壁のヒマラヤひだも、よく見える。

クスム・カングル

クスム・カングルKusum Kanguru、6,367メートル、
中央峰、5,805メートル、
ゴンラGonglha、5,813メートル、
ナウレクNaulek、6,363メートル、
南峰、6,257メートル。
左端は、6,356メートルとしか、わからない。
右の2つ、ゴンラと、ナウレクは、大きく現れてきた。
タルチョーは、下からの強風で、舞い上がる。

前日に、ホテル・エベレスト・ビューから撮った、
クスム・カングルがある。2016年4月19日。

垂直にそそり立つ絶壁、ヒマラヤひだが印象的。
こんな絶壁を、登る人がいるのかな?

ナムチェ

右奥は、ドゥード・コシ(川)。
エベレスト街道は、このドゥード・コシ沿いにある。
そして、高い吊り橋を渡って、ドゥード・コシとは、
おさらばして、ナムチェまで上がってきた。
標高差600メートルを上がってきたんだ。

2日前に、高い吊り橋から眺めた2つの川がある。2016年4月18日。

吊り橋を渡り終わったところから。ここから、ナムチェに上がって行く。

エベレストからのDドゥード・コシDudh Kosiと、
チベットからのBボーテ・コシBhote Kosが合流する。
このあと、Dドゥード・コシは、下流のルクラへと流れていく。
あとで、Bボーテ・コシの上流を、クンデピークから見ることになる。

なお、Dドゥード・コシの上流は、
エベレストからのイムジャ・コーラImja Kholaと、
ゴーキョからのドゥード・コシとが合流して、名前はドゥード・コシが残る。

コンデ・リKongde Ri。

コンデ・リは曇っていたから、この全体の写真は、
朝に、ホテル・エベレスト・ビューから撮ったもの。

5はコンデ・リ5峰、6,187メートル、
4はコンデ・リ4峰、6,093メートル、
3はコンデ・リ3峰、6,187メートル、
2はコンデ・リ2峰、6,500メートル、
1はコンデ・リ主峰、6,730メートル。

コンデ・リ5峰。クンデピークから。

上方に氷が横たわり、下に氷河が流れる。
氷原や氷河が、ヒマラヤらしい。

左端の槍ヶ岳は、雲に浮かんでいるようだ。
左の雲の中のピークはヌプラ? ルクラから見えた。

ルクラ空港。2016年4月17日、朝7時。
左カリョルンKaryolung、6,511メートル、
右ヌプラNupla、5,885メートル。

テンギラギタウTengiragitau、6,943メートルと、
ボーテ・コシ

クンデピークに上がると、
Bボーテ・コシBhote Kosの上流と集落を見ることできる。
谷の両側の集落は、上の→ターメ、下の⇒ターム。
チベット国境に通じるターメと、タームは、
交易のキャラバンが行き交う。そして、
ナムチェにバザールが開かれる。

Bボーテ・コシは、チベット国境から流れてくる。
谷を削って流れ、コンデ・リの前(北東)を流れて、
高い吊り橋の下で、ドゥード・コシに合流する。

前日に、シャンボチェの手前から撮った、
ナムチェコンデ・リがある。2016年4月19日。

ナムチェは、エベレスト街道で最大の街、
エベレスト登山隊が最後に装備を準備するところ。
⇒はナムチェ・バザールが開催される広場。

ボーテ・コシは、見えないが、
コンデ・リと、ナムチェの間の谷を流れる。
ナムチェから、チベットへ通じる道が、右上に延びている。
ターメ、その先のゴーキョへの一つのルートとして、トレッキングにも使う。

テンギラギタウと氷河

テンギラギタウの右下には、氷河がある。
その氷河の奥と、右に現れた山。

左の山は、鳥が翼を広げて、空に舞い上がるようだ。
右の山は、テンギラギタウに続いている。
氷河を見るのは、うれしくなる!
ヒマラヤには、当たり前のようにある。

タウツェTawetse、6,501メートル。

タウツェの右は、氷の平原だろうか?
これで、360度、見回したことになる。

クンデピークは、急坂でもないのに、
酸素が薄いから、息がきれる。
しかし、苦労して登ったかいがある。
ヒラリーの碑がエベレストを仰いでいる、
見えていなかった雪渓や奥深い山が現れる、
ボーテ・コシの上流が現れて、集落が見えてくる、
チベットとの交易で、ナムチェにバザールが開かれる、
高さと、奥行きの、ヒマラヤの壮大なスケールを味わう。
それに、道中では、ヒラリーに敬愛を寄せるシェルパ族の、
クムジュン村、クンデ村や、その生活に触れることができる。
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