季節の変化

活動の状況

幸せと戦争の閲覧状況

2012-09-16 00:09:16 | Weblog
幸せと戦争」について、15回掲載してきた。
どのタイトルに関心を持たれたのだろうか?
「幸せと戦争」の「閲覧状況」をみる。

「幸せと戦争」のブログ、15回はつぎである。
1)「幸せを感じるときは?」、2012年6月3日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2439400dce70acf2abc74aa6d9901b62
2)「満州からの引揚者の幸せは?」、2012年6月10日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/55ac2f7f0cdcd9b131f591a2c1ed0f5b
3)「満蒙開拓団は阿智村に注目」、2012年6月17日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/02ca44747cd22e2cabad80c3b680f36d
4)「満蒙開拓団の幸せは?」、2012年6月24日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/55ed27b7ccf1471fd8369ec4d9791bdf
5)「満蒙開拓団の女性に幸せはない」、2012年7月1日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5c3b03d1d6f6c716aa85b760a87f2755
6)「世界で一番悲惨な言葉」、2012年7月8日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/fcf4277fc8980498f33ba971795098a6
7)「中国残留者2世の幸せは?」、2012年7月15日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e54c3361cac3f9c32dcfb5871a3b83c5
8)「満蒙開拓団の痕跡」、2012年7月22日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7c1d82aa8387ba6c103cb98adbe46918
9)「大日向村は満蒙開拓団のモデルケース」、2012年7月29日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/06fc71750703afcedf419e93fd12aaa7
10)「開拓を知るなら北海道大学の第2農場」、2012年8月5日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2322e0c4a6941da782c9f295a5aebddc
11)「日本のランドマークは原爆ドームと原発の廃炉」、2012年8月12日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/b46dc71e9cf6be905384b7379af39ee5
12)「戦争ポスターは焼却せよ」、2012年8月19日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/178c5a26cf3aa96d7fbdb5eb57653617
13)「戦争ポスターの謎とき」、2012年8月26日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/242a971ae119e2e0c77d5c9188b354b6
14)「戦争の証拠隠滅」、2012年9月2日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6373e9fcdda2502639dac8eb230adcad
15)「重要書類は疎開から焼却へ」、2012年9月9日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/aa6a80156230a114c0eca482d765fd07

検索エンジン、Google、Yahoo! Japan、bingで、
「幸せと戦争」の閲覧の順位を調べる。

Yahoo! Japanには、
Googleの検索エンジンが、
供給されていると思うから、
順位は、Googleと似ている。

幸せと戦争のブログの閲覧状況」 (1/3)。


焼却から免れて、阿智村で見つかった「戦争ポスター」。

「満蒙開拓青少年義勇軍」の募集。

実際の「満蒙開拓青少年義勇隊」。

「シベリア俘虜記」。穂苅甲子男 著、光人NF文庫から。

長野県から各市町村長に宛てた通達、
大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」では、
「戦争ポスター」の「焼却」を命じている。昭和20年8月21日。

今井村役場(現在の松本市今井)の、
昭和20年 庶務関係書類綴」から。

満州に渡った「満蒙開拓団の渡満者比率」、市町村別。

「大日向村」では人口2,133人のうち、「分村移民」で、
664人が満州に渡った。渡満者比率は31.1%である。

満蒙開拓団の帰国者比率」、市町村別。

「大日向村」は、満州に渡った664人のうち、
帰国できた人は327人で、帰国者比率は49.2%である。
死亡者332人、残留者3人、不明者2人で、
337人が帰国することができなかった。

生死をさまようという、「極限状態」にあった人に、
「『幸せ』を感じるときは、どんなときですか?」
と、聞いてみた。

極限状態を体験した人が、
感じる「幸せ」は、本物だろう。
自分の「幸せ」の参考にしたかった。

召集で満州へ行き、捕虜になって、シベリアへ抑留され、
飢えと極寒、重労働、栄養失調、発疹チフスの死者がでる、
極限状態を乗り越えて、帰国できた人の「幸せ」は、
「生きていることに、感謝している」。

シベリア俘虜記」。

穂苅甲子男さんの著書、光人社NF文庫。

「仕事関係」で満州に渡り、
命からがら引き揚げた人の「幸せ」は、
「家族がそろって生活できることが『幸せ』」。

「満蒙開拓団」で満州に渡り、
家族を失っただろう男性の「幸せ」は、
「『幸せ』とは、日常の生活が、当たり前にできること」。

「満蒙開拓団」で満州に渡り、
「生き地獄」を見た女性の「幸せ」は、
「『幸せ』だ、と感じたことは、一度もない」。

「満蒙開拓団」で満州に渡り、
「残留孤児」となった3歳の男の子は、
中国人の家に育てられた。
成人して中国人女性と結婚する。
そして、日本人の父と中国人の母に生まれた、
「中国残留者2世」の女性の幸せは、
「日本と中国で活躍できることです」。


幸せと戦争のブログの閲覧状況」 (2/3)。


満蒙開拓団」の出発風景。大日向村で。

日の丸、鼓笛隊が先導し、移民団、見送る村人が続く。
長野県立歴史館の企画展、
「長野県の満洲移民」-三つの大日向をたどる-
のリーフレットから。

「満蒙開拓団」を送り出した大日向村の現在。

長野県南佐久郡佐久穂町大日向本郷。

北海道大学の第2農場」。

クラーク博士の構想による酪農家のモデル農場がある。

北海道の開拓は、
これまでの人力作業の日本農業から、
畜力・機械化した畑作、酪農へと進んでいった。
麦の収穫は、これまでの手で刈り取る鎌(かま)から、
リーパー」という刈り取り機が導入された。

「リーパー」は穀類収穫機の元祖となって、
今日のコンバインにまで発展する。
第2農場には、「リーパー」、「プラウ」ほか、
畜力・機械化の「農機具」が展示されている。
北海道大学によって改良、開発された「プラウ」は、
「満蒙開拓」には不可欠の技術とされて、満州に移植された。


幸せと戦争のブログの閲覧状況」 (3/3)。


月桂冠」のポスター。多田 北烏(ただ ほくう)作。1933年。

「大正レトロ・昭和モダン 広告ポスターの世界」、
姫路市立美術館・印刷博物館編、国書刊行会から。

1935年の「月桂冠」、松田富喬作では、
うしろに銃を持つ兵士の像を置いた。

「明治 大正 昭和 日本のポスター」、三好 一著、京都書院から。

酒は月の女神と飲むのがうまいに決まっている。
兵士が銃を持って後ろで構えていたら、うまくなくなる。
ポスターの許可を得るために、銃を持った兵士像を加えた。

1940年に「贅沢品禁止令」がでて、
1942年の標語は、「欲しがりません、勝つまでは」だった。
しかし、この窮乏生活のときでも、
酒のポスターはカラフルで金がかかっていた。
窮乏した世の中でも、ビールや酒を飲める人は?
陸軍(星)、海軍(錨)、ヤミ屋、有力者(顔)だろう。

「世の中は、星に錨(イカリ)にヤミに顔。馬鹿者のみが行列に立つ」
これは、陸軍(星)、海軍(錨)、ヤミ屋、有力者(顔)には、
潤沢に米が回り、正直者の庶民は配給米の列に並んで、
米を手に入れる世の中であることを指す戯(ざ)れ歌。

「物が足りないのはガマンできるが、
不平等はガマンができない」
と、いきどおっている。

「戦争ポスター」はどこが作ったか?
会社でいえば、宣伝部とか広報部になるのだろうか?

長野県立歴史館の企画展、
「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」のリーフレットを見ると、
戦争宣伝のために設置した「情報局」であることがわかった。

法政大学大原社会問題研究所HPより転載。

「情報局」が戦争賛歌、挙国一致、思想の取締り、
ポスターや重要文書の管理まで取り仕切ってきた。

本城国民学校の職員会の議事録、
昭和20年度 職員会誌」がある。
昭和20年7月18日の職員会では、
重要書類」の「疎開」を命じている。


いったんは「疎開」した「重要書類」だが、
1か月後の昭和20年8月24日の職員会では、
焼却」を命じている。

本城国民学校の職員会の議事録、
「昭和20年度 職員会誌」から。

昭和20年8月24日の職員会では、
「重要書類」を「焼却」することのほかに、
敗戦の責任国民全体にて負うこと、
軍か政府に対する戦争責任追求の論議は取締る、
ことを示達している。

昭和20年8月24日の職員会の全文を掲載する。
八.二四
一、知事の訓令および大臣訓令につき、校長朗読
二、知事の告諭朗読
三、校長会の報告
 1、軍人援護および治安維持に就いて
 2、政府の経過発表は近い中にあるという
 3、戦後社会の輿論の取締を厳重にする由
  ○大御心を奉体し国体護持をすること、
   全国民は親和、臥薪嘗胆の志で処すること、
  ○敗戦の責任国民全体にて負うこと、
  ○上体1人に対し奉りては律統の精神をもって
   壱忠の誠をいたすること、(このように読めたが?)
  ○難局打開を子々孫々に到るまで克復し、
   中途にて斃(たお)れるがごとき事なきこと、
  ○直接行動を戒めること、
  ○共産主義革命的言論を取締ること、
  ○痛憤悲哀の心は認めるし、批判も認める、
   然し、廟議決定に反する戦争継続論または、
   国民の結束を乱すがごとき言論は取締る、
  ○軍か政府に対する戦争責任追求の論議は取締る、
  ○直接行動をそそのかすごとき言論、
   自暴自棄に導くがごとき言論は取締る、
 4、書類焼却をなすこと
  ○戦力増強のために参加した事の分かるようなもの、
   学徒動員、校舎転用、翼賛会、青年団等の関係書類、 
   その他、義勇隊、学徒隊等の書類、
  ○国力判定に資する統計類および資料
  ○青年学校教練科の年度表
 5、学徒指導に関し
  ○学校工場は至急取り去ること、
  ○中等学校は指示あるまで教科書を停止のこと、
   男子学徒は集団的に増産に、
   女子学徒は家庭に入ること、
  ○国民学校授業休止は7月30日付通牒によること、
  ○高等科、工場出勤学徒は指示あるまで授業を停止すること、
  ○応召軍人教員は順次帰還するにより補充せぬこと
 6、応召者の隊者、現役者、休職者の報告をすること
   形式
   応召月日 資格 財産 俸給 氏名 勤務地(内地、外地) 応召現役の別
  ○青年学校、国民学校は別紙によること
   教学課長宛に提出のこと
 7、学級増加は認める 70人以上
 8、加配米は8月15日以降認めず
 9、増産協力賞誉金 180円配当する
   19年度9月以降至籍せよ(このように読めたが?)
   高等科児童へ等分し貯金すること
 10、焼却書類
   青少年団綴
   通牒中のものを取り去る
   武道用具銃器類は一括して始末する
   統計年鑑


長野県から各市町村長に宛てた通達、
機密重要書類焼却の件」では、
「機密重要書類」の「焼却」を命じている。昭和20年8月18日。

今井村役場(現在の松本市今井)の、
昭和20年 庶務関係書類綴」から。

ここで、「重要書類」の「焼却」のいきさつを整理すると、
「職員会誌」では、「疎開」が昭和20年(1945年)7月18日、
「焼却」が昭和20年(1945年)8月24日である。

長野県から各市町村長に宛てた通達では、
「機密重要書類」の「焼却」は、昭和20年8月18日であり、
「戦争ポスター」の「焼却」は、昭和20年8月21日である。

終戦」が昭和20年(1945年)8月15日で、
無条件降伏」が昭和20年9月2日だから、
「重要書類」の「焼却」は、
「終戦」のすぐ後、「無条件降伏」の前に行われた。
軍・政府による「戦争の証拠隠滅」は、迅速だった。

犯罪者は「証拠隠滅」をする。
戦争犯罪が裁かれるが、
犯罪者は極刑を避けたかった、
量刑をできるだけ軽くしたかった。


「幸せと戦争」の閲覧の順位は、
おかげさまで、高いものでした。
例えば、「戦争の証拠隠滅」の検索結果は、
Googleでは、約562,000 件のうち1位、
bingでは、約2,510,000件のうち1位、
Yahoo! Japanでは、検索件数の表示はないが、1位。

幸せを感じるときは?」の検索結果は、
Googleでは、約1,470,000件のうち4位、
bingでは、約39,900,000件のうち5位、
Yahoo! Japanでは、2位。

現場へ行って、見聞きし、資料を探しながら書いてきた。
そして、多くの閲覧をいただきました。
やりがいがあったというものです。
ありがとうございます。

みなさんの参考、さらなる調査などに、
生かしてもらえたらと思います。


このブログ「季節の変化」では、
「幸せと戦争」シリーズのほかに、
つぎがよく読まれています。
「シルクロード」シリーズ、
「世界の通知表」シリーズ、
「世界のタクシー」シリーズ、
「街のランドマーク」シリーズ、
「街の景観」シリーズ、
「縄文王国諏訪」シリーズ、
「食事・ワイン」シリーズ、
「安曇野と松本」シリーズ、
「放射線量の測定」シリーズ、
「東山魁夷」シリーズ、その他。

世界から日本をみて、
日本を勇気づけるブログにしてきました。
繰り返し読まれている人気のタイトルもあります。
おかげで60万の閲覧がありました。
ありがとうございます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 重要書類は疎開から焼却へ | トップ | 駒ヶ岳の白いコマクサ »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事