サッカーの第20回ワールド・カップ、
ブラジル大会が佳境である。早起きして観ている。
ブラジルでの開催は、1950年の第4回以来64年ぶり、2度目である。
サッカーの第1回ワールド・カップは、
ウルグアイで開催された。
そして、ウルグアイが優勝した。
サッカーはもともとヨーロッパのもの、
イングランドが発祥の地である。
それが、第1回がなぜウルグアイで開催されたのだろうか?
イングランドではなくて。
南アメリカで開催するとしても、
ブラジルやアルゼンチンがある。
それが、どうしてウルグアイなのか?
サッカーに興味が薄い人でも抱く疑問だ。
「いいものを見せてあげよう!」
ウルグアイ人は、首都モンテビデオにある、
「百周年スタジアム」に車で連れていってくれた。
第1回のワールド・カップが開催された、
「百周年スタジアム」の「見学チケット」である。No132。
“ESTADIO CENTENARIO”「百周年スタジアム」
“MONUMENTO AL FUTBOL MUNDIAL”
「世界のフットボールの記念碑」
とある。2003年7月。
宝物になる!
なぜ、第1回のワールド・カップが、
ウルグアイで開催されたのだろうか?
この疑問に答えることが、私の本、
「世界がみる日本の魅力と通知表」
に、書いてあるので参照する。
ウルグアイという国の事情はつぎである。
国土面積は日本の半分。
人口は3百40万人、東京都の4分の1。
ブラジルの人口が1億8千万人、
アルゼンチンの人口が3千8百万人だから、
両大国と比べたら、国土は小さくて、人口は少ない。
東京都民の4分の1の人口で、両大国に立ち向かうようなもの。
サッカーに有利な条件はないと思うが。強いのだろうか?
ウルグアイは、スペインからの移民が50パーセント、
イタリア移民が30パーセントである。
ウルグアイの北はブラジル、
南はラ・プラタ河を挟んでアルゼンチン。
隣り合うブラジル、アルゼンチンとは、歴史的因縁があった。
ウルグアイは母国スペイン、ブラジル、アルゼンチンと独立戦争をした。
最初にスペインとポルトガルによる、ウルグアイの植民地争いが起こり、
これがスペイン系のアルゼンチンとポルトガル系のブラジルによる、
ウルグアイの争奪戦へと発展した。
アルゼンチンに後押しされたウルグアイは、
ブラジルと独立戦争を起こし、1830年に、ブラジルに勝利する。
そして、ブラジルだけではなく、アルゼンチンからも独立を認められた。
1830年7月18日に共和国憲法を制定する。
そして今、3国はお互いがサッカーで国の威信をかけて闘っている。
スポーツに名を借りた、独立戦争の再現であるかのように。
この1830年の独立から百周年経って、
建設されたサッカー・スタジアムが、
「百周年スタジアム」である。
「百周年スタジアム」
「世界のフットボールの記念碑」
と壁にある。
金属製の高いフェンスで囲われ、扉が閉まっている。
もう、これ以上、近づけない。
しかし、現物を見るだけでも感激した。
「これが、百周年スタジアムか!」
「外観を見ることができただけでも、ありがたい」
案内してくれたウルグアイ人は、車を下りてフェンスに近づき、
中に見えたスタッフに声をかけた。フェンス越しに話をしている。
そして、笑みを浮かべながら車にもどってきた。
「日本から、はるばる百周年スタジアムを視察に来たお客さんだ、と伝えた」
「きょうはクローズだが、入場料を払えば、見せてもらえることになった」
「スタッフがスタジアムを特別に案内してくれるそうだ」
ウルグアイ人の機転によって、入場できることになったのだ。幸運にも。
広い駐車場に、たった1台だけ駐車して、スタジアムに向かった。
フェンスの扉の錠が外されて、招き入れられるように扉が開けられた。
スタッフの若い女性の後について階段を上がると、
正面にピッチが開けた!
ウキウキする! ここで、第1回ワールド・カップが行われたのか!
芝生の緑が青い空に映えている。
芝生もスタンドも準備を整えて、
戦う選手と熱狂する観客を待っている。
「1930年は、ウルグアイがスペインとブラジルから独立して、
百周年にあたる年です。このスタジアムは、
その年に建てられたもので、独立百周年を記念して、
百周年スタジアム“Estadio Centenario”と名づけられました」
それから、ウルグアイでワールド・カップ第1回大会が
開催された核心を聞くことになる。
「ウルグアイはオリンピックのサッカーで、
1924年と1928年に連続優勝しました。
ヨーロッパの強豪を破り、アルゼンチンも降(くだ)して、
世界にウルグアイの実力を見せつけたのです」
「1924年パリ大会でウルグアイは、
アメリカ、開催国であるフランス、オランダを、
つぎつぎと破って、決勝戦はスイスに勝ちました」
「1928年アムステルダム大会では、
開催国オランダ、ドイツ、イタリアに勝ち、
決勝戦の相手はアルゼンチンで、1対1で引き分けたが、
3日後の再試合で、2対1で勝ちました」
「国際フットボール連盟FIFAのジュール・リメ会長は、
プロが参加できる国際試合を開催したいと企画して、
サッカーのワールド・カップの開催が実現することになりました」
「1930年の第1回大会は、
オリンピックで連続優勝した、
ウルグアイで開催されましたが、
これにはウルグアイの実力のほかに、
ウルグアイの独立百周年を祝福する意味もあったのです」
そうだったのか!
これで、第1回のワールド・カップが、
ウルグアイで開催されたわけがわかった。
ありがとうございます。
国際フットボール連盟FIFAと悶着があったイングランドは、
ワールド・カップに、当初は参加しなかった。
FIFAとの悶着が解決して、第4回ブラジル大会から参加した。
が、世界の実力は予想以上に上がっていて、予選リーグで敗退した。
以後、連続してワールド・カップに参加している。
「この百周年スタジアムは、今でも使用されていて、
7万3千人を収容できます」
「1950年建設の、ブラジルのマラカナンは、
20万人収容の世界最大のスタジアムでしたが、
立ち席だったために、きわめて危険でした」
独立戦争の敵国だったブラジルには、
ことのほかライバル意識が強いようだ。
「百周年スタジアムはいす席で、
世界で一番安全なスタジアムです。
何かあっても観客はたった15分で、
スタジアム周囲の広場に避難できます」
と、百周年スタジアムが安全に配慮された設計であることを強調した。
「ピッチに最も近いところに並ぶ、コンクリート製のいすは、
オープン当時のものです」
「そのうしろのスタンドは、長いすから、
プラスチックのシートに換えられています」
「そのまた後ろにあるガラスで囲われたロイヤル・ボックスは、
さらに後で追加されたものです」
コンクリート製のいすに座ってみた。
ゆったりしている。それにひじ掛けがあって、
独立したいすが並んでいるようだ。
前の席とは半分ずれているから、
頭が邪魔することなく観やすくなっていた。
「スタンドのブロック分けは、東西南北ではなくて、
フランス、オランダ、スペイン、アメリカ・ブロックになっています。
これは、ウルグアイがオリンピックのサッカーで優勝したときの、
開催国などを記念してつけたものです」
「中央のタワーは、優勝したウルグアイが船で帰国して、
タラップにならんだ選手が声援に応える様子をシンボル化したものです」
「第1回ワールド・カップは、
1930年にウルグアイで開催されて、ウルグアイが優勝しました。
ウルグアイ人ならば、だれもが知っています」
と、百周年スタジアムの女性スタッフは誇らしげに話す。
「開催国のウルグアイは勝ち進み、
決勝戦の相手はアルゼンチンでした。
2年前の1928年のオリンピック、アムステルダム大会の、
決勝戦の再現になりました」
「オリンピックでは、ウルグアイは引き分け、
再試合でアルゼンチンに勝っています」
「アルゼンチンは、オリンピックの雪辱に燃えていました。
激しい決勝戦になり、前半アルゼンチンが2対1でリードしていましたが、
ウルグアイは後半に3点を入れて、4対2で逆転勝ちしました」
「審判の判定をめぐって紛糾し、その後アルゼンチンは国交を断絶しました」
「ウルグアイから始まったワールド・カップは、
いまや世界最大のスポーツの祭典に発展しています」
ウルグアイは、サッカーの歴史に輝かしい実績を残している。
それに、百周年スタジアムという、サッカーの記念碑を遺している。
1930年の第1回ウルグアイ大会から、
84年後の2014年の第20回ブラジル大会では、
日本が負けてから、ウルグアイを応援していた。
コスタリカには負けたが、イングランドと
イタリアを破って、決勝トーナメントに進出した。
イタリア選手にかみつくなよ! ルイス・スアレス。
決勝トーナメントは、コロンビアに敗れてベスト16だった。
ブラジル大会が佳境である。早起きして観ている。
ブラジルでの開催は、1950年の第4回以来64年ぶり、2度目である。
サッカーの第1回ワールド・カップは、
ウルグアイで開催された。
そして、ウルグアイが優勝した。
サッカーはもともとヨーロッパのもの、
イングランドが発祥の地である。
それが、第1回がなぜウルグアイで開催されたのだろうか?
イングランドではなくて。
南アメリカで開催するとしても、
ブラジルやアルゼンチンがある。
それが、どうしてウルグアイなのか?
サッカーに興味が薄い人でも抱く疑問だ。
「いいものを見せてあげよう!」
ウルグアイ人は、首都モンテビデオにある、
「百周年スタジアム」に車で連れていってくれた。
第1回のワールド・カップが開催された、
「百周年スタジアム」の「見学チケット」である。No132。
“ESTADIO CENTENARIO”「百周年スタジアム」
“MONUMENTO AL FUTBOL MUNDIAL”
「世界のフットボールの記念碑」
とある。2003年7月。
宝物になる!
なぜ、第1回のワールド・カップが、
ウルグアイで開催されたのだろうか?
この疑問に答えることが、私の本、
「世界がみる日本の魅力と通知表」
に、書いてあるので参照する。
ウルグアイという国の事情はつぎである。
国土面積は日本の半分。
人口は3百40万人、東京都の4分の1。
ブラジルの人口が1億8千万人、
アルゼンチンの人口が3千8百万人だから、
両大国と比べたら、国土は小さくて、人口は少ない。
東京都民の4分の1の人口で、両大国に立ち向かうようなもの。
サッカーに有利な条件はないと思うが。強いのだろうか?
ウルグアイは、スペインからの移民が50パーセント、
イタリア移民が30パーセントである。
ウルグアイの北はブラジル、
南はラ・プラタ河を挟んでアルゼンチン。
隣り合うブラジル、アルゼンチンとは、歴史的因縁があった。
ウルグアイは母国スペイン、ブラジル、アルゼンチンと独立戦争をした。
最初にスペインとポルトガルによる、ウルグアイの植民地争いが起こり、
これがスペイン系のアルゼンチンとポルトガル系のブラジルによる、
ウルグアイの争奪戦へと発展した。
アルゼンチンに後押しされたウルグアイは、
ブラジルと独立戦争を起こし、1830年に、ブラジルに勝利する。
そして、ブラジルだけではなく、アルゼンチンからも独立を認められた。
1830年7月18日に共和国憲法を制定する。
そして今、3国はお互いがサッカーで国の威信をかけて闘っている。
スポーツに名を借りた、独立戦争の再現であるかのように。
この1830年の独立から百周年経って、
建設されたサッカー・スタジアムが、
「百周年スタジアム」である。
「百周年スタジアム」
「世界のフットボールの記念碑」
と壁にある。
金属製の高いフェンスで囲われ、扉が閉まっている。
もう、これ以上、近づけない。
しかし、現物を見るだけでも感激した。
「これが、百周年スタジアムか!」
「外観を見ることができただけでも、ありがたい」
案内してくれたウルグアイ人は、車を下りてフェンスに近づき、
中に見えたスタッフに声をかけた。フェンス越しに話をしている。
そして、笑みを浮かべながら車にもどってきた。
「日本から、はるばる百周年スタジアムを視察に来たお客さんだ、と伝えた」
「きょうはクローズだが、入場料を払えば、見せてもらえることになった」
「スタッフがスタジアムを特別に案内してくれるそうだ」
ウルグアイ人の機転によって、入場できることになったのだ。幸運にも。
広い駐車場に、たった1台だけ駐車して、スタジアムに向かった。
フェンスの扉の錠が外されて、招き入れられるように扉が開けられた。
スタッフの若い女性の後について階段を上がると、
正面にピッチが開けた!
ウキウキする! ここで、第1回ワールド・カップが行われたのか!
芝生の緑が青い空に映えている。
芝生もスタンドも準備を整えて、
戦う選手と熱狂する観客を待っている。
「1930年は、ウルグアイがスペインとブラジルから独立して、
百周年にあたる年です。このスタジアムは、
その年に建てられたもので、独立百周年を記念して、
百周年スタジアム“Estadio Centenario”と名づけられました」
それから、ウルグアイでワールド・カップ第1回大会が
開催された核心を聞くことになる。
「ウルグアイはオリンピックのサッカーで、
1924年と1928年に連続優勝しました。
ヨーロッパの強豪を破り、アルゼンチンも降(くだ)して、
世界にウルグアイの実力を見せつけたのです」
「1924年パリ大会でウルグアイは、
アメリカ、開催国であるフランス、オランダを、
つぎつぎと破って、決勝戦はスイスに勝ちました」
「1928年アムステルダム大会では、
開催国オランダ、ドイツ、イタリアに勝ち、
決勝戦の相手はアルゼンチンで、1対1で引き分けたが、
3日後の再試合で、2対1で勝ちました」
「国際フットボール連盟FIFAのジュール・リメ会長は、
プロが参加できる国際試合を開催したいと企画して、
サッカーのワールド・カップの開催が実現することになりました」
「1930年の第1回大会は、
オリンピックで連続優勝した、
ウルグアイで開催されましたが、
これにはウルグアイの実力のほかに、
ウルグアイの独立百周年を祝福する意味もあったのです」
そうだったのか!
これで、第1回のワールド・カップが、
ウルグアイで開催されたわけがわかった。
ありがとうございます。
国際フットボール連盟FIFAと悶着があったイングランドは、
ワールド・カップに、当初は参加しなかった。
FIFAとの悶着が解決して、第4回ブラジル大会から参加した。
が、世界の実力は予想以上に上がっていて、予選リーグで敗退した。
以後、連続してワールド・カップに参加している。
「この百周年スタジアムは、今でも使用されていて、
7万3千人を収容できます」
「1950年建設の、ブラジルのマラカナンは、
20万人収容の世界最大のスタジアムでしたが、
立ち席だったために、きわめて危険でした」
独立戦争の敵国だったブラジルには、
ことのほかライバル意識が強いようだ。
「百周年スタジアムはいす席で、
世界で一番安全なスタジアムです。
何かあっても観客はたった15分で、
スタジアム周囲の広場に避難できます」
と、百周年スタジアムが安全に配慮された設計であることを強調した。
「ピッチに最も近いところに並ぶ、コンクリート製のいすは、
オープン当時のものです」
「そのうしろのスタンドは、長いすから、
プラスチックのシートに換えられています」
「そのまた後ろにあるガラスで囲われたロイヤル・ボックスは、
さらに後で追加されたものです」
コンクリート製のいすに座ってみた。
ゆったりしている。それにひじ掛けがあって、
独立したいすが並んでいるようだ。
前の席とは半分ずれているから、
頭が邪魔することなく観やすくなっていた。
「スタンドのブロック分けは、東西南北ではなくて、
フランス、オランダ、スペイン、アメリカ・ブロックになっています。
これは、ウルグアイがオリンピックのサッカーで優勝したときの、
開催国などを記念してつけたものです」
「中央のタワーは、優勝したウルグアイが船で帰国して、
タラップにならんだ選手が声援に応える様子をシンボル化したものです」
「第1回ワールド・カップは、
1930年にウルグアイで開催されて、ウルグアイが優勝しました。
ウルグアイ人ならば、だれもが知っています」
と、百周年スタジアムの女性スタッフは誇らしげに話す。
「開催国のウルグアイは勝ち進み、
決勝戦の相手はアルゼンチンでした。
2年前の1928年のオリンピック、アムステルダム大会の、
決勝戦の再現になりました」
「オリンピックでは、ウルグアイは引き分け、
再試合でアルゼンチンに勝っています」
「アルゼンチンは、オリンピックの雪辱に燃えていました。
激しい決勝戦になり、前半アルゼンチンが2対1でリードしていましたが、
ウルグアイは後半に3点を入れて、4対2で逆転勝ちしました」
「審判の判定をめぐって紛糾し、その後アルゼンチンは国交を断絶しました」
「ウルグアイから始まったワールド・カップは、
いまや世界最大のスポーツの祭典に発展しています」
ウルグアイは、サッカーの歴史に輝かしい実績を残している。
それに、百周年スタジアムという、サッカーの記念碑を遺している。
1930年の第1回ウルグアイ大会から、
84年後の2014年の第20回ブラジル大会では、
日本が負けてから、ウルグアイを応援していた。
コスタリカには負けたが、イングランドと
イタリアを破って、決勝トーナメントに進出した。
イタリア選手にかみつくなよ! ルイス・スアレス。
決勝トーナメントは、コロンビアに敗れてベスト16だった。