福島市の放射線量2015年。
2011年の東京電力の福島第一原発のメルトダウン以前には、
福島市へは、行ったことがなかった。それが、毎年のように行って、
放射線量を測るようになったのには、きっかけがあった。
2011年6月に南相馬市へ、ボランティア活動へ行ったときである。
常磐線は不通だったから、南から南相馬市へは行くことができない。
東北新幹線で仙台まで北上して、北から南相馬市へ行ったが、
東北新幹線の中で、郡山から福島にかけて、放射線量が高かった。
なんかの間違いだろうと思った。東北新幹線は日本の大動脈である。
多くのお客さんが毎日乗っている東北新幹線が汚染されているとは、
思えなかった。それで、東北新幹線の沿線の駅を測ることになった。
つぎに、南相馬市からの帰りに、福島市に泊まった。
南相馬市からバスを乗り継いで福島駅に来た。
福島駅の東にあるホテルへ向かう途中、
ポケットの放射線量計が、ピッピッ鳴った。
毎時の被ばく量が、0.50マイクロ・シーベルト毎時[µSv/h]を超えて、
「この場所から、すぐに退避しろ!」
と、警告されたのである。
まさか、福島市が、汚染されているとは思わなかった。
福島第一原発から、南相馬市は近いが、福島市は、はるかに遠い。
それに、県庁所在地が汚染されているとは、思わなかった。
上表の「福島市の放射線量 2011年~2015年」で、測定した経過がわかる。
最初の2011年6月30日は、福島駅からホテルへ行くときである。
ポケットの放射線量計が、ピッピッ鳴って、その場を測った。
つぎの2011年9月6日からは、測定する範囲を、福島市の中心街に拡げた。
繁華街を歩いて、ピッピッ鳴るところで、放射線量を測った。
2012年1月14日、⑥紅葉山公園では、最高の放射線量、
23.6マイクロ・シーベルト毎時[µSv/h]を記録した。
南相馬市よりも、はるかに高かった。
福島市の2015年1月29日は、除染作業が進んでいた。
「福島市の放射線量2015年」の表で「-」は、
除染作業中であったり、
新たに警備員が監視するようになったり、
もう低いだろう、と予測したところは測らなかった。
表には記載していない、新たな10か所の放射線量は、
「福島市の放射線量2014年」、2014年7月20日、を参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ddcfc40d161e7d10a4a85f1890767322
2015年は、除染作業が目についた。
「除染作業を行っています」。
県庁舎等除染業務委託。
「道路除染をしています」。
道路除染作業業務委託(除染)渡利1工区。
「除染作業中」。
中央6~9工区。
「道路除染作業中」。
中央6~9工区。
作業者と話ができた。
「土を入れ替えている」
「縁石は噴射して、洗浄する」
「側溝の中も洗浄する」
「歩道のポールは、雑巾で拭く」
「飯豊山まで除染する」
飯豊山(いいでさん)とは、新潟県、山形県、福島県にまたがる山ではないか。
それに、標高は2,105メートルもある。
大変な作業だが、
「除染は、いつごろまで、かかりますか?」
と聞いた。
「除染は、いつまでかかるか、わからない」
「福島市中に灰が降ったから」
「それに、担当は道路沿いだから、全体はわからない」
とのことです。
福島市の東にある「弁天山」に登った。標高は142メートル。
「弁天山公園北口」を上がる。
犬と散歩、デイト、駆け上がって鍛えている人がいる。
頂上の展望台は除染してあった。
0.168マイクロ・シーベルト毎時µSv/h]を示している。
地上50センチで測定か?
しかし、相手は山である。やり切れるものではない。
斜面や木立の中は、除染の手がつけられない。
ピッピッ鳴るところは、いたるところにある。道沿いで、
1.60マイクロ・シーベルト毎時[µSv/h]を示した。
弁天山を下りると渡利(わたり)地区になる。
除染で出た廃棄物が置かれたままであった。
緑のビニール・シートを見た時には、除染の廃棄物とは思わなかった。
家の庭先、家の横、駐車場、燐家との境、畑…にある。
危険なものを、身近に置いておくわけがない。
各家庭やアパートメントに、
放射線量の高い廃棄物があるとは思わなかったから、
通りがかりの人に聞いてみた。
「これは、なんですか?」
「除染したときに出た廃棄物です」と言う。
それで、「どうして、家に置いてあるのですか?」には、
「持っていってくれない」
せっかく除染したのに、廃棄しなければ意味がない、
と、不満であった。
除染の廃棄物を受け入れる中間貯蔵所がない。福島市で、その現実を見た。
それに、中間貯蔵所が、そのまま最終貯蔵所になる恐れがあるから、
除染の廃棄物を受け入れるところがない。
除染した廃棄物の放射線量は測らなかった。おそらく高いだろう。
道路、公園、駅、官庁、山のように、公共の場所ではなく、
個人の敷地だから。測定の許可を得ればいいだろうが。
2015年の除染の状況は、福島市民が語ってくれた。
「除染は、いつまでかかるか、わからない」
「福島市中に灰が降ったから」
そして、除染したときに出た廃棄物は、
「持っていってくれない」
福島市民から、笑顔が消えている。
弁天山から市街にもどると、西に「吾妻山」が見えた。
こんなにきれいなんだ!
福島では、下ばかり見ていた。
今度は、上を見よう! 明るいうちに。
2011年の東京電力の福島第一原発のメルトダウン以前には、
福島市へは、行ったことがなかった。それが、毎年のように行って、
放射線量を測るようになったのには、きっかけがあった。
2011年6月に南相馬市へ、ボランティア活動へ行ったときである。
常磐線は不通だったから、南から南相馬市へは行くことができない。
東北新幹線で仙台まで北上して、北から南相馬市へ行ったが、
東北新幹線の中で、郡山から福島にかけて、放射線量が高かった。
なんかの間違いだろうと思った。東北新幹線は日本の大動脈である。
多くのお客さんが毎日乗っている東北新幹線が汚染されているとは、
思えなかった。それで、東北新幹線の沿線の駅を測ることになった。
つぎに、南相馬市からの帰りに、福島市に泊まった。
南相馬市からバスを乗り継いで福島駅に来た。
福島駅の東にあるホテルへ向かう途中、
ポケットの放射線量計が、ピッピッ鳴った。
毎時の被ばく量が、0.50マイクロ・シーベルト毎時[µSv/h]を超えて、
「この場所から、すぐに退避しろ!」
と、警告されたのである。
まさか、福島市が、汚染されているとは思わなかった。
福島第一原発から、南相馬市は近いが、福島市は、はるかに遠い。
それに、県庁所在地が汚染されているとは、思わなかった。
上表の「福島市の放射線量 2011年~2015年」で、測定した経過がわかる。
最初の2011年6月30日は、福島駅からホテルへ行くときである。
ポケットの放射線量計が、ピッピッ鳴って、その場を測った。
つぎの2011年9月6日からは、測定する範囲を、福島市の中心街に拡げた。
繁華街を歩いて、ピッピッ鳴るところで、放射線量を測った。
2012年1月14日、⑥紅葉山公園では、最高の放射線量、
23.6マイクロ・シーベルト毎時[µSv/h]を記録した。
南相馬市よりも、はるかに高かった。
福島市の2015年1月29日は、除染作業が進んでいた。
「福島市の放射線量2015年」の表で「-」は、
除染作業中であったり、
新たに警備員が監視するようになったり、
もう低いだろう、と予測したところは測らなかった。
表には記載していない、新たな10か所の放射線量は、
「福島市の放射線量2014年」、2014年7月20日、を参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ddcfc40d161e7d10a4a85f1890767322
2015年は、除染作業が目についた。
「除染作業を行っています」。
県庁舎等除染業務委託。
「道路除染をしています」。
道路除染作業業務委託(除染)渡利1工区。
「除染作業中」。
中央6~9工区。
「道路除染作業中」。
中央6~9工区。
作業者と話ができた。
「土を入れ替えている」
「縁石は噴射して、洗浄する」
「側溝の中も洗浄する」
「歩道のポールは、雑巾で拭く」
「飯豊山まで除染する」
飯豊山(いいでさん)とは、新潟県、山形県、福島県にまたがる山ではないか。
それに、標高は2,105メートルもある。
大変な作業だが、
「除染は、いつごろまで、かかりますか?」
と聞いた。
「除染は、いつまでかかるか、わからない」
「福島市中に灰が降ったから」
「それに、担当は道路沿いだから、全体はわからない」
とのことです。
福島市の東にある「弁天山」に登った。標高は142メートル。
「弁天山公園北口」を上がる。
犬と散歩、デイト、駆け上がって鍛えている人がいる。
頂上の展望台は除染してあった。
0.168マイクロ・シーベルト毎時µSv/h]を示している。
地上50センチで測定か?
しかし、相手は山である。やり切れるものではない。
斜面や木立の中は、除染の手がつけられない。
ピッピッ鳴るところは、いたるところにある。道沿いで、
1.60マイクロ・シーベルト毎時[µSv/h]を示した。
弁天山を下りると渡利(わたり)地区になる。
除染で出た廃棄物が置かれたままであった。
緑のビニール・シートを見た時には、除染の廃棄物とは思わなかった。
家の庭先、家の横、駐車場、燐家との境、畑…にある。
危険なものを、身近に置いておくわけがない。
各家庭やアパートメントに、
放射線量の高い廃棄物があるとは思わなかったから、
通りがかりの人に聞いてみた。
「これは、なんですか?」
「除染したときに出た廃棄物です」と言う。
それで、「どうして、家に置いてあるのですか?」には、
「持っていってくれない」
せっかく除染したのに、廃棄しなければ意味がない、
と、不満であった。
除染の廃棄物を受け入れる中間貯蔵所がない。福島市で、その現実を見た。
それに、中間貯蔵所が、そのまま最終貯蔵所になる恐れがあるから、
除染の廃棄物を受け入れるところがない。
除染した廃棄物の放射線量は測らなかった。おそらく高いだろう。
道路、公園、駅、官庁、山のように、公共の場所ではなく、
個人の敷地だから。測定の許可を得ればいいだろうが。
2015年の除染の状況は、福島市民が語ってくれた。
「除染は、いつまでかかるか、わからない」
「福島市中に灰が降ったから」
そして、除染したときに出た廃棄物は、
「持っていってくれない」
福島市民から、笑顔が消えている。
弁天山から市街にもどると、西に「吾妻山」が見えた。
こんなにきれいなんだ!
福島では、下ばかり見ていた。
今度は、上を見よう! 明るいうちに。