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『ラ・ラ・ランド』(映画メモ)

『ラ・ラ・ランド』(2016年、デミアン・チャゼル監督)

先日、テレビをつけていたらこの映画が始まったので、そのまま観てしまった(ミュージカルは乗せられる)。

女優オーディションに落ちまくるミア(エマ・ストーン)と、ジャズピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)が出会い、ぶつかりながらも成長しあう恋愛物語。『ハーフ・ネルソン』に出ていたライアン・ゴズリングがいい味だしてた。

お互いがいたからこそ、自分の夢に向かって歩めた二人だが、そんなにうまくいかないのが人生である。

エンディングの演出は良かったが、最後のスマイルをもう少し抑えてほしかった…










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もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる
(マタイによる福音書6章14節)

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文学と競争

『オイディプス王』の作者ソポクレス(紀元前497/6頃~前406/7頃)は、古代ギリシャの三大詩人の一人。あと二人は、アイスキュロスとエウリピデス。

ソポクレスは、アテネの演劇祭・大ディオニューシア祭に30回参加し、18回優勝したという経歴の持ち主。ちなみに、アイスキュロスは優勝14回、エウリピデスは5回とのこと。

文学作品でも競争していたとは、さすがオリンピック発祥の国である。

現在も、芥川賞・直木賞などたくさんの賞があるが、正直なところ「意味があるのか?」と感じていた。しかし、ソポクレスの作品を読み、ライバルを意識しながら切磋琢磨することも、優れた文学を生み出す上で大切かもしれない、と思った。

出所:ソポクレス(河合祥一郎訳)『オイディプス王』光文社古典新訳文庫

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『オイディプス王』(読書メモ)

ソポクレス(河合祥一郎訳)『オイディプス王』光文社古典新訳文庫

エディプス・コンプレックスで有名なオイディプス王の物語。

古代ギリシャの時代、紀元前429年頃に書かれた本作の完成度は高く、胸に迫ってくるものがあった。

父親を殺し、母と交わる」という呪いの預言から逃れるために故国を出たオイディプスは、テーバイ国を救い王となる。しかし、そこに待ち受けていたのは、逃れたはずの呪いであった。

本書を読んで強く感じたのは、オイディプスに「父を殺し、母と交わる」という「意図や欲求」がなかったこと。むしろ「そうならないように」していたにもかかわらず、「そうなってしまった」というところに悲劇がある。

人間の意図や努力ではどうにもならない「運命」の恐ろしさを感じるとともに、そうした運命から逃れる手立てはなかったのだろうか、と考えてしまった。


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『酔いどれ天使』(映画メモ)

『酔いどれ天使』(1948年、黒澤明監督)

最近観た黒澤映画「姿三四郎」「素晴らしき日曜日」はイマイチだったが、この映画は良かった。

町医者の真田(志村喬)は、アル中気味ではあるが、患者思いの赤ひげ先生。ある日、抗争で傷を負ったヤクザ松永(三船敏郎)が治療にやってくると、結核にかかっていることを見抜く。しつこく治療を迫る真田に反発する松永だったが、少しずつ友情のようなものが芽生え始める。しかし、やっかいな兄貴分が出所してきたことで、事態は悪い方へと向かっていく…

この映画を観て驚いたのは、戦争直後の汚い街が舞台であるにもかかわらず、詩的な雰囲気をもっていること。三船敏郎が死の恐怖に追いかけられる場面などは、ヨーロッパの前衛映画のようだった。

なお、映画では終始、真田が松永を(愛情を込めて)怒鳴りまくっている。少し怒鳴りすぎではあるものの、「叱ってくれる人」の大切さが伝わってくる作品である。

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哀れな人を守ってくださる主は 弱り果てたわたしを救ってくださる

哀れな人を守ってくださる主は 弱り果てたわたしを救ってくださる
(詩編116章6節)


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『ナイン・ストーリーズ』(読書メモ)

J.D.サリンジャー(野崎孝訳)『ナイン・ストーリーズ』新潮文庫

先日『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/パプワース16、1924年』を読んだので、『ナイン・ストーリーズ』を読もうと思ったら、実は大学生の頃に読んでいたことが分かった(ちなみに、読んだのは1985年10月20日14:53である(僕は読んだ日時を本に書く癖がある))。

改めて読んでみたところ、最後の「テディ」が怖かった。サリンジャー最後の作品「パプワース16、1924年」にとても似ていてビックリした。

両作品とも、子供(10歳と7歳)が主人公なのだが、やたらと達観していて、輪廻の思想が思いっきり出ている。「なんだこれ?」と思う反面、とても共感できるのは不思議である。

人生の「はかなさ」と「希望」が交じり合っているという点では、日本的なのかもしれない、と思った。













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