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『アーミッシュ』(読書メモ)

堤純子『アーミッシュ』未知谷

アーミッシュ関連の本は何冊か持っているのだが、なぜか読む気がしなかった。その中で、本書をスッと読むことができたのは、自然体で書かれているためだと思う。

アーミッシュとは、18世紀に、宗教的迫害を恐れてヨーロッパからアメリカに移ってきたクリスチャンの人々である。電気や車などの文明の利器を使わず、聖書に忠実に、自給自足の生活をしている。

2006年にアーミッシュの学校で3名の生徒が殺害されるという事件が起きたとき、殺された生徒の親が「犯人とその家族を赦す」というメッセージを出したことで、全世界を驚かせたことは記憶に新しい。

本書で一番心に残ったことは、その「赦し」について。

「あるアーミッシュは「赦しは闘いの連続だ」と述べているが、アーミッシュにとっても赦しは簡単なことではなく、赦すことができたと思っても、しばらくすると再び怒りや恨みの気持ちがわき上がってくるので、また赦し直さなくてはならないというのである。この事件で重傷を負った少女の家族は「自分の心のなかにある赦しを拒む力と真剣に戦わなくてはならない」と述べているが、赦しを拒む自分と赦さなくてはならないと考える自分、つまり感情と理性との闘いなのであろう」(p.172)

アーミッシュの間で読み継がれている『殉教者の鏡』という本があるのだが、その中には次のように書かれているという。

「私たちは弱い者であるから、日々赦さなくてはならないのだ」(p.172)

生活をしていると、他者を赦せないこともある。しかし、徐々に、赦せない自分が情けなくなってくることがある。人を赦す闘いの中で、人間が磨かれていくのかもしれない。

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