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『人生論』(読書メモ)

トルストイ『人生論』角川文庫

文豪トルストイが、「人生とは何か?」を述べたのが本書。

この本は、繰り返しが多く、矛盾があったり、論理が飛躍したりして、少々読みにくいのだが、そこで提示されている問題は深い。トルストイ自身が悩みながら書いているのがわかる。

一番印象に残ったのは、「人生にはなぜ苦しみや苦痛があるのか?」という部分。

戦争や事故や犯罪や病気によって、理不尽に苦しみ、死んでいく人々がいる。なぜか?

トルストイはいろいろな回答を出しているのだが、腹に落ちたのはつぎのような考え。

まず、人生を「生まれてから死ぬまで」と考えるのが間違っていて、私たちはこの世に生まれる前にも存在しており、死んでからも存在し続ける、とトルストイは考えている。少し引用しよう。

「地上の生活でなめる苦痛のどうにも説明しようのない理不尽さこそ、生命というものがけっしてひとりの人間の誕生に始まり、死に終わるだけのものではないことを、なによりも雄弁に証明している。」(p.252)

面白かったのは、つぎのたとえ。

「われわれの目にうつる人生は、ちょうと、上と下とを切りとられてしまった円錐(えんすい)体のようなものだといえよう。円錐体の頂点と底の部分は、かぎられたわれわれのせまい視野では、とらえられないわけなのである。」(p.244)

「目に見える地上のこのわたしの生活は、わたしの生活ぜんたい―いまの人生の限界を越えていて、現在のわたしの意識ではとらえられないけれど、疑いもなく存在している生前、死後までふくむ生活ぜんたいのほんの一部にすぎないという結論がでてくるのである。」(p.245)

つまり、生命というものを、生まれてから死ぬまでと考えたら、理不尽に死んでいく多くの人々の人生の説明がつかない。あまりにも不公平である。だから、死後の世界もあるはずだ、ということだろう。

確かに、親に虐待されて殺されてしまう子どもたち、突然事故で亡くなってしまう人たち、戦争で巻き添えをくって爆死する一般市民などがメディアで報道されるたびに、「なぜ?」と思ってしまう。より大きな視点で人生をとらえるとき、それらの死にも何らかの理由がある、ということになる。

では、苦しみに満ちたこの世において、どのように生きるべきか?

トルストイが何度も繰り返すのは、個人の欲求を満たすことばかりを考えるのではなく、他者や世界との関係を意識しなさい、ということ。これは仏陀やキリストの教えとも共通する。

生前や死後を含めた大きな生命の流れを意識して、自分のことだけでなく他者や社会のことを考えるとき、理不尽に見える苦しみや苦痛さえも意味を持ちはじめる。

本書を読んで、人生をとらえる見方が少し変わったような気がした。
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