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『小津安二郎先生の思い出』(読書メモ)

笠智衆『小津安二郎先生の思い出』朝日文庫

実家のお寺を継ぐのがイヤで、友達から誘われるまま俳優養成所の試験を受けたら合格した笠智衆さん。10年間の大部屋生活の中で、小津安二郎監督に見出され、小津作品のすべてに出演するようになる。

小津監督のやり方について笠さんは、次のように語っている。

「映画の撮影前、配役が決まると、我々は俳優係からホン(台本)を渡されます。普通は、そのホンを読んで、自分なりに演技を考えるのですが、小津作品だけは別。余計なことを考えても無駄なのです。ヘンな芝居をして、先生の演出を邪魔しないように、頭の中をカラッポにしなくてはいけない。」(p.49)

小津監督は、自分の中に完全なイメージが出来ていて、全て自分の思い通りにならないと気が済まないタイプの監督だったようだ。しかし、怒鳴ったりはけっしてしない。笠さんは、監督の演出方法を「釣り」にたとえている。

「先生の演出は”釣り”のようでした。俳優がエサにかかるまで、根気よくいつまでも待つ。うまくできるまでは、けっして動かない。大声を出して魚を逃がしてはたまらんので、怒鳴るような馬鹿なことはせん。先生が本当の釣りをやられたら、きっと名人級だったでしょう。」(p.56)

このコメントからも、俳優をロボットのように操作していたわけではなかったことがわかる。自分のイメージはあるが、俳優がそれを自主的に演じられるような状態になるまで待つ。そこに、監督と俳優のコラボレーションが生まれるのだろう。

意外だったのは、小津監督も笠さんも、キネマ旬報のベストテン順位や評論家の評価を気にしていたこと。「自分で納得できればいい。他人の評価は関係ない」という人かと思っていたが、やはり世間の評価を気にする普通の人だとわかり、すこし安心した。

ところで、今でこそ「世界のOzu」として有名な小津監督だが、晩年は「マンネリのホームドラマ」というような評価だったらしい。その後、欧州で再評価され、世界的な名声が定着したという。大人気→落ち目→再評価という流れに、バッハを思い出した。

笠さんの本を読んで、つくづく、「人との出会いが才能を開花させる」と感じた。
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