飛鳥坐神社にある竹は何かと、尋ねられたので、講座の帰りに見に行った。
飛鳥坐神社 拝殿
お尋ねはこの竹の事のようだ。
小さい葉が並んでいる。株立ち。稈は緑色に黄の筋。
ホウライチクの変種の、ホウオウチクじゃないかと返事したが、合ってるかな?
ホウオウチクにも種類があるらしい。細かいことはわからない。
境内は広い。
一段高いところは広くなっていていくつか社がある。
八幡神社? 狛犬が見えたので、奥に回ってみる。
向かって右の狛犬 阿形
向かって左の狛犬 吽形
台石の裏に「石工 桜井 平井庄造」の文字がくっきりと見えた。
いつの時代の人か、詳しくはわからないが、私が好きな天神社の狛犬も庄造さんのもの。他にも見たことがあるように思う。
日本書記講座
先月の無紋銭銀に刻まれた「高志」とは何か?について、「高志」は明日香村の「越」と関係するとの説があった。
今日は吉野の「越部」も関係しているかもとの意見?が出された。
「越部」は日本霊異記にも出る古くからある地名。
いづれにしてもはっきりした確証はない。
「越部」の地名の由来は、令義解に「50戸をもって里となす」とあり、50戸に余った戸数は「剰戸」これが「越部」となったとの説があるのだとか。
1998年飛鳥池遺跡から出土した富本銭は「日本最古の通貨」という報道に沸き立った。
鋳造場所(飛鳥池遺跡)や時期(683年に初めて鋳造された)もわかり、日本書記の記述と合う部分もあるが、他の場所を含め出土枚数も少なく、通貨として流通したのかどうか、はっきりしない。
708年、朝廷に献上されたという武蔵の国の和銅は自然銅。
自然銅は熱すると柔らかくなる。それを「ニキ」という。
時代が下ると「ニキ」→「ニギ」→「和」→「和銅」となった。
和銅の献上を祝して、年号を慶運から「和銅」と改元し、唐の銅銭「開元通宝」を倣って和同開珎を鋳造。
中国には「貨幣が国を治めて民を救う」「経世済民」という言葉があるそうだ。
和同開珎は最初は銅銭ではなく銀銭だったとか。
富本銭が日本最古の通貨なのか・・
和同開珎が日本で最初の「流通した貨幣」の説が有望なのか・・
これからの新しい発見や研究を待つということかな・・
お話を聞いていると分かったような気がしたことも、いざまとめようとするとあやふやなことばかりです。
もうひと方の講師からは、日本の古代石碑・石塔(現存するもの)のお話。
・一番古い碑は宇治橋碑(京都)大化2(646)年以降。
・有名な「上野三碑」は、群馬県の高崎市にある「那須国造碑」「多古碑」「金井沢碑」
・奈良県では奈良市の「元明天皇陵碑」明日香村の「竹野王多重塔」五條市の「宇智川磨崖碑」
などがリストにあった。
リストの中でも国宝・特別史跡・史跡・などの区分けがあるという。