みどりの野原

野原の便り

8月28日 大宇陀・菟田野周辺 ①皇大神社・②春日神社(下片岡)・③桜実神社 八ツ房杉・④宇太水分神社 ボタンヅル センニンソウ ヤブツルアズキヤブツルアズキ

2022年08月28日 | Weblog

「道標などの写真を撮りに行く」という息子について行く。
どこへ行っても何か見れるから行き先はお任せ。

①皇大神社(こうだいじんじゃ) 宇陀市大宇陀岩室
初めてのところだ。


社殿下の広場にあったシンプルな明治の狛犬 
父の還暦を祈念に建てられた。長男 田川寅吉さんの名があり、ほのぼの。


この後ろに石碑がいくつかあり、その1つ(写真一番左)が道標だそうだ。
右 はいばら はせ ・ スグ みわ さくらい 道
私にも読める字で書いてある。スグのところだけ四角く彫り込んであるのは「スグ」を強調しているのか?


社殿へはこの長い階段を登る。 
石段は延享2年(江戸時代)に八木屋・・さんが寄進されたらしい。


皇大神社 拝殿
社殿の前には江戸時代の丸灯籠や角灯籠があった。

②春日神社(宇陀市大宇陀下片岡)
ここも今まで来たことがない。


春日神社 
涼しい。ヒグラシの大合唱。


スギの大木に守られたこじんまりした春日神社社殿

由緒を書いた説明板があった。
それによると、『祭神は天児屋根命 中世の記録によると、この地には興福寺・春日大社の荘園があった。荘園の名は「大熊四郷」といい、下片岡・上片岡・東平尾・大熊の4村にまたがっていた。‥』
『かつては境内に神照寺という宮寺があった。造営棟札の最も古いものは天保9年・・』『近世になると、神社下の道は伊勢街道となり、伊勢参りの人々が行きかった』

木の根元の目立たないところに庚申石塔があった。
青面金剛というと教えてもらう。


懐中電灯で照らしてくれた。
「四天王寺庚申講」「寛政12年」などの銘が見えた。

上部には月と日 手は6本 足は邪鬼を踏み押さえ、足元にはにわとり。
その下には「見ざる・言わざる・聞かざる」のお猿さんがいる。
お顔は恐い顔ではなかった。


高台にある神社からは下に美しい田園風景が広がっていた。
昔、荘園だったことが偲ばれる。

途中

木を覆っているボタンヅル


ボタンヅル 満開


道端の地蔵 日張山青蓮寺などの道標になっているらしい。

息子が写真を撮っている間に・・


お堂の上にかぶさっているカヤの木に実がなっているのを見つけたり・・


田んぼのシシ除けネットに絡んでいるヤブツルアズキの写真を撮ったり・・


八ツ房杉と菟田の高槻の案内板

③ここから桜実神社の八ツ房杉を見に行く。(宇陀市菟田野佐倉)
ここは何度か来たことがあるが、だいぶ日が経つ。


桜実神社 拝殿 朱が鮮やか。


その奥の本殿 祭神は 木花咲耶姫 


八ツ房杉 1つの株から太い幹が分かれて広がっている。
神武東征の際、「菟田の高城」に神武天皇が陣を張られた時に植えられたと言われる。
案内板には樹幹周囲9m、最大樹高14m と書いてあったが、そんなことはどうでもよい。


かなりの老木でこんなゴツイ梯子のような補強材で支えられ、後ろからは針金で引っ張ってもらいしながら懸命に生きている。

下った途中に、神武天皇が八咫烏に導かれ熊野から大和に進軍した際、軍隊の休憩のために築いた「日本最古の城跡 宇陀の高城」への案内があったが、山道をどれぐらい歩くかもわからないので立ち寄らず。

車道に平行して通る旧道を走る。
又車道に出たり、車道を横切って旧道に入ったりしながら・・


途中 センニンソウが満開
今日はボタンヅルとセンニンソウが見れた。

④最後は 式内大社 宇太水分神社(宇陀市菟田野古市場)
大和の東西南北に祀られた「大和四水分社」の1つ。
東に祀られた水分社がここ。


宇太水分神社 崇神天皇の命により創建されたと言われる古社。
狛犬さんに会いたいが、先ず参拝だよと言われる。


宇太水分神社 拝殿


後ろに並ぶ本殿3棟は、鎌倉時代の建造で、国宝に指定されている。
この右側に続く春日神社・宗像神社は、室町時代の造営。重要文化財だ。

 
境内入口の鳥居横の狛犬   吽形  


          阿形

奉献の文字の彫り込みも深々と、指がすっぽり入りそう。


台石には 作師 照信 花押 が彫り込まれている。
有名な丹波佐吉の狛犬だ。

今日はこれで終わり。
初めてのところも、何度か来ているところもあった。
涼しく、秋を感じるさわやかな日だった。

コメント
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