照ノ富士は白鵬と違うと見せねばならぬという意識が強いのでしょうね、横綱然とした喋りに気を付けている様子が窺えます。新人横綱ですが、白鵬を手本にするとかの気もないのでしょうか。実力は群を抜いているので、怪我さえなければ、膝さえ持てばの態ですが堂々たるものです、協会もまずは安堵でしょうなぁ。さぞやに言い含めてはいるのでしょうが、モンゴル横綱には泣かされてきた経緯ですから。
ヤクルト村上、清原より早く100本打ちました。21歳です。若き4番、堂々たるものです。まさにホームランバッターの風格です、あのスイングの美しさよです。どの打者でも本塁打の際のフォームは美しいのですが、この人は特にそう思います。新聞にありました、彼の高校時代の指導者は彼の資質を見抜き「ゴロを打つな」と言うたそうです。「反省はいいが後悔はするな、後悔では前に進めない」とも諭したと。TVが早実の清宮を追いかけ褒めそやしていた頃のことです。彼は気の毒なことに清宮世代として括られてます。ご本尊は試合にも出てないというのに、です。この謂いは松坂世代で有名ですが、ここは松坂が十分な実績を残してますから括られる方も自分から言えましょうが、清宮はねぇ。ハンカチ王子(斉藤)世代や桑田清原世代つうのはないですね。大阪桐蔭がよかった時に根尾や藤原、一つ上に履正社の安田がいて世代で括られそうでしたが、安田藤原がロッテで出てるだけです(試合に出るだけ立派というレベルです)。メディアに持ち上げられ梯子外されるのがプロ選手の運命ですけれど、実力の世界ってのはこういうことではありますね。改めて清原の頭抜けさ、怪物さですか。
大坂漫才正司敏江さんの死亡記事です。ご存知ない方も多かりましょう、ずぶずぶこってこての大阪漫才の典型でした。どつき漫才で売ってた人です、相方は夫でもちろん叩かれる方です。叩くわ蹴り飛ばすわの昭和の漫才の一類型でした。今でも相方の頭を張る漫才コンビがいますが、今の時代でも皆笑ってますし許されてはいるのでしょうが(PC的にです)、これが女を叩くじゃぁ少なくともTVには出られないでしょうね。昔はよかったのです。が、やはり笑いとしては下品で野で卑でしたね。大阪にいた時分、昭和50年から60年までですがあの怒涛の漫才ブームの前後です、関西は平日でもお笑い番組が見られました、敏江玲児はよく出てました、売れてましたよ。でもとても東京に出ていけるような代物ではなかったです、あくまで大阪関西で受け入れられてた猥雑系のコンビでした。いや誹っているのではないです、大笑いしてた一人ですから私も。あの頃のラインナップが一つ一つ消えていきます。合掌。