柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

勘繰

2018-11-03 09:19:21 | Weblog
中東で長の拘束から解放された安田さんが正式に記者会見してます。さすがに神妙です。頭を下げる、謝罪のトーンです。自己責任と言われればそうだ、外務省には感謝している等々。この低頭さは、元々のこの人の性格人格を示すものなのでしょうが、菅さんは否定してますが多額の身代金取引だったんだろうなと勘繰らせます。その昔高村さんが蛮勇と断じた警告を無視した係争地への取材への世間の評価が変わりましょうか。マスコミがどう出るか。当の本人が自己責任だと言うてますからね。
 NHK、土曜の朝7時半から30分は特集モノです、再放送だったりそうでなかったり。今朝はハーフの人達への差別特集です。いえ、番組では敢えて差別なんて見出しは使いませんが、幼少時の苛めや差別体験をハーフの人達を何人か呼んで話させる趣向です。大坂なおみの活躍で一気に話題に挙がりましたが、ケンブリッジ飛鳥、大相撲の御嶽海ら(芸能界には昔から多くいます)映像への露出が多くなっての顛末です。NHKはハーフとは言わずに「外国にルーツを持つ人達」と呼んでます。混血児、合いの子などと言ってました、やはり見た目が特異だからです。今や外人も言うてはならぬ言葉なんでしょう?安易な言葉狩りには閉口するわけですが(男児を君、女児をさん付けするのさえ差別だそうですからね)、スタジオに呼ばれた彼ら彼女らは言います、外人とはやされたり日本語上手ですねと言われたり、日本で生まれて日本で育っているのに日本人じゃないんだと嫌でも思い知らされたという経験です。なるほど、そうでしょうね、特に子供は残酷ですから。ま、今時合いの子なんて年寄りしか使わない死語でしょうが、混血児ってのは戦後の沖縄はじめ全国での米兵絡みの敗戦国の悲しい事実の一現象という表記です、十分に差別ニュアンスが含まれます、これは否定しようがありません。日本は単一民族の国(いやこう言うとすぐにアイヌの事を持ち出す向きがいて、政治家が言うと大炎上ですが事実上は単一です、アメリカや欧米のように多民族国ではないという意味だけです)なので顔つきの違う者は嫌でも目立つ、こっちも見慣れてないから余計に際立つ。ひとえに慣れの問題です、例えば学校の一クラス中に二三人顔つきの違うのが混じるようになればそれが普通になって殊更に面白がる事もなくなることでしょうし、でもそれは在日「外人」が増えて来ているという事実です、そしてそれは移民政策の是非にもつながりましょう。国際結婚(これも古い言い方です、今時はどう呼ぶのでしょうか)の忌避感もこれは昔の日本人には共通してある心持です、否定しようがないですがそれこそ昔から一定数はあったわけです。その子達がスポーツ界で次々に伸してきて注目を浴びるようになってきた。ケンブリッジや大坂のおかげで素人にも分かるわけです、ヒトという種においては肌の色は黒が優性(今はこういう表記にも言葉狩りが及んで来ていて顕性と言い換えられてます)だ、父母どちらかが黒ならその子は黒い肌を持つ。逆から見れば白は劣性(潜性と言い換えますこちらは)なのです、だから白と白でなければ肌の色は白くならない。日本で育てばもちろん日本語が母国語、大坂のように米で育てば英語、当然です。が、やはり言いますよねぇ、ケンブリッジのように流暢な日本語聞くと「上手ですね日本は長いのですか」と。ひとえに片言だろうと思い込んでいるからですが、だからと言ってそれを差別意識なんて言われても困ります。事情を知ったらそこで態度を変えればいいだけですが、その点子供は平気でしょうし幼少時の体験はきついことなのでしょうが。仲間意識、それは即ちそれ以外の者を排外することですが、まずは見た目外見ですね基準は。この区別は誰の脳にも備えられた機能です、それをどう発露するかは個人素養に負い、そして属する社会集団の文化文明度に負うわけです。他人の顔は見えるが、自分の顔は見えない。なのです。
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