このブログで何回か批判させていただいている名古屋の闇サイト殺人の被害者の母親の発言に、またまた「どうもなあ」と感じてしまいました。もっともこの人の言動については、私はいつもそう感じています。だいぶ以前の記事ですが、毎日新聞からです。もとの記事はすでに削除されています。
http://mainichi.jp/select/news/20120624k0000m040094000c.html
>闇サイト殺人:語り続ける被害者の母 判例重視に疑問
毎日新聞 2012年06月24日 02時01分(最終更新 06月24日 02時25分)
インターネットの闇サイトで知り合った男3人が07年8月、名古屋市に住む磯谷(いそがい)利恵さん(当時31歳)を殺害した闇サイト殺人事件。名古屋高裁での控訴審判決から1年以上たち、母富美子(ふみこ)さん(60)は一人娘だった利恵さんを奪われた悲しみを抱きながらも、事件を風化させまいと講演で自らの体験を語り続けている。【沢田勇】
名城大(名古屋市天白区)で5月26日、富美子さんは法科大学院の学生ら約20人を前に演壇に立った。演題は「遺族はなぜ死刑を求めるのか」。
冒頭に富美子さんが事件について尋ねると、数人の学生が「知らない」と答えた。富美子さんは、包丁を持った男たちにすごまれても利恵さんがキャッシュカードのうその暗証番号を教えたことや、頭をハンマーで数十回殴られるなどして殺された状況などを詳しく説明した。
富美子さんは事件後、極刑を求める署名活動を展開し、署名は33万人分を超えた。しかし昨年4月の名古屋高裁での控訴審判決は、控訴した被告2人の死刑を回避し、無期懲役とした。「殺人被害者が1人の事件で死刑がやむを得ないとまで言えない」との判決理由の文言が脳裏に焼き付いたという。
名城大での講演で富美子さんは「裁判所は判例に固執して殺害された被害者の数にこだわり、加害者の人権ばかりを重視してきた」と遺族としての思いを訴えた。
富美子さんは、利恵さんが男たちから守った貯金を充ててマンションを購入し、暮らしている。利恵さんの形見ともいえるそのマンションに、事件の証拠品となっていた利恵さんの所持品が名古屋高検から届いたのは今年1月20日だった。携帯電話や事件当時着ていた衣類など約200点。事件から4年5カ月ほどが経過していた。
利恵さんが受けた苦しみや恐怖を思うと、はじめは遺品が置かれた部屋の明かりをつけることができなかった。暗闇の中で触ると、衣服は血のりで固まり、靴はボロボロになっているのが手触りで分かった。
その後、「何か一つでもいい。自分が知らなかった娘の一面がないだろうか」と、デジタルカメラや携帯電話など返却された品を丹念に調べた。所持品の一つの腕時計は動き続けていた。利恵さんがいつも身につけ、事件の際、男たちに手錠をかけられた腕にあった時計だ。
富美子さんは5月上旬、その腕時計が止まっていることに気付いた。母の元に戻り、安心して眠ったように感じたという。「不思議でしょ。利恵ちゃんが『私はまだここにいるよ』って言っているみたいで」
今後は、この腕時計をつけて講演を続けようと富美子さんは考えている。
読んでいていろいろ不審なところの多い記事ですが(時計の話とか)、そんな細かいところに突っ込んでもしょうがないので、主要な点について指摘します。
>裁判所は判例に固執して殺害された被害者の数にこだわり、加害者の人権ばかりを重視してきた
裁判官が、判例に基づいて判決を出すのは当然でしょう。そんなことを批判して、いったいなにをどうしたいというのでしょうか。この女性は、日本の司法制度を抜本的に変革しようとでも考えているのかな。
>判例に固執
だいたい判例に固執するって、裁判官が判例に固執しなかったら、もしかしたら不当に軽い刑になっちゃうかもしれないよ。判例に固執しないということは、軽い判決が出たってぜんぜんおかしくない。今は重刑がはやりだからそうはなりにくいかもしれないけど、そうならない保証はない。そうなったらこの女性、いったいどのようなことをおっしゃるんですかね。
>被害者の数にこだわり
被害者が多いほうが刑事裁判で厳しい刑を求刑され判決になるのは当然でしょう。「人権」とか「人命尊重」とかを言い出せば、当然そうなる。それのいったいなにが問題で?
この人は、殺人犯は全員死刑にしろ(とくに自分の娘を殺したやつは)というご意見なのでしょうが、そういう意見は現実性がないし、とくに相手にする必要もないでしょう。ていうかこの女性の主張ってようするに自分が希望する判決を出してほしいってことじゃん。そんなことできっこないしそうなるべきでもないという以上の話じゃないでしょう。
だいたいこんな話、法科大学院で語ったところで教員も院生もどうにも対応できんでしょう。法律家になれば、判例にもとづいて仕事をしなければ1日たりとも法曹活動は続けられません。こんな人を呼んで、法科大学院でこんなしょうもないことを語らせて法科大学院の側もいったいなにをどうしようというのでしょうか。言いたいことを言わせるのであれば、傾聴ボランティアの人にでも語ってもらえばいいことです。ましてや彼女はそれなりに有名だから、いろんな人が話を聞いてくれるでしょう。
もっとも「犯罪被害者遺族のなかには、このような言ったってしょうがないことを主張する人がいる」ということを知るためには有益かもしれませんが、法科大学院生にとっては司法試験の勉強でもしていたほうがよっぽどためになります。
しかし問題なのはこの女性よりむしろ、こんな発言を報道する新聞社ですね。毎日新聞社は、裁判官は判例に固執しないで判決を下すべきだという考えを会社全体でお持ちなんですかね? そんなことはないでしょうけど。この記事を書いた記者だって、そんなことはからきし考えてはいないでしょう。そして、これもあえて書けば、この母親が主張する「判例重視に疑問」とかいうお考えについては、毎日新聞社はそれなりに妥当性のあるものとみなしているんですか? この女性の意見が受け入れられる実現性はありますか? 実現性は論外、妥当性もないと私は考えますが、どうなんですかね。
前の記事で私は、この女性の地裁判決後の記者会見における「日本の司法は、人を1人殺しても『ごめんなさい』と言って自首すれば自分の命は守れるのか」という発言を批判しました。あれは記者会見の発言ですから発言内容の評価はともかく報道する意味はあるでしょうが、これは講演でのものです。この人のHPとかこの人を支援している人がその発言をとりあげるのならともかく、新聞が記事としてとりあげるのはどうかです。
この発言を読んだ読者が、日本の刑事訴訟法や刑事裁判制度、刑事政策などに一定の知識がなければ(って、大多数の読者は、失礼ながら素人の私程度の知識すらないでしょう)、この母親の発言は妥当であると思いますよねえ、たぶん。そこまでいかずとも同情くらいはするのでは。単なるむちゃくちゃな発言でしかありませんけどね。もしどうしてもこのような発言を紹介するのなら、新聞社なりに記事に注釈などをつける必要があるんじゃないかと思います。注釈なんかつけるくらいならはじめっからこんな発言紹介しませんが、新聞社というのは読者を誤解させたらまずいんじゃないの。産経新聞のようなはじめっからその気である新聞は論外として。
第三者から批判されたら、「いや、この記事はこの女性の発言を紹介しただけで、当社はこの発言の妥当性には関知しない」とでも言うのでしょうか。それは確かにそういうことになるのですが、どうもなあです。犯罪被害者の保護とか、犯罪被害者家族(遺族)の権利の保護っていうのは、妥当でない発言をした際にもそれを無批判に垂れ流す(という表現はよくないでしょうが、この記事は「垂れ流す」というものです)ってこととは違うだろうと思います。でも、こういう記事を出せば読者は喜ぶんでしょうね、きっと。
私からすれば、ほれみたことか、こんな発言が新聞に堂々とのるようになる、です。私が前に指摘した
>日本の司法は、人を1人殺しても『ごめんなさい』と言って自首すれば自分の命は守れるのか
というような発言がろくに批判されないから、新聞がこのような実現性も妥当性も乏しい発言を喜々として記事にするようになるのです。本当に困ったものです。いくら自分の娘を殺した犯人が憎いからったって、刑事裁判についてそんなことを言ったって、それは議論する価値もない発言でしかないんじゃないんですか? 犯罪被害者遺族の発言は、ここまでどうしようもないことまでわざわざ新聞報道してあげるほど批判してはいけないものなんでしょうか。
私のような態度を、木を見て森を見ないとか、江戸の敵を長崎で討つとか評されるものなのでしょうが、やはり私は、犯罪被害者遺族が妥当でない発言をしたらそれは批判していこうと考えます。批判する人が少なすぎて困ります。たぶんこの母親への批判も今回が最後ではありません。
なおこの記事は、原型となるものを7月末に書いていたのですが、闇サイト殺人の犯人の1人がそれ以前にも悪質な強盗殺人事件を犯していたことがわかりましたので、そういったことをかんがみて発表するかどうか再考したのですが、この記事の趣旨とその件とは無関係であると私なりに判断しましたので、大幅に改稿した上で記事として発表します。
http://mainichi.jp/select/news/20120624k0000m040094000c.html
>闇サイト殺人:語り続ける被害者の母 判例重視に疑問
毎日新聞 2012年06月24日 02時01分(最終更新 06月24日 02時25分)
インターネットの闇サイトで知り合った男3人が07年8月、名古屋市に住む磯谷(いそがい)利恵さん(当時31歳)を殺害した闇サイト殺人事件。名古屋高裁での控訴審判決から1年以上たち、母富美子(ふみこ)さん(60)は一人娘だった利恵さんを奪われた悲しみを抱きながらも、事件を風化させまいと講演で自らの体験を語り続けている。【沢田勇】
名城大(名古屋市天白区)で5月26日、富美子さんは法科大学院の学生ら約20人を前に演壇に立った。演題は「遺族はなぜ死刑を求めるのか」。
冒頭に富美子さんが事件について尋ねると、数人の学生が「知らない」と答えた。富美子さんは、包丁を持った男たちにすごまれても利恵さんがキャッシュカードのうその暗証番号を教えたことや、頭をハンマーで数十回殴られるなどして殺された状況などを詳しく説明した。
富美子さんは事件後、極刑を求める署名活動を展開し、署名は33万人分を超えた。しかし昨年4月の名古屋高裁での控訴審判決は、控訴した被告2人の死刑を回避し、無期懲役とした。「殺人被害者が1人の事件で死刑がやむを得ないとまで言えない」との判決理由の文言が脳裏に焼き付いたという。
名城大での講演で富美子さんは「裁判所は判例に固執して殺害された被害者の数にこだわり、加害者の人権ばかりを重視してきた」と遺族としての思いを訴えた。
富美子さんは、利恵さんが男たちから守った貯金を充ててマンションを購入し、暮らしている。利恵さんの形見ともいえるそのマンションに、事件の証拠品となっていた利恵さんの所持品が名古屋高検から届いたのは今年1月20日だった。携帯電話や事件当時着ていた衣類など約200点。事件から4年5カ月ほどが経過していた。
利恵さんが受けた苦しみや恐怖を思うと、はじめは遺品が置かれた部屋の明かりをつけることができなかった。暗闇の中で触ると、衣服は血のりで固まり、靴はボロボロになっているのが手触りで分かった。
その後、「何か一つでもいい。自分が知らなかった娘の一面がないだろうか」と、デジタルカメラや携帯電話など返却された品を丹念に調べた。所持品の一つの腕時計は動き続けていた。利恵さんがいつも身につけ、事件の際、男たちに手錠をかけられた腕にあった時計だ。
富美子さんは5月上旬、その腕時計が止まっていることに気付いた。母の元に戻り、安心して眠ったように感じたという。「不思議でしょ。利恵ちゃんが『私はまだここにいるよ』って言っているみたいで」
今後は、この腕時計をつけて講演を続けようと富美子さんは考えている。
読んでいていろいろ不審なところの多い記事ですが(時計の話とか)、そんな細かいところに突っ込んでもしょうがないので、主要な点について指摘します。
>裁判所は判例に固執して殺害された被害者の数にこだわり、加害者の人権ばかりを重視してきた
裁判官が、判例に基づいて判決を出すのは当然でしょう。そんなことを批判して、いったいなにをどうしたいというのでしょうか。この女性は、日本の司法制度を抜本的に変革しようとでも考えているのかな。
>判例に固執
だいたい判例に固執するって、裁判官が判例に固執しなかったら、もしかしたら不当に軽い刑になっちゃうかもしれないよ。判例に固執しないということは、軽い判決が出たってぜんぜんおかしくない。今は重刑がはやりだからそうはなりにくいかもしれないけど、そうならない保証はない。そうなったらこの女性、いったいどのようなことをおっしゃるんですかね。
>被害者の数にこだわり
被害者が多いほうが刑事裁判で厳しい刑を求刑され判決になるのは当然でしょう。「人権」とか「人命尊重」とかを言い出せば、当然そうなる。それのいったいなにが問題で?
この人は、殺人犯は全員死刑にしろ(とくに自分の娘を殺したやつは)というご意見なのでしょうが、そういう意見は現実性がないし、とくに相手にする必要もないでしょう。ていうかこの女性の主張ってようするに自分が希望する判決を出してほしいってことじゃん。そんなことできっこないしそうなるべきでもないという以上の話じゃないでしょう。
だいたいこんな話、法科大学院で語ったところで教員も院生もどうにも対応できんでしょう。法律家になれば、判例にもとづいて仕事をしなければ1日たりとも法曹活動は続けられません。こんな人を呼んで、法科大学院でこんなしょうもないことを語らせて法科大学院の側もいったいなにをどうしようというのでしょうか。言いたいことを言わせるのであれば、傾聴ボランティアの人にでも語ってもらえばいいことです。ましてや彼女はそれなりに有名だから、いろんな人が話を聞いてくれるでしょう。
もっとも「犯罪被害者遺族のなかには、このような言ったってしょうがないことを主張する人がいる」ということを知るためには有益かもしれませんが、法科大学院生にとっては司法試験の勉強でもしていたほうがよっぽどためになります。
しかし問題なのはこの女性よりむしろ、こんな発言を報道する新聞社ですね。毎日新聞社は、裁判官は判例に固執しないで判決を下すべきだという考えを会社全体でお持ちなんですかね? そんなことはないでしょうけど。この記事を書いた記者だって、そんなことはからきし考えてはいないでしょう。そして、これもあえて書けば、この母親が主張する「判例重視に疑問」とかいうお考えについては、毎日新聞社はそれなりに妥当性のあるものとみなしているんですか? この女性の意見が受け入れられる実現性はありますか? 実現性は論外、妥当性もないと私は考えますが、どうなんですかね。
前の記事で私は、この女性の地裁判決後の記者会見における「日本の司法は、人を1人殺しても『ごめんなさい』と言って自首すれば自分の命は守れるのか」という発言を批判しました。あれは記者会見の発言ですから発言内容の評価はともかく報道する意味はあるでしょうが、これは講演でのものです。この人のHPとかこの人を支援している人がその発言をとりあげるのならともかく、新聞が記事としてとりあげるのはどうかです。
この発言を読んだ読者が、日本の刑事訴訟法や刑事裁判制度、刑事政策などに一定の知識がなければ(って、大多数の読者は、失礼ながら素人の私程度の知識すらないでしょう)、この母親の発言は妥当であると思いますよねえ、たぶん。そこまでいかずとも同情くらいはするのでは。単なるむちゃくちゃな発言でしかありませんけどね。もしどうしてもこのような発言を紹介するのなら、新聞社なりに記事に注釈などをつける必要があるんじゃないかと思います。注釈なんかつけるくらいならはじめっからこんな発言紹介しませんが、新聞社というのは読者を誤解させたらまずいんじゃないの。産経新聞のようなはじめっからその気である新聞は論外として。
第三者から批判されたら、「いや、この記事はこの女性の発言を紹介しただけで、当社はこの発言の妥当性には関知しない」とでも言うのでしょうか。それは確かにそういうことになるのですが、どうもなあです。犯罪被害者の保護とか、犯罪被害者家族(遺族)の権利の保護っていうのは、妥当でない発言をした際にもそれを無批判に垂れ流す(という表現はよくないでしょうが、この記事は「垂れ流す」というものです)ってこととは違うだろうと思います。でも、こういう記事を出せば読者は喜ぶんでしょうね、きっと。
私からすれば、ほれみたことか、こんな発言が新聞に堂々とのるようになる、です。私が前に指摘した
>日本の司法は、人を1人殺しても『ごめんなさい』と言って自首すれば自分の命は守れるのか
というような発言がろくに批判されないから、新聞がこのような実現性も妥当性も乏しい発言を喜々として記事にするようになるのです。本当に困ったものです。いくら自分の娘を殺した犯人が憎いからったって、刑事裁判についてそんなことを言ったって、それは議論する価値もない発言でしかないんじゃないんですか? 犯罪被害者遺族の発言は、ここまでどうしようもないことまでわざわざ新聞報道してあげるほど批判してはいけないものなんでしょうか。
私のような態度を、木を見て森を見ないとか、江戸の敵を長崎で討つとか評されるものなのでしょうが、やはり私は、犯罪被害者遺族が妥当でない発言をしたらそれは批判していこうと考えます。批判する人が少なすぎて困ります。たぶんこの母親への批判も今回が最後ではありません。
なおこの記事は、原型となるものを7月末に書いていたのですが、闇サイト殺人の犯人の1人がそれ以前にも悪質な強盗殺人事件を犯していたことがわかりましたので、そういったことをかんがみて発表するかどうか再考したのですが、この記事の趣旨とその件とは無関係であると私なりに判断しましたので、大幅に改稿した上で記事として発表します。
そして、犯罪者を減らすためという名目で、見せしめのため、公開で、市中引き回しの上打ち首獄門、釜茹での刑で長時間苦しめて死なせるでしょう。
あるいは、始球式ならぬ死球式というのもできましょう。 死刑囚を野球場の真ん中で貼り付けにし、玉いれよろしく硬球を死刑囚にぶつけて死ぬまでじわじわとなぶり殺しにいためつけるのも誕生しましょう。
一年の刑は元旦にあり(かってに改蔵という漫画がもとネタ)とかいって、上記の刑を元旦のイベントにしてしまうでしょう。
厳罰を課し、死刑に処す対象は犯罪者本人はもちろんのこと、生育にかかわった両親にも広がるでしょう。
かかわった度合いに応じて、それ以外のものにも懲役刑など相応の罰を与えることが、犯罪者を生み被害に泣くものを生まない世の中になるために必要という名目で、見せしめに よって罪を犯すこととの恐ろしさを知らしめ、また育て方を誤るのも犯罪であるということを知らしめるため、親子ともども処刑台に上がるという、豊臣秀次の時代さながらの地獄絵図が提示されるでしょう。
義務教育課程における健康診断において、肺だけではなく脳のレントゲンをとるなどして事前に凶悪犯罪を犯す恐れのある脳を持つ子どもを判定し、治療可能なら強制的に出来るだけ速やかに治療を進め、治療不可能なら安楽死処分にすることが、犯罪防止のために推進されるでしょう。
また、障害を持つものを胎児のうちに判定し堕胎を進め、ナチスが推進したT4作戦のようにあらかじめ社会の足手まといになりそうな人間は粛清されるでしょう。
かくのごとき恐怖で支配する国に成り下がるのが目に浮かびます。磯谷氏はサウジアラビアなみの中世に、日本をしたいようです。
この女性の言っていることは、究極のところそういう話になってしまいますよね。私が問題だと思うのは、この女性よりこのような話を無批判に垂れ流す新聞だと思います。このような発言を本人が主張するのは仕方ありませんが、マスコミが流しているようではお話にもなりません。