ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

冨永みーな(当時富永美子)の芸能界デビューの映画について調べていて、ちょっと切ない気持ちになった(私が上映会を主催するか)

2020-08-17 00:00:00 | 映画

最近70年代から80年代前半くらいのドラマを観ていまして、その1本として『ウルトラマンレオ』を観ています。これは、先日も記事にしました。この番組は視聴率が不振で、番組のコンセプトが1クールと2クール以降では大幅に異なり、第4クールにいたってはレギュラー総とっかえ、主題歌も第2クールから変更、主人公の交代も視野に入っていたらしいとか、どうもさんざんでしたが(よって、これは制作前から覚悟されていたようですが、この作品にて第2期ウルトラシリーズは終了となりました)、前記事でも書きましたように、このドラマには、冨永みーなが子役で出演しています。彼女は1966年生まれとのことなので、彼女は1975年1月放送の回までの出演ですから7歳から8歳にかけての出演かと思います。彼女は、非常に早い時期から声優活動を始めますが、この時点ではさすがにまだそうではありません。本名の「富永美子」で出演しています。

それはともかくとして、彼女の芸能界デビューは、1971年に公開された神山征二郎監督のデビュー作である『鯉のいる村』です。どんな映画かは知らないので、6月28日日曜日、ちょっと検索してみました。次のようなストーリーです。こちらから引用します。

>達夫の村は大小さまざまな池が沢山ある。村の経済を支えるために、ほとんどの家で鯉をかっているのだ。達夫は、父が稚魚をより分ける時、ものになりそうにないと捨てたクロという鯉をかっていた。春がまだ浅い頃、東京から従妹のゆう子がきた。叔父と叔母の仲がうまくいかず、その問題が片づくまで達夫の家で預かることになつたのだ。達夫は妹ができたようで嬉しかった。達夫は毎日ゆう子を連れ、クロを放してある山の上の小さな池にでかけていった。達夫には、鯉つくりにかては右にでるものはいないといわれる伝二郎という若い叔父さんがいた。その伝二郎がクロを見て「こいつは秋になるとガラッと変わるぞ」といった。夏がきた。クロはすくすく育っていった。やがて秋がやってきて、東京からゆう子の母八重子がゆう子を迎えにやってきた。ゆう子は大喜びで達夫など眼中になかった。そんなゆう子を見て、達夫は何とか引きとめようと懸命だった。それにはクロと、ゆう子のほしがっていた組合長のサラサを取りかえるしかない。だがゆう子の返事はそっけなかった。翌朝、ゆう子と八重子は東京へ帰った。達夫はどうしようもなくさびしかった。秋も終り、鯉のコンクールが始まった。一等賞は組合長の手に渡ったクロだった。伝二郎は達夫にいった。「てんぷらにされそうだったクロを拾って育てたのはおまえだってことを、クロはよくしってるよ」。達夫は水の中の元気なクロに指をしゃぶらせる。二人の肩ごしに雪が降りてきて水の面に消える。冬が、また、そこまでやってきた。

原作があり、全然知らなかったのですが、わりと有名なようですね。

鯉のいる村 (新日本創作少年少女文学)

表紙はいわさきちひろですね。出版社も新日本出版社ですから、共産党系なのですかね。

そんなことはどうでもいいですが、しかしあらすじを読むだけでもなんかものすごく切ないですね。

上のあらすじには書いてありませんが、女の子が鯉をほしがったのは、その鯉の模様が自分の母親の着物の柄に似ていたらという設定だったわけです。だから、母親が迎えに来てくれればもはや鯉などどうでもいいわけです。それは当然だし、女の子を非難するには値しませんが、でもねえ・・・。それだけならまだしも、自分が大事にしていた鯉が、コンクールでトップになってしまっては、あまりに救われない。

この映画は上映時間62分という中編映画であり、もっぱら学校の体育館や教育施設のホールなどで上映されたようですね。つまり、私が以前に記事にした「日活児童映画」と同趣旨の作品だったのでしょう。ちょうどこの時期は、日活がロマンポルノ路線に移行、大映が倒産するなど、映画業界がどんどん変わっていく時代でした。東宝の専属女優だったひし美ゆり子(菱見百合子)が契約を解除されたのが公開翌年の3月です。逆にそのような時代だからこそ、ATGやこの映画を製作した近代映画協会などの活躍の余地も増えていったという側面もあるのでしょう。日活児童映画に関する拙ブログでの記事は、下をご参照ください。

昔、日活児童映画というのがあった

「透明ドリちゃん」についての情報、あと柿崎澄子についての話

情報(松田優作の駆け出し時代出演作にして、原田美枝子のプレデビューの映画である日活児童映画が、DVD化されていた)(追記あり)

立石涼子が亡くなった(たぶん彼女の唯一の映画主演作が、日活児童映画の『四年三組のはた』だと思う)

なおこの映画は新潟県でロケーションをされまして、主人公の少年は、地元の小学生だったとのことです。富永美子は、芸能界デビューとはいえプロの子役としてこの映画に臨んだわけで、つまりこの映画での2人の児童の関係の構図が、現実の二人の関係にもあったということです。下に引用をします。

>全編の大部分を塩谷でロケ撮影された、昭和46年(1971)の作品で、35年前の四季折々の美しい風景が写し出されています。懐かしい当時の塩谷の様子や、撮影エピソードなどを聞けるのもロケ地ならでは・・・塩谷町民の知人等限定で(会場が狭い為)興味の有る方はお出で下さい。

映画『鯉のいる村』とは?
 第二十一回芸術選奨文部大臣賞・第八回野間文芸賞、その他多くの賞を受賞した岩崎京子・原作の『鯉のいる村』を映画化。脚本は松田昭三。監督は「ハチ公物語」「郡上一揆」「草の乱」等の神山征二郎。撮影は南文憲がそれぞれ担当。少年役は現地オーディションで選ばれた、当時、東小千谷小学校五年の金子克之さん、少女役は現在、声優の富永みーなさん。地元の人々、民家も多数エキストラで出演したり、撮影舞台になりました。

なお同じ監督による『ふるさと』も、確か少年役は地元の子どもだったかと思いますが、たぶんこの映画の製作も念頭にあったのではないかと私は(勝手に)考えます。なおこの映画ほかの監督作品については、神山監督による語り下ろしの本がありますので、興味のある方はお読みになってください。

生まれたら戦争だった―映画監督神山征二郎・自伝

で、私は考えました。

観てみたい!!!

しかしソフト化はされていないだろうしなあと考えて確認したら、やっぱりされていません。60分強の作品ですから、単体のソフトというよりアンソロジー的に数本まとめてソフト化されるというのが現実的かなと思いますが、あまり見込みは高くはなさそうです。カラー映画ではありますが、スタンダードサイズで、地味な映画だしね。

いろいろ調べますと、東京都立多摩図書館に、16㎜フィルムが所蔵されていました。が、登録団体しか貸してくれないとのこと。私も16㎜や35㎜を上映できる資格を取ろうか? なお事情は分かりませんが、2本所蔵されていて、1つが73年、もう1つが98年の所蔵となっています。

あと国立フィルムアーカイブにも所蔵があります。でも上映してくれるかなあ。

では過去に上映会とかがあったのかと確認してみますと、これはいくつか確認できました。確認できない上映会もあるはず。

でも今後事前に上映会を確認して、その会場に駆けつけることができるかなあとこれも疑問です。日本映画専門チャンネルとかチャンネルNECOとかにリクエストでも出してみるか。でもチャンネルNECOは日活系の会社なのに、かつてはしてくれたみたいですが、最近は日活児童映画すらろくに放送してくれないしなあ。文芸坐とかラピュタ阿佐ヶ谷みたいなところにリクエストでもしてみるか。

いや、私が著作権を持っている会社に問い合わせて、地元の図書館や公民館のたぐいを巻き込んで上映会を開催しようか。これが一番良さそうですが、まずはリクエストですかね。日本映画専門チャンネルの「蔵出し」で、放送される可能性が全くないわけではない。あんまり期待はしていませんが。この映画の場合「封印」はされていないので、観ようと思えば観ることは可能だと思います。いずれは、日活と交渉して、日活児童映画の上映会も可能なら私が開催したいくらいですが、これもするのなら本気でやらないとだめなので、それなりの覚悟を必要とます。

それで最後は冨永みーなのイベントに行って、「『鯉のいる村』観ましたよ」と言えれば人生こんなうれしいことはありません。まずは、上映会に注意ですかね。あとはソフト化に期待、そして最後の手段で、私が上映会を開くかです。

私の正体や個人情報を公開することはできませんので、仮に上映会をするとしてもこのブログでの告知はできませんが、一生に一度は、こういう馬鹿なことをしてみたいなと思います。

コメント
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