拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

桂小すみ

2023-01-05 09:03:27 | 音楽

大晦日の話に戻る。序盤の郷ひろみで紅白を脱落した私はチャンネルを3チャンネルに回した(古語辞典によると、「3チャンネル」=「今のEテレ」。「チャンネルを回す」=「チャンネルを合わせる」)。第九をやっていた。指揮者は30年前に、某民間オケの定期会員だったときによく聴いた人。熱血オーバーアクションにその民間オケが応えてなかった。ロシアのオケに招かれて振ったショスタ5の終楽章はあざといくらい遅かった。そうこうするうち、この人が初めてオペラ(バタフライ)を振ることになり、テレビで意気込みを語って言うには「ボクはこれまでオペラが好きでなかった。高い声であ~っと歌うのが不自然に聞こえた。だが、それが必然であることが分かった」と熱く説く。中一のときからオペラ大好き少年だった私からすると、正直今頃~?と思った。そう言えば、高校のときのブラバンメイトのA君は当時熱狂的なマーラー・ファンだったが、大人になって会ったらモーツァルト・ファンになっていて、私に「きみ、モーツァルトのオペラを聴かなきゃだめだよ」と熱く説く。そのときも今頃~?と思った。言われなくても、私、ダ・ポンテ三部作と魔笛は一瞬聴いてどのシーンか分かるくらい聞き込んでいたから。

第九が終わると、2022年のクラシック音楽界を振り返る番組。修道女アンジェリカを歌ったアスミク・グレゴリアンはたしかに素晴らしいと思った。

そのまま、「行く年来る年」も「東急ジルベスターコンサート」も見ないで夢の世界。明けて元旦、昼間見たのは「孤独のグルメ」の過去のシーズンの一挙再放送。その中に、湘南のドイツ・レストランがあった(あれ?前も正月に再放送してなかったっけ)。かたせ梨乃が演じるマダムはツンデレぶりが実際のマダム(私より相当お姉様のドイツ人)とそっくり。大した役作りだ。ツン「デレ」だから、実は優しくて、私は店を出る頃にはマダムと大の仲良しになっていた。「あなたは絶対また来なければならない」「はい、絶対、来ます」(実際の会話はドイツ語)と会話を交わした後、コロナ禍に突入したせいで行ってない。

紅白で最近流行の歌謡曲を一網打尽にしようと目論むように、正月の演芸番組で最近売れてる芸人を一網打尽にしようと思って毎年見るのだが、正直、面白くなく、見るのが辛くなってきた。が、一応、おさえておこうと、思い、奥高雄を歩いてる間に放送されたヤツをNHK+で視聴。早送りで飛ばしながら見てたら、楽器を持ってステージに上がってきた女性の芸人さんが目にとまった。ほほー、と思って一倍速に戻す。琴を弾きながら尺八を吹いている。ちゃんと首を振っている。大したモノだ、と思って見続ける。すると「本業は三味線」と言って、今度は三味線を取り出して弾き語り。おおー。歌も三味線も上手。途中から発声がクラシックっぽくなってきた。なにこれ。すごいじゃん。すっかり感心し、ググってみたらあなた、大学では中学校の音楽の先生になるための勉強をしてて、その間ウィーン国立音大に国費留学だって。すごいはずですよ。「歌と複数の楽器」というジャンルは私と同じだが、これがタモリさんの言う「上には上がいる」、あるいは「あまちゃん」で言うところの「スターと机の中に忘れ去られたコッペパンに生えたカビとの違い」である。さらにでござる。出身は横浜?私と同じじゃん。え?同じ高校?さようでござった。なんだか恥ずかしい。こんなに偉い後輩がいると思えば、母校の面汚しの先輩(筆者)がいる現実。私を名簿から除いてちょうだい。

桂小すみ師匠に限らず、わが母校(高校)は数々の才人を生んでいる(同級生にも、有名な俳人がいるらしい)。ところで、その学校は、私がいた頃は、一番後ろの席で朝から晩まで楽譜を書いてても見逃してくれるような自由な校風だった。それが、今では学業第一の校風らしい。科学の時間に楽譜を書いてたら退学になりそうである。がっかりだ。だが、小すみ師匠は、お歳から推察するに、私がいた頃と同様の自由な校風時代にいらしたものと思う。学業第一の校風からは受験戦争の勝者が生まれるが、自由な校風からは才人が生まれるんだと思う(そりゃ、私のような失敗作も出ますがね)。


横富士

2023-01-04 10:36:50 | 日記

いつも高尾山に登ったときは、奥高雄の城山を経て相模湖に降りた(そのまま湖の中に潜っていって浮いてこなかったらシューベルトの「漁師」である)。今回は逆ルートで行こう。相模湖から出発して城山を経て高尾山で締めよう。そのココロは?小旅の最後に高尾山口の温泉に浸かり、駅前のイタリアンで石窯ピザをいただくことである。

というわけで、スタートは中央本線の相模湖駅。相模湖大橋を渡り、ダム直下の相模川を少し下って弁天橋を渡り、川岸をぐんぐん登って振り返ると、既に相模川は遥か眼下にある(「眼下の敵」という映画があった)。

ちょうど写真中央部分で相模川が90度流れの向きを変えている(この感じ、ドイツのモーゼル川と似てる。ライン川と言っても信じる人はいないだろうが、モーゼル川と言ったらどうだろうか)。右端に映ってるのが弁天橋。相模湖(ダム)はその先である。向きを変える前後で川の色が青から緑に変わっているが、いずれにしても深い色。絵の具で溶かしたような色である。酸性度が強くて生物が生きていけない湖は透明度が高くなるというが、相模湖や相模川は、きっと湖底や川底に藻がびっしり生えているのだろう。

この後、国道20号を渡って、城山登山口を探していてふと振り返ると、おお!こんな人里からも富士山が見える。

左側(南側)に陽の光が当たって明るく、右側(北側)は日陰で暗い。南側(静岡側)から見る富士山を表富士と言い、北側(山梨側)から見る富士山を裏富士と言うのが一般だが(「一般」と書いたのは、山梨県人からすると逆になるから。「早慶戦」を慶応の学生が「慶早戦」と言うがごとしである)、この写真の富士山はさしづめ「横富士」と言ったところである。

登山口も見つかって、いよいよ城山登山である。途中、富士山と相模湖のコラボが見られた。

初めて見るコラボである。

登山道には、ところどころに松ぼっくりが落ちていた。

思わず、♪松ぼっくりがあったとさ……と歌う私はやはり歌好きである。続いて歌ってみる。♪たーかいおやまにあったとさ……むむ、城山は670.3メートルだ。「たーかい」と言っていいかどうか。因みに、すぐ近くの津久井湖のほとりにも城山があり、そっちは375メートルだからそれよりは高い。その城山(今登っているちょっとお高い城山)は神奈川県と東京都の県境にある。前から、東京都の高尾の先は山梨県のはずが、なぜここが神奈川県なのだ?と元神奈川県人の私は狐につままれた感じだったが、思い返してみれば、地図で見る神奈川県の西北にとんがりハットの部分がある。そこに相模湖があり、中央本線がかすめて通っており、境界線に城山があるのである(ようやく腑に落ちた)。

そんなこんなで、城山の頂上に到達。人がたくさんいた。そして、高尾山に向かう。その間、いたるところで富士山が見えた。この日はかなり雲がかかっていたが、最近、雲一つ無い富士山ばかり見てきたから、こういうのも一興である。ところで、このあたりから見る富士山の左側(南側)に弟分みたいな感じでいつも一緒に見える山がある。

大室山だそうだ。伊豆の伊東にも「大室山」があって、そっちは580メートルだが、こっちは丹沢の一部で1587メートルあるという。

そうした富士山や大室山を含めて高尾山の山頂から南西方面に見える山々の全貌がこれ。

右端が富士山、左端が大山である。

さらにでござる。高尾から下山する途中で北東方面にある山影を倍率を上げて撮って再生してみたら、

ここからも見えましたねー、おなじみの筑波山である。

再生して初めて気づいたと言えばこれも。

新宿のビル群を写したつもりだったが、その先のスカイツリーが映ってた。そうか、高尾からだとスカイツリーはこの位置にあるのか。

下山する頃はいい具合に日も暮れてきて、お月様が見えました。

別に、月は高尾に来なくても、足立区からも見えるのだが。

で、計画通り駅前の温泉に浸かったのだが、えらい人混み。サウナに入るのに行列を作るなんて初めて。だからサウナはパス。そそくさと温泉を出て、イタリアンに行ったら既に終業30分前でこちらは断念。次、もっと空いてる時期に再挑戦しましょ。

今回、歩き始めた時点で妙に体が重かった。と思ったら、この前に筑波山に登ったのは先週のことであった。これはきついのは当たり前。馬だってよほどのことがない限り連闘(2週続けて出走すること)はない。しかも、行きしなにテレビで見た箱根駅伝の山下りが脳裏にあったもんだから、真似してぴょんぴょん飛んで下ってったら最後膝にきた。ま、それでも元気である。このくらい登ってたら婚活の趣味欄に「低山登山」と書いてもバチは当たるまい(「低」をつけるところが私の奥ゆかしいところである)。ちょっと整理しておこう。私の婚活の趣味欄に書くモノ=「音楽」「食べ(飲み)歩き」「競馬」「低山登山」「法螺吹き(ブログ)」……そう言えば、高尾山の下山中、ホラ貝を吹く音が聞こえた。なるほど、たしかに金管に分類されるのが分かる音だ(って、もしかして、ホルンの練習だったりして)。

婚活と言えば、低山登山では山ほどのカップルとすれ違うのだが、そんななか、今回すれ違ったあるカップルの話。先頭を行く男性が私に「この先、高尾山ですか」と聞く。私が元来た方面のことだ。だから「いいえ、相模湖です」と言うと、後ろの女性がけらっけらっと笑う。この場では笑っていたが、あの女性、二人だけになったとき「だからあんたはダメなのよ」と男性をなじり倒すのではないか。カップルの行く末を案じる人思いのワタクシであった。


エンゲル係数=40%

2023-01-02 10:18:24 | 日記

初夢とは元旦の夜、正確には2日の未明に見た夢のことだそうだが、私の初夢は、江ノ島の岩場でクラリネットを吹く、というものだった。クラリネットを吹いてるのは年末通唱会の名残だろうし、それが江ノ島の岩場なのは、元旦に放送されたブラタモリ(と鶴瓶の家族に乾杯のコラボ)の影響であることは明らかである(同時刻にウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートも放送されていたが、私が選んだのはウィーン・フィルではなくタモリさんである(ニューイヤー・コンサートは録画を後で見る))。

その江ノ島の生シラスが旨そうだった。シラスは、蒸した方がホクホクして好きだと言う人もいるが、生は新鮮でなければならないためどこででも食べられるものではない。だから、江ノ島に行ったら生シラスを食したいものだが、昨夜の放送のおかげで、そうでなくても混んでる江ノ島は、しばらくは生シラスを食したい人の長蛇の列で被われるだろう。

新年だからと言ってこれといって特別なことはない。大晦日も元旦も夕食は自家製ピザである。紅白は、私が唯一見る歌番組で、これで最近流行っている歌謡曲を一網打尽にする魂胆なのだが、この期に及んでの「赤勝て白勝て」にはついてゆけず、序盤の郷ひろみで脱落した。その郷ひろみは、私よりちょっと年上なのだが、NHKホール内を駆けずり回って若さをアピール、こけたらどうすんだろうー、と余計な心配をした(お笑いの人なら、わざとこけるところである)。

駆けると言えば、年末にタモリさんが徹子の部屋に登場して、徹子さんに博学ぶりを褒められると謙遜されて、「自分は他の人がやってるとやりたくなって始めるのだが、どの分野にも上には上がいて、挫折してやめちゃう」とおっしゃっていて、あらま、私も同じタイプだ、だけど、タモリさんは挫折と言っても各分野で私など足下にも及ばないレベルまで達してしまうところがすごい、などと思ったのだが、ほかに、若い頃陸上競技の短距離をやってらした、とおっしゃる(ここでようやく「駆けると言えば」の続きになる。長い文章であった。因みに、谷崎潤一郎は長文で有名である)。おお!それこそワタクシも陸上部員であった。で、タモリさんは、今でも、例えば「100メートル」の距離表示を見るとダッシュしたくなると言う。これぞまさしく陸上経験者の精神構造である。ワタクシも、宴会場にテーブルが並んでいると、それをハードルに見立てて飛び越えたくなる衝動にかられる(大学時代は実際に飛んでいた。今やったらテーブルの真上で失速して料理の上に墜落しそうだから控えている)。で、タモリさんは実際に100メートルダッシュをされたそうだ。タイムは22秒。77歳というお歳からすれば立派な記録である。

さて。新年なのにあまりに普段通りなのも寂しいので、コンビニに行って、カヴァのブリュ(=フランスのシャンパンと同じ製法で作るスペイン産のスパークリングワインの辛口)を買ってきた。

一人だと一晩で全部飲み干さないのが最近のワタクシ。こういうときに重宝するのがスパークリング用のストッパー。

これで、気抜けを防ぐことができる。

これだけでは味気ないので、暮れの某日に外で食したシュクメルリの写真を載せよう。

ジョージア料理である。テレビでレシピを紹介してたので自分でも作ったが、やはり「本物」を体験したくて出かけたのである。鶏肉が骨付きだったのと、スープがさら~としていたところが予想外であった。因みに、ちょっと前に東京近辺でこの料理のことを人々が言ってる時期があって、「松屋」でこの料理を出してたからなのだが、私、それをデパートの松屋だと思っていたのだが、まさか、牛丼屋の松屋ってことはあるだろうか。

唯一、年変わりを実感したのは、家計簿を一新したこと。昨年の帳簿を締めて判明した私のエンゲル係数(内食と外食を合わせた食費の全家計に占める割合)は40%であった。


ホラ貝

2023-01-01 09:03:22 | 音楽

暮れの某日、新宿を通った際に撮った写真。ケメ子と似てるが、顔の白黒が左右逆である。あと、尻尾も違う。

今年の抱負

1あっち(ってどっち?)のこと
彼女を作ってラブラブになる。初っぱなにコレを書くことにより、以下すべてがウソっぽい法螺となる(意図したことである)。

2ライフワークのドイツ語
どっかの大学のドイツ語学科に学士入学する。これも、前記同様法螺の部類だが、こちらは、実現したらいいなーと思う夢(Traum)であるのに対し、前記は実現したら怖い悪夢(Alb)である(そうか、ヴァーグナーの「指輪」に出てくるアルベリヒは、このAlbが語源っぽいなぁ)。

3飲み会
寡黙の人になる。これまで飲み会で法螺(妄想とも言う)を吹きすぎた。それもこれも私のサービス精神のなせるわざであるが、大概後から後悔する。私は貝(ホラ貝)になる。

4音楽活動
歌のソロについては、バロックのカウンターテナーの曲を物色しつつ、シューベルトを勉強したい。
クラリネットについては、引き続きブラームスのソナタをさらいたい。
ヴァイオリンについては、U会のソロ・コーナーで、人様のバッハのアリアのオブリガートを弾きたい。
チェロについては、シュッツの「音楽による葬送」の通奏低音を密かに秘かに練習したい。
合唱については、アカペラの合唱をやりたいので、暮れに見学させていただいた団体に入れてもらおうかしらん。

5その他
たくさん歩いて、お酒の量には「総量規制」をかけて(一週間のトータルで調整する)、冬場はヒートテックの下着を着て暖かくして……こんなところでありんす。

因みに、昨年の年頭所感で言ったことはどれくらい実現したろうか……と思ったら、昨年の元旦はブログを書いてない。おかげで、達成率は不問である。

代わりに(?)、昨日の記事の続きを少々。クリスマスオラトリオの通唱会のことだが、あの会はバロックピッチだし、バロック専用楽器を持ってくる人がたくさんいらしたので、モダン楽器であるクラリネットをあまりピーピー吹き鳴らしたらご迷惑だから、音色を第一に考えて抑えめに吹いたのだが、そのことがリードミスの防止にもなって良かった。だいたい、練習のときにしないリードミスを本番でするのは、気合いが入りすぎるからである。同時に、「クラリネットだって、バロックのトランペットの代わりとしてそう悪くないでしょ?」とのアピールでもあった。そう思っていただけたら幸いなのだが……そもそも、バロック期のトランペットの中に「クラリーノ」という種類があり、クラリネットの語源はそれである。

本日の記事のどこが法螺で、どこが本音かは皆さんの推測に委ねよう。因みに「法螺を吹く」は、私は長らく「物事を大げさに言う」の意味に解していたが、朝ドラ「カーネーション」で糸子がキタムラのことを「法螺吹き!」となじるのをみて、「嘘をつく」の意味もあることを知った。法螺と言えばホラ貝。サンゴはオニヒトデに食べられる。オニヒトデはホラ貝に食べられる。そのホラ貝の身の部分を食べるのは人間で、余った殻の部分が楽器になるという。楽器としてのホラガイは、唇を振動して音を出すので分類は金管楽器に入るのだそうだ(どこにも金属はないけれど)。