拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

鳩におちょくられましたの巻(鎌倉小旅・前編)

2022-11-14 21:07:33 | 音楽

朝晩、ひんやりするけれど、午前中、太陽光線を浴びると幸せな気分になるこの時期こそ、おでかけをしたいもの。「鎌倉殿の13人」ではもうじき実朝が暗殺される。そして、ドラマの末尾の「関連紀行」で公暁が実朝を待ち受ける際に身を隠したという大銀杏が紹介される可能性は1番人気の馬が来る可能性より高いに違いない。すると、人が大挙としておしかけるだろう。行くなら今である。ということで、今週は鎌倉小旅の巻。観光地をろくに知らない私でも、鎌倉は高校時代から通っていたので、比較的土地勘がある地である。

まずは、北鎌倉駅で降りて(何年経っても駅の風情が昔のままなのがよい)、円覚寺に参る。円覚寺と言えば舎利殿。

若い頃は、ただ「エンカクジシャリデン」とお経のように唱えていたが、多少は知恵のついた今から思えば、「舎利殿」はお釈迦様の骨を納めた場所である。

円覚寺は山寺。奥に行くほど勾配が高くなる。特に、高台にある洪鐘(おおがね)への石段は、急勾配のうえ段数もかなりある。

こういう石段をみて駆け上がりたくなるのは、元陸上部の血が騒ぐからだろうか、あるいは前世が馬だったのだろうか。おおいに張り切って一段抜かしで上っていったらさすがに息が切れてきて、大逃げをうって最後に失速する馬になりそうだったが、どうにか足が止まる前にてっぺんにたどり着いた。

境内の草木はかなり色づいていた。山門から外を覗いた景色はこう。

今回の鎌倉小旅行で、一番、紅葉がきれいだったのは円覚寺である。さすが山寺である。見上げると蜘蛛の巣とその宿主が見えたあたりもさすがに山寺である。

蜘蛛くん、君を写真に撮る人間なんて私くらいのものだからね、感謝しなさいね。

この後、建長寺にも行った。私は、鎌倉で一番好きなのは円覚寺で、平地にある建長寺は、八幡宮に行く途中に横目で見て素通りするだけだったが、今回じっくり見てみて、落ち着いていていいなぁ、と思った。建長寺のお堂は一直線に並んでいて、これは中国の禅寺の様式なのだそうだ。

おごそかな雰囲気は、ドイツ語の「feierlich」がぴったり。因みに、ブラームスのドイツレクイエムの終曲の曲想指定が「feierlich」である。「Feier」は「式典」だから、以前のバカだった頃の私は……じゃあ今もじゃん。じゃなくて、よりバカだった頃の私は、「feierlich」を「にぎやかに」ってニュアンスで理解していたのだが正反対。式典は式典でもどちらかというとお葬式の雰囲気である。

お堂に鎮座まします仏像さんもよかった。そこで一句。

としとって、ぶつぞうみてる、わたしかな。

そのままである。因みに、次の写真で前後に並んでる二体のうちの前方の仏像さんは、ガンダーラの修行僧を模したもので、究極の苦行(断食)をしている姿だそうだ。

道理で骨皮筋衛門である。このくらいになって初めて即身仏になるのだろう(即身仏=死んだ後、腐敗の原因となる脂肪がないためそのままミイラになったもの)。

そして、いよいよ鎌倉八幡宮。今回の小旅の目的は、前記の通り、大銀杏を見ることである。ところが、該当場所に今あるのは、どう見ても大銀杏ではなく「小」銀杏である(石段の左側)。

おかしいなぁ、子供の頃、修学旅行かなんかで来たときは、たしかに「大きな銀杏」が植わってたんだけど、と思って周囲を見渡したら、ちょっと離れた所に、これは間違いなく「大」銀杏の切り株があった。

枯れたヤツを植え替えたのだろうか。ググってみた。すると、枯れたのではなく、2010年に強風で倒れ、それを3つに分割して根元の部分を移植したのだそうだ。そうか、じゃあこれが子供の頃見た大銀杏のなれの果てだったのだな。それでも、1か月経つと、移植した株から新芽が生えてきたそうだ。今では、切り株がかなりの葉っぱで覆われている。

この後、宮の脇にある池に行ったら、鳩と鴨と鯉がわんさかいて、観光客からエサをもらってるから人間のことを全く恐れていない。それどころか、一羽の鳩は、ばたばた言って向かってきたと思ったらなんと私の肩の上に降り立った。

あまりに近すぎてピントが合いませんでした、の図である。因みに、鳥の祖先は恐竜である。つまり、こやつらの祖先は、地球上で、乱暴狼藉の限りを尽くしてきたのである。

(以下、後編につづく)


恋馬が勝って血圧下降、そして逆襲

2022-11-14 08:52:06 | 日記

今朝、血圧を測ったら、上が139。二回目は137。なんという低さ!一般的には120を超えれば高血圧なのだが、私とすれば、驚くべき急降下である(ドル円もこのくらい下がってくれたら(円が上がってくれたら)いいのだけれど)。このように低くなりうるということは、普段高いのは病気ではなくストレスによるものかもしれない(素人見立て)。じゃ、昨日、なにかストレスが発散されるようないいことがあったっけ。あった!ジェラルディーナがGⅠを勝ったことだ。深夜までネットでお祝いメッセージのサーフィンをし、そのまま寝付いたあと一度も目が覚めずに朝を迎えたのだった。同馬の勝利は血圧の上昇をもたらしてもおかしくないところだが、私には逆の効果をもたらした。病は気から、という。「気」は大事。ジェラルディーナも、デビュー当初、なかなか体重が増えなかったのは、カリカリする性格のせいで、食べても身にならなかった。だが、最近、落ち着いてきて、飼い葉がそのまま体になってきて、母ジェンティルドンナの現役時代と同体重にまでなったのだという。いぜれにせよ、血圧が下がれば後顧の憂いはない。ワタクシの逆襲(I strike back)が始まる。

「逆襲」と言えば、スターウォーズの第2作(エピソードⅡ)は「The empire strikes back」だから邦題が「帝国の逆襲」で問題ない。問題は次の第3作(エピソードⅣ)である。当初、邦題は「ジェダイの復讐」だったが、後に「ジェダイの帰還」になった。これは原題の変更によるものなのだろうか。例えば、当初「Revenge of Jedi 」だったのが「Return of Jedi」に変わったのだろうか。果たして、推測はstrike(大当たり)であった!当初「Revenge」だったが、高潔なジェダイにこの言葉は似つかわしくないということで、ルーカス・フィルムが「Return」に変えたのだが、日本側では「Revenge」で準備が進んでいて、変更が間に合わなかったらしい。

「逆襲」と言っても、せっかくの神が与えたもうた休息である。この2年ぐらいいろいろあったから、2年くらいぼーっとしててもよさそうなのに、すぐ動かないといけないとあせるのは、私も「おしん」に見る日本人の遺伝子を引き継いでいるからだろう。もっと切実なのは、このままぼーっとしてるとチコちゃんに怒られるだけならいいが、ボケてしまうこと。ぼーっとしてるのは年内くらいにしておこう。

昨日も書いたが、ジェラルディーナがパドックで首をぶるんぶるん振り回す様は母親譲り。多くの競馬ファンはその仕草に危うさを感じるのだが、ジェンティルドンナのファンはジェンティルを思い出して安堵する。だが、もう少しである。ジェンティルドンナは、最後の有馬記念のときなど、ぶるんぶるんはいつも通りでも、歩様はどっしりしていた。ジェラルディーナはまだチャカチャカしている。それであの勝ち方だから、来年は更なる活躍が期待できるだろう。ジェンティルが前記の有馬で勝った時期までジェラルディーナはあと1年ある。


ジェンティルの娘がGⅠを制す!

2022-11-13 15:59:58 | 日記

わが愛しのジェンティルドンナ、結婚したいくらい大好きなジェンティルドンナの娘ジェラルディーナがエリザベス女王杯(GⅠ)を制した。前回のレースで、初の重賞制覇。ようやく良血開花!馬体重も増えて、ジェンティルの現役時代と同じくらいになった。パドックで首をぶるんぶるん振り回す様はお母さんとそっくり(いれこんでると思って馬券を諦めたファンがいるらしいが、私はジェンティルの面影を見てうれしかった)。そうやって期待が膨らむ一方、久々の雨で阪神競馬場は重馬場。これだけが心配のタネだった。ジェンティルは重馬場が苦手だったから。だが、そんな心配を蹴散らす見事な走り。競って抜け出す横綱相撲で、強豪ひしめくなか堂々先頭でゴールした。実に美しく、力強いゴールであった。

名牝の子は走らず、という。だから、ジェラルディーナが前回重賞を制しただけでも大ニュースだった。それがGⅠも制したともなると、これはもう大事件である。史上最強牝馬論争がそれぞれのファンによってかまびすく繰り広げられているが、繁殖成績(子の成績)も含めた実績となると、現時点でジェンティルドンナの圧勝である。

ジェラルディーナの掲示板が盛り上がるのは当然だが、ジェンティルドンナの掲示板も祝福の嵐。まあ人間社会でも、子供が金メダルをとると、実家にもお祝いの電話が殺到するっていうし。

昨夜、外でたくさん飲んだので、今夜はお酒を抜くつもりだったが、こういう日に祝杯をあげなくてどうする!?(飲む口実ができてよかったね)。馬券も当たったことだし(単複とワイドが的中)。だが、今後は、馬券人気が相当上がるからオッズ(当たったときの倍率)は低くなるだろうなぁ……

ジェンティルドンナとジェラルディーナは第一印象で似た名前だなぁ、と思ったのだが、「ジェラルディーナ」の構成文字をどう組み替えても「ジェンティルドンナ」にはならない。にもかかわらず、似てる印象があるのは、以下の理由によると考える。
どっちも「ジェ」で始まる。
どっちも第一音節の最後が「ル」である。
どっちも第二音節の頭の子音が「d」である。
どっちも語尾が「ナ」である。

因みに、ジェンティルドンナに娘がいても、彼女は人妻(馬妻)ではない。娘は婚外子、しかも一回のみの逢瀬でできた子である。ジェラルディーナの快挙で、また音楽をがんばろう、と思ってるワタクシでありました。


頭隠して尻隠さず/過去完了形の演奏

2022-11-13 11:30:53 | 

 

頭隠して尻隠さず、である。右端に出っ張ってる茶色のもこもこはケメ子の尻尾。ケメ子の下にいるのは例によって私。つまり、構図的には、ケメ子の黄門様は私の鼻先にある(猫を飼ってる人なら知っているよくある状況)。

今日は暖かいな、昨日、外でお酒を多い目に飲んだせいかな(私に「ボエームごっこ」をさせようとしてたくさんついだ人がいた。私は、最近、大人になって、そういう破廉恥な真似をやめているのである)、やっぱ、お酒は飲まなきゃだめかな?と思ったら、今日の気温は24度まで上がるそうだ(暖かいのはお酒のせいではなかった)。風がものすごく強い。あおりをくって、ベランダに吊した洗濯物のハンガーが落下した(どういう物理的運動でもって落下したのだろう)。あちゃー、また洗い直し?という考えが一瞬頭をよぎったが、いや、洗濯物は、洗濯直後はいずれにせよ雑菌だらけで、乾燥によって雑菌が消えるという。なら、わざわざ洗い直す必要もないだろう。

相変わらず、昔の録音録画の移行作業をしている。なかには、昔の番組が、そのまた昔の演奏(過去完了形)を紹介してたりして(昔×昔=大昔)、興味が尽きない。その中で気になったヤツをいくつか。

大昔の超レジェンド歌手(テナー。その名は歌劇団の名前にも刻まれている)が「冷たい手」を歌っている。この方は、お父さんがスコットランド人ということで、なかなかの二枚目である(大相撲の大鵬はお父さんがロシア人、指揮者の渡邉暁雄はお母さんがフィンランド人で、いずれも二枚目である)。その二枚目レジェンドの「冷たい手」が聞けるとあって期待は否応にも膨らむ。だが、膨らんだ期待はパチンと消えた。プッチーニ特有のながーいフレーズはそこかしこで寸断され、パヴァロッティの流麗な歌がデフォルトになっている私の耳にはもはや別の曲である。日本語で歌ったせいだろうか。この後も、声楽陣については、そうしたがっかりが続いたのだが、ここに山路芳久が登場した。出たっ(お化けのように言うな)、これぞモノホン!山路芳久の歌は何度か生で聴いていて、そのときの感興が蘇る。しかし、彼は早逝したのだった。惜しい人を若くして亡くしたものである。

器楽は、大昔から達者な人が多かったようだ。ピアノの安川加寿子の映像も出てきた。この方は、私が、生で聴いたおそらく最初の演奏家である。10代でN響のヨーロッパ演奏旅行に同行し、振り袖姿でショパンのコンチェルトを弾いた有名ピアニストの映像も出てきた。この方の演奏は、まさに、鍵盤を「叩く」というもの。ピアノは打楽器であると思わせる弾き方は、当時は主流だったのだろうが、今では、だいぶ変わってきているそうだ。そう言えば、日本では、指揮も「叩き」が主流だそうで(某指導者の影響らしい)、ヨーロッパでカラヤンに学んだ若手が「叩き」とは正反対の指揮をするようになって日本に帰ってくると、指導者は「まったくもー」と言って直すのだそうだ(実際「まったくもー」と言うかどうかは知らないが、「(若手が)カラヤンのところに行っておかしくなって帰ってくる」と、某有名指揮者が言ったのは聴いたことがある)。


うどんの値上げ/マサカリ投法/不倫と血圧

2022-11-11 09:16:21 | 日記

業務スーパーで、20円で売ってたうどんが23円に値上がっていてがっくり。値上がり率はなんと15%である。この事実を日銀総裁はどうこころえるっ?いや、どうもこころえないだろう。15%と言ったって3円でしょ?って言いそうだ、じゃなくて、絶対言う。だいたい、「偉い人」のおつむの中の金額の桁は、われわれ庶民のそれより10桁は違う(その昔、まだネット証券ができる前、証券会社に決裁を依頼したら1日間違えて決裁されたので、電話で文句を言ったら、支店長とやらが出てきて、金額(超少額)を聞いたとたん「馬鹿馬鹿しい」とばかり電話を切られた。彼らは、小口の客を客と思っていないのである)。そう言えば、こないだ国会で立民の議員が日銀総裁に迫っていて、「やれやれ、もっとやれ」と応援しながら見ていたのだが(私が立民の議員を応援することはまれである)、「来年はインフレ率は下がる」と答弁した総裁に対して「それがはずれたらどうするんですか?」と聞いたのを聞いて、ああ、こんな質問しかできないからダメなんだ、とがっくりきた。見込みがはずれたら腹を切りますとでも言わせたいのだろうか、そんなこと言わせてどうする?なぜ、理論で論駁できないんだろう、って国会議員にそれを求める方が間違っているのかもしれぬ(なんとも情けない話である)。

「マサカリ投法」で名を成した村田兆治元投手は、「球が速かった投手は?」って話のとき江川さんと同じく必ず五本の指に入る人。引退後も、お歳からすれば考えられないような速球を投げていて、OB戦のときなどは、村田さんが今回は球速何キロを投げるのか?が楽しみだった。それほど、ストイックな方の印象だった。だが、最近、逮捕されたニュースが流れたと思ったら(空港で女性検査員の肩を押したとの暴行容疑)、ご自宅の火事で亡くなられたとのこと。事情は知る由もないが、人生の無常さを感じずにはいられない訃報であった。

昔録ったVHSのダビング作業をやってたら、「ふたりっこ」の最終回が出てきた。ちょうど私の人生の転機にぶちあたったときの朝ドラで、毎回しみじみと見ていた(オーロラ輝子なんてのもいましたねぇ)。脚本は大内しずかさん。この方は、ご亭主以外に彼氏がいることをトーク番組で堂々としゃべっているが誰にも怒られない。他方、NHKの某アナウンサーは不倫がばれてバッシングの嵐である。この差はどこ?大内さんはフリーランスなのに対して某アナは「皆様のNHK」の職員だから?大内さんは自分で堂々と言ってるけど某アナはこそこそ隠してたから?じゃあ、堂々と言えばいいんだ!? 因みに、某アナは、何年か前に、担当していた午後の番組で血圧が話題になったとき、えらい高い値が出て、さすがにシュンとなっていた。今回のバッシングでまた血圧が上がったら大変。ご自愛くださいまし。因みに、私の血圧が高いのは不倫がばれたからではありませぬ。


主の「御前で」新しい歌を歌え!

2022-11-08 10:56:42 | 音楽

男心と秋の空。一口に秋の雲と言っても、いろいろあるらしい。写真の右下はさば雲、左上はうろこ雲であってるだろうか。とにかく、空を見上げるのが楽しい季節である。

ぽしゃ。スワン号がびわ湖に着水したときの音である(朝ドラ)。

5回目のワクチン(オミクロン株対応)を打った。例によって、打ったところが痛い以外は副反応の「ふ」の字も出ない。だが、打つ瞬間は、1回目のときは気がつかないくらいだったのにだんだん感じてきて、今でははっきり痛いくらいである。

源実朝が由比ヶ浜での大型船の建造を命じたと聞いて(史実)、遠浅の由比ヶ浜で、大型船を作ってどうやって沖に出すんだろう?と思ったら、案の定、大型船は海に移動させられないまま浜で朽ち果てたという(これも史実)。由比ヶ浜には、室内合唱団時代、年に一度、正月に団の仲間と一升瓶を抱えて繰り出しただけ。言わば、私は由比ヶ浜の「素人」。そんな素人でも分かるようなことが分からなかった実朝さんって……。「実朝は実は優秀だった」と言われても、そんなエピソードを聞かされちゃったらね。因みに、「鎌倉殿の13人」で実朝が暗殺されるのはもうすぐのはず。放送後は、惨劇の舞台である八幡宮は人で混みそうだから今のうちに行っておくか。

さて。今朝の「古楽の楽しみ」で、バッハのモテット第1番「Singet dem Herrn ein neues Lied」を流していた。いろいろ話したいことのある曲である。それを徒然に記そう。

バッハが忘れ去られてる間も、この曲だけは演奏されていて、それを聴いたモーツァルトは「全身耳になった」そうで、演奏後、ただちに楽譜を求めたという。

この曲は、普通は「主に向かって新しい歌を歌え」と訳されるが、今朝の放送では「向かって」が「御前で」になっていた。ドイツ語の原題は、定冠詞の「dem」のみで「向かって」という意味を表している。あえて「御前で」という意味を強調するなら「vor」という前置詞もあるが、それは使われていない。なお、「Singen Sie」ではなく「Singet」だから、「歌ってください」ではなく「歌え」と訳すのは相当である。

私が室内合唱団で学生指揮者だったとき、定期演奏会にかけたかったのは、実はこの曲である。だが、当時、ソプラノのパートリーダーのB子(私にとってのB子は、ジェダイにとってのダースベイダーであった)が、最後にB♭が出てくるという理由で強く反対。それでなくても、当時、執行部を形成していた私の学年は、ルネサンス派が多数を占め(数の力にモノを言わせる彼らの手口は、田中派を継承した竹下派のようだった)、バッハは新しすぎる(そういう世界も存在する)という理由で難色を示し、結局、ボツってしまった(議会の過半数を野党に占められた場合のバイデン大統領の苦労が想像できる(まだ開票中である))。

私がこの曲を歌えたのは、翌年、4年生になり、半分「隠居」状態になってから。合宿の練習で、件のB♭がきれいに決まった日の夜、男部屋で男達は「すげぇ。誰だ?」と犯人(?)探しをし、新入生の彼女だろう、ってことになった。その彼女と夫殿ともども再会したのは、今年の麹味噌合唱団において(世間は狭い)。あと、卒業後に入ったSM合唱団でも歌った。SM合唱団では、指揮者のオルガニストが私の主張を取り入れてくださり、ダブルコーラスの並び順が普通は客席から見てSATBSATBとなるところ、SATBBTASとなった。こう並ぶことにより、第1部の「Die Kinder Zion」のすさまじいフーガが、左から右に移っていって、真ん中のBにきたところで、今度は、両サイドに向かって広がっていく、という効果が得られるのである。

この曲の特に第2部(第2コーラスがコラールを歌い、第1コーラスがその合間にアリアを歌う)は、演奏しようによってはいくらでもロマンチックにできるのだが、ロマンチックな演奏は古楽の世界では禁じ手。古楽の人はザッハリヒ(即物的)な演奏を好む人が多い。室内合唱団に所属してた当時買ったリリングのモテット全集のレコードの帯には「リリングのバッハはロマン的すぎると批判されるがどうのこうの」と書いてあって、聴いてみると、なるほど、柔らかくて「ぐにゃぐにゃ」なイメージ。当時、私は、室内合唱団で相当洗脳されていた証しである。ウィーン国立歌劇場合唱団が歌うベートーヴェンのミサ・ソレムニスの「in gloria dei patris」など、高校時代はあんなに好きな演奏だったのに、室内合唱団時代に聴いたときは野蛮人の足踏みのように感じたのも同じく洗脳が進行していた例である。その後、再び、近代オペラをたくさん聴くようになると、洗脳も半分、青い……ではなく、半分、解けてきて、前記の二つの演奏も、再び楽しく聴けるようになった。すなわち、どっちにもいい顔をしつつ、どっちにも混ぜてもらえない哀れな「こうもり」こそがワタクシの現在の立ち位置である……が、今後は、古楽に特化しようかと思っている今日この頃である。それこそが、カウンターテナーの生きる道、と思うからだが、現実がそうなっていないのは、私にとり、ゆゆしき事態である……

 


ピザ焼きあれこれ(妄想はタダ)

2022-11-08 10:46:12 | グルメ

アラジンのトースターの未開封品(完全な新品より安い)を購入。未開封品については、実は中古だったとか、箱がぼろかったとかって話がネットにあふれているが、もともと中古でもいいと思っていたのだから、そういうことはまったく気にならない。ウチに来たヤツは、たしかに未開封品のようである。

購入目的はピザ焼き。この器械のウリは、0.2秒で庫内の温度が280度に達する点である(だから、予熱がいらない。電気代の節約になる)。庫内で、ピザが膨らんでいく様子を見るのが楽しい。

出来上がりは、こんな感じ……と言っても、形がいびつなのは器械とは関係ないが、ふわっとした感じが出ていてbeneである。

食感も同様にふわっとしている。この後、いろいろ焼き時間を変えて試してみるつもり。もともとピザを焼くために買ったのだが、せっかくだからトーストも焼いてみよう(そっちが本来の用法である)。ただし、これまでピザ焼きに使っていた専用のピザメーカーの「焼き温度400度」も捨てがたい。そもそも、なぜ、ピザメーカーがありながらトースターを買ったかというと、予熱の要否のほか、ピザメーカーで作る場合は具を乗せたピザ生地を専用の取っ手を使ってピザメーカーに入れるのだが、取っ手にくっついちゃうとうまく移せない。くっつかないようにするには結構大量の打ち粉を打たなければならない(このご時世、粉代もバカにならない)。それに対し、トースターの場合は、ピザストーン(セラミック製の円形のプレート)の上でピザ生地を整えたらそのままストーンごと庫内に入れることができて楽である。だからである。

Doch halt!(だが待てよ)。本格的にピザ窯で焼く場合はシャベルみたいなヤツ(文字通りピザシャベル)でピザを窯に入れるのだが、その場合もコツがいるし、打ち粉を打たねばならぬ。そこんとこを面倒くさがってるようでは、到底、アマチュア・ピザ職人を名乗ることはできぬ。しかもでござる。そもそも、なぜピザメーカーにストーンごと入れてはいけないのだろうか。トースターにストーンごと入れてよいなら、ピザメーカーにだって入れていいはずである。ピザメーカーには予めストーンがしつらえられているからストーンを二枚重ねる感じになるが、ストーンを置くと遠赤外線効果で良く焼けるというのなら二枚重ねたってよいはずだ。ということで(思い立ったら命がけ)、昨夜はその実験であった。

二重円の内側が生地ごと乗せたストーン、外側がピザメーカーにしつらえられたストーン。焼けるではないか!しかも、このピザメーカーを使ったなかで最高の出来である。さて、そうなると、鳴り物入りで加わった新戦力のトースターは内心おだやかではない。ピザストーンごと入れる技を敵も備えたとなると、残るアドバンテージは「予熱不要」のみとなる。400度VS予熱不要。今後、両者は熾烈な争いを繰り広げるだろう。互いに切磋琢磨して、わが家のピザ生活の向上に努めてもらいたい(切磋琢磨する両者の背後にいるのはどっちも私。同じく、相争う共和国と分離派の背後にいるのはどっちもシスの暗黒卿パルパティーンである)

本格的なピザ窯と言えば、先日、某地方を散策しているときに田園地帯の中に忽然と姿を現した下記物体は、焼却炉でなければピザ窯だと思われる。

こういう窯をしつらえることのできる庭付き一戸建の格安物件は、探せばありそうだ。200万円でぼろ家を買って、600万円でリフォームして、人に賃貸して副収入を得るサラリーマンをNHKで紹介していたが、そういう物件があれば人に貸さずに自分で住んじゃったってよいと思った。そうして庭でピザを焼くことになったら、消火のための大量の水を必ず用意しなければならないな……例によって妄想中だが、妄想は試着と同じでタダである。


2022-11-08 10:41:56 | 

ワサビは、前掛け(顎から胸にかけての白い毛)がチャームポイントである。足下の爪とぎをおニューのものに取り替えた。人間(私)ばかりいろいろ買ってることの罪滅ぼしである。

尾張名古屋は城でもつ、なら、お江戸上野はパンダでもつ。ついでに足立区のわが家は猫でもっている。

「キクラゲ」は「木耳」であり、海にいるクラゲのことではないのだが、では、海に黄色いクラゲはいないのだろうか?調べた。いた!クラゲの名は不明だが、黄色いんだから「黄クラゲ」と言ってもバチはあたらないはずである。

国会図書館に一度行ったことがある。子供の頃読んだ「こども科学館」(月刊誌)を是非読み直してみたかったから。索引票(当時は紙だった。今は当然電子化されてるんでしょうねぇ)を検索したらその名の本があったので閲覧を申し込んだら、出されてきたのが同名の単行本。私が望んでいた本はなかった。「本はなんでもある」わけではなさそうである。因みに、お目当ての本は、ネットオークションサイトで見つけてゲットできた。

スターウォーズの「ジェダイ」は、ドイツ語では綴りは同じ「Jedi」だが読みは「イェーディ」。こないだ見たスピンオフで、女性のジェダイが「Ich bin ein Jedi」と言っていたから、ドイツ語の「Jedi」は男性名詞である。ジェダイが女性であっても同じである(「ein」は男性名詞に付く不定冠詞である)。

ドイツ語とスターウォーズのからみをもう一つ。30年前、ドイツのテレビでスターウォーズを見てたら、冒頭、がーんと大写しになるタイトルが「Star Wars」ではなく「Krieg der Sterne」だった。すなわち、まだドイツ人がドイツ語に愛着を持っていた。今ではオリジナルのまま「Star Wars」。別の映画では「もう一曲」と言うべきところを「Noch ein Song」と言っていた。一昔前なら「Noch ein Gesang」と言ったはずである(「Krieg der Sterne」について追記。「Sterne」が複数形なので「星々の戦争」「星間戦争」って感じだろうか。あれぇ?複数形と言えば、「Wars」が複数なんだから、「Kriege」じゃなきゃおかしいよなぁ、でも確認したらやはり「Krieg」で合ってた。けど、ちょっと不思議)。

源実朝は夢日記をつけていたそうだ。私もつけようか。ここしばらくは、以前のような荒唐無稽な精神の破壊を疑わせるような内容の夢は影を潜めていたが、最近、復活しつつある。そういうヤツをここに書くわけにはいかないので、最近見た穏便なヤツを一つ。麹味噌合唱団と思しき団体で、バッハのロ短調ミサとモテットの第1番を練習する夢だった。メリスマを走ってしまって隣の人に睨まれた。夢でも楽しいだけってないものだ。あと、なぜヨハネではなく、過去にやったメサイアやマタイやドツレクでもなくロ短調とSingetなのかは不明である。


「恋せや乙女」は求愛の歌?

2022-11-08 08:37:40 | 音楽

写真をスマホからPCに移してたらこんなのが出てきた。いつ?どこ?建物は東京駅っぽい。!(ブラタモリで、タモリさんが何かにピンとくるとびっくりマークが出る)まさに東京駅だ。久々に外でたくさん飲んで(お茶を、ではない)、地下鉄を乗り過ごして、大手町まで戻っても千代田線がなくて、それでも、少しでも自宅に近づきたいと思って、大手町から東京駅まで歩き、山手線で上野まで行ったが、常磐線も終わってて万事休す。そのときの大手町から東京駅までの間に撮った写真である(記憶にないが、状況証拠による)。うむ。切羽詰まった状態でありながら、写真を撮る心の余裕があった私を誉めてあげたい(人間は、たまには誉められたい。私の場合、自分以外にほめてくれる人はいない。だから、遠慮無く誉めてあげるのである)。

あさイチにビズリーチ先輩が出ていた。私は先輩推しであるが、人力飛行機発進のときのかけ声はヒロインの方が張りがあっていい。先輩は、落ち着いて「ビズリーチ!」と言うのはいいが、大声は不得手であるとお見受けした。そう言えば、信長に扮したキムタクもかけ声はいまいち。それに引換え、暴れん坊将軍の松平健の声は立派である。現在、マツケンサンバが再ブレーク中ということで、ご同慶の至りである。

さて。古い録音・録画を新しいメディアに移す作業は、いつ果てるとも知れない長旅であり、やる意味があるのか?と問われるが、その過程で思わぬ再発見に出くわす楽しみがある。最近では、レナータ・スコットやルチア・ポップのずっと前の記録が出てきて驚喜乱舞したところである。そんななか、ベータやVHS等のビデオテープはすべてDVDにダビングし終えたと思っていたら、まとまった量のVHSが出てきた。わが家にベータや8mmビデオなら再生機ならあるが、VHSの再生機は既にない。ないなら買おう、ホトトギス。生産が終了したものでもネットオークション等で中古を安く買えることに最近味をしめている。ということで、4000円(+送料)でS-VHSのデッキを購入して、作業開始。おおっ、出てくる、出てくる(「出てこいシャザーン」で分かる人いる?「出てこい」でググったらちゃんと「シャザーン」が候補として出てきたけど)。まず、出てきたのは、(シャザーンではなく)NHKのイタリア語講座とドイツ語講座の録画である。

イタリア語講座で記憶にあるのは、ジローラモさんと一緒にパスタを茹でたアシスタントMCが「ジローラモさんは、茹でるときこーんなに塩を入れるんですよ」と言ったこと。そのシーンがいきなり出てきた。「大量の塩」と聞いて「血圧に悪い」を連想するのは今だからこそ。当時はそんなことを思わず、ただ、「そうか、イタリア人はパスタを茹でるとき塩をたくさん入れるのか」だけ頭に残り、それを実践してきた。だが、イタリア人は、茹でるときの塩で十分味付けができるので茹で上がった後の塩を控え目にして調整するのだそうだ。今回、再生してみたら、そのこともちゃんと言ってたが、当時、そこのところは聞いてなかった。すると、今日のワタクシの高血圧はパスタのせいだろうか(他に疑われる原因はストレスである)。

そしてドイツ語講座。なんと、ある放送回で、エルンスト・ヘフリガーが登場して歌を歌っていてびっくり。当時、ヘフリガーは日本の歌をドイツ語で歌うのをライフ・ワークとしていた。で、タモリさんが司会をしてたテレ東の「音楽は世界だ」にゲストで出演し、タモリさんと一緒にフルトヴェングラーのモノマネをしていたことはよく覚えているが、ドイツ語講座出演についてはまったく記憶にない。そこで歌われていたのは「ゴンドラの唄」。ヘフリガーが歌うとまったくドイツリートに聞こえる。さて、その歌詞である。私がこの唄で第1に思い浮かべるのは、黒澤明の「生きる」のエンディング近くで、志村喬がブランコに揺られながら「いーのちぃみじぃかしー、こいせやぁおとめー」と歌うシーンだが、ヘフリガーは「恋せやおとめ」を「liebe mich」と歌っていた。ほぉー!私は「命短し、恋せや乙女」は、女性に恋を勧める人生のアドバイスだと思っていた。だが「lieb mich」だと「私を愛せ!」であり、求愛の歌となる。なら、今後、女性の前でこの歌を歌うときは、自分自身を指さして「恋せや乙女」と歌おうか?いや、そういう血圧が上がりそうなことはもうしないのである。


倫理の人

2022-11-07 12:21:46 | 日記

セーターの肘のほつれは、見方によっては憲法25条が保障する「人間としての最低限度の生活」を営んでいない証左のようだが、別の見方によればアートであり、ファッションである。

ファッションと言えば、ミニ・スカートを世に広めたのはマリー・クワントというイギリス人。60年代、イギリスは、ビートルズとミニスカートで世界の若者文化をリードしたという。そうか。ビートルズのライブ映像を見ると、観客席で絶叫して失神する女性の多くがミニスカートをはいてるが、前からあったんではなくてビートルズと同様、当時の流行の最先端だったのだな。

そのマリー・クワントの伝記映画がかかっているそうだが、最近、映画はもっぱら動画配信サービスで見ている。その中に、宇宙戦艦ヤマトの実写版があった。へーえ。作られたのは2010年か。知らんかった。で、古代進役がキムタク。キムタクと言えば、どっかのイベントで信長に扮するんで、人がたくさん来すぎて事故が起きるのが心配だとテレビのニュースが事前にさんざんにあおったから、余計にたくさん人が来たそうだが、幸い事故は起こらなかった。だが、映画内では事件が起きた。キムタクということで安っぽいラブシーンになるのではないかと恐れていた通り。あろうことか、宇宙戦艦内で黒木メイサが演じる森雪とキス。さらに抱き合って崩れ落ちた。まるで「ヴァルキューレ」の第1幕の幕切れである。ジークムントとジークリンデはジークリンデが夫と住んでいる家の中で行為に及んだのに対し(夫は妻が飲ませた眠り薬が効いて別室で熟睡中)、古代進と森雪は実戦中の戦艦内。場所は異なるが、いずれもけしからん行いであることに変わりはない(本日のワタクシは倫理の人である(日替わりである))。オペラの方はこの一回の交接でジークリンデのお腹の中にジークムントの子が宿るのだが(後のジークフリート)、映画も同じで、古代進亡き後のエピローグでは子供と戯れる森雪の姿が。ともに「一発的中」。この点はお見事。それに免じて今回は不問に付そうか……だが、ジークムントとジークリンデはたしかに一発的中だったが、古代進と森雪には新たな疑惑。この後も狭い戦艦内で人の目を盗んで逢瀬を重ねたのではないか、だから的中したのは数発の中の一発ではないか。だとすれば見事でもなんでもない。倫理の森に住むワタクシからすれば、情状酌量の余地はない。きびしく吟味をしたうえで、きっと極刑を申し渡すであろうぞっ(いつのまにか、大岡越前になっている)。

なお、吟味の前から極刑と決めつける大岡越前の行為は、近代刑法の理念にもとる蛮行である。それから、キムタクが芦田愛菜と共演しているCMは、私は好きである。因みに、芦田愛菜の血筋には、某業界を代表する大会社の社長・会長を歴任した大立て者がいらっしゃる(名字が同じである)。業界のロマンを語るその姿に惚れて、ほぼ全財産をぶちこんでその会社の株を買った私は10年以上にわたって巨額の含み損に苦しんだ。それが解消したのは……たった1年前のことだったんだなぁ。母が死んで、仕事を廃業して……この1年ちょっとは、まさに私にとって激動の時代であった。頭の中のネジが何本かゆるんでも当然である。


♪おんなはおおかみなのーよー

2022-11-06 10:16:43 | 音楽

子供の頃、学校のテストの前にむやみに片付けをしたくなった。それは私だけではなく、結構「あるある」であることを最近知った。一種の現実逃避である。今、目の前にテストが控えているわけではないが、「この先のこと」をいろいろ考えなければならなくて、現実逃避で片付けをしたくなったのだろうか。廃業のときも随分本を処分したが、あのときの量を凌駕するくらいの量。

さて、これを、週一回の資源ゴミの日にゴミ集積場に持っていくのが大仕事である。わが家はマンションのエレベーターなしの上階。エレベーターと台車があれば一回で済むが、どちらもないとくれば、これを一日で処理するためには階段を何往復もしなければならぬ。寄る年波を考えれば無理、あせらず何週かをかけてやればよい……と、理性的な人なら考えるが、そこは「思い立ったら命がけ」のワタクシめ。リュックに2束を入れて背負い、両手に1束ずつ、脇にも1束はさんでいっぺんで5束を運んだから2往復で始末できた。

すっきりしたが、血圧も上がったことだろう。

その血圧について。以前、施設に言われて母のもとに持って行った手首で測る血圧計が「相続」によって私のところに戻ってきた。それで自分の血圧を測ったら目玉が飛び出た。あり得ない数値(ホントだったらすぐ死んでそうな数値)が出た。これは間違っているに違いない、と思い、このたび、奮発して上腕で測るヤツ(手首式よりもちょびっと高い)を購入。それで測ったら、ホレ見たことか。数値が50ポイントくらい下がっている。虚偽のデータで人心を惑わした最初の計測器には島送りを申しつけた(燃えないゴミに出した。これも断捨離である)。数値が下がったからすっかり健康体の気分だが、それでもその数値は、立派な高血圧のソレである(最初の数値がどんだけ高かったのかって)。そのせいだろうか?ちょっと前、めまいを感じていた。

めまいと言えば、母がぼける前、しょちゅう「めまいがする」と言っていたが、病院に行っても決まって「異常なし」と言われるので、「お母さん、気のせいだよ」と言っていたのだが、誰かに病名を言ってもらわなければ気が済まない母はいろんな病院を渡り歩き、その過程で心臓にいちゃもんをつけられてペースメーカーを入れられた。だが、入れたペースメーカーはほとんど使われておらず、電池取り替えの際、先生に「あまり必要がないみたいだから(だったらなんで入れたんだよ)使用電力をうーんと少なくした。17年もつ」と言っていただいたが、その半年後にボケで死んだ。ほーら言ったことはない。気のせいで騒ぐからペースメーカーを入れられちゃって、毎日薬を飲まなきゃいけなくなっちゃったんだよ(ペースメーカーを入れた人は、毎日、血液をさらさらにする薬(ワーファリン)を飲まなくてはいけない)、私は絶対ペースメーカーは入れないぞ、と思っていたのだが、自分がふらふらしだすと、果たして母のめまいは気のせいではなかったのか!? だったらもっと信じてやればよかった、と思ったものである。

ところが、最近、体調がよい。夜中に目が覚めなくなったし、変な夢も見なくなった。めまいもなくなった。もともと高血圧(これだけは、認めたくない真実であるが、ホントのようである)は無症状だという。忘れていた歌も、こないだ某合唱団の練習に這うように行って歌ってみたら、「声の調子が悪い?どこがっ」と皆に言われる始末。うーん、すると母、そして最近の私のめまいはやはり気のせいだったのか。だが、変えたこともある。家飲みはワインをグラス二杯にしたし、就寝前にぬるいお湯に長くつかる。さらに、婚活をやめ、ブログに男女のことを書かなくなった。その効果か?そう言えば、♪おんなはおおかみなのーよー、きをつけなさーいー……ってピンクレディーの歌があったっけ(なんか違う)。


♪長崎は今日も晴れだった

2022-11-05 14:23:10 | 音楽

久しぶりに外でお酒をたくさん飲んだらその効果はてきめん!電車を乗り過ごしてタクシーで帰る羽目になった。この痛い出費が、最近欲しくて仕方がないアラジンのトースターの購買意欲に与える影響について考察する。
可能性その1。痛い出費をして財布が涼しくなったんだからあきらめる。
可能性その2。タクシーに出費をしたんなら、なおさらトースターに出費をすべきと考えて購入する。
さあ、私はいずれの道を選ぶのであろうか。

博多弁に敬語はないんだと。へー。英語やドイツ語と同じじゃん。因みに、日本人が外国で引っ込み思案なのは江戸弁を標準語にしたからだ、という人がいる。例えば、大阪弁が標準語だったら、もっと外国人とフランクに付き合えたはず、と言うのである。

その英語の「cool」は「涼しい」と習ったが、いまでは「かっこいい」「イケてる」という意味に使われることが多いそうだ。すると、「クール・ファイブ」は「イケてる5人」という意味か。だが、その命名は半世紀前である。当時の辞書に「イケてる」と意味が載っていたかどうか。因みに、私は社会人になるとき、会社に入ったらカラオケに行かねばならないらしい、カラオケでクラシックを歌うわけにはいかない、と思ってクールファイブのカセットテープを買って「長崎は今日も雨だった」を持ち歌にした。得意先にはなかなかに好評だったが、毎回これを聞かされる同じ課の先輩たちは、「イージマは今日も長崎だった」と飽き飽きした風情だった。今やっているカセットのデータ化作業において、そのカセットテープが出てきて、久しぶりにに本家の「長崎」を聴いてみた。カセットテープは今でも十分聴ける。なかなかいい音である。それに引換え、MDなんかは、エラーが生じると全滅である。ソニーが次々と発売するデジタルの新製品に踊らされず、ずっとカセットテープに録音していればよかったと思う今日この頃である。なお、長崎は、実際は晴天が多いそうだ。すると、正しく歌うとこうなる。♪ああああ~、ながさきぃは~、きょうも~、はれえ~だぁったー……「はれえ~」の「え~」(一番の高音)を延ばすのがかっこよく聞かせるコツである。「冷たい手」(プッチーニのボエーム)で「ラーア、スペーエ~ランツァー」の「エ~」(ハイC)を長く伸ばすごとしである。ただし、耳の肥えたスカラ座の天井桟敷の人々は、このハイCだけではなく、その直後の「ラン」(B♭)もしっかり延ばさないと「ブラヴォー」と言ってくれないらしい。


室内楽には自由の風が吹く(アウローラ・アンサンブルを聴いて)

2022-11-03 11:20:57 | 音楽

アウローラ・アンサンブルを最初に聴いたのは白井の発表会。あまたの音楽家が参加した中、この団体の最初の一音を聴いて、たちまち私はファンになり、以後、豊洲でコンサートを開かれるようになってからは必ずチケットを買っていた。「必ず聴きに行っていた」ではなく「買っていた」と書いたのは、一回だけ、チケットが家の中で行方不明になり探してるうちに時間がきて結局行けなかったことがあったから。たいそう残念であると同時に、家中探してもない、逃げ場のないわが家においていったいどこに隠れたんだろう、とそこが不審であった。発見したのはだいぶ経ってから。先代の猫の骨壺の脇にはさまっていた。ここなら見つからないのも無理はない。と、次に湧いた疑問は、いったいなぜあんなところに入り込んだのか。それはいまだに不明である。ただ、一つ告白すると、この日は昼から大酒を飲んでいた。そのことが関わっているかもしれない。まったく、そんなことをしてるから今頃体にガタが来るのだろう。

この団体は、弦楽四重奏にY先生のピアノが入った5人組が基本で、演奏会のたびに、そこに一人ゲストが加わる。昨夜の演奏会のゲストはフルート。この方が大層達者な方で、こういう方が入ると、もともと素晴らしいアンサンブルにいっそう磨きがかかるのではないだろうか。マキシマムに満足した演奏会であった。

室内楽はいい。まず、絶対専制君主の指揮者がいない。さらに、各人が思い思いに体を動かすから(一人の弓がダウンなら隣がアップだとか、一人がかがむと隣が反るとか、一人が右に体を揺らすと隣が左になびくとか)、自由の風が吹きまくっている。それでいて統一がとれている。こういう世界は好きである。

今でもよく覚えているのは、学生のときに聴いたリリング指揮のゲヒンゲン聖歌隊(曲はマタイ)。ソプラノのお姉様方が、歌いながら、それはそれは優雅に体を揺らしていた。自由な息づかいが音楽にも柔軟さを与えている感じがした。それと正反対な感想を持つのは日本の学生の合唱団。特に、男子は、まるで縛られているかのように硬直していることが多くて、聴いてるこちらまでこわばってくる。大人の合唱団でも「ステージに上るときは、楽譜は左手で」とか言われるのが苦手である(私は左利きだから、逆にしたらダメ?と聞きたくなる)。

オケを聴いたときも同様の感想を持つことがある。以前、在京の某オケの「運命」を聴きにいったとき、指揮者さんはそれは精力的に振ってらしたのだが、オケの、特にヴァイオリンの皆さんは、背筋がぴしっと伸びているのはいいのだが、伸びっぱなしでびくとも動かない。ただ、腕だけが動いているだけで、なんだかスターウォーズに出てくるドロイド(ロボット)のようだった。きっと、先生から習った通りに弾いているのだろうが、体幹がしっかりしているとほめてもらえそうだが、覇気の無い「運命」だった。それに引換え、外国のオケの場合は、奏者が巨体をゆすって小さいヴァイオリンにかぶりつく。親の敵をうってるかのよう。前に、ベルリン・フィルの来日公演のライブをFMで放送したとき、解説者が、「奏者がよく体を揺らしている。それに引換え日本のオケは……いや、批判をしているのではありません」と言って言葉を呑んでしまったが、私は言いたいことが分かった気がした。

そう言えば、大昔は、チェロの先生は、生徒に「弓を持つ右腕の脇に本をはさんでそれが落ちないように弾きなさい」と教えたそうだ。ずいぶん窮屈な弾き方である。その教えを無視して、脇をばんばん開けて弾いたのがカザルス。出てくる音楽は段違い。以後、古い教えを言う人はいなくなったそうだ(いったい、昔の先生はなんだったんだろう)。

このところ、歌を忘れただけではなく、楽器も忘れてるのであるが……歌を忘れたのはカナリアだが楽器を忘れたのはなんだろう?バッタだろうか?バッタ(それもショウリョウバッタ)が弦楽器を弾いている絵が浮かんできた……こうやって、名演奏を聴くと(昨夜の話に戻っている)、やりたい、という気が湧いてくる。ただ、始動エンジン(自動車で言えばセルモーター)がかからないのである。因みに、昨夜、一番、音に私の注意がいったのはチェロとヴィオラである。ヴィオラもいいねぇ(やらないけど)。


heilen(快癒)

2022-11-01 08:46:52 | 日記

この秋の二度目の銚子旅。前回見損なった屏風ヶ浦を見るためのリベンジ旅である。以下、その道中記。

行きの電車から筑波山が見えた。今や、筑波山は、私にとって、富士山と並んで「見ると血圧が上がる山」である。

車窓から見る雲も、なかなか絵になって好きである。遠くから見れば白い雲も、直下では黒く雨を降らせてるんだろうなぁ。いや、遠くから見ても黒い雲がある。雲にもダークサイドに墜ちた手合いがいるらしい。きっと、そこから発せられる雷の電光は赤いに違いない(ダークサイドに墜ちたジェダイ(=シス)のライトセイバーの色は赤である)。

その雲の下で、左右に細く銀色に光っているのは利根川である(銚子旅の電車の車窓から利根川が見えることは前回確認済み)。

駅から海岸まで歩くと畑が多い。これを見るのが湘南の旅では味わえない楽しみである。特に多かったのがキャベツ畑。キャベツは今年はなかなか1玉100を切らないが、ここでは豊作に見える。キャベツと言えば青虫。モンシロチョウの幼虫だ。そのモンシロチョウが乱舞していた。

彼らは人間を認識しているのだろうか。この一枚を撮ったあと、なかなかそばに寄ってきてくれない。

畑には小鳥もやってきていた。この小鳥はなかなかシュッとしているが何と言う鳥なのだろう?

屏風ヶ浦は、海岸に沿って東西10キロに及ぶ断崖絶壁。実は、前回、東のへりに近い所まで来ていた。なのに断念したのは、スマホの地図アプリが屏風ヶ浦の西のへりにそのポイントを打っていたからである。それで遠くて無理だと思ってしまったのだ。今回は、前回と同じルートではつまらないので、崖の背後の集落から崖の切れ目に抜けるルートで行く。敵(って誰?)も、まさか崖の背後からやってくるとは予想するまい。一ノ谷の戦いにおける義経の鵯越を思わせる作戦である。そうしてとうとうお目にかかったのが冒頭の写真の風景。縞々模様は地層である。そう言えば、私が育った横浜市緑区の町外れの造成地に地層むき出しの場所があり、通ってた中学校に、この地層を研究したいからこの地に赴任してきた、という先生がいた。

このあと、このあたりで一番高い山=愛宕山(標高73.6メートル)の頂上付近にある展望台に行った。そこから見た屏風ヶ浦も良い景色だった。

途中、浜に降りて歩いて見た。地元の人が犬の散歩に来たらしい。競馬で言えば、重馬場のダートコースである。

海岸には、こうした白い石もたくさんあった。

これはなんの石だろう?なーんてことが気になるのは、ブラタモリの見過ぎである(タモリさんなら、たちどころにこの石の正体を言い当てるのだろう)。

銚子は、醤油の生産が盛んである。デビューしたての沢口靖子がヒロインを務めた朝ドラ=澪つくしも、銚子の醬油屋の物語だった。当時の沢口靖子は、演技はどうであってもとにかく可愛い、という評判であった。醤油会社のこの地における権勢(?)は、銚子電鉄のベンチにも見ることができる。醤油会社のタンクだとか他にもっとそれらしい写真を撮ったのに、あえてこういう写真をアップするところが、私が人に理解されないところであり、かつ、私の私である所以である。

「絶対あきらめない」が合い言葉の銚子鉄道のこの日の車内アナウンスの主はきゃりーぱみゅぱみゅ(だと名乗っていた)。その関係だろうか、車内がおおいに華やかであった。

というわけで、愛宕山登山も含め、この日歩いたのは2時間半。実は、行きの電車内では不調だった。歩いていて倒れたらどうしよう?と思った。だが、歩いているうちにやたらに元気になってきて、最近「歌を忘れたカナリア」であった私が歌なども口走った……じゃなくて、口ずさんでしまった(日本語は正しく使いましょう)。おおっ、歌もまだまだいけそうである(だが、カウンターテナーだから、向いているのはやはり古楽である)。声だけではない。銚子の地に降り立ったとたんに、足どりもびっくりするくらい軽やか。おととい、家の中で、バスクラのケースにつまづいて転倒してべそをかいたのがウソのよう(ウソはべそをかいたこと。だが、大いに情けなかったのは事実)。帰りなどは、電車に間に合うようにと、愛宕山のてっぺんから駅まで15分走り続けた。半世紀前、飛ぶように走っていたことを考えれば、まるで体に重りでもついているよう。それでも15分間走り通せたのはたいしたものである。こうしてすっかり元気になった。ドイツ語でいう「heilen」(快癒する)とはこのこと。それもこれも、自然に触れたおかげである。やはり、定期的に自然に触れなければ。きっと、血圧はだだ下がりしているに違いない……と思って、帰宅直後、奮発して新調した血圧計で測ってみたが、こちらは期待はずれ。