拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

鳩におちょくられましたの巻(鎌倉小旅・前編)

2022-11-14 21:07:33 | 音楽

朝晩、ひんやりするけれど、午前中、太陽光線を浴びると幸せな気分になるこの時期こそ、おでかけをしたいもの。「鎌倉殿の13人」ではもうじき実朝が暗殺される。そして、ドラマの末尾の「関連紀行」で公暁が実朝を待ち受ける際に身を隠したという大銀杏が紹介される可能性は1番人気の馬が来る可能性より高いに違いない。すると、人が大挙としておしかけるだろう。行くなら今である。ということで、今週は鎌倉小旅の巻。観光地をろくに知らない私でも、鎌倉は高校時代から通っていたので、比較的土地勘がある地である。

まずは、北鎌倉駅で降りて(何年経っても駅の風情が昔のままなのがよい)、円覚寺に参る。円覚寺と言えば舎利殿。

若い頃は、ただ「エンカクジシャリデン」とお経のように唱えていたが、多少は知恵のついた今から思えば、「舎利殿」はお釈迦様の骨を納めた場所である。

円覚寺は山寺。奥に行くほど勾配が高くなる。特に、高台にある洪鐘(おおがね)への石段は、急勾配のうえ段数もかなりある。

こういう石段をみて駆け上がりたくなるのは、元陸上部の血が騒ぐからだろうか、あるいは前世が馬だったのだろうか。おおいに張り切って一段抜かしで上っていったらさすがに息が切れてきて、大逃げをうって最後に失速する馬になりそうだったが、どうにか足が止まる前にてっぺんにたどり着いた。

境内の草木はかなり色づいていた。山門から外を覗いた景色はこう。

今回の鎌倉小旅行で、一番、紅葉がきれいだったのは円覚寺である。さすが山寺である。見上げると蜘蛛の巣とその宿主が見えたあたりもさすがに山寺である。

蜘蛛くん、君を写真に撮る人間なんて私くらいのものだからね、感謝しなさいね。

この後、建長寺にも行った。私は、鎌倉で一番好きなのは円覚寺で、平地にある建長寺は、八幡宮に行く途中に横目で見て素通りするだけだったが、今回じっくり見てみて、落ち着いていていいなぁ、と思った。建長寺のお堂は一直線に並んでいて、これは中国の禅寺の様式なのだそうだ。

おごそかな雰囲気は、ドイツ語の「feierlich」がぴったり。因みに、ブラームスのドイツレクイエムの終曲の曲想指定が「feierlich」である。「Feier」は「式典」だから、以前のバカだった頃の私は……じゃあ今もじゃん。じゃなくて、よりバカだった頃の私は、「feierlich」を「にぎやかに」ってニュアンスで理解していたのだが正反対。式典は式典でもどちらかというとお葬式の雰囲気である。

お堂に鎮座まします仏像さんもよかった。そこで一句。

としとって、ぶつぞうみてる、わたしかな。

そのままである。因みに、次の写真で前後に並んでる二体のうちの前方の仏像さんは、ガンダーラの修行僧を模したもので、究極の苦行(断食)をしている姿だそうだ。

道理で骨皮筋衛門である。このくらいになって初めて即身仏になるのだろう(即身仏=死んだ後、腐敗の原因となる脂肪がないためそのままミイラになったもの)。

そして、いよいよ鎌倉八幡宮。今回の小旅の目的は、前記の通り、大銀杏を見ることである。ところが、該当場所に今あるのは、どう見ても大銀杏ではなく「小」銀杏である(石段の左側)。

おかしいなぁ、子供の頃、修学旅行かなんかで来たときは、たしかに「大きな銀杏」が植わってたんだけど、と思って周囲を見渡したら、ちょっと離れた所に、これは間違いなく「大」銀杏の切り株があった。

枯れたヤツを植え替えたのだろうか。ググってみた。すると、枯れたのではなく、2010年に強風で倒れ、それを3つに分割して根元の部分を移植したのだそうだ。そうか、じゃあこれが子供の頃見た大銀杏のなれの果てだったのだな。それでも、1か月経つと、移植した株から新芽が生えてきたそうだ。今では、切り株がかなりの葉っぱで覆われている。

この後、宮の脇にある池に行ったら、鳩と鴨と鯉がわんさかいて、観光客からエサをもらってるから人間のことを全く恐れていない。それどころか、一羽の鳩は、ばたばた言って向かってきたと思ったらなんと私の肩の上に降り立った。

あまりに近すぎてピントが合いませんでした、の図である。因みに、鳥の祖先は恐竜である。つまり、こやつらの祖先は、地球上で、乱暴狼藉の限りを尽くしてきたのである。

(以下、後編につづく)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿