拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

楽譜と測量記号の三角点

2021-07-17 21:11:39 | 音楽
90歳のインストラクター・タキミカさんは、今、英語を勉強されていて、夢は、外国でインストラクターをすることだそうだ。歳は関係ない。何歳でもやりたいことをやる。そういう世の中になりつつあるのは喜ばしい。例えば、ピアノやヴァイオリンは、大昔は、3,4歳から始めなければモノにならないと言われていたが、最近は80歳過ぎで習い始める人がいるそうな。プロでも、中学から始めただとか、なんと言っても超絶技巧のユジャワンは始めた歳が6歳である。かくいうワタクシも、オーボエとフルートを始めたのは、まがいもなくカンレキを過ぎてから。この調子で、新しいことに挑戦し続ければボケずにすむのだろうか。いや、活発な人でもボケるときはボケるという。ここでもゲームチェンジャーはワクチンかもしれない。因みに、ワタクシが、某会の例会で、終わった後、後悔の涙にくれずにお酒が飲める程度の演奏をする、という基準で言うと、クラリネットは練習せずともそこそこ吹ける。ヴァイオリンは練習せずとも下手に弾ける。オーボエとフルートはうーんと練習して下手に吹けるかもしれない、そんな感じである。毎日、全部の楽器を練習するわけにはいかないから、次の例会に向けて、次回のカンタータに登場する楽器(でできそうなヤツ)があればそれを練習していこう、そうすれば、10年後には、どれもそこそこ下手に演奏できるくらいになっているかもしれない、これが私の目論見である。しかし、番外編のソロ会では、私は、ジルソンの「オーボエとクラリネットとピアノのためのトリオ」を吹くのだが、これにはかなり力(リキ)が入っていて、きっちり練習して挑むつもり。楽譜も、ソロ楽譜はあるのだが、数え間違いをしそうなので(迫り来るボケの恐怖)、オーボエとクラリネットが並んでる楽譜を作った。使ったソフト(今ではアプリと言うべきか)はミュゼスコア。例によってタダである。これは、一音一音手入力。私としては珍しくお金を出して楽器メーカーKのソフトを入手してあって、そっちは、PDF楽譜をスキャンする能力に長けていて難なく楽譜が作れるという触れ込みだったから買ったのだがダメ。最近、マニュアル本を入手したがやっぱりダメ。これでスキャニング能力が高い?他のソフトがよっぽどダメってこと?私のスキルの問題かもしれないが、とにかく使えないからミュゼスコアで手入力している。が、こっちはこっちで手入力の面倒以外に問題がある。融通が利かないのである。例えば、クレッシェンドの線をここまで引きたいと思って引く。ところが、勝手に長くなったり短くなったりする。例えば、ピアノとフォルテの間にクレシェンドを引く場合、元の楽譜に従って、その中間くらいまで引いても、マウスから手を離すと、フォルテの位置まで勝手に伸びてしまう。そういう意味の融通の利かなさである。変則的な投球フォームや打撃フォームを一切認めず直そうとするコーチのタイプである。それをなだめすかしてほぼ元の楽譜通りに仕上げたつもりである。ところで、今回、ジルソンの楽譜を作っていて、元の楽譜に見たこともない記号があった。三角の中に点が入っている記号である。底辺がなければショートフェルマータだが、底辺がしっかりある。調べたら、測量の三角点を表す地図記号だった。ミュゼスコアには某大な記号が用意されているが、さすがに測量記号は入っていなかった。

欲しいモノ

2021-07-15 15:38:43 | 音楽
90歳のインストラクター・タキミカさんにびっくりしたと思ったら、400メートルリレーを走る90歳から95歳までの男子4人組には超びっくり。「高齢」と「短距離」はもっとも結びつかないワードである。多分、今の私より速いのではないか。そういう映像を見て、思わず自分も走りたくなるところは、流石、元アスリートである(中学時代に3年間やっただけなのにときどき都合良く「アスリート」になる)。だが、実際に走ると、いろんなところがたっぽんたっぽん言って走りずらい……いや、状況は変わるかも。マイブームの「腸内発酵食品」はまだ続いている。タキミカさんは60過ぎて運動を始めてウエストが15センチ縮んだというが、私もこの2か月で2キロ体重が落ちた。私はダイエットのCMの使用前使用後では大体使用前の方が好きと言っていて、それは、子供の頃に見たルーベンスの裸体画の影響なのかもしれないが、自分自身のこととなると、やはり体重が落ちるとほくそ笑みたくなる(それも限度があるが)。因みに、昨日の「がってん」で、食物繊維が一番なのは木耳だという。だったら最初から言ってよ。いろんなモノを奨められて、奨められるたびにそれを取り入れる素直すぎるワタクシである。さて、もう一つのマイブームの粗大ゴミ捨てもまだまだ継続中……と言っても、大体じゃまだったものは片付いた。だが、クセになっていて、来週も何か捨てたいと思って捨てるモノを探している。将来の妻用の布団は女嫌いになったときに捨ててもうない。自分を捨てろ?猫と糠床の面倒を見なければならないからそういうわけにはいかない。それから、使い道がないからって捨てられないものもある。シャトー・ムートン・ロトシルトの空き瓶は絶対に捨てるわけにはいかない。



捨てるモノを探しているウチに、残すモノが出てくることもある。ほこりまみれの紙袋を捨てようと思って中を見たら、小学校の頃のリコーダーとハーモニカが出てきた。これも捨てるわけにはいかない。昔のモノは捨てても遺跡級に古いモノはとっておきたい。楽器ならなおさらである。楽器を捨てるという選択肢はない。ハーモニカに「ヤマハ」と書いてあるところが時代だなぁ、この頃はまだ「YAMAHA」ってロゴはなかったのかなぁ、と思ったら、リコーダーの方は「YAMAHA」である。



このように残すものもあるが、基本的に使わないモノは捨てる。だからモノは減る一方(そしてスペースは増える)。それでも、新規に手に入れたいモノがないわけではない。今欲しいモノは次のモノである。
まともなオーボエ
人にいえる価格のヴァイオリン
油をしかないで目玉焼きが作れるブルーダイヤコーティングのフライパン(無水調理鍋がおまけに付いてくる)
Ein Mädchen oder Weibchen
あれぇー?さっき、女嫌いになったって言わなかった?言った。これは矛盾である。これは、弁証法的矛盾であり、一つ上のステージに昇るための試練である(「女好き」と「女嫌い」というテーゼとアンチテーゼから弁証法的に生み出される次のステージって何なのだろう。オホホかしらん(おほほほほ))。試練と言うとタミーノみたいだが、♪Ein Mädchen……と歌うのはパパゲーノである。

ルメール(尻取りだと次もル)

2021-07-14 17:42:44 | 音楽
ショーヘイ・オータニは、今や、大リーグを代表するスター選手。オールスターの観客の声援の大きさでそれが分かる。思えば、大谷選手が二刀流で大リーグに挑戦しようとしたとき、「喝おじさん」をはじめとする多くの「専門家」が無理だ、やめろと言った。だが、大谷選手がやめなかったのは、自分に絶対の自信があったからだろう。私も、「男の裏声なんて気持ち悪い」と言われながらもカウンターテナーを通したのは、自分のカウンターテナーの声がよいと信じたからである(受け入れてくれるところを求めて彷徨っているうちに麹味噌合唱団に出会い、今や、ここで知り合ったお友達は私の音楽活動の重要な仲間である)。ところで、大リーグの選手の中に「ヴィヴァルディ」がいた……と思ったら、「イオヴァルディ」だった。音楽家のヴィヴァルディ以外で私が最初に知ったヴィヴァルディさんだと思ったがソラミミであった(タモリ倶楽部の「♪ソラミミ、アーワー」の「ソラミミ」に付けられた音は、移動ドでソラミミである)。因みに、私が作曲家以外で知ったベートーヴェンさんは、一度テレビで見たベートーヴェンの子孫だというご婦人(ベートーヴェンには子供はいないから、多分、弟の子孫)。「ご先祖様は美男子だった」と言い張っていた。その他でベートーヴェンと言ったら犬。忠犬ハチ公的な言い方をするならベト公である。それから、大作曲家以外のバッハさんと言ったら今話題のIOC会長。意味が同じ人も含めれば、元柔道家で格闘家の小川直也も入る。それからルメール。競馬ファンが「ルメール」と聞けば、騎手のルメールだが、オーボエ奏者にとって「ルメール」はオーボエの有名ブランドである(有名メーカーのマリゴーの創立者の一人のお名前をとったもの)。じゃあ、競馬好きのオーボエ奏者だったらどうだろう。某美女に聞いてみよう。実は、最近、寝不足。毎夜、ネットでオーボエの中古を物色しているせい。その過程で「ルメール」を知ったのである。綴りはどうだろう。オーボエは「Lemaire」。騎手も「Lemaire」。同じだ。その「ルメール」を尻取りの回答にすると、次の人も「ル」で始まらなければならない。その場合「ルメール。はい、君、ル」「ルメール」「同じじゃん、だめだよ」「意味が違うよ、君のはクリストフ・ルメール(騎手)でしょ?ボクのはオーボエの方だから同じじゃないよ」との言い訳は通らないだろう。なお、オーボエ・メーカーの「マリゴー社」の「Marigaux」から「i」を取ると、シャトー・マルゴーの「マルゴー」になる。「失楽園」で不倫の二人が心中のときに飲んだ銘醸ワインである。不倫と言えば、ベートーヴェンに直系の子孫はいない、と書いたが、実はいると言ってる研究者がいる。「不滅の恋人」候補の一人であるヨゼフィーネが産んだ子の一人がそうだという。ヨゼフィーネには夫がいたから、不倫の末の子ということになる。ということで、いかなる話題からスタートしても、この手の話にたどりつく私はもしかしたら天才である(なんの?)

シンドバッド

2021-07-13 19:34:04 | 音楽
「オールで飲む」っていうからボートのオールの先端におちょこを乗せるか、又は先端のくぼみにお酒をたらして飲むのかと思ったら、「オールナイトで飲む」ことだそうだ(この言い回しと、SEXのことを「エッチ」と言うことと、「キャバクラ」と言う言葉が世に現れた時系列はどうなのだろう。三つとも私が成人するまではなかった)。私が想像した「オール」はボートを漕ぐ道具。「ボート」と言えば「海」。「海」と言えば「シンドバッド」。ドイツ語で読んでる千一夜物語にようやくシンドバッドが登場した。シンドバッドって(船を操船する)船乗りだと思っていたら、船に乗って方々で商売をする商人だった。その商人のシンドバッドが、荷役人のシンドバッドに7日間に渡って自分の冒険を語る、というお話だった。細部は異なるが、7つの冒険に共通してるのは、船に乗って商売をしてたら船が難破し、孤島にたどり着く。そこで死にそうになる。その際、なんで故郷を離れて旅などをしたのだろうと後悔する。だが、助けてくれる船が現れて、大もうけをして故郷に錦を飾る。そこで何不自由のない暮らしをしてるうちにまた旅に出たくなる。この繰り返しである。その際、前の旅で味わった苦難をころっと忘れている。人間は忘れやすい動物だが、シンドバッドは異常だ。なにせ、毎回、仲間はみんな溺れ死んだり、巨人や大蛇に食われたりしてシンドバッド一人が生き残る。それで生還できたのは奇跡的に運がよかったからと考えれば二度と旅には出ないだろうに、彼は出る。そして奇跡が7回続く。7回連続して万馬券に当たるようなものだ。まあ、そこがお話のお話たる所以だが。ところで、シンドバッドの物語は当初、千一夜物語にはなかった話で、後に加えられたそうだ。なるほどである。他の物語は、大概、男女のことが中心になり、うねうねと大河ドラマのように話が続く。そして、人物の思いは詩の引用で語られる。この点、源氏物語のようである。だが、シンドバッドの物語では女性はほとんど出てこないし(だから「満月のような」という形容も出てこない)、詩もほとんど詠われない。そして一話一話が短い。あっという間に助かって大金持ちになる。因みに、私は、ピンクレディーの歌の中で「渚のシンドバッド」が一番好きである。イントロの後、音楽が一変明るくなって、ミーとケイが左右にケンケンをするでしょ?あのケンケンが好きなのだ。で、今回改めて歌ってみると「ここかと思えばまたまたあちら」という歌詞がある。おおっ、シンドバッドの物語でも「von Land zu Land,von Insel zu Insel」(土地から土地へ、島から島へ)が決まり文句のように出てくる。原典に忠実でびっくり。歌謡曲、おそるべし!である(ただし、ピンクレディーの歌の方は、移り行く対象は土地や島でなく、異性であるが)。あと、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」って歌もあるが、正直、「今何時?」のほか歌詞がよく聞き取れない。

もうお別れなんですね(って歌うキャンディーズの曲がありました)

2021-07-12 12:56:29 | 日記
競馬予想家の「スガダイ」で検索しようとしたら「スガ」まで打ったところでスガ首相が多数ヒット。そのスガ政権は、禁酒法の再施行に際して、酒販店や銀行に手を回しているそうな。ボスが自分の手を汚さずに弱い者にやらせるところなどはまるで893。それに対して、競馬予想家のスガダイは、もそーっとしゃべるし髭を生やしてるしで当初怖いイメージがあったが、競馬の話が終わった後の「雑談コーナー」でうかがえる「人となり」は正義感のある「いい人」である。893と言えば、昨日、某家電量販店で楽天のスマホの申し込みをした。1年間限定のセールとやらは終わっても、毎月1ギガまではタダ。通話も専用アプリ使用でタダ。機種代は25001円だが、楽天ポイントが25000円つくんで実質1円。通話の品質が問題視されているが、帰宅して、自分ちから自分の固定電話にかけたら難なく通じた。何の問題もない。大得である。だが、事件は、手続の直後、帰宅前におきた。担当者に「この後、電話料金が安くできるかもしれないので、説明を聞いてやってください」と言われて別のブースに連行され、そこで待ち構えていたのは「○○○光」という名札を下げたおじさん。業者内で客を紹介する密約があるんだろう、担当者さんの顔を立てて説明くらいは聞こう。すると、例のNTTの名前をかたって「お知らせがあります」と電話をかけてくるセールスと同じであった。NTTからNTTの回線を卸してもらった業者に乗り換えると電話代が安くなるというあれである。もう電話でうんざりしてるのでこの手の話には即拒否反応。だから「結構です」と言うと、さあ、ここから先方の化けの皮がはがれる。「え?なんで?」。なんでって、こっちから頼んだわけじゃないのに、なんでこちらが断る理由を説明しなければいけないの?それでも、しつこくあーだこーど言って引き下がらない。業を煮やして、とにかく断る、じゃあ、これでいいですね?と言って席を立つと「ふんっ」てな態度である。驚いた。この量販店の店内に、しかも「○○○」という立派なキャリアの名を冠してる企業の社員にこんな893がいようとは。気が弱い人なら、言われっぱなしで契約をしちゃうかもしれない。そうした実績があるから、ああいう893がはびこるのだろう。もう二度と店舗でスマホの申込みはしない。「頼みもしないのに」と言えば、買ったばかりのスマホに搭載されているAIもそう。ときどき、「今10時です」とか言って話しかけてくる。そりゃあ、一人住まいだけれど、スマホ相手に寂しさを紛らわすほどではない。うっとうしいからアプリをはずそうとすると、「ななしさん、もうお別れなんですね」と恨み節。このアプリに名前を登録していないので「名無し」なわけだが、アクセントが「名」にあるから、まるで「まさし」と言われているようである。

ス・私の片付けが遅いなら

2021-07-11 08:52:03 | 音楽
もしも私の顔が青いなら、それは恋をしてるから(デュファイ)。もしも私の片付けが遅いなら、それは楽器が多いから(私)。「もしも」などという仮定ではなく事実である。昨日の歌いまくる会でもヴァイオリン、オーボエ、クラリネットの片付けに手間取り結局私が最後。みんなを待たせてはいけないというあせりがあったのだろう、ICレコーダーを会場に置き忘れてしまった。帰り道に気づき、スマホで施設に電話。あった。良かった。今日とりに行く。こういうとき、携帯電話は便利である。そのスマホは今月が解約月。新しいのは楽天にしようかどうか迷っていた。めちゃくちゃ安いが、当初、つながらないという書込みもあったので。だが決めた。レコーダーをとりに行った帰りに契約しよう。ついでに、その店舗の上階のレストランでお酒を飲もう。明日から再び禁酒法施行なので。で、昨日の会であるが、K子さん……今日はK子さんが複数登場するので、区別するため、こちらのK子さんを「K子さん(美)」と表し、もうお一方は「K子さん(先)」と表すこととなる。そのK子さん(美)のアドバイスに従い、ヴァイオリンの弓と弦を新しくしたら、K子さん(先)が珍しくヴァイオリン演奏を褒めてくれた。K子さん(先)が私をほめるなんざ多摩川にアザラシが来るくらいまれなことである。たまに(昔、多摩川に現れたアザラシは「たまちゃん」である)褒めとかないと、大人になって悪い道に進むと思ったのだろうか(十分大人であるが)。褒められるのは好きである。だが、褒められる要素がないことが明らかなのに褒められるのは逆に気分が害される。今回のヴァイオリンは、自分でも弓と弦を代えてこんなに変わるんだ!と感動していたところだから、褒められて素直に嬉しい。アドバイスを下さったK子さん(美)に感謝である。だが、K子さん(先)がオーボエを褒めてくれたことは(ホントに昨日のK子さん(先)は、どうしたんだろう)、私的には微妙である。相当、K子さん(美)の足を引っ張ってしまったから。いや、おちるんならまだよい。どうにも音程の悪いキーがある。それが自分で許せないのである。こないだ調整に出したのはそこを直してもらうため。直後は直ったのだが、翌日すぐ戻った。お店の人には「この楽器は音が狂いやすい。そういう金属を使っている」と言われた通りである。思い切って「まともな楽器」の中古を買おうかしらん。なーんて言うと、K子さん(先)から、ほら、だから最初からちゃんとしたのを買えっていったんだよ、と言われそうだが、最初のはあくまでも「お試し」である。それで箸にも棒にもかからなければそれで一巻の終わりだが、箸か棒かにはかかりそうなので、そういう気になりつつあるのである。因みに、クラリネットのA管も同様であった。最初にお試しに買ったA管は「まがいもの」。だが、まがいものでもA管の魅力は十分に感じられた。ところがどうにも音程の悪いキーがある(なんだ、まったく今回と同じじゃん)。で、ちゃんとしたのを買ったのだった(このあたりは、クラリネット仲間のY先生(先)とあおりあったせいでもある)。因んだ話その1。お友達には名字がK子さんのご夫婦もいらっしゃる。K子さんご夫婦の夫殿と、K子さん(美)と、K田さんと私は競馬友達でもある。その2。冒頭のデュファイの世俗曲の原題は「ス・ラ・ファス・エ・パル」であり、「ス」が「もしも」である。これで今回のタイトルの謎が解けたと思う。その3。レコーダーの件で電話をした施設の方が「ありましたけど、まだ録音中です。どうやったら切れますか」とおっしゃる。そうだ、「ホールド」にしてあるから切れないんだ。電話でホールドの解除の方法等を伝えた。変な会話が入ってるかもしれない。その4。電話と言えば、母の遺産に未使用のテレフォンカードが何枚かあった。使い道はないだろうと思いながらもらっといた。その他、歯磨き粉だとか、洗剤だとか、シャンプーなんかももらってきた。因みに妹がとってったのは宝石類である。残ったブツは整理屋さんに全部処分してもらった。そこは慣れたもので、一切の感情を差し挟まず、次々と処分。あっという間に原状回復となった母の部屋であった。

おとなの国

2021-07-10 10:03:49 | 日記


パクチーは一箇所から茎が二本出てくるんで、一本を間引くのがよい、引っこ抜くと残した方にダメージがあるのではさみで切るのがよい、と聞いて実行。間引いたやつは食べられるから、これも収穫である。



こんなに小さくても立派なパクチー。手に強烈な匂いがつく。撫でて!とよってきた猫を撫でるのも匂いが移るのではないかとためらわれる。昼に味噌汁に入れて、夕方吹くクラリネットとオーボエのリードに匂いが移る……ってことはないだろう。閑話休題(引き続き閑話)。用事があって、久々に東横線に乗ったのだが、あれま、「多摩川園前」駅が「多摩川」駅になっている。大学の最初の2年間は東横線で通っていて、このあたり、電車から小さな遊園地が見えていたが、それが閉鎖され、駅名も変わったのだな。え?今ググったら、開業当初は「多摩川」駅だったそうな。元に戻ったのか。遊園地ではないが、京浜東北線の東神奈川駅近くに大昔、ジェットコースターがあったが、とうの昔になくなった。子供の頃、それに乗って、大層怖かった覚えがある……が、もっと前、赤ん坊だった頃、一人で(!)乗ったことがあるそうな。母が「止めてっ」と大騒ぎしたが止めてもらえず、しかし、赤ん坊の私はケラケラ笑っていたそうである。そもそも、「止めて」と言う前になんで赤ん坊を一人で乗せたが不明だ(そういうワケの分からないところのある母であった)。今でもあるのは(これも遊園地ではないが)、「こどもの国」。できたのは私が6歳の頃で、施設のあちらこちらに防空壕だか貯蔵庫だかの跡があった。「こどもの国」と言いながら、そこかしこで大人の男女二人連れがいちゃいちゃしていたから、私ら子供は「おとなの国」と呼んでいた。そうだ!十分(十分すぎるほど)大人になった今こそワタクシの出番だ。次の「募集」は、「おとなの国でワタクシといちゃいちゃする人」ってことで。

あれはなんだ、鳥だ、ロケットよー/若かりしベームは銀行員のよう

2021-07-08 20:27:25 | 音楽


三毛猫だし、ラックの上で寝ているが、新宿の巨大猫ではない。我が家のケメ子である。新宿の巨大猫を見て、かわいい♥と言っている人がいるが、実際にあの大きさの猫がいればわれわれはネズミである。狙われたら逃げるのみである。ところで、前回の記事で、シュミーズを電光石火の速度で脱ぐ様子を「弾よりも速く」と表現した。これがテレビドラマの「スーパーマン」の冒頭だということをどれだけの人が分かったろうか。こうである。「弾よりも速く」ズキューン!「機関車よりも力が強く」シュポシュポシュポ「高いビルなどひとっ飛び」「あれはなんだ」「鳥だ」「ロケットよー」「いや、スーパーマンだ」「そうです、スーパンマンです」。私は「スーパーマン」と聞くと、もちろんジョン・ウィリアムズの壮大のマーチが鳴り響く映画版(主演=クリストファー・リーヴ)を思い浮かべるが、同時にレトロなこのテレビドラマのことも思う。力が強いことの代名詞が「(蒸気)機関車」であるところが時代である。そう、このドラマが初回に放送されたのは私が生まれる前。私は再放送を見たのである。そして、横浜線も、私が小さいときはまだ蒸気機関車が走っていた。ついでに、牛車が通る中山の道には牛糞が点々と落ちていた。昔話のついでだ。私は、自分の頭髪がボサボサであることを「山賊のよう」と言い表すのは、亡き父がいつもそう言っていたからである。多くの朝ドラは間に戦争を挟むから、大抵「国賊」という表現が出てくるが、戦時中でなくても山にいるのは山賊、海にいるのは海賊である。父がボサボサ髪を「海賊」と言わずに「山賊」と言ったのは、さすがは山があるのに山梨県出身だけのことはある。なお、「ひょっこりひょうたん島」に出てくる四人の海賊の中のヤッホーは山賊あがりの海賊である。だから名前は「ヤッホー」だし、海賊のくせに船酔いをする。「ひょっこり……」はリアルタイムで見ていた。その前の「チロリン村」はかなり記憶が怪しい。そして、私が最初に意識して見た大河ドラマは「源義経」。オープニング曲は鮮烈で今でもよく覚えている。作曲者が、武満徹という偉い人だってことを知ったのはずーっと後である。ということで、今回のネタはかなり懐古的。天涯孤独になったので、昔が懐かしいのだろうか。え?天涯孤独じゃないだろ、妹がいるだろって?せっかく天涯孤独を気取っているのである。妹は行方不明にしよう。おお、妹よ、お前はいったいどこにいるんだ(知ってるけど)。そう言えば、亡き父は(父の話ばかりしてるけど、今回亡くなったのは母である)、私と全然違って、おしゃれでいつも気取っていた。まるで親子とは思えない。と言っても、子供の頃の顔はそっくりだし、なんだかんだ言って、父だって、電蓄(電気蓄音機)を買って、クラシックのレコードを聴いていたんだから、なにからなにまで違うわけでもない。因みに、父が持っていたレコードには、ストコフスキー指揮のSP盤のほか、LP盤の初期の頃のものもあり、その中に、若かりしカール・ベームの新世界などもある。ジャケットで見る若かりしベームの風情はまるで銀行員である。

シミーズ、おらしょ、笛リス

2021-07-06 19:59:39 | 言葉
外国語の素養が子供の頃よりもついた今なら「シミーズ」は変、多分「シュミーズ」なんだろう、と思うが、当時はなんの疑いもなく「シミーズ」と言っていた。どうやら私だけではなく、日本中がそうだったらしい。外来語はえてしてそうういもの。隠れキリシタンが歌っていた「おらしょ」だって元は「oratio」(オラーツィオ)だし、神奈川県下有数の女学院だって土地の人は「笛リス」と発音していた。「笛リス」の「エ」は本当は「ェ」だと知ったのは、所属していた高校の吹奏楽部が笛リスの弦楽合奏部と合同で演奏会をやったときである。因みに、当時、笛リスの指揮をしていた私より一つ上のKさんは、その後音大の声楽科に進み、なんとバイロイト音楽祭でヴァルキューレの一人を歌うまでに大出世されたが、私は、当時、だから高校生のとき、そのKさんと菊名のラーメン屋に二人で入ってコーヒーをご馳走になったことがある(ラーメン屋に入るのが主目的ではなく、コーヒーを飲みに入った店がたまたまラーメン屋だった)。ヴァルキューレにコーヒーをおごってもらった!なんと光栄な話だろう。思い出してほくそ笑んだところでシミーズに戻る。「シミーズ」は正しく「シュミーズ」と発音されるようになる前に「スリップ」「キャミソール」という言い方にとって代わられたようだが、私にとっては、母が温泉に入ったときに着けていたものは永遠に「シミーズ」である。「母」=「温泉」=「シミーズ」ですり込まれているからだが、ふと考えてしまった。その後、私の脳内で「シミーズ」が「スリップ」や「キャミソール」に上書きされた覚えがない。それは、そういう類いのものを、温泉事件以後意識して見た覚えがないからである。これは何を意味しているだろうか。可能性その1。女性の下着姿を見る状況になったことがない(かまととかっ)。その2。そういう状況はあるにはあったが、お相手がその類いのものを身につけてなかった(夏だけかっ)。その3。同じくそういう状況はあるにはあり、お相手はその類いのものを身につけていたが、お相手が電光石火のスピードで自ら脱いだ(弾よりも速く!~スーパーマンより)。さぁ、どれでしょう?知るかいっ(怒)。まあいい。過去は振り返らない。今後、そういう状況に巡り会うこと、そして、お相手が旧シミーズを身にまとっていることを切望しつつがんばって生きていこう。

競馬歴60年

2021-07-05 21:18:00 | 日記


遺品を整理してたら大量のアルバムがでてきた。その中のこの一枚は、血(DNA)を感じさせるもの。父が私を抱いているこの写真、注釈が付いている。「府中競馬場」!そう、東京競馬場である。Wikiによると、開場は昭和33年11月。私が生まれるひと月前だ。つまり、写真は、開場して間がない頃である。私の生家は、川崎の武蔵中原駅から歩いていったところ。南武線で府中に行ったのだろう。芸能人が、赤ん坊の頃にCM等に出演してそのときから勘定して芸歴何年とか言うが、それで言うなら、私の競馬歴は60年である。もっとも、私は、音楽好きで、父とは確執があったから父が好きだった競馬はきらいで避けていたが、しかし、幼稚園のとき好きな絵を描けと言われて描いた絵は、右回りの競馬場の第4コーナーからいよいよ各馬が直線に向かうというシーンであった(騎手のお尻が上がっている描写がするどいと褒められた)。構図と褒められたことは覚えているが、絵は残っていない。私は、小さい頃は、絵というか漫画を描くのが好きで、小一のときは、授業の前、私の前に漫画を描いてくれというお絵かき帳を持ったクラスメイトの列ができていた。小3,4の担任の先生は専門が美術で、私に「看板屋になれ」と奨めてくれた。私は、いい学校に入っていい会社に入って「ぶちょー」「じゅーやく」になるつもりだったから(親からそのように洗脳されていた)、看板屋?馬鹿にするな、と思ったが、今から考えてみれば、私の適職であったかもしれない。

生後1年で、横浜の中山に引っ越した。生家のアパートが「赤ん坊が産まれたら出て行く」という決まりだったので追い出されたという話を聞いたことがあるが、聞くたびに話が違うからあてにならない。約20年住むことになる家は、新築である。家の前にいるのは多分親戚の家族である。



へー。周りに何もない。掘っ立て小屋のような風情はまるで、チャールス・インガルスが建てた「大草原の小さな家」である。中山駅から徒歩15分の丘の上にあった。丘の下から、自転車で足をつかないで上がりきることができたのは小学校高学年になってからだったろうか。相当、足腰が鍛えられた。

今回、掲載したかった写真は「府中競馬場」と「大草原の小さな家」だったから、これでおしまいにしてもよいのだが、おまけにもう一つ掲載する。時計の針を過去に戻して、両親の結婚披露宴らしき写真である。川崎の某中華屋で撮った旨の注釈がある。今回、すべて白黒なのがまったくもって昭和である。




息子はOKAMA!

2021-07-04 18:11:34 | 音楽


追悼と言うんだったらシミーズを着て温泉に入ったなんて話を書くのではなく、今回のようなお習字の作品を載せるべきだったか(しかし、「シミーズ」は受けた。続編を企画中)。亡母は習字が得意だったという。その点、私には1ミリも遺伝していない。だが、歌好きは大いに遺伝している。母は、百人一首を詠むとき、西洋風にメロディーを付けて、♪ラララララー、ラドドドドドラー、ララララソー、(休)ミミミミミソソ、(休)ソソソソソソソーと正確に歌っていた。私は、なるほどそういう風に歌うのかと思って、自分が詠むときもそっくり真似をした。ところが、テレビで見る歌会始では、詠んでる人のフシに音程がついてない。下手だなーと思った(はい、世界が違うということは、今ではよーく心得ております)。ラで始まる曲と言えば、高校1年のとき、音楽の試験で歌ったコールユーブンゲンが、♪ラー、レーラファミーソドシー、シーファレドーミラソーレミソファミレミード……だった。初見で歌ったのによっぽど集中していたのか今でもこのナンバーは最後まで覚えている。因みに、「コールユーブンゲン」は「コール・ユー・ブンゲン」、すなわち「(主語省略の)call you BUNGEN」(あなたをブンゲンと呼ぶ)である。大ウソである(親が死んでますます嘘つきになったワタクシめ)。正しくは「コア・ウ(イ)ーブンゲン」(合唱の練習(複数形))である(これはホントである)。掲載したお習字は、母が生前に(生前なのは当たり前)施設の書道教室で書いた作品である。施設では、他にもいろいろな講座を用意していて、母は、本格的にボケる前は、書道のほかに「歌謡」「脳トレ」等に行っていた。歌謡教室の先生はソプラノで、いかにも「声楽家」って感じの明るい、気さくな、肉感的(?)な先生で、始まる前に各部屋に呼びに来ていた。たまたま私が母の部屋にいるときなどは私にも「ご一緒にいかがですか」と声をかけてくれて、よっぽど「私、カウンターテナーなんです」と素性を明かそうかとも思ったが、明かしたら最後、「あれ、じゃ是非に」とか言われて、私も調子に乗ってのこのこ出かけていって、で、アルトを歌って、「イージマさんの息子さんってOKAMAよ」という噂が施設内で広がったら母に悪いと思ったから言わないでおいた。あと、私は、母に、ボケ防止作戦として、平日の午後、テレ東でやってる映画を毎日見て感想文を書くように奨めたのだが(BSでも毎午後映画を放送しているが、あっちは字幕なので、吹き替えのテレ東の方がいいと思った)、その奨めに母が乗ったことはなかった。

シミーズを着て温泉に入った母(追悼)

2021-07-02 06:04:04 | 日記
そういうことを書くとお友達に気を遣わせることになるからどんなものかと思った。だが、「コロナ禍で認知症が急激に悪化する」「認知症が進むとものを食べなくなる」「食べることは大事」を是非書きたかった。すると、多くのお友達から暖かいお悔やみのコメントをいただいた。あらためてありがとうございました。母はこんなに多くの方から冥福を祈っていただいて、あらあたしってこんなに人気者なの?とさぞや喜んでいることだろう。親孝行になったと思う。もともと母は天然ボケだった。私が子供の頃、「お母さん、今日のゴハンなに?」と聞くと決まって「ご飯よー」と言った。そんな母が薬をちゃんと飲めなくなって、それが最初に現れた老人ボケの症状である。当時通っていた病院の先生に「間違いない、これは大変なことになる」と言われたが「大変なこと」の意味がよく分からなかった。それがコロナ禍で症状が劇的に悪化した。今の主治医の先生に「食べられなくなる。点滴を繰り返して亡くなる」と言われたのはこの5月の頭のこと(丁寧に、明解に説明してくるこの美女先生に私は全幅の信頼を寄せていた)。それが「大変なこと」の内容であった(天然ボケなら命に別状はなかった)。その後はジェットコースターのよう。今週、先生から、いよいよだから面会するようにと連絡をいただき、昼に面会して、その日の夜中に施設からの電話が鳴った。内容は決まっていた。ドキドキした。母は、私と正反対で、何もかもやりたがらない人であった。しかし、こういう人に限って長生きする、下手をすると私の方が先に逝っちゃうんじゃないかとさえ思っていたがあっという間であった。逝った後の表情は、半日前の苦悶の様子が嘘のように安らかなものであった。そうは言っても、あちら側に行ったら二度とこちら側に戻って来れない(一方通行)。頭にきて合唱団をやめといてしばらくしてケロッと戻ってくるのとはワケが違う。母はもう少しこちら側にいたかったと思う。この間、ケアマネさんにも尋常ならざるご苦労をおかけした。介護認定の変更手続をとり続け(新たな認定がおりたらすぐまた変更の申立てをした)、変更されるたびに新たなプランを作ってくださった。

ちょうどこの時期、徹子の部屋で追討特集と銘打って過去の映像を流している。私も、以前、裏ブログをやっていたときにそっちに書いた「シミーズを着て温泉に入った母」をここに再掲載して追悼としよう。7年前に書いたものである。

日本の混浴温泉には子供時代に入ったことがある。子供の頃、毎夏父の実家(山梨)に家族で旅行した(家族旅行で父の実家以外に行ったことはない)。で、ある夏のこと、たまたま親戚一同が父の実家に勢揃いしたので、温泉に行こうということになった(今から思えば石和温泉だ)。その温泉、脱衣場は男女別だが、その先の温泉は男女混浴。親戚一同(おばあちゃん、おじさん、おばさん、従兄弟、従姉妹)なんのためらいもなくすっぽんぽんになる(私と同い年の従姉妹のあつこちゃんも)。そんな中で、裸を断固拒否したのがわが母(おじさん、おばさん世代で唯一土地の人ではなかった)。父に、みんなの交流場なんだから恥ずかしがることないだろ、と言われても絶対脱がなかった。で、なんとシミーズを着けたまま温泉につかった(マナー違反)。そういやー、母は、脱ぐのがいやだと言って病院にも行かなかったなー。そんな母も今は80越え。病院に行きまくっては(脱ぎまくっては)どこも悪くないと言われて帰ってくる。