拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

シミーズを着て温泉に入った母(追悼)

2021-07-02 06:04:04 | 日記
そういうことを書くとお友達に気を遣わせることになるからどんなものかと思った。だが、「コロナ禍で認知症が急激に悪化する」「認知症が進むとものを食べなくなる」「食べることは大事」を是非書きたかった。すると、多くのお友達から暖かいお悔やみのコメントをいただいた。あらためてありがとうございました。母はこんなに多くの方から冥福を祈っていただいて、あらあたしってこんなに人気者なの?とさぞや喜んでいることだろう。親孝行になったと思う。もともと母は天然ボケだった。私が子供の頃、「お母さん、今日のゴハンなに?」と聞くと決まって「ご飯よー」と言った。そんな母が薬をちゃんと飲めなくなって、それが最初に現れた老人ボケの症状である。当時通っていた病院の先生に「間違いない、これは大変なことになる」と言われたが「大変なこと」の意味がよく分からなかった。それがコロナ禍で症状が劇的に悪化した。今の主治医の先生に「食べられなくなる。点滴を繰り返して亡くなる」と言われたのはこの5月の頭のこと(丁寧に、明解に説明してくるこの美女先生に私は全幅の信頼を寄せていた)。それが「大変なこと」の内容であった(天然ボケなら命に別状はなかった)。その後はジェットコースターのよう。今週、先生から、いよいよだから面会するようにと連絡をいただき、昼に面会して、その日の夜中に施設からの電話が鳴った。内容は決まっていた。ドキドキした。母は、私と正反対で、何もかもやりたがらない人であった。しかし、こういう人に限って長生きする、下手をすると私の方が先に逝っちゃうんじゃないかとさえ思っていたがあっという間であった。逝った後の表情は、半日前の苦悶の様子が嘘のように安らかなものであった。そうは言っても、あちら側に行ったら二度とこちら側に戻って来れない(一方通行)。頭にきて合唱団をやめといてしばらくしてケロッと戻ってくるのとはワケが違う。母はもう少しこちら側にいたかったと思う。この間、ケアマネさんにも尋常ならざるご苦労をおかけした。介護認定の変更手続をとり続け(新たな認定がおりたらすぐまた変更の申立てをした)、変更されるたびに新たなプランを作ってくださった。

ちょうどこの時期、徹子の部屋で追討特集と銘打って過去の映像を流している。私も、以前、裏ブログをやっていたときにそっちに書いた「シミーズを着て温泉に入った母」をここに再掲載して追悼としよう。7年前に書いたものである。

日本の混浴温泉には子供時代に入ったことがある。子供の頃、毎夏父の実家(山梨)に家族で旅行した(家族旅行で父の実家以外に行ったことはない)。で、ある夏のこと、たまたま親戚一同が父の実家に勢揃いしたので、温泉に行こうということになった(今から思えば石和温泉だ)。その温泉、脱衣場は男女別だが、その先の温泉は男女混浴。親戚一同(おばあちゃん、おじさん、おばさん、従兄弟、従姉妹)なんのためらいもなくすっぽんぽんになる(私と同い年の従姉妹のあつこちゃんも)。そんな中で、裸を断固拒否したのがわが母(おじさん、おばさん世代で唯一土地の人ではなかった)。父に、みんなの交流場なんだから恥ずかしがることないだろ、と言われても絶対脱がなかった。で、なんとシミーズを着けたまま温泉につかった(マナー違反)。そういやー、母は、脱ぐのがいやだと言って病院にも行かなかったなー。そんな母も今は80越え。病院に行きまくっては(脱ぎまくっては)どこも悪くないと言われて帰ってくる。