拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

葛西用水の不思議な旅

2024-08-22 09:53:56 | 日記

葛西用水は、ウチから歩いていけるところにあって、その辺りは「葛西用水親水水路」と呼ばれていて、カモはいるし、

カメもいるし、

錦鯉もいるし、

春は桜がきれいだしで、

よく沿道を歩くんだけど、幅が1メートルくらいしかなく、ひとっ飛びで渡れる。だから三日前のブログに「規模は序二段」と書いた。どうせ、区が公園を作る感覚でちょこっと流した水くらいに思っていた。その成り立ちなど数十年来気にしたことがなかった。だが、三日前に川のことを書いていて、川には川の歴史があるんだなーと感じ入って、だったら近所の葛西用水にだって私の知らない素顔があるんだろうから調べてみようと思った。で、調べた。驚いた。なんと、日本三大農業用水に数えられているそうだ。カメが日向ぼっこをしている小さな水流は由緒正しき葛西用水のほんの一面にすぎなかった。まったくもっておみそれしました、である。

この葛西用水の成り立ちが実に面白い。終点を迎えながら復活したり、合従連衡を繰り返して生き残ったりの連続である。以下の通りである。なお、以下に登場する「古利根川」「元荒川」「古隅田川」については三日前のブログに書いたので、必要に応じて参照されたい。また、以下の写真はすべてウィキペディアから拝借したものである。

お里は遥か遠く、埼玉県羽生市(栃木県との県境近く)にある坂東太郎である。すなわち、同地の利根川からの取水が出発点であり、そこから延々東京都葛飾区まで引いた水が葛西用水である。当初は、直接、利根川から取水していたが、現在は少し上流に行った所にある利根大堰から引いた埼玉用水路からの分水というカタチをとっている。当初の元杁(取水口)跡がコレである。

ここから葛西用水の不思議な旅が始まる。しばらく流れていって、久喜市のあたりに来ると、なんと「終点」の立て札が現れる。

普通、川の終点と言ったら、下流から遡っていってたどり着いた源流である。ところが、この「終点」は源流から下っていって「ここまで」という意味。だが、水流は続いている。この先は「古利根川」(正確には「大落古利根川」)に名称を変えるのである。ところで、古利根川は、かつて利根川の本流だったが利根川の東遷によって本流ではなくなった流れであった。実は、葛西用水は、ここまで古利根川の流れをベースとして作られたものであった。ここに至って、いよいよ本家に名称をお返しします、とばかりに「古利根川」を名乗るのである。だから、この地点は、葛西用水の終点であると同時に、古利根川の起点なのである。ところで、葛西用水は、ここで「終点」と表示されたのであるが、どっこい生き残っていた。以下の流れは表向きは「古利根川」なのだが、同時に葛西用水の流れでもある(ウィキペディアには「河道を共用」とある)。綾瀬と北千住の間の線路が、JRの線路であると同時に東京メトロの線路でもあるごとしである。あるいは、ウルトラマンとハヤタ隊員が合体しているごとしである。

ところで、古利根川は中川に合流するのであった。もし「共用」がずっと続いたままなら葛西用水もまた中川に飲み込まれて消滅するはずであった。ところが、合流直前に逆川(さかさがわ)が古利根川から分流する。この逆川に葛西用水が合体していた。おかげで、葛西用水は生き延びるのである。アクション映画で、谷に転落寸前の汽車から別の汽車に乗り移るがごとしである。

その後、しばらく逆川との合体が続くが(その間、いくつかの川と交叉する(川が川の下をくぐる))、再び危機が訪れる。逆川と元荒川との合流が目の前に迫ったのである。もし「共用」がずっと続いたなら葛西用水もまた元荒川に飲み込まれて消滅するはずであった(因みに、元荒川は中川に合流して消滅するのであった)。ところが、合流直前に、今度は自分の名前で、すなわち葛西用水(正確には「東京葛西用水」)として逆川から分流する。こうして、葛西用水はここでも生き延びるのである。アクション映画で、乗り移った汽車から今度は地べたに飛び降りるがごとしである。

こうして、単体となった葛西用水は、東京都と埼玉県の境にある垳川(うちから徒歩数百メートルのところにある)を超えて東京都足立区に入る(ハヤタ隊員と分離したウルトラマンはM78星雲に帰る)。だが、足立区に入ると、もはや農業用水としての役目は終え、整備されて幅も狭くなり、その名も「葛西用水親水水路」となって冒頭の話に戻るのである。すなわち、区民の憩いの場所であり、カモ、カメ、錦鯉の住処の役割のみを担うのである。

この後、葛飾区に入ると、昔は曳舟川となってお花茶屋あたりまで行ってから綾瀬川に合流していたそうだが、

現在、曳舟川は完全に消滅し、葛西用水は葛飾区内で暗渠となった後、やはり暗渠である古隅田川(三日前のブログのメインテーマ)に合流しているそうだ。

というわけである。あるときは他の川と合従連衡し、やばいと見るやそこから離れて別の川に合流して生き残りを計るあたり、まるで、戦国大名のようであり、現代においては政治家の人生を見るようである。こうやって、しぶとく、この後も長く生き残ることだろう……で、話を締めようと思ったが、思いのほか川の人生(川生)ははかない。あまたの川が治水工事の名のもとに流れを変え、あるいは消滅したことはこれまで見てきたところである。葛西用水も、特に垳川からこっち(親水水路になっている部分)などは、きゅっと閉めればたちどころに干上がるだろう。現に、葛西用水よりもっと近所にある花畑運河などは、現在改修中で、まったく水のない状態である。もしこのまま工事をやーめたとなったら(実際、区の予算が足りなくなって、いっとき工事がストップした)、一個の運河の消滅を間近に見ることになる。

なお、葛西用水は、途中、他の川と合体して生き延びた後、再び単体に戻ったというストーリーで書いてきたが、そもそも、上流の「終点」で本当に消滅し、南方で起こった「東京葛西用水」は別の単体なのではないか?つまり、別の血筋がかつて栄えたお家の姓を名乗ったのではないか(ハヤタ隊員はウルトラマンと衝突した際にたしかに死んだのではないか(シンウルトラマンでハヤタ隊員の死体が森に横たわっていた))、という疑問もある(北条早雲から始まる後北条家も、ホントは「北条」ではなかった)。だが、ウルトラマンと分離した後のハヤタ隊員は、(シンウルトラマンにおいても)元のハヤタ隊員であった。「終点」以降に流れる水は葛西用水の水には違いなく、それが東京葛西用水につながっているのもたしかであるから、やはり利根川から取水して葛飾区に至るまで途切れることのない流れ、ということでよいのだろう。



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