拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

私は何教?

2015-06-01 09:30:23 | 音楽
私が入ってる合唱団が某教会に客演したとき、そこのオルガニストの方がわれわれに向かって「キリスト教徒の方、手をあげて下さい」で、会衆に向かって「ほら、これしかいないでしょ?それでもこういう歌(宗教曲)を歌ってる。それに対し、みなさんは教徒なのに歌ってない。それが今日この方たちをお呼びした理由なのだ」と(つまり「教徒だったらもっと歌え」ということ)。たしかに、私、教徒ではないが、聖書をよく読む。合唱団で歌う歌詞を勉強するため。バッハのカンタータ(毎月新曲を練習してる)の場合は、初演時の説教の内容も読む。一瞬「おれ、教徒?」と錯覚する。とか偉そうなことを言っても、出てきた歌詞に必要な範囲に限った場当たり的なもの。そこへいくと教徒のAさんなどは、例の「Ritterschaft」はバビロンの捕囚の観点から納得いかない、と視点が総合的。やはり総合的な学習は必要だ。私のドイツ語は、若い頃、オペラや合唱曲を聴いてたため断片的にはかなり積み上がっていたが、ちゃんと学校にいって初めて知識が相互につながって進歩したと思う。ばらばらの内蔵がブラックジャックによって統合されてピノコになったごとし。さて、私はそもそも何教だ?もしかすると仏教の檀家になってるのかもしれない。田舎のお寺にある父の墓は私が建てたことになってるから。なぜ「建てた」ではなく「建てたことになってる」かと言うと、注文したのは私ではなく(叔父さん)、お金を払ったのも私ではない(母)から。にもかかわらず、赤い字で「正史が建てた」と掘ってある。一種の名義貸しだ。だが、私はこのお墓には入らない。なぜなら、私は猫と一緒に入るつもりだが、父は猫が大っきらいだからだ。因みに母も妹も猫が嫌い。まったく、こやつらときたら、猫を人と思ってないんだから気が合わない(猫を人と思わないのは生物学的には正しいが……)。