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(承前)では、リヒァルト・シュトラウスのオペラのテナーはどんなか?ルチア・ポップは、「シュトラウスはテナーが嫌いだったんじゃないか」と言ってる。やたら音が高くて、性格的で、いつもキーキー言ってる感じ。サロメのヘロデ王とか、エレクトラのエギストとか。アラベラのマッテオも音が高い(そのマッテオをちゃんと歌えるザイフェルトにポップは惚れた)。バラの騎士の「イタリア人歌手」のアリアはなかなかかっこいいが、やはり音が高くて(クライバーのミュンヘンのビデオは、アライサに気の毒なことに音がひっくり返った日のものが収録されている。)、結局、オックスが書類をばたんとたたきつける音で中断される(日本を代表する名テノールの某さんがメトでこの役を歌う直前にNHKのニューイヤーオペラに出たとき、司会者に「メトでバラの騎士をお歌いになるんですよね。役は?」と聞かれて、もごもごしてたら「主役ですね♥」とフォローされてたが、正確な表現ではない。そんなシュトラウスの描くテナーの中で、私が好きなのは「ナクソス島のアリアドネ」のバッカス。繊細さのかたまりのようなツェルビネッタのアリアの後に、バッカスがまるで正反対の笑っちゃうくらい馬鹿っぽい歌で登場する。「ツィールツェ、ツィールツェ」(♯ドー♯ソ、ドーソ)って感じで。その後、女声が繊細な重唱を歌って、反省するかと思ったらとーんでもない。いっそう声を張り上げて(いっそう馬鹿っぽく)、「ツィールツェ、ツィールツェ」(シ(!)ーミ、シーミ)!ううー、そそるー!天が私にヘルデンテナーの声を与え賜うたら、この部分を思いっきり馬鹿っぽく歌うんだ!ありゃ、楽譜見たら、この部分、「ミーシ」でもいいことになってるぞ。さすがに高い(しかも伸ばす)と思ったか。でも、聴衆は楽譜がそんなことになってるなんて知らないもんね。もし「ミーシ」なんて歌ったらブーイングの嵐だ。ちなみに、第九のテノール・ソロの締めの部分も楽譜上はシ♭を2回出すのと1回だけのと二通りある。普通は二回だろうが、ベーム&ウィーン響(「フィル」ではない)のレコード(CD)では1回。まあ、この部分、合唱が入るとソロの締めの部分はあんまり聞こえないけど(ということで、今回のブログのシュトラウス三部作はおしまい)。