暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

鳥羽-2 鳥羽路をぶらぶら

2014年03月25日 | 京暮らし 日常編
                  椿の墓守  鳥羽天皇陵にて
(つづき)
(ルート)
京都駅(城南宮行エクスプレスバス、季節限定?)~(バス15分)~
城南宮~(徒歩5分)~鳥羽離宮跡公園(昼食・弁当)~(徒歩10分)~
白河天皇陵~(徒歩5分)~鳥羽天皇陵~安楽寿院~近衛天皇陵~
(徒歩30分)~墨染桜寺~京阪・墨染駅 (時間はおおよそです)

城南宮から鳥羽離宮跡公園へ行き、池のほとりのベンチに腰掛けて、
お弁当を広げました。

広い公園は鳥羽離宮の南殿跡です。
こんもりとした土盛りの山は、庭園の築山の遺構「秋の山」とされ、
築山の上に「鳥羽伏見の戦い顕彰碑」、南側には「鳥羽伏見戦闘図」(布陣図)
のモニュメントがありました。

   
      「秋の山」と顕彰碑                「鳥羽伏見戦闘図」

城南宮のパンフ「城南宮周辺史跡案内図」を見ると、
近くに三つの天皇陵があることに気がつきました。
白河天皇陵、白河天皇の孫の鳥羽天皇陵と、曾孫の近衛天皇陵です。     

白河天皇・成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)には
かつて三重塔があったそうですが、既に失われ、
遺骨が埋められたという方円丘も緑に覆われていて閑静な佇まいでした。

道路の向こうに鳥羽天皇陵らしき森が見え、そちらへ廻ると、
椿の大木があり、ぎっしりと紅い花をつけています。
こちらも静かな御陵ですが、椿の墓守が昔の栄華を物語っているようでした。
鳥羽天皇陵にも三重塔があったそうですが、今は法華堂が建てられています。

  
(クリックして!)            鳥羽天皇・安楽寿院陵

安楽寿院境内にある石仏に心惹かれました。
平安時代の遺仏といわれる三尊石仏(薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀三尊)
の三体が江戸時代に成菩提院跡から出土したと伝えられています。
うち二体がここに祀られていました。
長い年月のうちに風化が進んでいて、胸に迫るものがあります。
いつか土に還っていくのでしょうね・・・。



                安楽寿院境内の石仏

鳥羽離宮の周囲にたくさんの御堂や庭園が造られたそうですが、
院政の終焉後に衰退し、姿を消していきました。
今は離宮の東殿に建立された安楽寿院(真言宗)が残っているだけです。
豊臣秀頼により復興され、鳥羽伏見の戦いでは新政府軍の本営となりました。
鳥羽天皇の持仏と伝えられる阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されています。

安楽寿院の南に近衛天皇の御陵がありました。
今日参拝した三陵のうちで一番立派で、多宝塔が聳えています。
多宝塔のある御陵は近衛天皇陵だけだそうで、多宝塔は豊臣秀頼の
寄進により1606年に再建されたものです。

  
         安楽寿院                近衞天皇・安楽寿院南陵

                     
近衛天皇陵から京阪電鉄の墨染駅を目指しました。
昔の街道を思わせる蔵のある建物、新鮮な卵屋さん、近藤勇の顕彰碑など、
思いがけない出合いがあり、ぶらぶら歩きは楽しいです。

              

  

京阪・墨染駅の手前に「墨染桜寺(ぼくせんおうじ)」がありました。
ここにある「墨染桜」と出逢えたら・・・と願っていたのですが、
桜にはまだ早く、三代目の「墨染桜」と対面だけしてきました。

実は岐阜県本巣市(旧・本巣郡根尾村)の「淡墨桜」をイメージした
「墨染」と名づけた香合を持っていて、伏見の「墨染桜」が気になっていました。
花が咲いている時にもう一度会いたい・・・と思っています。

                                     
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