三千院・往生極楽院
(写真は全て「京都を歩くアルバム」提供です)
関東から40年ぶりの大雪のたよりが届きました。
その後の雪害状況を聞いて恐れおののき、アップをためらっていました・・。
京都市内でも雪らしい雪が降りました。
それで、待ちに待った「雪の大原」へ繰り出しました。
「大原へ行くなら雪の時に・・・」と決めていたのです。
遠い・・・と思い込んでいた大原ですが、京都バスに乗り込むと
40分くらいで到着し、先ずは三千院を目指しました。
待望の雪景色の写真を・・・と張り切って行ったのに、
電池キレであきらめていましたら(我ながら凄いドジ・・・)、
「京都を歩くアルバム」から写真提供を頂き、感謝いたします(アリガトウ!)
三千院の朱雀門
京都市内は数センチでも大原では10センチ以上の積雪、一面の銀世界です。
「大原はこれでなきゃ・・ね!」
はしゃぎながら門前の坂道を上がっていくと、つるつる滑ります。
必死に転ばぬように新雪を踏んで進み、三千院へ着きました。
往生極楽院の阿弥陀三尊像(国宝)に20年ぶりに再会して、
静かにそこでお詣りしたかったのですが・・・
ご案内の僧侶のお話が面白く、良かったような、そうでないような?
寺伝によると、往生極楽院は寛和2年(986年)に天台浄土教の
恵心僧都源信が父母の菩提のために姉の安養尼と共に建立したそうです。
阿弥陀三尊ですが、中尊の阿弥陀如来は来迎印を結び、
右の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿、左の勢至菩薩は合掌しています。
円融蔵に行くと、
先ほどの阿弥陀三尊像が納められていた舟底型天井の復元模写があり、
創建当時の極楽浄土が描かれていました。
水色の空中に雲がたなびき、舞う天女、音曲を奏でる天女、そして
菩薩たちが居並んでいて、夢のような極彩色に彩られた極楽浄土です。
護摩焚きのため煤で真っ黒な天井に、こんなに美しい絵があったなんて!
おだやかなお顔の阿弥陀三尊といい、一瞬、臨終の我が身を置いてみたい・・・
うっとり想像してみました。
現実は、金色不動堂へ上って、名物の大根炊きをふうふうとごちそうなり、
冷えた身体を暖めました。
三千院から来迎院へ向かいました。
三千院には参拝者がたくさんいたのですが、
雪降る日に来迎院を訪れる人はほとんどないようです。
運よく、門前で雪かきしていた女性が
「今日は雪でいらっしゃる方がないと思い、門を閉ざしていましたが
すぐに開けますので少しお待ちください」
と中へ招じてくれました。
下から見上げる雪の来迎院はステキでした。
「まるで平泉の中尊寺みたい・・・」
本堂も開けてくださって、待っている間に鐘を撞きました。
本堂(再建)も梵鐘も室町時代のもので、
鐘の音が雪の林間にこだまして、眠っている何かを呼び起こしているようです。
佳い響きがいつまでも耳に残りました。
来迎院にも三尊像があり、藤原時代の木像漆箔寄木造とか。
三尊は薬師如来、釈迦如来、弥陀如来でいずれも国の重要文化財です。
簡素な本堂の佇まいは御仏との厳粛な対峙にふさわしく、
外界と隔絶された静寂の中、どこか室町時代の僧堂の清雅さを感じます。
来迎院は、平安時代前期に天台声明の道場とし慈覚大師円仁の創建と伝えられ、
天仁2年(1109年)融通念仏の祖とされる良忍によって再興されました。
本堂に「声明(しょうみょう)」の楽譜が貼られ説明書きがありました。
声明とはふしをつけて唱えるお経のことで、梵唄とも呼ばれています。
発祥地は古代インドでバラモン教の賛歌を仏教に取り入れ、
経文を梵語で唱えたのが始まりだそうです。
声明の寺にふさわしく、三尊像の天井には天女が舞い、
いろいろな楽器の絵が描かれているのもうなづけます。
願わくは、このような雪の日に本堂で朗々とした声明を聴きたいものです。
来迎院からバス停へ戻る坂道で4回もスッテンコロリ!
怪我はありませんでしたが、雪道のあの怖さが一番の思い出かも・・・。