暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

三渓園 春草廬 (1)

2009年08月17日 | 三溪園&茶会
昨日は、昭和14年(1939年)8月16日に亡くなった三渓園の創設者、
原三渓翁の御命日でした。

ブログのご縁で、尾州有楽流の方からメールをいただきました。
「・・有楽ゆかりの春草廬(九窓亭)でのお茶事も羨ましく・・」
「えっ~?」
春草廬は何回も見ていますが、いつも閉まっていて
中を見ていないことに気づきました。
茶事どころか、入った記憶もありません。
それで、どんな茶室なのか、じっくりと拝見したいと思いました。

終戦記念日の8月15日(土)、三渓園(横浜市中区)へ行きました。
夏の暑い盛りですが、全施設の一般公開が行われていたのです。
今回は織田有楽作と伝えられている茶室、
春草廬(しゅんそうろ)にしぼって見学です。

内苑にある「三渓園ボランティアガイド」の受付で
春草廬のガイドをお願いしました。
「茶室や建築の専門家ではありませんが、
 私なりに調べたことで良かったら・・・」
Aさんが快く案内してくださいました。

       

国宝・如庵(有楽作)と同様、春草廬も複雑な変遷の歴史がありました。

古くは九窓亭(くそうてい)と呼ばれ、
大正7年(1918年)京都宇治の三室戸寺・金蔵院から譲渡されています。
桃山時代の建築と推定され、織田信長の弟・織田有楽の作と
言われていますが、確証はないそうです。

三室戸寺にあった時は、伏見城遺構の客殿(現三渓園・月華殿)に
付随する茶室でした。
原三渓はこれを切り離し、月華殿には茶室・金毛窟を建てました。
大正9年(1920年)三渓は、夫人と二人で住む白雲邸を建て、
白雲邸に付随する形で春草廬を移築して、広間を新しく付け足しています。

大正11年(1922年)4月19日に春草廬開きの茶事を催しています。
客は益田鈍翁、益田夫人、田中親美、野崎幻庵、梅澤鶴曳。
その翌年、大正12年(1923年)9月1日に関東大震災がおこり、
園内のたくさんの建築物が倒壊しました。

春草廬が再び茶会記に登場するのは昭和12年になってからです。
昭和14年(1939年)8月16日、原三渓翁が逝去(享年70歳)。

第二次世界大戦に際して解体保存されていた春草廬ですが、
戦後、三渓園を寄贈された横浜市は蓮華院を現在地へ移し、
昭和33年(1958年)12月その跡地に春草廬が再築され、
今に至っています。

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        写真は「三渓園のハチス」と「春草廬のにじり口」


立礼の茶事  七夕(2)

2009年08月16日 | 思い出の茶事
点茶盤には切合の朝鮮風炉にたっぷりとした霰の巴釜、
竹絵の染付けの水指、杓立は耳環付きの楽で弘入作、
鉄鉢の建水、かわいらしい三つ人形?の蓋置が飾られていました。

炭手前がはじまりました。
「一年ぶりですが、茶事ができるようになりました」
体調を崩されていたので心配していましたが、
N先生は茶事ができる喜びを噛み締めているようでした。

炭斗は蒔絵のあるさくず(冊屑?)箱です。
さくず箱は、和歌をしたためる時に書き損じた短冊を
捨てる屑箱ですが、優雅な仕様で七夕にぴったりです。

後座は床に烏帽子籠が飾られ、花所望です。
お正客さまが矢筈ススキ、花茗荷、宗旦槿を活けられました。
時代のある花寄せ屏風にも花が活けられていて、
後座の席がとても華やかになりました。

N先生の袱紗捌きを久しぶりにじっくり拝見し、
たっぷり練られた濃茶を美味しく頂戴しました。

茶入は大きな耳付の南蛮、
手に取ると軽く、謎めいた茶入でした。
茶杓は玄々斎作の「祭り囃子」、
片身替りと樋の景色に牽きつけられました。

薄茶を撫子の茶碗でいただきました。
咲き乱れる撫子に、帰ったばかりの北海道・ワッカ原生花園の
エゾカワラナデシコが重なりました。

そのような話をしましたら、N先生は
「それは良かったです。一つくらいは華やかなものをと思い、
 撫子の茶碗を選んでみました。即全でございます」
次客でラッキーでした。

ステキなお正客さまに蓋置の拝見もぜひ・・・
とお願いしました。
輪島塗で七夕飾りの蒔絵のある七夕棗。
蓋裏に天の川と螺鈿の北斗七星が耀いています。
深みのある紺色に銀河のような模様のある茶杓はギヤマンでした。

最後に、あの蓋置です。
三つ人形ではなく、唐子二人にもう一ヶ所は二本の筆立てとのことで、
中国で買った筆立てを見立てたそうです。
安定感、存在感、「あれっ?」という不思議感、
とても楽しい蓋置でした。

あっという間の4時間は立礼席なので、膝も足も痛くなく快適に
ご亭主のご趣向を楽しませていただき、感謝です。

これ以上忘れては・・・と、あわてて書きました。
一方で、忘れていくのも良しという気もしています。

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立礼の茶事  七夕(1)

2009年08月14日 | 思い出の茶事
北海道旅行から帰ってすぐ、N先生の立礼の茶事へ伺いました。
いつ伺っても、ご趣向や道具組が素晴らしく、
示唆に富んだ茶事をしてくださいます。
その日は七夕の趣向でした。

待合の床には七夕に因む絵が掛けられ、
床前の志野流香道具一式を珍しく拝見しました。
秋草蒔絵の硯箱と料紙、梶の葉が数枚が棚に置かれていました。
茶道だけでなく、香道、書道も精進しなさい・・という暗示でしょうか?

ホタルが飛んでいる炭斗が煙草盆です。
志野の火入れの灰が魅入ってしまうほど見事で、
いつかこのような灰を・・・
と思いながらいつも眺めています。

涼やかな音が聞こえてきました。
梅酒の入ったガラスの器と氷が奏でる音色にうっとりです。

席に入ると、やんごとなき方が書かれた和歌が掛けられており、
七管青磁の香炉が伽羅の香りを燻らせていました。

いよいよ楽しみの一つ、懐石です。
今炊き上がりました・・・のご飯を一口味わった時の
シアワセ感は何とも言えません。
こちらの懐石は専門家による本格的なものですが、
中には私にも作れそう、挑戦してみたいと思うものがあり、
これも刺激になっています。

汁は焼きなすとジュンサイの赤味噌仕立て、
煮物碗はハモ、卵豆腐、松茸、青柚子で、松茸は初物です。
焼物はスズキの塩焼きに「ずんだ」をかけたもの、
「ずんだ」が彩りも味もよかったです。

冬瓜を刳り貫いた器が目に美しく、海老、アワビ、きのこなどの
葛仕立てが冷房で冷えた体を程よく温めてくれました。
箸洗いは銀杏、初物でした。

八寸は、赤い鬼灯の中に
ウニと百合根のゼリー寄せ(つくってみたい!)と
万願寺とうがらしの揚げものでした。

お道具はなかなか覚えられないのに、懐石献立は
よく覚えているのが不思議です。
茶事後、そのようなことをN先生にお話したら、
「道具は印象に残ったものを二、三、覚えておけば良いのよ」
と言われました。

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サロマ湖  ワッカ原生花園 (2)

2009年08月12日 | 北海道-2009年8月
ワッカ原生花園のサイクルロードは「天国の道」のようでした。
まだ行ったことはありませんけれど・・・。
花に埋もれた「天国の道」をたった二人で、自転車を漕ぎながら
行くのもなかなか良いものです。

おまけに、ワッカの水は「花の聖水」と名付けられていました。
聖水を一口いただくと、金っ気(鉄分など)がとても強く、
美味しくありません。

雨がポツンときたので、ネイチャ-センタ-へ急いで引き返しました。
途中でオホ-ツクの海を悠然と眺めている鷲と再会しました。
往きにも止まっていましたが、相変わらず彫像のように動きません。


         

「まだ、いたわ。きっと尾白鷲よ」
「いいや、あれは尾白鷲ではなく、鷹か、別の鷲にちがいない」
「あらっ!鷹じゃなく鷲だと思うわ。 
でも、さっきから何を見ているのかしら?」
 と、二人でごちゃごちゃ言い合っていました。

すると、鷲が突如、飛び立ったのです。
立派な尾白鷲でした。
「さっきから何をごちゃごちゃ言ってるのじゃ。
 ワシは尾白ワシじゃ!」
と私たちにひとこと言いたくて、飛んでくれたみたいです・・アリガト。

レンタルサイクルのおじさんに
まるで「天国の道」のようだったと夢中で話すと、
ちょっと怪訝な顔をされてから
「私たちは竜宮の道と呼んでいます」

来夏も北海道へ行きたい・・・と思っています。

                          

         

      写真は「ワッカの水」「尾白鷲」「ノハナショウブ」です

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サロマ湖  ワッカ原生花園 (1)

2009年08月11日 | 北海道-2009年8月
サロマ湖を見て、その大きさに驚きました。
まるで海のようです。
面積は琵琶湖、霞ヶ浦に次いで第三位。

対岸は常呂川、湧別川から流出する土砂によって
砂嘴(さし)が発達し、オホーツク海と隔てられています。
翌日、砂嘴にある「ワッカ原生花園」を訪れました。

ワッカとは「ワッカ・オ・イ」
水の湧く処という意味のアイヌ語です。
今でも砂嘴の一角から水がこんこんと湧き出ているそうで、
自転車を借りて、ワッカの水まで行くことにしました。

サイクリングコースが整備されていて、左右は原生花園が続きます。
エゾカワラナデシコ、ハマナス、ツリガネニンジン、
エゾフウロ、ハマエンドウ、ホタルサイコ、ノコギリソウ、
エゾツルキンバイ、ワレモコウ、ツキミソウなどが咲き乱れていました。

今まで見てきた原生花園の中で最も大きく、花の種類も数も多く、
豊かな植生が見られました。

                


「芽を出し、葉を伸ばし、養分を作り、成長し、
 花をつけ、受粉し、種をつける」
原生花園の植物たちは種の保存に一生懸命です。

春が遅く、あっという間に秋から冬へ移行するサロマ湖周辺では、
花期がどうしても重なってしまうそうです。
一斉に咲き競う花たちは、サロマ湖の厳しい環境が生み出した、
生命の輝きなのです。

                           

      写真は「ワッカ原生花園」と「エゾフウロ」

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