暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

真之行・台子点前の悩み

2011年09月21日 | 稽古忘備録
                (萩   隣花苑にて

               
                (我が家なので不備にて候)

7月、8月と体調不良のため、先生宅の稽古を休みがちでした。
9月に入って久しぶりに伺い、真之行・台子点前を見て頂きました。

先ずは真の炭手前からです。
順番だけはわかるようになりましたが、所作はまだまだです。
特に羽根の清め方や風炉の清め方が自分でもダメ!と思います。
上の点前になるほど清めが多くなり、意味するところも違うような気がします。

終盤になって釜をかけてからも清めが続きます。
釜敷を清め、火箸を清め、火箸を杓立へ戻します。
灰器、続いて神折敷を下げると
「座掃きをしてください」、先生から声がかかりました。

我が家に小間がないので、座掃きも久しぶりです。
最後に左手に渡して斜めに丸く掃く時に
「座箒の裏を客に見せないように。
 掃出口が実際にあると思ってやってください」
と、前回と同じご指導がありました。
「小間がない、座箒がない・・」なんて言い訳してないで
掴み羽箒で毎回座掃きをしなくっちゃ・・と反省しきりです。

香合が拝見から戻ると、再び風炉前に座り、
土風炉の胴を清め、火窓を清め、帛紗を捌き直して蓋を清め、蓋を切ります。
香合は、唐物・独楽でした。

               
               (ホトトギス  石槌山にて)   

Kさんに続いて真之行・台子点前を見て頂きました。
真之行(風炉)は一番好きな点前です。
なぜなら、一番シンプル(無駄がなく解り易い)であり、
これが体系の基本(現行点前の頂点)になっているからです。
それでも違和感や疑問が生じる箇所があります。

その一つ、水を汲んで釜に入れるときの角柄杓(?)の意味は?
先生にお尋ねしたかもしれませんが、いまだわかっていません。
もう一つ、違和感を感じるのは、釜の蓋を締めるときでしょうか。
「真に草あり」と、柄杓を構えて蓋を締めてから柄杓を尺立へ戻しますが・・・。

違和感があろうと、疑問があろうと、ただ稽古とは繰り返すことと
十分納得しつつも歳月で薄らぐものでもありません・・。

真之行・台子点前は端正な点前なので
繰り返し稽古することで、流れるような美しい所作を
先ずは身に付けたいものです。
Kさんの素晴らしい点前(所作)を拝見しながら
いったいどこが違うのだろうか? と考え込んでいます。

見て学び良いところは盗め・・という教えもありますが、
所作となると、なかなか盗めるものでもありません。
「あの手つき・・姿勢・・間合い・・(ふぅ~)」
ため息をついていても仕方がないので
少しでも近づきたく、今日はこれから真之行の稽古です。

9月中は台子を出しておいて稽古に励むことにしましょう。

                     たまには   ぞ!



2 コメント

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追善和讃 (マロン)
2015-01-11 10:50:56
久しぶりに開いてみました。「追善和讃」のお返事ありがとうございました。随分と返事が遅れ申し訳ありません。
 ブログは大変立派な作品で感動いたします。私も能力があれば、作成したいのですが・・・。私も高齢者です。あなた様のような趣味を見つけて生き続けて行きたいと思います。
返信する
思い立ったが吉日・・・ (暁庵)
2015-01-12 10:26:36
マロンさま

コメントをありがとうございます。
ブログも趣味も年齢制限がないのが嬉しいですね。
むしろ自分の中の何かが一番のやっかいものかもしれませんね。

私はやっと横浜へ帰りましたら、お茶を教えたい・・・と思うようになりました。
世間様はどう思おうと、「お茶を教えだす適齢期になった・・・」と思っておりますの。
このことについてはいずれブログに書きたいと思っておりますので、乞うご期待!です。
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