暁庵の茶事クロスロード

新たなご縁、主客の織り成すドラマ、茶事の持つ無限の可能性に魅了されて茶事を楽しんでいます

骨董屋の女主人

2012年02月10日 | 仕覆・裂地
                 (御物袋の裂地は益田間道、茶碗は仁清)

仕覆をお習いしている小林芙佐子先生は「伯楽」という古美術を扱うお店
つまり骨董屋の女主人でもあります。
2年前にご主人が急逝されて、そのあとを継いでお店をやっています。
そのお店の奥に和室が二間あり、そこが仕覆教室になっていて
月2回通っていました。

                    
                    (仕覆教室からお店へ移動した、十一面観音
                      ・・・暁庵のお気に入りです)

お店へ一歩入ると、女主人のお目にかなった古美術品や茶道具が飾られ、
真ん中に居心地のよさそうなテーブルが置いてあります。
ときどき美術書や「蕾」という古美術関連の雑誌が置かれていて、
そこで本をひろげている骨董屋の女主人を想像して、
「なんて素敵な書斎なんだろう・・」とうらやましく思っています。
それに「骨董屋の女主人」という言葉の響きがステキです・・・。

                    

もちろん、茶道具は素敵な仕覆を着ていて、裂地も中身も魅力的なものばかり。
私はいつもそれらを横目でちらっと見てから、奥の和室へ急ぎます。

                    
                          (先生の作品・・・仕覆展より
その日は、珍しくお客さんがいました。
それで、ついふらふらと禁断の園へ足を踏み入れました。

テーブルに古い仏像や仏具、漆絵が描かれた貝の香合、
古伊万里の皿やぐい飲みなどが並べられていました。
15センチくらいの懸け仏が目に留まり、お値段を聞くと3万円でした。
時代は江戸中期というところでしょうか。
値段にちょっと安心して頭の中で懸ける場所をイメージしてみましたが
仏様はなかなか難しいです。
そのお客様は金継ぎを習っていらして、教材にする器や漆器を捜しに見えたそうです。

                   

2年間慣れ親しんだ仕覆教室へ通うのもあと一回になりました。
「えっ!あなたが針を持つの?」と友人たちを驚かせたほど、不器用な私
根気強くお教えくださった小林先生に感謝申し上げます。
先生に作って頂いた茶入の仕覆(裂地は能衣装)を披露させていただきます。
中味はナイショ・・・いつか茶事にてお目に掛けましょう。

                    
                     (仕立ても裂地もお気に入りの仕覆・・・小林芙佐子作)

〇〇さん
古美術「伯楽」へいらしてぜひ覗いてみてください。
仕覆の注文も気軽に先生へ相談してみてください。
   住所:横浜市神奈川区神奈川町1−14−7 丸二ビル1F
      (横浜逓信病院の東側隣り)
      TEL 045−322−2979

 アクセス:JR東神奈川駅より徒歩3分
         東横線東白楽駅より徒歩3分

                    


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如月 逆勝手の稽古

2012年02月09日 | 稽古忘備録
   梅一輪 一輪ほどの あたたかさ   嵐雪
が実感できる日々となりました。

如月の第一回の稽古は逆勝手でした。
「毎年この時期は向切本勝手かまたは逆勝手をしていますが、
 今年は逆勝手をいたします」と先生。

先生宅へ伺うとすぐに稽古場へ先生が出てこられて、Kさんや私より
先生が一番張り切っているご様子です・・・。

先ずKさんが初炭を見て頂くことになりました。
水屋の都合で、四畳半台目の台目側が茶道口になり、
薄縁を引いて畳の縁をなくしたり、逆勝手に合わせているのですが、
なかなか歩幅が合いません。
左足、右足の違いは、お客様の居る方の足で入り、出る
・・・と覚えておくと迷いません。

逆勝手では香合だけ右手で、あとは左手でとります。
炭を掴む時の火箸の向きが決まっているそうで、炭が持ちにくそうでした。
香合は節分に因む染付のかわいらしい豆男です。

                     
                      (雪越こし  写真は季節の花300提供)

続いて半筒茶碗に絞り茶巾を仕組み、薄茶点前を見て頂きました。
すると、最初から大失敗。
帛紗を左につけて注意を受け、右へ付け替える時に勝手がちがって超もたもた。
帛紗をとるときに向うに折り込んでしまい、再度やり直し、
左手で手前に折り込んでそのまま持ち、左手の手のひらへ返しておき、
帛紗の上端をとり帛紗捌きをしました。

逆勝手は外隅ねらいですが、座るときの位置や角度が微妙に決まりません。
棗の蓋は中次と同じように茶碗と膝の間に置きます。
最後に左手で建水上の柄杓をとり、右手で扱って左手で持って節まで進み、
蓋置を左手でとり右手に持たせてから、左手で交差するように建水を持ちます。
右足から立って右足を引いてまわり、後ろ正面を向いた時に
建水を左下へ下ろします。

                     

昼食後、後炭を見て頂きましたが、これも難しかったです。
炭の組み方は本勝手の後炭と全く逆になります。

炭をつぐ段になって、胴炭が十分残っていたので輪胴を除けることにしました。
火箸を左手でとり、右手で扱って左手で横に持ってから
一膝下座を向いて灰器の灰匙を上に向けてから、炉正面へ戻り、
輪胴を右手で掴み一膝下座へ向いて、輪胴を灰匙の上に乗せます。

炉正面に戻り、指を懐紙で清めてから、火箸を右手にわたし、突いて持ち替えて
丸ぎっちょ、割ぎっちょと逆まわりに炭をついでいきます。

最後の点炭をついでから、灰器の輪胴を戻すのですが、
見事に忘れ、釜を引いてカンを置き、下座へまわって
灰器を持つときにやっと気が付きました。

これは逆勝手だから・・という問題ではなく、
後炭をすることが茶事でも稽古でも少ないので身についていないのです。

家に帰って逆勝手の帛紗捌きをしながら
「あぁ・・自宅稽古を早くできるようになりたいなぁ〜」

引っ越しまで約1か月となり、今、家の中がシッチャカメッチャカなのです・・・。

                               



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茶の湯炭と放射能

2012年02月07日 | 茶道具
                      (森の人   行田市グリーンロード)
茶の湯炭が手に入りにくくなっています。
それに一昨年あたりから値上がりしていて、頭が痛いです。

いつも炭をお願いしている寺家の丸善・夢生庵から
「茶炭に関するご連絡」がありました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、
福島産のクヌギ炭から国の定める暫定基準値を超える放射能値が検出されたため、
福島産クヌギ炭(上品)の使用を一切中止し、並品(稽古用炭)で対応します。
代替品を手配中なのでしばらくお時間を頂戴します・・・といった内容でした。

気になって暫定基準値を調べてみました。
参考:林野庁HP:http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/tokuyou/111102.html

   調理加熱用の薪及び木炭の当面の指標値の設定について  平成23年11月2日
    放射性セシウムの濃度の最大値
    (1)薪 40ベクレル/kg(乾重量)
    (2)木炭 280ベクレル/kg(乾重量)

    薪及び木炭から食品への移動についてはわずかでしたが、
    焼却灰には一定レベルの放射性物質が残留するとの知見が得られたため、
    焼却灰が一般廃棄物最終処分場での埋めたて処分が可能な
    放射性物質の濃度8,000Bq/kg以下となるよう、当面の指標値を設定。

                  
                            (冬枯れのグリーンロード)

連絡を頂く2週間前に風炉用の炭1箱、丸ぎっちょ1箱、枝炭1箱を丸善へ注文しました。
京都で住む町家には炉が切ってないので、置炉を使う予定です。
「置炉には炉用ではなく、風炉用の炭を使うそうです。
 炉用の炭は手に入らないけれど、風炉用ならまだ在庫があるかも?」
と茶友から教えてもらい、あわてて注文したのです。

                  
                              (さきがけ)

実際に炭を使うとなると、炭のストック、炭箱、十能、火消壺、七輪などの
収納場所が必要です。
炭のほかにもストック品を入れるために床下収納庫を注文し、
先日、台所の床板張り工事と共に収納庫が出来上がったとのこと。
床材はヒノキで、当分、木の香りが楽しめそうです・・・。

一方で、福島原発事故の影響が茶の湯炭へも及んでいることを実感したことでした。

                                 
                                 
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初点の茶会

2012年02月03日 | 茶会・香席
1月29日(日)に〇〇支部の初茶会へまいりました。

会場は、支部研究会が行われている龍口寺(りゅうこうじ)(藤沢市片瀬)です。
龍口寺は、鎌倉時代・文永8年(1271年)9月12日に
日蓮上人が処刑されそうになった、龍ノ口刑場跡に建つ日蓮宗の本山です。
大書院は信濃国(長野県)松代藩の藩邸を移築したそうで、
風雪に耐えた堂々たる佇まいです。こちらで、濃茶席と薄茶席がありました。
研究会会場に使用している龍口会館が立礼席と点心席となっていました。

                   
                            (龍口寺大書院)             
                  

大書院の濃茶席へ座ると、どこからともなく銅鑼(?)の音が・・・。
座が静かになり、いよいよ石川先生の初点が始まります。
毎年、先生が席を設え、濃茶を点ててくださるとのことで、
とても愉しみに初茶会へ伺いました。

床は、円能斎筆の「柳緑花紅」。
大書院の大床に負けない、力強く、艶やかな字で書かれた横物です。
柳が緑に芽吹き、花が美しく咲く春の慶びを身いっぱいに感じながら拝見しました。

花は、寒牡丹。
ぴーんと張りつめた緊張感があり、姿が好いですね。
後ろにあるのは老木でしょうか。
花入は・・・先生からご説明があったのですが・・・。
                  
                  
                  
                  
書院の飾りも珍しかったです。
お家元の初点で飾られたヒカゲノカズラの輪飾りをかざってくださったのです。
ヒカゲノカズラは古生代に栄えた珍しいシダの一種で、
古代人は神事の時に髪に飾ったそうですが、貴重なお飾りを初めて拝見しました。

点前座は及台子、ここにも輪飾りが・・・。
青交趾渦文の皆具が映えています。棗は淡々斎お好みの朝陽棗です。

静かに嶋台(金)が運び出されました。
真剣なまなざしが一挙一動を見守るなか、石川先生はゆったりとした自然体で
お点前を進めていきました。
正面の席でしたので四方捌きでは先生の間合いに呼吸を合わせ、
蟻腰の茶杓の清め方や柄杓の扱いに見とれているうちに、濃茶が練り上げられました。
「五名様でどうぞ・・・」

                  
                         (書院に飾られた、龍の伏見人形)

残念ながら五名様には入れず、水屋で点てられた銀の嶋台で、
艶やかな緑の濃茶をたっぷり三口半頂戴し、幸せでございました。
濃茶は小山園の松花の昔、練加減よく、甘くまろやかなお味です。
嶋台は弘入作、手に取った記憶では比較的薄作りだったように思います。

「どうか茶入、茶杓、仕覆の拝見を・・・」
「今年は辰年だから辰に因むものをと思ったけれど、龍口寺だけでもう十分とも・・・。
 そう思いながら、茶入はたつの焼(兵庫県竜野市)
 茶杓は玄々斎のお作で「輪かざり」
 仕覆は国司間道、本歌は藤田美術館にございます」

                  
                            ( 延寿の鐘 )
                  
                            ( 龍口寺本堂 )
大書院での初点は、慈愛あふれるお話しと共に温かく心に響いたのですが、
先生のお点前に合わせるかのように趣ある鐘の音が
「ごぅぉーん・・・・ごぅぉーん・・・」

「水屋の誰かが撞いているのかしら?」と思っていましたが、
後で寺を訪れた観光客が撞いていることがわかり、びっくりです。
鐘声とともに思い出に残るひと時を過ごさせて頂き、感謝いたします。

帰りに一つ鐘を撞いてから本堂へお参りし、龍口寺を後にしました。

                            

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のぼうの城 忍城へ(2)

2012年02月01日 | ハイキング・ぶらり散歩
(つづき)                   (石田堤公園)
私たちが選んだコースは
JR行田駅〜石田堤公園〜さきたま古墳群(昼食)〜水上公園〜忍城〜JR行田駅 です。

総大将・石田三成が築いた堤の一部が保存され石田堤公園(鴻巣市)となっていて、
新幹線高架下のシンボルモニュメントに面白い仕掛けがありました。
新幹線が通過するとスイッチが入り、突如、法螺貝が鳴り響き、
忍城水攻めの戦国絵巻を語り始めます。

                  
                 (忍城水攻めの図・・・手前が三成陣地の丸墓山と石田堤)

総延長14kmの堤を1週間で作り上げたと伝えられています。
「忍城戦記」によると、人夫の賃金は昼は銭六十文と米一升、
夜は銭百文と米一升と破格だったため、近郷近在はもちろん遠くの村からも
人夫が集まったそうです。
堤の幅は約20m、高さは6m位、しっかりした工事だったことがわかります。

ところが、堤が完成し、利根川や荒川から水が引き入れられても
忍城は浮き城のように水に浸からず、なかなか落とすことができませんでした。
ある日、嵐がやってきます。
堤は決壊し、成田軍ではなく石田軍の兵士多数が溺死し、水攻めは失敗に終わりました。
一説によると、城下の領民が堤に細工をして、決壊させたと言われています。
小田原・北条氏が降伏した後、城主・成田氏の命により忍城は開城し、戦が終結しました。

                   
                         (決壊の場所と伝える堀切橋)
                     
                         (現存する石田堤)

決壊場所という忍川・堀切橋を渡り、松が植えられた石田堤に添って
自転車を走らせ、次の目的地「さきたま古墳群」と忍城を目指しました。

忍城の手前にある水上公園で、前を走る主人が急に曲がり自転車を止めました。
とっさに対応できず曲がり損ねて横転し、左足首をひねってしまいました。
(自転車で転ぶなんて・・・年のせいかしら? ) 
少し休んで様子をみてから、忍城へ向かいました。    

                 

                 

忍城では小説「のぼうの城」の登場人物に扮した忍城おもてなし甲冑隊に迎えられ、
郷土博物館となっている城中へ入りました。
「忍城周囲の地形を見て、当時の戦略と戦いを思い描く」つもりで、
昭和63年に再建された御三階櫓へ登りましたが、展望はほとんどききません。
当時の戦いの様子は小説のなかで愉しむことにしましょう。

忍城おもてなし甲冑隊のパフォーマンスに小さな声援を送ってから
小田原合戦でただ一つ、秀吉軍が落すことができなかったという
天下の名城・忍城を後にしました。
                                     
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