暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

久保権大輔さんの茶室遍歴・・・長闇堂記

2024年08月21日 | お茶と私

    (芙蓉の花が花盛りです)

 

外出する気になれず、冷房の効いた部屋で秋の涼風を待つ日々を送っています。

積読の本の高さを横目に、専らテレビと昼寝の怠惰な時間を過ごしていましたが、やっと2冊を読み終わりました。

「長闇堂記」(ちょうあんどうき、久保権大輔著、訳&解説・神津朝夫、淡交社)と「ロバのスーコと旅をする」(高田晃太郎著、河出書房新社)です。

「長闇堂記」は時々気が向いた時に何度も読んでいる本で、何故か気に入っています。

その理由を考えてみると、他の伝書と違い、筆者の久保権大輔さんが茶湯をしている息づかいがしっかりと感じられるからだと思います。

久保権大輔さんは決して恵まれた境遇ではないのですが、その置かれた環境の中でいろいろ努力して、彼自身の侘数寄を強い志を持って実践しています。

「長闇堂記」はいろいろな読み方が出来ると思いますが、侘数寄者がどのような茶室で茶湯をしていたのか、権太輔さんの茶室遍歴と言う視点で読み直してみました。

 

 

久保権大輔と茶の湯との出会いは、12~3歳の頃、近所に侘数寄者がいて茶会の度に給仕に雇われ、この道が面白くなってきたそうです。それに気づいた侘数寄者が点前や作法を教えてくれ、四畳半での茶の点て方を習うことができました。

幼き時より志があり、15歳の時に寂びた小さな家を求めました・・・とあるが、茶室の記述は特にない。

「私・権大輔が茶湯をはじめたのは北野大茶湯(天正15年10月・1587年)の年にあたります」

17歳で北野大茶湯に同行して見聞したことを書き留めていて(茶人として唯一の記録らしい)、その貴重な経験に後押しされるように侘数寄の道を自分の力で切り開いていくのですが、彼の茶室の変遷を追ってみると、その当時の侘茶のあり様がわかります。

 

     (葛の花の芳香に導かれて・・・)

(1)17歳の時、親(春日社の神職)の家の裏の小屋(四畳敷)を改造し、二畳敷を茶室、一畳を勝手、残る一畳を寝所としました。足の方には棚を釣り、昼は寝具を上げました。

・・・その茶室に、今思えば身分の高い客を呼んだものだと述懐しています。

(2)19歳の時、伊賀の筒井家中の者が費用を出してくれ家を持つことが出来ました。その家の二畳敷の数寄屋で3年間茶湯をしました。名護屋御陣(文禄の役)が起こり、その人の妻子を家に置かなくてはならなくなり、人に借りがあるのは良くないと思うようになります。

(3)23歳の時、自分で屋敷を求めて改築しました。三間四方(九坪)の大きさで、一畳半の茶室に三畳の水屋、六畳の座敷には床と付書院を設けました。

(4)36歳の時、奈良奉行より念願の故郷・野田郷に屋敷地を与えられました。その後、荒地を一人で整え、年月をかけて家屋敷をつくり庭木や花を植えて人の住家らしくなっていきました。(・・・この時の屋敷の茶室の記述がありません)

(5)48歳の時、中井大和守が東大寺俊乗堂を建替えました。その旧堂が古びて面白かったので野田郷の屋敷へ移築し、繕って茶処とし七尺堂と呼びました。

七尺堂は堂の内わずか七尺(約2.1m)四方、中に炉を入れ、床と押入と水屋があります。床に花・掛物を飾って、押入床を持仏堂に構えて、阿弥陀の木仏を安置しました。茶会をしても狭いことはありません。

ある時、遠州殿が来られ七尺堂を「長闇堂」と名付け、これより久保権大輔は長闇子を号としました。

(七尺堂へは小堀遠州、松花堂昭乗など当時の有名茶人を招き交流していたようですが、その佇まいの描写から松花堂昭乗が晩年を過ごした草庵「松花堂」を思い出しました)

    (草庵松花堂・・・八幡市・松花堂庭園内)

(6)62歳の時、「七尺堂(長闇堂)」に連ねて草庵を営み、「野田の山庄」と称し、荷い茶をおき、かたへに小さき屏風をかまえた。

松花堂昭乗が「山庄」の席披きの茶会へ招かれた時の礼状(寛永9年11月8日付)が今に残されています。

(荷い茶を置いた茶会が立礼だったのでは・・という神津朝夫氏の解説も興味深いです)

 

「荷い茶」(部分)・・・「観楓図屏風」(狩野秀頼筆、室町~安土桃山時代・16世紀)

 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

 

(7)寛永7年(1640年)6月28日に久保権大輔死去(享年70歳)

 

      (矢指谷戸の秋桜・・・9月半ばころかしら?)

以上ですが、侘び数寄者・久保権大輔さんの茶室は広くても二畳だったようで、侘茶を追求した当時では四畳半の茶室が最も広かったことが実感として迫って来ました。

茶室遍歴の他にも興味あることが書かれていますので、「長闇堂記」を是非ご一読ください。

追伸) 

この記事を書き出す前に「なごみ」(淡交社)2024年8月号の「夢の茶会・・・もしもマルセル・デュシャンを招いたら」を読んでいたら、なんと!久保権大輔の消息が寄付床に掛けられていました。これから権大輔さんのことを書きたいと思っていたところだったので、びっくりもし、「夢の茶会」に消息が使われたことが嬉しかったです。

こちらもご一読くださると嬉しいです。

 


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